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本居宣長の義理の曾孫で幕末・明治期に活躍した国学者・歌人 本居豊頴(もとおり とよかい)が評論した田道間守(たじまもり)
田道間守慟哭の絵 田道間守の評論文語意調査表 私は公爵、伯爵などの爵位や博士の学位を持つ明治時代の有名人が尊敬に値する人物を評論した明治32年発行の「明治名家古人評論」という文庫本サイズの祖父の蔵書を持っています。 これまで、その中から「ラ・ファイエット」、「上杉謙信」、「鄭成功」を取り上げ、ブログで紹介しましたが、今回は「お菓子の神様」の田道間守(たじまもり)について紹介します。 今回のテーマ「田道間守」を評論した本居豊頴(もとおり とよかい)」という人はこ爵位や博士を持っていませんが、国学者・歌人として、教育者・評論家の「杉浦重剛」と同様に、明治時代に日本文化の発展に貢献した功労者の一人で…
垂仁天皇は田道間守(タヂマモリ)を常世(とこよ)の国に遣わし,非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めさせた。しかし、手に入れて戻った時には天皇は亡くなっていた。田道間守は泣き叫んでその場で命を絶ったという。そしてこの非時香菓は古事記、日本書紀とも今の橘である
【宝来山古墳(垂仁天皇治定墓)】三羽の大鳥を眺める不老不死の常世国
はじめに 第11代 #垂仁天皇 治定墓 #宝来山古墳 に三羽の大鳥。その壮大な景観造りには、被葬者の不老不死と復活再生を祈る緻密な計算が込められていると思われます #蓬莱山 #常世国 目次 春日の大鳥、生駒の大鳥 宝来山古墳で鳥見(垂仁天皇陵治定墓、菅原伏見東陵) 宝来山古墳 もう一羽の大鳥 本文 春日の大鳥、生駒の大鳥 菅原天満宮から東に四百メートルほど、菅原はにわ窯公園(菅原東遺跡埴輪窯跡群)を見学後、南の奈良生駒線(奈良県道1号)高架をくぐって垂仁天皇陵へ。 菅原東遺跡埴輪窯跡群(菅原はにわ窯公園) 高架に沿って高架式の歩道があり、高いところから景色を眺めました。 座標(34.68376…
【宝来山古墳(垂仁天皇陵)】浮島の田道間守(たじまもり)と非時香菓(ときじくのかくのみ)の伝承
はじめに 第11代 #垂仁天皇陵 と治定される #宝来山古墳 周濠の浮島には常世国に渡り苦難の末に橘(ミカン)を持ち帰った菓祖 #田道間守 の #非時香菓 伝承が残されています 目次 宝来山古墳(宮内庁治定 垂仁天皇陵) 田道間守(たじまもり)と非時香菓(ときじくのかくのみ)伝承 田道間守命 御塚拝所と大和橘 本文 www.zero-position.com 宝来山古墳(宮内庁治定 垂仁天皇陵) (34.6806218, 135.7810341)/奈良市五条1丁目6−12 尼ヶ辻町字西池1030/近鉄奈良線大和西大寺駅から徒歩約30分、同橿原線・尼ヶ辻駅から徒歩5分。駐車場はありません 全長約…
【タジマモリ/常世の国に遣わされた菓子神】@art.mochida.daisukeタジマモリ(田道間守)は、11代垂仁天皇(すいにんてんのう)に仕え、 …