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大坂の玉造稲荷神社は、垂仁天皇18年(紀元前12年)創建されたと伝えられています。戦国時代の戦火により荒廃しましたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建されました。大坂夏の陣で、社殿は再び焼失しましたが、元和5年に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建されました。豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称し、江戸時代には伊勢参りの出発点とされました。「玉造」という名は、鎮座...
家康を辿る城旅「堀江城」!なぜ家康は出陣したのか?三方ヶ原開戦の鍵を握った城へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「堀江城」!なぜ家康は出陣し
本記事では以下についてお伝えしています。 NHK大河ドラマ「どうする家康」 主演の松本潤さんは、ドラマ高視聴率請負人とまで言わしめるほどの存在です。 しかし、どうする家康は人気がないのか「つまらない」
【どうする家康】#37 「さらば三河家臣団」大久保忠世と半蔵(?)惜別の花道回、酒井忠次はどこに
徳川家臣団も老いていく NHK大河ドラマ「どうする家康」の第37回「さらば三河家臣団」が10/1に放送されたのだが、酒井忠次が出てこなかった…と思ったら、オープニングには「酒井忠次 大森南朋(回想)」の表記になっていた。忠次が「回想」だけなんて、前回もチラッと出ただけだったし、彼もとうとう…。 とにかく、心を落ち着けてあらすじを公式サイトから引用する。 茶々(北川景子)が秀吉(ムロツヨシ)との子・鶴松を産んだ。勢いづく秀吉は、北条攻めを決定。和平を主張する家康(松本潤)に秀吉は先陣を命じ、勝てば北条領を全て与えると言う。しかし、それは故郷・三河を離れる事でもあった。家康は家臣たちに事情を話せな…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ日本平定の小田原攻めだねってことで第37話の感想ぉ〜!小田原攻めに家康は反対してるように描かれてま…
宮島の大聖院は、寺伝によれば、大同元年(806年)に弘法大師空海が唐からの帰途、弥山を開基して以来1200年の歴史をもつといいます。天下統一を果たした豊臣秀吉がここで盛大な歌会を催し、祈不動堂を再建して念持仏の波切不動明王を奉納したことでも知られます。本堂は、鳥羽天皇の勅願道場として創建されたことから、鳥羽天皇の第五皇子である覚性法親王が門跡を務めた京都の仁和寺や歴代皇室との結びつき深く、明治天皇の厳島行...
滋賀県大津市坂本の律院は、比叡山延暦寺の里坊です。元々は、横川の総里坊であった松禅院があった場所で、山門、石垣の高さにその格式の高さを感じます。かつて松禅院と呼ばれていた当地は、大正末期に民間の手に渡り、荒廃していたのを、昭和24年(1949)戦後初の千日回峰行者、叡南祖賢(えなみそけん)師が再興。寺号は祖賢師が当時、安楽律院の管領を務めていたことに由来するそうです。庫裏本堂本堂は、豊臣秀吉の側室・淀殿が...
国宝犬山城国宝犬山城犬山城天守犬山城 天守内犬山城天守内犬山城天守から木曽川を眺める犬山城城下町国宝犬山城は、1537年に織田信長の叔父・信康が築城した平山城。1617年に尾張徳川家の付家老である成瀬正成が入城し、明治維新まで成瀬家が城
秀吉が鶴松の菩提を弔うために建立した智積院の前身「祥雲禅寺」
智積院は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院で、山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)といいます。鶴松を亡くした豊臣秀吉の嘆きは大きく、鶴松の菩提を弔うために、京の東山に祥雲禅寺(臨済宗)を建立しました。しかし、その後、豊臣家を滅ぼした徳川家康は、この寺をかつて秀吉と対立した紀州・根来寺の僧に与え、五百佛山根来寺智積院(真言宗)としました。真言宗智山(ちさん)派の総本山で全国...
滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する多賀大社は、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれ、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めました。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあり、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされてい...
どうする家康36話、タイトルの『さらば』がとても気になっていました。 結果として、このタイトル回収に関してはとても気持ち良く行われた回だったと思っています。 家臣団の一人立ち、温かい時間がとても良かった。 それに反して劣化していく秀吉…。 コントラストが強い回だった印象。 同じ星を見ている さらば三河家臣団 崩壊の先? 同じ星を見ている 「戦の無い世のため」に家康は秀吉の元についているわけですが、秀吉はどんどん劣化が進み…。 北条討伐に関しても、家康はずっと乗り気ではなく。 「秀吉についていけない」と石田三成に吐露しますが、三成は「我々は同じ星を見ている」と告げていて。 その後にすぐ三河家臣団…
鈴木家屋敷の東側にある甘露寺は、寺伝によれば、弘仁13年(822)に真言宗寺院として創建され、その後平重盛によって七堂伽藍が造営されたといいます。明徳元年(1390)に仲翁が臨済宗に改宗し、奥山方広寺の末寺となりました。応仁の乱で全焼、江戸末期には中門と楼門を残して焼失しました。徳川家康が阿茶局を連れて、この寺を訪れ、本堂前の梅を「未開紅甘露梅(いまだひらかずかんろのこうばい)」と名づけて観賞したという伝承が残...
【2023/10/01(日)】どうする家康…37回10.1%(6.2%)、平均11.29%(6.75%)ドラマシーズン2放送直前!「劇場版きのう何食べた?」…?%(?%)【2023/09/30(土)】なし【2023/09/29(金)】こむぎの満腹記前編…?%(?%)金曜ロードショー「葬送のフリーレン初回2時間SP~旅立ちの章~」…6.8%(4.2%)【2023/09/28(木)】筋トレサラリーマン中山筋太郎…?%(?%)【2023/09/27(水)】科捜研の女…7回8.3%(4.7%)、平均8.91%(5.01%)パリピ孔明…初回6.1%(3.5%)【2023/09/26(火)】<火ドラ★イレブン>ウソ婚…最終回2.9%(1.5%)、平均2.86%(1.53%)ドラマストリーム「君には届かない。」…初回?...ドラマ視聴率(2023/09/25-2023/10/01)
徳川家康の側室・阿茶局は、於愛の方の死後に、徳川秀忠と松平忠吉を養育し、大坂冬の陣の和議にも貢献した女性として名を残しています。その阿茶局を預け、家康も度々訪ねたという旧鈴木家屋敷跡は、浜松市東区中郡町にあります。中郡町周辺は、古くからの稲作地帯で、万斛(まんごく)と呼ばれ、今でも字名(あざな)にその名称が残っています。家康が遠江に侵攻してきた際、米の石高である(万石)と同音であることから縁起の良...
【どうする家康】第37話あらすじ・感想考察「さらば三河家臣団」|離れ離れになっても心は一つじゃ!
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年10月1日放送第37話「さらば三河家臣団」の内容となります。
寧々サマ,背後で表情が少々微妙。トメになってるってことは,今後のご活躍が期待できますね〜。 で,でんでん太鼓を弄びながら相変わらずサイコパスなトーキチロー(洒落ではないぞ 笑)。 いきなり登場したな〜阿茶局。今までどこにいたのよ;;; ポンコツ神君の国替阻止案は,信雄チンの前例でアウトぉ〜〜〜〜!当たって良かったね,半蔵チン(笑) 茶々サン,妖女の片鱗が・・・次回,全開みたいね;;; 江戸については,トーキチローの言う通りな...
タイトルを見て、いったいどうなるんだろうと戦々恐々としてたけど、みんな前向きにバラバラになった感じでひとまずはほっとした。家臣団みんな所領を得て、家康も何もない江戸で町作りから始めて…秀吉の命だから罠があるんじゃないかと心配していたけど、家康はいまのところ何だかんだ楽しそう。三河家臣団はよかったな。血気盛んなものもいれば、知略に長けたものもいて、人望のある頼れるものもいて…なかなかいいバランスだった。そして何よりみんな殿を慕っているというのがね。殿もみんなに心から感謝していて。家臣それぞれを振り返りつつ言葉をかけるところは胸熱。特に忠勝に「主君と認めてもらえるとよいのう」と言うところが好き。どうする家康第37回さらば三河家臣団
どうする家康で国替により家臣が城持ちの大名になりました。現在、関東には、あまり絵になる城、天守閣は残念ながらありません。千葉県に国換えの時、本多忠勝が築上した大喜多城が在ります。再建ですが、天守閣のある立派な城です。ここは、続100名城にもなっております。本多忠勝の娘は小松姫👸、真田家に嫁ぎ波乱万丈でした。孫はあの豊臣秀頼の正妻千姫👸と結婚しました。忠勝歴戦の勇者で生涯かすり傷もしなかった猛将です。城ひとつでも、いろいろな歴史的背景を思い出します。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。どうする家康石川数正国宝松本城-リタイアじーじの徒然絵日記どうする家康いよいよ佳境に近づいて来ました。今までにないストーリーではありますが、毎回楽しみに見ています。国宝松本城は立地といいとても綺麗なお...本多忠勝大喜多城続日本100名城
小田原駅から数分のところに北条氏政・氏照の墓所があります。北条氏政後北条氏の4代目。父は北条氏康。1554年相甲駿三国同盟の成立とともに,武田晴信(武田信玄)の娘を正室として迎えた。1559年に氏康の後を継いで北条氏の勢力拡大に努めたが,豊臣秀吉による小田原征伐で数ヵ月の籠城の末に降伏して切腹,北条氏による関東支配を終結させる最期になった。北条氏の領国は相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野から常陸・下野・駿...
徳川家康像徳川家康像 徳川家康(1542‐1616)江戸幕府初代将軍。岡崎城で生まれるも、幼少期は、今川義元→織田信秀→今川義元の人質となる。「金陀美具足」を着用し、桶狭間の戦いの大高城兵糧入りを行う。今川義元敗死後、織田信長と同盟。三
「三方ヶ原の戦い」に散る!家康を救った忠臣たち…激戦の跡"犀ヶ崖古戦場"へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、「三方ヶ原の戦い」に散る!家康を救った忠臣
【どうする家康】#36 家康の心を救った笑顔の於愛、偽りが誠になった夫婦
殿不在時、家中に指図をする於愛の方 NHK大河ドラマ「どうする家康」第36回「於愛日記」が9/24に放送された。徳川幕府二代将軍の母としてその名を遺した於愛を中心に、真田信幸に嫁ぐ嫁がないのすったもんだを演じた本多忠勝の娘・稲姫、お久しぶりの武田の間者・千代、そして初登場のはずだけれど見覚えのある茶々(やっぱりの北川景子がお市の方と二役)の話が主に描かれた。 まずは公式サイトからあらすじを引用する。 家康(松本潤)は真田昌幸(佐藤浩市)から、北条に領地を渡す代わりに徳川の姫が欲しいと頼まれる。忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)を養女にして嫁がせようとするが、父娘ともに猛反対。そんな中、家康が探…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回は於愛さんがメインだったねってことで第36話の感想ぉ〜!於愛の語りで始まりましたが、おおらかな笑みは……
帰りは、行きと違うルートで、銅門から退城しました。銅門(あかがねもん)銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治3年(1870)の小田原廃城後、明治5年(1872)に解体されるまで、江戸時代を通してそびえていました。往時は、大手筋にあたる馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御殿や本丸、天守へと進むようになっていました。銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由...
相模の小田原城を拠点とする北条氏は、北条早雲以来5代に亘り、関東に勢力を奮っていました。徳川家康は、次女の督姫を北条氏直に嫁がせており、同盟関係にあったことから、秀吉への仲介役を担当しました。天正16年(1588年)5月21付の北条氏政・氏直父子宛ての起請文では、「関白殿下への謁見を拒否する場合、娘・督姫を離別させる」という内容で秀吉への恭順を促すと、氏政の弟で、家康の旧友の北条氏規(うじのり)を上洛させました...
こんにちは。Ichiです。今日も来たよーのポチッと!↓ ↓ ↓ ↓ ↓ いつも応援ありがとうございます(^o^)ただいまIchiのメルマガは募集をストップしております。次回の募集までお待ちください。 今日のタイトル、気づきました? NHKの大河ドラマを真似してみたんですが。 そう、本当にピンチなのは間違いないんです。どうするよぉぉぉって朝から焦ってます。 ...
小田原駅からも小田原城から徒歩で20分ほどのところにある北条稲荷。その名の通り、北条氏ゆかりの神社です。北条3代・北条氏康が亡くなったのは、小田原城内で死んだ老狐の霊が家臣に乗り移り、身辺に不幸を起こしたからだろうと考えた氏康の子・北条4代・北条氏政が城内に老狐の霊を祀って供養をしたのが北条稲荷の起こりと伝えられています。 (諸説あり)北条氏康Wikipediaによると「夏に氏康が高楼で涼んでいると狐が鳴き、こ...
数年前、小田原の町を散策しました。小田原駅小田原駅の前には、北条早雲像が立っています。北条早雲後北条氏の祖。伊勢新九郎長氏と称したが,入道して宗瑞と号した。出自は不明で,室町幕府政所執事伊勢氏の一族とも,鎌倉幕府執権北条氏の子孫ともいい,出身地も伊勢,京,備中などの諸説がある。応仁年間 (1467~69) 今川義忠を頼って駿河に下向し,義忠の死後国内が乱れたときにこれを平定し,興国寺城主となった。延徳3 (91)...
今回、一番びっくりしたのが、タイトルバックを見ていて、 タ 「 ” 茶々 北川景子 ” 」 と表示された際です・・・・・(^^;)。 父 「何ぃーーーー!? お市の方として演じた北川景子さんが、娘の茶々役もすんなが~(@_@)。 安易すぎっぺした~。」 まさにびっくりし...
「信長の野望」シリーズ初の“歩いて天下を目指す”戦国ウォークゲームです。信長の野望小学生の頃の「信長の野望全国版」から始まり、戦国群雄伝、武将風雲録…と続き、人生において、やったりやらなかったりの「信長の野望」ですが、久方ぶりに秀吉公と戦国
書きたい事が沢山浮かぶどうする家康第36話。 於愛さんとのお別れを悲しんだり、忠勝のパパっぷりに涙したり、千代との再会が嬉しかったり、茶々にがっかりしたり…。 どこまで書き込めるかな…? 於愛日記 父・忠勝 千代さん その他もろもろ 於愛日記 36話のタイトルでもある於愛日記。 於愛さんの語られてこなかった過去に触れられた回でした。 そもそも奉公以前に夫が居て、子供が居たというのは以前wikiで調べたときに出てきたので情報としては知っていた。 ただ、史実であったとしてもそれをドラマで描くかどうかっていうのは、別な話で。 しかも、主人公が家康である以上この話題って触れにくい物だと思うんです。扱い…
大津市の三番目の名刹石山寺です。来年の大河は紫式部だそうです。来年の舞台になるのでしょう❗きっと延暦寺、三井寺と比較するとこじんまりしています。東大門は頼朝により建立され、淀殿によって大幅に改修されそうです。歴史を感じます。そう言えば、どうする家康淀殿登場しましたが、、何処かで見た顔、、、そうきたか、😅( ̄ー ̄)\(^_^)/です。以前は味方、いや初恋の相手、今度は敵対ですか?⁉️発想が斬新ですね⁉️😎宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。大阪城日本100名城-リタイアじーじの徒然絵日記日本100名城の大阪城です。とても大きな城とお堀です。外人観光客で溢れかえっていました。天守閣は行列が長くて入場を諦めました。今回はお堀を中心とした観光でした。日本...gooblog大阪城のお堀日...石山寺東大門重要文化財
先週末、初めて静岡県の菊川を訪ねました。菊川駅前で、レンタサイクルを借り、応声教院へ。駅かから約4.8キロ、20分ほどで到着。参道の彼岸花が見頃を迎えていました。応声教院(おうしょうきょういん)は、斉衡2年(855)勅願により円仁が創建したとされています。承安5年(1175)法然が浄土宗に改め、法然の師である皇円の菩提をこの寺で弔ったと伝えられています。今回、ここを訪ねたのは、こちらの山門を見るのが目的です。この山門...
【どうする家康】第36話ネタバレあらすじ「於愛日記」再放送は?どこで見れる?
2023年大河ドラマ「どうする家康」第36話の題名は「於愛日記」です。いつも大らかな笑顔で家康を支えてきた於愛の物語です。この記事では・36話を見逃した。・36話の動画を視聴したい。「どうする家康」の見逃しをイッキ見したい。・36話「於愛日
【2023/09/24(日)】どうする家康…36回9.9%(5.9%)、平均11.32%(6.77%)【2023/09/23(土)】【土曜ドラマ】遙かなる山の呼び声…初回?%(?%)最高の教師1年後、私は生徒に■された…最終回7.4%(4.4%)、平均5.86%(3.42%)【2023/09/22(金)】金曜ロードショー「名探偵コナン純黒の悪夢(ナイトメア)」…?%(?%)【2023/09/21(木)】遺留捜査スペシャル蒼き島が呼ぶ連続殺人…色が変わるガラス玉に眠る、涙の秘密…?%(?%)<木曜劇場>この素晴らしき世界特別編…3.3%(1.8%)【2023/09/20(水)】科捜研の女…6回8.3%(4.7%)、平均9.02%(5.07%)ばらかもん…最終回5.1%(2.8%)、平均4.95%(2.79%...ドラマ視聴率(2023/09/18-2023/09/24)
また、宝台院は、江戸開城後に、徳川慶喜が1年間近くを謹慎した場所としても知られます。江戸城は、慶応4年(1868)4月11日に新政府軍に明け渡され、彰義隊や旧幕臣の暴発を恐れた慶喜は、11日午前3時に寛永寺大慈院を出て水戸へ向かいました。水戸では弘道館の至善堂にて引き続き謹慎した後、7月に徳川家が駿府に移封されると、7月23日、慶喜も駿河の宝台院に移って、明治2年9月28日までの約1年間を宝台院で謹慎されました。これに...
「信長の野望出陣」でイベント攻城戦(第2期)が始まりました。竹中半兵衛の情報はこちら。竹中半兵衛重治公像竹中半兵衛重治(1544‐1579)秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で
戸田氏鉄騎馬像戸田氏鉄公騎馬像戸田氏鉄公騎馬像と大垣城 戸田氏鉄うじかね(1576‐1655)徳川氏の家臣。家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに参戦。島原の乱でも活躍。膳所第二代藩主、尼崎5万石藩主を経て、大垣10万石初代藩主。尼崎での
今明かされる於愛チャンの過去。そろそろ,於愛チャンも退場の時期だもんね・・・で笑いと共に去りぬ・・・やっぱ仮面を被り続けた心労からかしらね;;; お葉サン,ナイスフォロー! さすが実務方側室♪ ちょこちょこ出てきてくれて,嬉しい(微笑) 後北条氏,これまでももう少し話に絡んできてもよかった筈なんだけどなあ。氏真チンとの関わりもあったし,武田滅亡後のポンコツ神君とのいざこざも合ったし・・・次の回で滅亡でしょ? ち...
【どうする家康】第36話あらすじ・感想考察「於愛日記」|偽りの笑顔が本物に。最後は笑顔の於愛の死
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年9月24日放送第36話「於愛日記」の内容となります。
於愛の方がつらい過去を抱えていたことは意外だったし、その笑顔が偽りだったことは驚きだった。でも演じていた部分はあるにしても、もともとおおらかで優しいひとだったんじゃないかと思う。殿とは支え合ううちにいつしか本物の夫婦になれたのかな。於愛の方が苦しそうに胸を押さえるのを見て嫌な予感はしたけど、まさかそんなあっさり…でも病状が悪化する様子を見せられたらもっとつらかったかも。だからといってナレーションで片付けられるのも悲しい。千代のことをまだ忍びかもと疑うのは当然だと思う。元忠が殿を裏切っていたことは咎められて当然だと思う。それなのに処罰するどころか二人を夫婦にするとか、殿が甘すぎて心配になるな…。少なくとも元忠には何かしらの処分がないと、他の家臣に示しがつかないのでは。茶々はいろんな意味でヤバそう。お市の方と...どうする家康第36回於愛日記
※今日の「どうする家康」の紀行で、浜松の五社神社が紹介されましたので、再掲します。浜松の心造寺は、徳川家康が、1580(天正8)年7月に徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移し、その北側の隣接地に開いたお寺です。開山は讃誉智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局(於愛の方)。西郷局が奉納した鉄灯篭は、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されてい...
JR静岡駅北口から国道1号線沿いに徒歩10分、葵区常磐町二丁目に宝台院という浄土宗のお寺があります。山号は金米山。寺号は龍泉寺。宝台院は、1509年(永正6年)祐崇によって開かれた寺で、徳川家康の側室で、二代将軍・徳川秀忠の生母於愛の方(西郷局)の菩提寺です。西郷の局は、天正14年(1586)家康とともに駿府城に入りましたが、天正17年(1589)38歳で亡くなり、龍泉寺(宝台院)に葬られました。寛永5年(1628)、秀忠は母...
家康三大危機の一つ「三方ヶ原の戦い」!家康、信玄に人生最大の大敗北を喫す
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康三大危機の一つ「三方ヶ原の戦い」!家康
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜1週、番組がお休みだったねってことで第35話の感想ぉ〜!家康がついに秀吉と対面。対面の前日に会いにきた秀吉…
稲姫は徳川家康の家臣である本多忠勝の娘で、家康の養女となり、真田信幸(のち信之)に嫁ぎました。小松姫、小松殿とも称されています。犬伏で、夫の真田信幸と袂を分かった真田昌幸・信繁父子が、上田城に戻る際、沼田城に立ち寄り、舅の昌幸が、孫の顔が見たいので城の中に入れて欲しいと頼みますが、「舅といえども、今は敵。夫の留守中に入れることはできない。」と、稲姫は開門を拒否。この稲姫の行動に、「さすがは武士の妻...
【どうする家康】#35 母も弟も恐れる「欲望の怪物」秀吉、家康は太刀打ちできるのか
欲望底無しの秀吉 NHK大河ドラマ「どうする家康」第35回「欲望の怪物」が9/17に放送された。前回までに家康は、秀吉を認めて自らの天下取りを諦めた。他の人が戦の無い世を実現してくれるのならそれでいい、それを支えようと方向転換した。 しかし、秀吉の欲望は底無し。天下統一後も海外へ食指を伸ばそうとし、戦を止める考えはない。このドラマでは「海外進出が信長の夢だったから夢を継ぐ」ではなく、「まだあんなにあるじゃん」的な、食べ物は食い尽くさなければ満足しない、自分の欲にどこまでも正直な人物として秀吉を描くようだ。 ムロツヨシの秀吉は表向きひょうきんでもあり裏には底知れぬ怖さもあり、それを声音でコントロ…
本堂の西側に、上田城主・仙石氏の霊廟があります。霊廟とは、墓とその霊魂を祀るお堂の一体をいうもので、江戸時代初期から中期にかけ、大名たちは家柄や禄高に応じた規模の霊廟をよく菩提寺などに建てていたそうです。仙石氏は三代にわたり、84年間上田に在城しました。真田信幸に代わり上田城主になった小諸城主の仙石忠政は、常福寺を修築し、小諸の菩提寺・宝仙寺をここに移し、その翌年、父・秀久の墓を改装し、秀久の戒名「...
長野県上田市の芳泉寺は、歴代の上田藩主の菩提寺で、真田信幸(之)の正室・稲姫(小松姫)の墓がある寺院です。後に真田氏に代わって、入封した仙石氏が改称するまでは、常福寺という名の寺でした。山門芳泉寺山門には六文銭と三つ葉葵の紋が入っており、徳川・真田の関係を表しています。 真田家の六文銭の紋徳川家の三つ葉葵の紋仙石氏の永楽通宝銭の紋浄土宗月影杏葉の宗紋境内から見た山門不見の岩(別名:天狗の岩)参道に沿...
かつての上田城二ノ丸の堀跡は、昭和になってから上田電鉄が走っていましたが、現在はけやき並木遊歩道として整備されています。現在も電車跡の名残が見られます。上田城は、上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」とも呼ばれていました。この辺りはもろく崩れやすいのがわかりますね。南・西櫓の下段には、享保の洪水後に設置された大規模な石垣があります。南櫓ここから、西...