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一見すると良く似ている。だが、詳しく見てみると、言っていることは全く違う。なお、前者については、曹洞宗の大本山永平寺御開山・高祖道元禅師が『正法眼蔵』「発菩提心」巻で引用し、例えば『修証義』「第四章発願利生」などでも強調されるため、曹洞宗の自家薬籠中の言葉だと理解している人も多いかもしれないが、出典は『大般涅槃経』巻28(北本)である。迦葉菩薩、偈をもて釈迦牟尼仏をほめたてまつるにいはく、発心と畢竟と二つながら別無し、是の如くの二心は先の心を難しとす。自未得度先度他(自ら未だ得度せざるに、先ず他を度す)、是の故に、我れ初発心を礼す。初発に已に天人師たり、声聞及び縁覚に勝出せり。是の如くの発心は三界に過えたり、是の故に最無上と名づくることを得。『正法眼蔵』「発菩提心」巻での引用要するに、こういうことである。...「自未得度先度他」と「我得自度已当復度衆生」について