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こんにちは、lemonですまた梅見てきました今週かなり暖かかったので、散り始め。でもまだ綺麗に咲いてる木も今年はたくさん楽しめました。ありがとう♡菜の花もキラ…
一之巻湊屋おろく九代将軍、家重執政の宝暦二(一七五一)年桜の咲く頃。浅草寺地内に湊屋という『ごふく茶屋』を称した水茶屋があった。ここでは湊屋をごふく茶屋と呼ぶことにする。ごふくとは、御仏供からきたもので、‘仏前に献茶して仏果を得る’という意味である。ごふく茶屋には奥座敷が設けられてはいるが、他の店とは違い私娼窟ではない。お茶を飲ませるのを目的としていた。この店では、熱い湯でまず桜湯、麦茶を出した。浅草寺の鐘が、昼八ツ(午後二時)を打った。ごふく茶屋では、おろくという娘が、客にお茶を運んでいた。「ありがとう。おろくちゃんの入れてくれるお茶は天下一品だ」薬問屋の若旦那の田助が言った。「また、若旦那、冗談がお上手ですね」と、おろくは言いながら他の客にお茶を運んで行った。「おろくちゃん、相変わらずきれいだね」と、大工の...大江戸美人揃一之巻湊屋おろく
綱崎山 寿福寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東1丁目)は、鎌倉時代前期に清和源氏の多田行綱の子の智空が長福寺として開基した真言宗寺院として始まり、鎌倉時代後期には都筑郡王禅村などを領有していた金沢流(かねさわ)北条貞顕(さだあき→15代執権)の帰依を受けました。室町時代に衰退したものの智空から7代目の空誓が江戸時代前期に浄土宗本願寺派として寺を中興し、その後、江戸時代中期の1716(享保元)年に8代将軍徳川吉宗の嫡子...