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ちょっと気になった文章があったため、この記事で見ておきたい。○招宝七郎大権修理菩薩は元阿育王経に出たり、阿育王の弟にて阿育八万の塔を諸州に置これを遥拝する形也(舎利を守護する神也其実は帝釈なりと云々)此神の事捜神記にも出たり其外禅家の書に見ゆ招宝山は大明一統志にあり大権修理菩薩の諡号は梁書に出ると天野信景『塩尻』巻46以上の文章は、尾張藩士・天野信景(1663~1733)の随筆『塩尻』から引いたものである。そして、紹介されているのは、曹洞宗寺院の多くで伽藍神として祀られているであろう招宝七郎大権修理菩薩のことである。ただし、色々と気になることがある。例えば、『阿育王経』という経典だが、これは『大正蔵』巻50にも入っている同経か『阿育王伝』を指すのだとは思うが、詳細は不明である。なお、拙僧はこの一節を、大内...「招宝七郎大権修理菩薩」異聞
拙寺は、宮城県栗原市内に所在するが、以前から当山の鎮守神について気になっていた。いや、本堂に備えられている回向帳には「白山妙理大権現」と書かれてはいるものの、山内に白山権現を祀る伽藍等は無いし、意味が分からなかったのである。それで、ちょっと調べてみた。繰り返しになるが、山内の伽藍としては観音堂(清水寺からの御分霊という伝承がある子安観音)は、本堂や庫裏とは別に設置されてはいるが、その内部にあるのは観音像2体と、観音堂を建てる際の寄進者の位牌くらいである。本堂を見てみても、当山は本尊が観音菩薩なのであるが、その後方両脇に達磨尊者や招宝七郎大権修利菩薩が安置されており、また、別格として不動明王の古像がある。しかし、これらは鎮守神ではない。今回調べたところ、拙寺には古い回向帳(『早朝大回向』文久2年[1862]...当山の鎮守神の話