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そろそろ夏安居の結制も近いので、ちょっと記事にしてみたい。比丘仏子受歳するは、夏安居なるのみ。年年に必ず三宝に白して、夏安居を結ぶ。其の白夏法とは曰く、大徳一心に念じて、我れ比丘〈又、仏子と云う〉某甲、今、某〈伽藍・聚落〉に依り、前三月安居す、房舎の破れを修治するが故に〈三説す〉、所対告げて言わく、放逸なること莫れを知れ、答えて言わく、受持す。所対問うて言わく、誰の持律に依るものか。答えて言わく、某甲律師による〈若し法に依らば、何等聖教と云う〉、所対告げて言わく、疑有らば当に往問すべし〈若し法に依らば、疑有らば応当に披覧して決すべしと云う〉、答えて言わく、頂戴受持すべし。瞎道本光禅師『対大己五夏闍梨法求寂参』この一節だが、一応の典拠は南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上四「安居策修篇第十一」などのようだが...「白夏法」について
今日4月15日は、暦や季節感などを無視してしまえば、古来より「夏安居」の開始日として定められていた「結夏」の日に当たる。なお、現在では5月15日を一般的な「結夏」としているので、古来より行われていた結夏に関する説法などを見ると、若干のズレがある。であれば、5月15日に「結夏」の記事を書けば良いのかもしれないが、とりあえず今日にしておきたい。結夏の上堂に、云く、百草、如今、将に夏を結ばんとす。拈来の尽地、万千茎。一華五葉、天沢に開く。結果自然、必ず当生なり。『永平広録』巻1-44上堂道元禅師がまだ京都宇治の興聖寺に居られた頃、仁治2年(1241)に行われた結夏上堂である。道元禅師は、後には結夏の開始を、上堂ではなくて、小参で行うようになり、また後には中国曹洞宗の宏智正覚禅師や、中国臨済宗の黄竜慧南禅師の説法...4月の結夏5月の結夏
明日4月15日から、夏安居(とはいえ、新暦の現在では5月15日)の結制となる。ところで、曹洞宗は道元禅師による伝来当初より、「安居」を導入していたと思われるが、15日の結夏を前に行われる行持を確認してみたい。四月十四日の斎後に、念誦牌を僧堂前にかく。諸堂、おなじく念誦牌をかく。至晩に、知事、あらかじめ土地堂に香華をまうく、額のまへにまうくるなり。集衆念誦す。念誦の法は、大衆集定ののち、住持人、まづ焼香す、つぎに、知事・頭首、焼香す。浴仏のときの、焼香の法のごとし。つぎに、維那、くらいより正面にいでて、まづ住持人を問訊して、つぎに土地堂にむかうて問訊して、おもてをきたにして、土地堂にむかうて念誦す。詞云、竊以薫風扇野、炎帝司方、当法王禁足之辰、是釈子護生之日。躬裒大衆、粛詣霊祠、誦持万徳洪名、廻向合堂真宰。...4月14日「夏安居」を前に
5月15日は、現在の暦では「夏安居」の開始となる。もっとも、現状では修行道場としての僧堂でも無ければ、なかなか年分行持の一として修行されることも珍しくはなっているが、高祖道元禅師が日本に正伝の仏法をお伝えになられて以来、連綿と受け嗣がれてきた行持でもある。ところで、以前に【4月15日夏安居(令和5年度版)】で書いたように、旧暦(太陰暦)の時代は4月15日結夏、7月15日解夏という日付が決まっていた印象を受け、しかも、江戸時代くらいまでの曹洞宗の清規類では、基本、この日付を踏襲している。しかし、明治5年に新暦に変わった時(具体的には、旧暦の明治5年12月3日⇒新暦の明治6年1月1日とした)に、様々な行持の日付を残した場合と、残さなかった場合とがある。「夏安居」は、後者の日付であり、総じて以下のような指示が出...5月15日「夏安居」について(令和5年度版)