道元禅師は明全和尚に嗣法したか?

道元禅師は明全和尚に嗣法したか?

ごく簡単な考察である。とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。建保五年丁丑、十八歳の秋、始めて本山を離れ、洛陽の建仁寺に投じ、明全和尚に従う。猶お、顕密の奥源、律蔵の威儀を習い、兼ねて臨済の宗風を聞く。即ち黄竜の十世に列す。遂に明全に従い、海を航海し宋に入る。日本貞応二年癸未、大宋の嘉定十六年なり。『永平寺三祖行業記』「道元禅師章」、訓読は拙僧短い一節ではあるが、幾つかの註記が必要となる。まず、この建保五年とは1217年のことで、道元禅師は18歳であった。その年の秋に、それまで4年ほど修行していた天台宗の比叡山を離れて、建仁寺に入ったのであった。ただし、『建撕記』などを見てみると、道元禅師はおそらく、比叡山と建仁寺を往来しながら栄西禅師とも会っていたと思われ、それが長じて、本格的に比叡山を離れたのがこの...道元禅師は明全和尚に嗣法したか?

2025/05/27 06:44