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『浄土布薩式』「大科第十二 証明」(『浄土布薩式』参究27)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十二証明」の項目を学んでいきたい。大科第十二に証明と云は、仰で十方諸仏に啓す、娑婆世界、一四天下、南閻浮提、大日本国、大乗有縁の処、某の道、某国、某の郡、其の郷、其の村、其の里、其の仏像前にして、信心乞戒の受者有り、理事頓教の真戒を受け畢て、我等以て証明尊と為る。請ひ願くは、諸仏証明大善知識と為りたまへ。『続浄土宗全書』巻15・82頁、訓読は原典に従いつつ拙僧証明とは、受戒したことを証明してもらうことだが、声聞戒であれば「七証」に位置付けられる比丘によって行われた。大乗仏教では理念的な仏・菩薩によって証明されており、以上の文章でも、十方諸仏によって証明されたことが分かる。気になるの...『浄土布薩式』「大科第十二証明」(『浄土布薩式』参究27)
『浄土布薩式』「大科第十一 正受戒」④(『浄土布薩式』参究25)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十一正受戒」の項目を学んでいきたい。大科第十一正受戒此の発得戒に就いて、無量の戒法有ると雖も、今略して三聚浄戒を挙ぐ。是れ即ち諸戒の総なり。凡そ諸の菩薩波羅蜜の行、三聚を具足せざる莫し、いわゆる三聚三心を発し、三種の行を修し、三廻向を成す。菩薩の万行、此を以て宗と為す。宗は趣なり、意なり、致なり。此の三聚を持て、三学を増長し、三賢十聖等の位を成就す。究竟じて、三徳三身無礙の仏果を得さしむ、是れ意趣なり。一摂律儀戒とは、即ち諸過を離て、断徳の法身を顕す。二摂善法戒とは、万行の善を修して、以て智徳の報身を成す。三摂衆生戒、諸の衆生を饒益して、恩徳の化身を成す。受者、今身より未来際を尽く...『浄土布薩式』「大科第十一正受戒」④(『浄土布薩式』参究25)
『浄土布薩式』「大科第十一 正受戒」③(『浄土布薩式』参究24)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十一正受戒」の項目を学んでいきたい。大科第十一正受戒問うて曰く、夢は或は半時に過ぐべからず、或は一時乃至三時なり。然に何ぞ、浄土一宗の教相及び数多の戒法を伝し乎。答えて曰く、彼の阿須輪陀王の如には、夢に七万六千仏の出世に値ひ、七万六千仏を供養するの間、無量劫を逕歴す、寤に前には但だ半時なり。聖能梵志が夢の中に七生を過ぐ。若干の劫数なれども、覚前には纔に一時なり。設ひ半時なりと雖も、睡夢の前には、即ち多時なり、多日なり。浄土の教相、并に一乗の戒法を伝しに、何れの不足が有る乎。是の如く、或は夢中、或は覚前に、戒を相伝するに依て、得る所の功徳、性に約して、本有恒沙の功徳と名づけ、相に約し...『浄土布薩式』「大科第十一正受戒」③(『浄土布薩式』参究24)
『浄土布薩式』「大科第十一 正受戒」②(『浄土布薩式』参究23)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十一正受戒」の項目を学んでいきたい。大科第十一正受戒然るに釈迦牟尼仏、如上の諸仏相承の戒を以て、文殊師利菩薩の請に赴き、本妙一心の戒を授く。然して後、文殊師利、後魏の代に逮んで、五台山真容院に於いて、三蔵法師菩提流支に授く。菩提流支は北斉曇鸞菩薩に授く。曇鸞菩薩は、玄忠寺道綽禅師に授く。道綽禅師は、光明院の善導禅師に授く。善導は夢中に、日本華洛に来て、沙門源空に授く。『続浄土宗全書』巻15・80頁、訓読は原典に従いつつ拙僧ここからは、前回の記事で採り上げた「一心本妙の戒」「相伝戒」「発得現前功徳の戒」については、相互に関係性がある、或いは、次第に展開していくのかもしれない。その様子...『浄土布薩式』「大科第十一正受戒」②(『浄土布薩式』参究23)
『浄土布薩式』「大科第十一 正授戒」①(『浄土布薩式』参究22)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十一正授戒」の項目を学んでいきたい。なお、かなり長いので、数回に分けて学ぶこととする。大科第十一正受戒と云は、戒に付て、三種の不同有、一は一心本妙の戒、即ち色空兼ねて含むの大戒なり、是れ即ち後に釈するが如し、二は相伝戒、即ち過去の諸仏より、今日現前の師に至るまで、代々断絶せず、相続連持の戒、是れなり、三は発得現前功徳の戒、是れなり、亦た相伝戒とは、曠劫より已来た、諸仏相続して絶えずと雖も、頓に記するに遑あらず、今略して十仏の相承を記するのみ、第一最勝蓮華仏〈過去荘厳劫第九百九十五の尊〉第二弗沙仏〈荘厳劫第九百九十六の尊〉第三提舎仏〈荘厳劫第九百九十七の尊〉第四毘婆尸仏〈荘厳劫第九百...『浄土布薩式』「大科第十一正授戒」①(『浄土布薩式』参究22)
『浄土布薩式』「大科第十 請師」⑤(『浄土布薩式』参究21)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十請師」の項目を学んでいきたい。大科第十請師五に十方一切化成等覚の諸大菩薩を請し奉る、我が為めに受戒同学の等侶と成り玉へ、吾れ上聖の同学等侶に依る故に、頓教一乗の心戒を受けることを得、等侶哀愍の故に、来て梵壇に入り、一乗真戒を授与し玉ふ、是の故に吾等須く礼すること一拝すべし〈須く十方の諸大菩薩の足下に礼するの念に住すべし〉。私に曰く、既に請師畢て、小乗の三師七証を合して以て十律師の行なり。然るに、今大乗の心は、設ひ現前の師なりと雖も、崛を致して泥む、諸大菩薩更に其の請に泥むべからず、故に聖師に請し奉り、受戒を請すべきなり。『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧なお...『浄土布薩式』「大科第十請師」⑤(『浄土布薩式』参究21)
『浄土布薩式』「大科第十 請師」③(『浄土布薩式』参究19)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十請師」の項目を学んでいきたい。大科第十請師三に都率天の四十九重の摩尼宝殿、弥勒菩薩を請し奉る。我の為めに教授阿闍梨と成りたまへ。吾れ教授に依る故に、浄土頓教の妙戒を受ことを得、弥勒哀愍の故に、来て戒壇に入り、頓教一乗の戒を授与したまふ。是の故に吾等至誠に礼すること一拝すべし〈矣、慈氏菩薩の足下を礼する念を作すべし〉。『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧なお、この「請師」項だが、全体で五段になっている。よって、記事1回で一段ごと検討してみたい。3番目は兜卒天にいる弥勒菩薩である。こちらも菩薩戒授与に於いては文殊と並んで「教授阿闍梨」となってくれる。それにしても、...『浄土布薩式』「大科第十請師」③(『浄土布薩式』参究19)
『浄土布薩式』「大科第十 請師」②(『浄土布薩式』参究19)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十請師」の項目を学んでいきたい。大科第十請師二に金色世界の上首、大聖文殊師利菩薩を請し奉る。我が為に羯磨阿闍梨と成り玉へ。吾れ羯磨に由る故に、頓教事理の妙戒を受ることを得、文殊哀愍の故に、来て道場に入り、円戒を以て吾等に授与し玉ふ。是の故に、礼すること一拝すべし〈金色世界及び清凉山の上首文殊師利の足下を礼の念上を作すべし〉。『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧なお、この「請師」項だが、全体で五段になっている。よって、記事1回で一段ごと検討してみたい。ここでは、菩薩戒授与の現場で重視されている「文殊菩薩」についての話である。本書では文殊を「羯磨阿闍梨」だとしている...『浄土布薩式』「大科第十請師」②(『浄土布薩式』参究19)
『浄土布薩式』「大科第九 入壇受戒」(『浄土布薩式』参究18)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第九入壇受戒」の項目を学んでいきたい。大科第九に入壇受戒、私に云く、普天の下、率土の上、王地に非ざること莫し、此の県何ぞ王地に非らん。然は、則尽大地、皆王地なり。普く国土、悉く仏土なり。其の中に此の地、何ぞ戒壇に非らん。是故に戒壇に登るの念に住し、衆生等く重んじて思ふべし。我等曠劫より已来、三界の中に流転して、未だ六道の衢を出でず。今日始て釈迦遺法の弟子の戒和上に逢値す、即ち如来の在世に同くして、悲喜交流し、涙を双袖に流し、前は父母の肉親より生じ、今は無漏の戒壇より生ず。是を名て比丘の二生と為す。即ち是、真の仏子なり。『続浄土宗全書』巻15・78頁、訓読は原典に従いつつ拙僧いわゆる「...『浄土布薩式』「大科第九入壇受戒」(『浄土布薩式』参究18)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第八懺悔」の項目を学んでいきたい。大科第八懺悔とは、前の所造を悔ゆ、後の所起を伏す、前後倶に断じて、永く罪を作らず、師は先づ頌を説く、受者次に唱ふ。其の頌に曰く、往昔し造る所の五逆の罪、四重謗法一切の悪、至心受戒刹那の頃に、軽重倶に滅して更に余無らん。『続浄土宗全書』巻15・78頁、訓読は原典に従いつつ拙僧懺悔である。大乗仏教であれば、懺悔は受戒の前に行われるのだが、その基本は既に作ってしまった罪を悔い、今後はそういったことを起こさないように願うことが大切である。そして、懺悔については、師僧が偈頌を唱え、受者がそれを受けて唱えるという。その内容だが、「かつての昔に作った五逆の罪、四重...『浄土布薩式』「大科第八懺悔」(『浄土布薩式』参究17)
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」⑦(『浄土布薩式』参究15)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、以前の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)六には、羯磨転法輪僧を破るや、否や。答えて曰く、否なり。私に云く、羯磨転法輪僧と云うは、転は能説の語なり。法輪と云うは、所説の法なり。或いは口説、或いは身説、機に随て皆証益を蒙る、既に説法して、他をして得益せしむる僧、之を殺すの罪は、仏の生身を殺すに同じ、豈に此の罪、輙く滅せんや。若し其...『浄土布薩式』「大科第七問遮」⑦(『浄土布薩式』参究15)
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」⑥(『浄土布薩式』参究14)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、以前の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)五には、阿闍梨を殺さざるや、否や。答えて曰く、否なり。私に云く、阿闍梨と云は、西天の正音なり。此には名て軌範師と為す。此れは授戒の師なり。謂く和上阿闍梨。又、教授師有り、此れ威儀を教るの師なり。此の三人をば、三師と名く。七人は証誡なり。故に合して十律師と云なり。又、上座有り、小乗律には賓...『浄土布薩式』「大科第七問遮」⑥(『浄土布薩式』参究14)
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」④(『浄土布薩式』参究11)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)三には、母を殺さざるや否や。答えて曰く、否なり。私に曰く、母は是れ犯位と為して有名と云ふ。老子の曰く、有名は万物の母たり。註に曰く、万物の母と云は、天地、気を合して万物を生じ、長大成就すること、母の子を養ふが如きなり。曠劫難得の人身を受ること、母の縁に因まずんばあるべからず。設ひ生の後、...『浄土布薩式』「大科第七問遮」④(『浄土布薩式』参究11)
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」③(『浄土布薩式』参究10)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)二には、生身の父を殺さざるや否や。答えて曰く、否なり。私に曰く、父は是れ玄位と為す。精を与て相ひ接せしむ。設ひ世の財宝田畠を与えず、養育の愛を施さざると雖も、多生曠劫にも受け難き人身を受くるの恩、一日に億万恒河沙の骨髄を捨つと雖も、豈に報謝の一分にも足らんや。若し一念も父に於いて害心を起...『浄土布薩式』「大科第七問遮」③(『浄土布薩式』参究10)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今回からはその一々の項目について学んでいく。大科第七問遮(続き)七定業とは、一は、悪心出仏身血の罪、戒師、受者に問うて曰く、汝等、過去無数劫より、乃至今身まで、仏身生身より血を出さざるや、否や。答えて曰く、否なり。私に問うて曰く、出仏身血の罪は、如来の在世に限る。末代には之れ有るべからず。何等の罪を以てか、之の罪に同ぜんや。答えて曰く、仏宝に就...『浄土布薩式』「大科第七問遮」②(『浄土布薩式』参究9)
『浄土布薩式』「大科第六 受者発心」(『浄土布薩式』参究7)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくが、今回は「大科第六」の項目を学んでいきたい。ところで、一応「受者発心」というタイトルにしたが、以下の通り項目は「発心偈」というべき偈文を、随喜衆一同で唱えるところから始まる。大科第六受者発心諸衆、同じく唱えて云うべし、我等今身に善縁に遇い、能く隔時の菩提心を発し、一切の持破信不信、同く極楽に生じて三忍を得ん。今、菩提心を発すに就いて、即ち二種有り、一には直成の菩提心、即ち此の娑婆濁刹の中に於いて、直に無上仏果を成せんと求むの心なり。二には隔時の菩提心、則ち直成の修業に堪えざるが故に穢土を厭ひ、浄土を欣む。凡身を捨て、聖身を得て、二土を分かち、隔時隔念の得益を求むるが故に、隔時隔土の菩提心と名くるなり。...『浄土布薩式』「大科第六受者発心」(『浄土布薩式』参究7)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、本書は冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。その中でも、大科の第四を紹介してみたい。大科第四焼香焼香竟て唱て云ふべし、願くは我身浄じて香炉の如く、願くは我心智慧の火の如く、念念に戒定香を焚焼して、十方三世の仏を供養したてまつる。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方そもそも、本式は広略両本があったとされる『浄土布薩式』の略本であるから、本文としては短い。だが、それでも、次の科からは、口訣や願文等が入ってくるため、かなり長くなってくる。上記の「焼香」の項目だが、香炉に香を焚く意義について、偈頌で述べられている。そして、調べたのだが、この偈頌には典拠があった。善導和尚の『法事讃』巻上である。これは、流石に適した典拠があったの...『浄土布薩式』「大科第四焼香」(『浄土布薩式』参究5)
この連載では、『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。今回は、全十六章でなっている「布薩式」の「大科第三」を見ていきたい。大科第三灑水灑水し已て偈を説いて唱えて云ふべし、今法水を浴して諸根を浄む、八功徳水当に知るべし是なり、実相一味清浄の水、皆一切煩悩の垢を除く。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方今度は灑水(洒水)である。灑水は他の宗派の布薩作法でも、行われることが多い。ただし、順番は別の場面でのこともある。なお、ここの「灑水」の意義は、偈を見れば分かる通り、諸根(我々の感覚器官)を浄め、一切の煩悩の垢を除くことを意味している。その意味では、清浄にすることである。なお、この「灑水偈」だが、典拠は不明である。概念として類似した文...『浄土布薩式』「大科第三灑水」(『浄土布薩式』参究4)
『浄土布薩式』「大科第二 諸衆生可住和合念」(『浄土布薩式』参究3)
毎月の連載として『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。今回は、全十六章でなっている「布薩式」の「大科第二」を見ていきたい。大科第二諸もろの衆生、和合の念に住すべし、唱えて云うべし、諸衆同じく和合海に入り、同一法性にして分別無し、若し和合実相海に入れば、同く頓教一乗の味を嘗む。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方これが、「大科第二」であるので、2つ目の項目となる。そこで、タイトルにもしてみたが、「諸もろの衆生、和合の念に住すべし」とあるので、布薩に随喜した四衆に対し、「和合衆」になることを促したといえる。しかし、今回は「布薩」であるが、何故そこに「和合衆」であることが求められているのか。すると律蔵を見てみると、以下の一節を見出し...『浄土布薩式』「大科第二諸衆生可住和合念」(『浄土布薩式』参究3)
それでは、今回から『浄土布薩式』の本文を学んでみたい。まずは、冒頭部分である。浄土布薩戒上大日本国華洛沙門源空述浄土宗頓教一乗円実大戒布薩法式『続浄土宗全書』巻15・74頁『浄土布薩式』は上下2巻本である。それから、法然上人の署名は、「大日本国華洛沙門源空」となっている。「華洛」とは、華やかな都という意味であり、端的に京都にいた法然上人のことを指すとはいえる。それから、この布薩を行う戒の名目が凄い。「頓教一乗円実大戒」とある。頓教なので、すぐに悟れる教えであり、一乗であるから誰一人救われない者がおらず、円実だというから、円かで真実なる大戒だという意味になる。なお、「頓教一乗」という語句は、『円覚経』の註釈書に見えるもののようだが、実際の著者確定に関わるものだろうか?分からない。若し、此の法式を行んと欲する...『浄土布薩式』の冒頭(『浄土布薩式』参究1)
今回から、新連載を始めたい。読んでいく文献は、浄土宗でかつて行われていた『浄土布薩式』という式次第・作法・思想を示したものである。この「布薩式」だが、【浄土布薩戒(新編浄土宗大辞典web版)】という項目を見ていただければ、だいたいの様子は分かると思う。『続浄土宗全書』でも、法然上人(源空)の著作とはなっているが、江戸時代には既に疑義が呈され、現在では法然上人の著作とは認められていない。その議論へ影響を与えたこととして、『浄土布薩式』(上下巻)が、慶安元年(1648)に開版されたことも大きいといえよう。『続浄土宗全書』巻15には、関連する議論も収録している。なお、明治時代初期の福田行誡上人の改革などによって、「布薩戒」は廃止されており、この連載記事はあくまでも歴史的な事象を扱うだけであるが、見ていきたいと思...新連載開始(『浄土布薩式』参究0)