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坐禅はする程に、続ける程に、自分自身の命、縁により繋がっているあらゆる存在の尊さ、恩恵が、色濃く感じられていく。
生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明(あきら)らむるは仏家(ぶっけ)一大事(いちだいじ)の因縁(いんねん)なり生死(しょうじ)の中(なか)に仏(ほとけ)あれば生死(しょうじ)なし但(ただ)生死(しょうじ)即(すなわ)ち涅槃(ねはん)と心得(こころえ)て生死(しょうじ)として厭(いと)うべきもなく涅槃(ねはん)として欣(ねご)うべきもなし是時(このとき)初(はじ)めて生死(しょうじ)を離(はな)...
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光陰(こういん)は矢(や)よりも迅(すみや)かなり、 身命(しんめい)は露(つゆ)よりも脆(もろ)し 何(いず)れの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか、過(す)ぎにし一日(いちにち)を復(ふたた)び還(かえ)し得(え)たる (修証義 道元禅師) 「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」という言葉もありますが、これは、光陰(月日)が過ぎ去る事は、まるで飛ぶ矢のように、あっと言う間で速い、という意味...