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どうする家康 第18話「真・三方ヶ原合戦」 ~三方ヶ原の戦い~
遠江を瞬く間に制圧していった武田信玄は、徳川家康の本城である浜松城を目の前にして、突如、進路を西に変えて三方ヶ原台地に上がり、そのまま浜松城を無視して三...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ三方ヶ原の戦いだぁ〜ってことで第18話の感想ぉ〜浜松城を素通りしようとした武田信玄の軍勢を追い、か…
どうする家康 三方ヶ原の戦い 三方原で 武田信玄に完膚なきまでに叩かれた徳川家康 なんとか逃げ延びて 浜松城に入ります その際 徳川家康の身代わりになった甲本雅裕さん めちゃくちゃかっこよかったです 甲本雅裕さんといえば 個性派俳優 バイプレーヤー的な感じでしたが 実際にメインを張れるくらい 確かな演技力と迫力があって 前から好きでしたが ますます好きになってしまいました 本多忠真役の 波岡一喜さんも素晴らしくて もともと仮面ライダーに出演されているのを見て 好きになったのですけど 今回も迫力ある そして個性的な演技で抜群の存在感を示してくれました かっこいい どうする家康は 阿部寛さんのよう…
浜松市中区住吉の元亀霊神社は、明治の敬神崇祖の念の強い篤志家であった住吉の故岡野丑太郎氏は、自宅の近くにある小塚に、元亀三年の三方ヶ原の戦いで散華した多くの将兵が、眠っていることを知り、自分の土地を提供して住吉町の鎮護として、昭和5年に元亀霊神を建てたそうです。この地域には、数多くの小塚があったといい、大正時代の開拓事業により失われていきましたが、その過程で、小塚から小札が掘り出されたことから、三...
浜松市中区広沢の宗源院は、山号を宝蔵山(ほうぞうさん)といい、西来院と同様に曹洞宗普済寺十三派の在天派に属し、華蔵義曇(けぞうぎどん)の法弟在天弘雲和尚が応永23年(1416年)に開創しました。ご本尊は、虚空蔵菩薩・釈迦牟尼佛・普賢菩薩です。室町時代後期には、今川氏の庇護をうけ、今川義元自身が開基としての役割を果たし、堂塔伽藍の再建を行っています。そうした関係を裏付ける史料として、当寺には今川義元...
平山優「新説 家康と三方原合戦」家康はなぜ信玄に戦いを挑んだのか?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、平山優「新説 家康と三方原合戦」家康はなぜ信玄に戦いを挑んだのか?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどこ
松本潤さんが徳川家康(1542~1616)を演じるNHK大河ドラマ『どうする家康』第19回(5月21日放送)で、阿部寛さんが演じる武田信玄(1521~73)が病死した。ドラマでは信玄終焉の地は「信州(現在の長野県)駒場こまんば」とテロップで紹介されたが、信玄がどこで病死したかについては以前から諸説ある。 ようやく三河・野田城を落としたが… 3年間死を伏せたため?終焉の地に諸説 駒場(長野県下伊那郡阿智村駒場)…『当代記』「御宿監物長状」 根羽(長野県下伊那郡根羽村)…『甲陽軍鑑』『熊谷家伝記』 平谷(長野県下伊那郡平谷村)・浪合(長野県下伊那郡阿智村浪合)…『三河物語』『改正三河後風土記』『徳…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜昨日アップ⤴️予定だったのに1週遅れちゃった…っていうことで第17話の感想ぉ〜!!ついに西上を開始した武田…
浜松市西区庄内町の宿蘆寺この山門は、大河ドラマ「おんな城主直虎」の中で龍潭寺の山門として登場した宿蘆寺の参道に続く山門です。幼少期の直虎のおとわが、龍潭寺へ走って行く場面や、昊天と傑山が出家したおとわを待ち構え、山門くぐろうとするおとわを傑山が投げる場面などに登場しましたね。山門に掲げられている「藤谷山(とうこくざん)」の額は、徳川光圀(水戸黄門)の師匠である東皐心越(とうこんしんねつ)禅師の書。...
#3871 誰も見よ満つればやがて欠く月のいざよひの空や人の世の中
令和5年5月13日(土) 【旧 三月二四日 友引】・立夏・蚯蚓出(みみずいづる)誰も見よ満つればやがて欠く月のいざよひの空や人の世の中 ~武田信玄(1521-1573)『甲陽軍鑑』誰も皆見てみよ、満ちてはやがて欠けてゆく月の十六夜の空のようなものなのだ、人の世というものは
大河ドラマ『どうする家康』主演の松本潤さんなどが参加した「浜松まつり」の騎馬武者行列が5月5日、浜松市で行われた。松本さんは沿道を埋めた観衆に笑顔で手を振りながら、市の中心部を練り歩いた。 松本潤さん「徳川家臣団、出陣じゃ!」…浜松まつりに68万人詰めかけるhttps://t.co/Z95EbiL6ra#カルチャー — 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) 2023年5月5日 『どうする家康』第17話「三方ヶ原の合戦」も主な舞台は浜松だったが、当然ながら、劇中の松本さんが演じる徳川家康(1542~1616)に全く笑顔はなかった。元亀3年(1572年)、阿部寛さんが演じる武田信…
三方ヶ原犀ヶ崖古戦場の犀ケ崖資料館には、徳川家康が戦場で肌身離さず持っていたというお守り「勝軍地蔵」が展示されています。家康公兜前立勝軍地蔵家康が17歳の初陣の時より、戦場に臨む際には必ず仏体一躯を甲冑に奉安して陣中守護神としたと伝えられています。浜松城主時代の若き家康に仕えたとされる見付(磐田市)の安間家の家宝でしたが、三方原合戦の死者の霊を祭ってきた宗円堂が、明治時代の再建された際、本尊として迎...
以前の犀ヶ崖資料館は、三方原の両軍の霊が祀った宗円堂というお堂でした。その霊を慰めるために、毎年7月15日に遠州大念仏が行われます。遠州大念仏は、遠州地方の郷土芸能の一つで、初盆を迎えた家から依頼されると、その家の庭先で大念仏が行われます。布橋の国道沿いに犀ヶ崖資料館があります。資料館は平成27年4月、新しく建て替えられました。犀ヶ崖資料館資料館では、三方原合戦、遠州大念仏に関する資料が展示されています...
【ふるさと納税】常温 ほうとう 山梨 生ほうとう 郷土料理 武田信玄 4人前~山梨県甲府市
山梨県甲府市のふるさと納税の返礼品『 生ほうとう 郷土料理 武田信玄 4人前』。山梨で古くから愛されている郷土料理『ほうとう』。お肉や季節の野菜をたっぷり入れて特製味噌で煮込みます。食べ応えがあって栄養満点!!心も体も温まるふるさとの味です。
浜松城の北側1kmに犀ヶ崖という断崖があります。ここは、三方原古戦場犀ヶ崖として昭和14(1939)年に静岡県の史跡に指定されています。元亀3年の三方原の合戦で、徳川家康は武田軍に大敗し、浜松城に逃げ込みました。戦いは夜まで続き、攻撃を続ける武田軍は犀ヶ崖まで進攻してきましたが、この辺りの地理に疎く、夜であったため、足を踏み外して崖から転落してし、武田軍は多くの死者を出したという話が残っています。またこれには...
#241 第17回「三方ヶ原合戦」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年5月7日の大河ドラマ『どうする家康』の第17話「三方ヶ原合戦」壮年家康 最大の危機始まる格の違いを思いきり見せつけるテルマエ信玄。遠江を様々な方面…
2023年3月26日の大河ドラマ『どうする家康』の第12話『氏真』闇落ち氏真について 氏真の闇落ちと氏真のへの複雑な思いの家康 武田信玄と徳川家康で、今川家を…
浜松市東区天竜川町の妙恩寺に行って来ました。妙恩寺のHPによると、徳川家康は、妙恩寺へ最低二度は来ていることになっています。一回目は、岡崎城から引馬城(浜松城)へ引越ししてくる時。二回目は、三方原の戦いの初戦「一言坂の戦い」で負けたあと。 1568年12月2日に姫街道を使い三河国から遠江国に入り、奥山方広寺へ。12月4日井伊谷に宿陣。 井伊谷三人衆の手引きにより浜名湖北岸に来た家康は井伊家を味方につけることに成...
どうする家康 第17話「三方ヶ原合戦」 ~信玄の進軍ルートと一言坂の戦い~
いよいよ徳川家康の人生最大のピンチと言われる三方ヶ原の戦いに突入します。 元亀2年(1571年)、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、こ...
浜松城に隣接する浜松市役所の前に、「家康公鎧掛松」という史跡があります。この松には、次のような話が伝わっています。元亀3年(1572年)三方ヶ原の合戦から城に帰った徳川家康は、大きな松に鎧を掛けて木陰で休みました。このことから鎧掛松と呼ばれています。現在の松は、昭和56年に植樹された三代目で、初代の松は、浜松城の堀のそばにありました。また、当時、鎧掛松近くの清水で、合戦に疲れた馬のからだを冷やしたところ...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いきなり家康さんを襲ったのは虎松⁈ってことで第16話の感想ぉ〜!遠江国に入った家康を襲ったのは、遠江は武田…
【どうする家康】#16 信玄の策にはめられた家康、泣き落としで家臣を動かす
義弟は、血のつながりが無いはず NHK大河ドラマ「どうする家康」第16回「信玄を怒らせるな」を最初に見たのは先月30日のお昼だったか・・・BS4Kで見た。そこから、まだ薬でボンヤリしているうちにもう土曜日となり、お昼の再放送を見てまた「そうだブログを書こう」と遅ればせながら思い立った。あらすじを公式サイトから引用する。 浜松に居城を移した家康(松本潤)だが、城下で虎松(板垣李光人)と名乗る少年に襲われる。遠江の民は徳川を恨んでいるという虎松の言葉に、家康は傷つく。一方、信玄(阿部寛)に対抗し、家康は上杉謙信との同盟を探るが、それが武田方に漏れ、信玄を激怒させてしまう。武田との決戦を避けられない…
武田軍は、三方向から遠江に侵攻し、一言坂、二俣城で勝利。12月22日、武田方は、二俣城を出発し、西へと進路を取りました。織田軍からの援軍を得た徳川家康も、武田軍を迎え撃とうと浜松城を発ち、自ら出陣。戦場となったのが、三方ヶ原です。以下、Wikioediaより1572(元亀3)年、上洛を目指し、武田信玄が遠江国に進軍することを知った家康は、浜松城を出発・追撃し、三方ヶ原の地で戦いとなりましたが、兵の数でも軍術でも劣る...
普済寺は、広沢山(こうたくさん)と号する曹洞宗の寺です。浜松市の中区にある普済寺の創建は、15世紀初期、寒厳義尹によって開山されたのが始まりとされています。当初は随縁寺と称し、現在の浜松市寺島の地にありましたが、永享4年(1432)肥後国(熊本県)大慈寺からきた華蔵義曇が再興し、広沢山(こうたくざん)普済寺に改め現在地に移しています。普済寺は古くから由緒ある寺として徳川氏の保護をうけていましたが、三方ヶ原の...
山県昌景軍が、柿本城、井平城を落とし、二俣城の武田本隊に合流。二俣城は、遠江国豊田郡二俣(浜松市天竜区二俣町二俣)にあった山城で、戦国時代、今川氏により築城され、武田軍の修築を経て、徳川の時代に天守台など諸施設が構築されました。天竜川と二俣川に挟まれたこの城をめぐって武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。一言坂の戦いで、家康を破った信玄は、10月16日に二俣城を包囲。...
どうする家康 武田信玄とついに揉めるみたいですね 松本潤さんと阿部寛さん かなりタイプが違うので 見応えのある対決になると思っています 来週は三方ヶ原の戦いになるのかな 徳川家康がガチち負けするのが どのように描かれるのか大変楽しみです 井伊直政が出てきたのも面白いですね 綺麗な顔の役者さん 人気になるのでしょうね これからますます盛り上がっていくのかなと思います ただ、徳川家康は 存命している期間が長いので どうしても駆け足になってしまうのかなと思って ちょっと寂しい感じもしています 難しいと思うのですけど もう少し 掘り下げてやってくれたら もっと楽しいかなって 仕方ないですけどね
#226 第16回「信玄を怒らせるな!」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年4月30日の大河ドラマ『どうする家康』の第16話「信玄を怒らせるな!」壮年期の家康、最大の強敵信玄ついに動く第14話から引き続きの英雄たちの選択では…
どうする家康 第16話「信玄を怒らせるな」 ~上杉謙信と徳川家康の同盟~
のちに「徳川四天王」のひとりに数えられる井伊直政が出てきましたね。最初、てっきり女性だと思って観ていました。実際の直政も美少年だったといいますから、少年...
永禄12年(1569)、徳川家康は、遠江国の国府・国分寺が置かれた政治文化の中心都市であった見付(磐田市)に築城を開始しました。遠江国分寺跡しかし、東方の武田信玄に対し、背後に天竜川を控えており、川が増水したら、織田信長からの援軍が間に合わない、水の便が悪い、信玄のとの関係が悪化したなど、いくつかの理由により築城を断念し、引間(浜松)に城を移すことにしたと言われています。見付の築城には、信長からの強い反対が...
武田信玄を描いた肖像画はどれも武田信玄とはいえない…最新研究でわかった「戦国最強武将」の .
山下達郎 特集『レコード・コレクターズ 2023年6月号』5月15日発売! - TOWER RECORDS ... タワーレコードオンライン …
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜武田の駿河侵攻は凄まじいけど、家康さんは…ってことで第12話の感想ぉ〜武田信玄は容易く今川の駿河を落としま…
今日は二十四節気の清明だそうです春先のすべてのものがいきいきしている様子花のつぼみがふくらんで咲きほこる季節への移ろいを意味した言葉のようです桜は少し残って…
どうする家康 第13話「家康、都へゆく」 ~家康はじめての上洛~
永禄12年(1569年)5月、今川氏真が籠る懸川城を開城させた徳川家康は、氏真夫婦を相模の北条方に引き渡しました。しかし、これは、甲斐の武田信玄と敵対す...
永禄11年(1568年)12月13日、駿河に侵攻した武田信玄の今川館攻めによって駿府を追われた今川氏真は、遠江の懸川(掛川)城に逃れました。今川館は「館...
あの戦国武将に似合うクルマはこれだ! 独断と偏見で勝手に選んでみた
日本史にその名を刻んだ歴戦のツワモノたる戦国武将たち…名将、智将、猛将、いろんな武将が頭に浮かびますが、今回はそんな戦国武将たちが現代社会に生きていたら、彼らはこの時代にどんなビジネスで活躍していたんでしょうか?そしてどんなクルマが似合いそ
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ今川が攻められる時…ってことで第11話の感想ぉ!今川義元が織田信長に桶狭間の戦いで討死してから急落…
今回は長野県伊那市の 高遠城【信濃国】の紹介です。 現在は桜の名所としても名高い城址ですが、その過去においては戦国時代の武田方の城として織田軍との壮絶な戦いがあった場所として有名です。 また
※本編とは全く関係ないお話しです。 来ました! 大尊敬! 超尊敬! 武田のお館(やかた)様! 大河ドラマ『どうする家康?』の話である。 思った以上に面白い。 最初イマイチかなあ、と思ったのだが、 思った以上に面白い。 自分は、基本的に誰かを尊敬したりなどは あまりしないたちなのだ...
どうする家康 第11話「信玄との密約」 ~徳川改姓と遠江侵攻~
永禄9年(1566年)12月29日、家康は姓を「松平」から「徳川」に改めました。後世のわたしたちがよく知る徳川家康の誕生です。なぜこの時期に改姓したかと...
#186 第11回「信玄との密約」~大河ドラマ『どうする家康』
す2023年3月19日の大河ドラマ『どうする家康』の第11話『信玄との密約』について 大河らしい展開になってきた気がした11話いつのまにか三河は統一され、松平…
大河ドラマ「どうする家康」で気になる人物が出ていました。ん?誰だい?それは、千代三河一向一揆で寺にいた巫女だねこの千代と言う女、実は、なんと、タコ入道…じゃな…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜三河一向一揆の続きだねってことで第9話の感想ぉ〜!なんと一向一揆を主導している軍師が、平清盛…じゃなく本多…
遊行寺(ゆぎょうじ)の名で知られる藤沢山 無量光院 清浄光寺(しょうじょうこうじ→神奈川県藤沢市西富1丁目)は、鎌倉時代後期の1324(正中元)年に鎌倉郡俣野の領主であった俣野景平(またのかげひら)が開基、時宗開祖一遍の遊行を相承した遊行四世の呑海(どんかい→俣野景平の兄弟)が開山した時宗総本山です。1324(正中元)年は14代執権北条高時政権で、周辺には得宗被官(→北条氏嫡流の家来、御内人とも)の所領が点在し、境内には1333(...
今回は三河国にある 文殊山城 の紹介であります。 場所は愛知県新城市の山間に入ったところで、以前に紹介した亀山城や道の駅 つくで手作り村など国道301号を挟んだ山上にあります。 小さな単
ブログ訪問有難う♪足跡がわりにポチッと凸してくれたら嬉しいな寝ぼけた顔で「ジッちゃんお早う~」って朝の挨拶したら「おっ、起きたか、内閣総理副大臣の仕事3つ述べよ」キターーーッ久しぶり、ジッちゃんの意地悪問題速攻で答えるのがルールで考える時間ナシ「総理の留守に総理の椅子に座る影武者お茶くみ」「福沢諭吉の好きな言葉は?」「3歩進んで1歩下がる」ジッちゃんヒーヒー笑いながら「武田信玄の特技は?」「空振り三振」何でも良いから答えんのお互いボケ予防のつもりなんだけどヒヒヒーッつって笑い転げるジッちゃんに私は「ガーシ議員は何してる人?」って逆質問「給料ドロボー」おっ、ジッちゃん的を得てんな~「徳川家康の名言は?」「急がば回れ」ジッちゃんの答えはちっとも面白くない「伊達政宗の好な言葉は?」「嘘も方便」ジッちゃんの解答に...生前贈与税を心配するジッちゃん
吉田城は、永正2年(1505)長山一色城主・牧野古白が、今川氏親の命により、渥美郡馬見塚村に今橋城を築いたことに始まります。永正3年(1506年)松平氏と今川氏の戦いの後、牧野古白・野瀬丹波が討死。二連木城や田原城に拠点を持つ戸田氏と、牧野氏が争奪戦を繰り返すため城主が次々と入れ替わり、大永2年(1522年)城主であった牧野信成(古白の子)によって吉田城と改められました。天文15年(1546年)牛窪城主(長山一色城主)の牧野...
組織は頭から腐る ということばもあるようです。ちなみに「魚は頭から腐る」はロシアのことわざ「鯛は頭から腐る」といった人もいましたがありそうでないよう…
2月の半ばから1泊2日しか時間が取れませんでしたが、リフレッシュに温泉に行ってました!!今回の旅は…… 武田信玄が治めていた街~甲府~です! 関東近郊だと栃木や群馬、千葉や神奈川は行ったことあったのですが山梨って地味