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最近、出講している『正法眼蔵』勉強会で、「行持(上)」巻、「仏教」巻と立て続けに読み終えた。そこで、両巻に共通するかのような教えがあったので、まとめてみたい。なお、日本のように、数多くの宗派が残る国になると、何が真実の教えなのか?が気になることもあると思う。それは、現代だけではなく、これまでの各時代でも同様で、例えば道元禅師は以下のようなことを述べておられる。いま、有道の宗匠の会をのぞむに、真実、請参せんとするとき、そのたより、もとも難辨なり。ただ二十、三十箇の皮袋にあらず、百千人の面面なり。おのおの実帰をもとむ。授手の日くれなんとす、打舂の夜あけなんとす。あるひは師の普説するときは、わが耳目なくして、いたづらに見聞をへだつ。耳目そなはるときは、師また道取おはりぬ。耆宿尊年の老古錐、すてに拊掌笑呵呵のとき...道元禅師に於ける「師決」の話