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とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。当寺は、二位殿・右大臣殿の御菩提の為にし奉り、御建立候の上、始めて布薩説戒を行ぜられ候〈天〉、廻向し奉らるべき候の由、謹んで承り候し了んぬ。折節、在国し候は、勤仕せしむるべき候。且く、六波羅殿の御書、畏くも拝見し候し了んぬ。早く、寺庫に納むべき候。今月十五日、布薩説戒し、既に勤仕せしめ候し了んぬ。恐惶謹言。十月廿日道玄「贈波多野義重書状」、『曹洞宗全書』「宗源(下)」巻・268頁下段~269頁上段、訓読は拙僧上記書状だが、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師の編集に係る『訂補建撕記』にのみ収められているもので、その経緯などについて、面山禅師自身は以下のように述べている。○檀那義重への返書の艸、一通文言左の如し、〈先の書状原文〉右の祖筆、現今永平寺の室中にあり、年号見へず、...永平寺開創の意義と布薩説戒について
拙僧自身の問題意識として、特に、高祖道元禅師自身がそのようであったと思うのだが、京都から越前に移動するに従い、自ら「誓願」という、宗教者として、仏道修行者として重要な事柄を意識されたように思うのだ。道元禅師自身も、大仏寺に入られてから誓願を発しておられるし、その周囲にいた弟子達も、各々誓願を発している。そして、それは出家者に留まらず、外護者である波多野氏まで及んでいた。今日はそれを見ていきたい。開闢檀那如是の事永平寺建て初めの夜、開山和尚と法談の次で、誓願を立て云く、○願くは我、生々に三宝を外護せんことを。○願くは我、世々に信心不退ならんことを。○願くは我、不退に大菩提を証せんことを。○願くは我、一切衆生を済度せんことを。開山大和尚、誉て云く、回心向大の願文なりとてこれを聴許す。『建撕記』「如是」というの...波多野義重公の誓願