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令和6年12月2日(月) 【旧 一一月二日 赤口】 小雪・「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」橘の黄の小さきは右近かな ~吉田鴻司(1918-2005) 京都御所内裏の紫宸殿正面に植えられた左近の桜と右近の橘。言うまでもありませんがこの左・右は左大臣・右大臣の席と同じく天
【復立・卑弥呼】(邪馬台国)のルーツ解明に到った動機(3歳の時の出来事)!
【復立・卑弥呼】(邪馬台国)のルーツ解明に到った動機(3歳の時の出来事)! ★【卑弥呼】のルーツ(籠名神社祝部氏系図/『先代旧事本紀』系図)は日本の歴史、つま…
◆「卑弥呼」のルーツ解明しました! ★『三國志』(巻三十倭人伝/著者・陳寿)の「魏志倭人伝」に記す元書~「復立卑彌呼宗女壹與年十三為王、國中遂定、政等以檄告喩…
本居宣長の義理の曾孫で幕末・明治期に活躍した国学者・歌人 本居豊頴(もとおり とよかい)が評論した田道間守(たじまもり)
田道間守慟哭の絵 田道間守の評論文語意調査表 私は公爵、伯爵などの爵位や博士の学位を持つ明治時代の有名人が尊敬に値する人物を評論した明治32年発行の「明治名家古人評論」という文庫本サイズの祖父の蔵書を持っています。 これまで、その中から「ラ・ファイエット」、「上杉謙信」、「鄭成功」を取り上げ、ブログで紹介しましたが、今回は「お菓子の神様」の田道間守(たじまもり)について紹介します。 今回のテーマ「田道間守」を評論した本居豊頴(もとおり とよかい)」という人はこ爵位や博士を持っていませんが、国学者・歌人として、教育者・評論家の「杉浦重剛」と同様に、明治時代に日本文化の発展に貢献した功労者の一人で…
#4074 橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも
令和5年12月2日(土) 【旧 一〇月二〇日 大安】・小雪 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも ~占部廣方 『万葉集』 巻20-4371橘の木の下を吹く風が香しい筑波の山を懐かしく思わずにいられようか。Photo:橘の実 ~tenki.j
垂仁天皇は田道間守(タヂマモリ)を常世(とこよ)の国に遣わし,非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めさせた。しかし、手に入れて戻った時には天皇は亡くなっていた。田道間守は泣き叫んでその場で命を絶ったという。そしてこの非時香菓は古事記、日本書紀とも今の橘である
つまみ細工右近の橘、左近の桜作り。ちりめん生地小さな桜が6輪出来ました。丸つまみアレンジ2種です。小さくて可愛い桜は、とても綺麗に摘めていて◎Iさん、橘作りへ…
茶室の茶わらし 12月2日から七十二候「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」を迎えたよ
七十二候「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」 みかんが美味しい季節になってきたね。 橘って柑橘類の木の総称のことなんだって。 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)って言うのは みかんをはじめ柚子や金柑とか ...
#3709 橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し
令和4年12月2日(金) 【旧 一一月九日 先勝】・小雪・橘始黄(たちばなはじめてきばむ)橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し ~大伴家持 『万葉集』 巻18-4112橘は、花も実も目出度いものと見ておりますが、とこしえにそのように思って見ていたいものです
橘寺のご縁 橘(たちばな)は別名をヤマトタチバナ、ニッポンタチバナといいます。 日本文化を形成してきた植物のひとつ、といっても過言ではないほど 歴史ある日本固有の柑橘類。 学名は Citrus tachibana です。 奈良、明日香村の 橘寺 を訪ねたのは10年ほどまえの...