『洞上行持軌範』巻上の「五観の偈」について
さて、ここ数回の関連記事のおかげで、現行の「五観の偈」が、何故このような用いられ方をしているのかが分かってきたように思う。そして、既に拙ブログでは、現行の唱え方が明治時代以降に選ばれた慣習である可能性にまで辿り着いている。その証拠として、明治時代に編まれた『洞上行持軌範』を考えてみたい。これは、近代曹洞宗教団で作成された、全国画一型の軌範である。そこで、江戸時代の「五観の偈」については、面山禅師『僧堂清規』と、玄透禅師『永平小清規』で若干の相違点があったことが分かった。そうなると、相違の克服は、『洞上行持軌範』で図られたと思われ、結果、それが現行の作法になっていると考えるのが妥当である。よって、以下に確認したい。大衆は遍槌を聞て普同合掌し、次に揖食し畢て定印を結び五観の偈を想念し、微音に唱て云く、一計功多...『洞上行持軌範』巻上の「五観の偈」について
2025/04/19 12:05