彼岸会の意義について(2)
大本山永平寺の貫首を務められた森田悟由禅師の「彼岸会垂示」から、彼岸・彼岸会の意義を考えてみたい。仏法の上から云へば、迷ふて居る凡夫の位置は此方の岸で、仏の境界は彼の岸ぢや。釈尊御一代の説法も、高祖大師・太祖国師の御教化も、唯々我等をして凡夫地を超えて仏地に進み、迷いを転じて悟を開かしめんが為めの御導びきぢや。此処を能う合点さへすれば、仏法の一大事は彼岸の二字に帰するといふても宜い。此一大事を忘れる様なことでは、終日仏の御傍に侍し、終夜御経の声を聞たとて、所謂心外に正覚を求むる者で、トンと仏法には契はぬぢや。『永平悟由禅師法話集』鴻盟社・明治43年以上の御垂示を参究していくと、やはり、凡夫の側から見た様子として、此岸・彼岸の分別があり、それこそ、仏も分別されている。だけれども、その彼岸の境涯から説かれてい...彼岸会の意義について(2)
2024/09/24 06:56