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豊臣秀吉の死後、次の天下人の座を狙う徳川家康と、豊臣家を擁護する石田三成が対立。家康が上杉征伐(会津征伐)を企てると、石田三成は、五大老の毛利輝元、宇喜多秀家をはじめとする旧豊臣方の恩顧の諸大名を大坂城に集結させました。家康はこの動きに対し、慶長四年6月18日、大津城の京極高次と会い密談を交わしていたと言われています。三成は家康が会津攻めに赴いた隙に、大谷吉継や毛利輝元らを集めて挙兵。伏見城を落とし...
岡崎の伊賀八幡宮は、松平家の4代親忠が、文明2年(1470)に松平家(徳川家の祖)の子孫繁栄・武運長久の守護神、氏神として創建しました。5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけました。天下人となった家康により社殿の改築が行われ、家康も、大きな合戦の時には必ず参詣したといわれています。のちに3代将軍・家光が社殿を拡張し、家康(東照大権現)を祀りました。江戸時...
新しく始まった木7時◎×部2時間SP楽しかった!一筆啓上部面白い!このコーナー面白い!にのあい!くやしかった場所…候補がありすぎる。思い出がありすぎる。膨大な記憶。インパクトつけるために、13文字しか使えないのに、マジを入れてくるのが相葉ちゃん!にのあいエピソ
新説がいろいろ出される「関ヶ原の戦い」、NHK大河ドラマ『どうする家康』も、天下人秀吉が亡くなり、次はどうなる関ヶ原の戦いってことでその新説確認してみようと読…
#450 朝鮮出兵と秀吉の死 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
10月8・15日の大河ドラマ『どうする家康』では朝鮮出兵と秀吉の死が描かれています。これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文…
豊田市の隣松寺の裏手には、鴛鴨(おしかも)松平氏墓所があります。この地もかつては隣松寺の敷地内だったそうです。榊原康政の祖父・榊原清長・父・榊原長政の墓や、松平忠久の娘である於美津(おみつ)(東条松平家忠の妻で、松平忠吉の養母になった)の墓があります。鴛鴨松平氏は、松平家三代当主・信光の子である親光を初代とし、鴛鴨城を拠点としました。親光の後は、親康、親久、忠久と続きました。永禄6年(1563)上野城(豊田...
岡崎城のすぐ近く、康生町新田に鎮座する新田白山神社は、1566年に、徳川家康が厄除け開運祈願のため、源氏の一族新田氏のゆかりの地「上州新田」から勧請したものであると伝えられています。もとは岡崎城内にあって、城主の産土神として崇敬されていました。境内には、天然記念物に指定された大楠があります。樹高が10mを超えるクスノキの老樹で、根本から1.5mのところで二つに分かれています。樹齢は600年以上と言われ、家康の...
文春にいろいろと書き立てられて、逆に話題になった大河ドラマ「どうする家康」。ちょうどジャニーズ問題で大変な時期に、主演の松本潤氏はさぞかし針のむしろでしんどいだろうと思っていたのにナンテコッタ(*´-`) そもそも今回の大河は脚本も演出も好みではない。その上、主役の演技がヤバい。多分オールキャストの中でも1番下手な部類に入るかもだ。そしてCGがまるわかりで、絵か?と思うような時もある。なのになぜ見ているのか?きっとこれは惰性だよね(笑) ただこの時代(安土桃山から江戸幕府の初期くらいまで)は何度も映画やドラマで描かれたりしてよく知っている。とにかく面白い時代なので、どんな風に描かれるのか興味が…
どうする家康、今回でついに40回を迎えましたね。 気づけば年末もちらちら見えてくる時期で、こちらも終わりに向かっている感じがひしひしとしています。 なんて、振り返るのは早い気もしますが…。 まだまだ待つ家康、でしょうか。 人の心うんぬん オロチの家康 このまま関ケ原? 人の心うんぬん 以前に三成に関して、「なぜあんなにも秀吉に心酔しているのか…?」という疑問を書きました。 これに関して「自分を拾ってくれた恩義」と言っていた今回。 正直それに関しては分からないでもないけど、頭が良いとされる彼がここまで盲目になるのが、謎。 寧々が真っ直ぐすぎると評するくらいの人間なので、それ故なのでしょうか? た…
隣松寺は、鴛鴨松平家(寺から北に約1㎞に居城・鴛鴨城跡)の菩提寺であり、隣松寺の墓地には、鴛鴨松平家の墓、家康の四男・松平忠吉の墓、内藤家の祖先・内藤清長の墓、室町時代の細川家三代の墓などが並んでいます。細川家三代墓所細川家三代とは、初代の細川義季とその弟の戸賀崎義宗、2代細川俊氏、3代の細川公頼のことをいいます。内藤清長の墓内藤清長は、家康の祖父・松平清康、家康の父・松平広忠に仕えた上野上村城主です...
豊臣秀吉の喪は、ただちには発表されませんでした。その理由は、今なお朝鮮に10万の将兵が留まったままで、戦場を混乱させないための配慮でした。慶長3年(15...
本日も晴天でした!秋晴れが続いてます。今回は お出かけメモを簡単に綴っておきます。先週末の10/20(金)、2023年大河ドラマ『どうする家康』で沸く徳川家康生誕の地愛知県岡崎市の
#449 第40回「天下人家康」感想~大河ドラマ『どうする家康』
天下人秀吉が何もかもを放り出すように亡くなった後の国内での政争と天下人への道を歩む家康の姿を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第40回「天下人家康」(10月2…
豊田市の隣松寺もまた徳川家ゆかりの寺として知られています。仁王門仁王像山門稲荷社境内にある稲荷社は、松平広忠が竹千代(徳川家康)誕生にあたり、成長の無事を祈願したと伝わります。家康は三河一向一揆の際、一向一揆の際に、酒井忠尚の居城・上野城めの本陣とし、稲荷社に戦勝祈願しました。勝利した後、寺の山号を「玉松山」から「稲荷山」に改め、自身の甲冑姿の木像と念持仏を奉納するとともに朱印地30石を寄進したといい...
・・・やっぱ狸,になるの? いや,それはともかく,いい面構えになりましたな,ポンコツ神君。メイクの効果もあるけど・・・ドラマ開始前に危惧してたのを裏切るくらいイメージを変えてきたのは,さすがです(微笑) 今回,回想で出てくる人が多いな(苦笑) 忠勝クンは,相変わらず暑苦しいくらいにまっすぐですね〜。 で,治部クンは人扱いが下手くそで,更にまっすぐ。自分で地雷を撒いて踏んづけてる www。この人扱いが下手って...
【どうする家康】第40話あらすじ・感想考察「天下人家康」|狸となる覚悟
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年10月22日放送第40話「天下人家康」の内容となります。
いつのまにか家康は怖れられるほど強くなっていたらしい。ついこのまえまで白兎と呼ばれていたのに…。確かに信長や信玄と渡り合って生き残っているだけですごいのかも。いまは白兎ではなく狸になってますね。石田三成はあまりにまっすぐすぎたし融通が利かなさすぎた。道理だけで政はできない。殿に任されたとかで頑なに曲げようとしなかったけど、実はその殿から期待されてなかったんだよなぁ…と思うとかわいそうになる。どうする家康第40回天下人家康
日本三大山城・岩村城本丸の六段の石垣右:太鼓櫓、左:表御門岩村城は、標高717mに築かれた日本一高い地にある山城。高取城、備中松山城とともに、日本三大山城に数えられる。遠山氏→河尻秀隆→森長可→松平氏→丹羽氏が城主となる。その佇まいは、和製
天正18年(1590年)佐和山城主となった石田三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行い、山頂に五層の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、人をして「治部少に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめました。三成は伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であったといいます。慶長4年(1599年)大老・前田利家が病死すると、三成と対立関係にあった武断派の加藤清正、福...
※本日の紀行で紹介されましたので、再掲します。まだ寺の小僧だった石田三成と、豊臣秀吉が出会った場所とされている米原市の観音寺まで足を延ばしてみました。三成の出生地・石田よりバスで米原方面に向かい、観音寺下車。観音寺は、もとは伊吹山中にあり、僧三修が開いた伊吹四大寺として隆盛を極めていましたが、13世紀に山を降り、現在地に移ったとされています。堂宇は正徳5年(1715)に再建の本堂(国の重要文化財)、薬師堂...
※本日の紀行で、石田三成の生誕地・長浜の石田会館が紹介されましたので、まとめ直しました。長浜駅から、湖国バスで約20分、石田で下車。石田三成生誕の地・石田町を歩いてみました。バスを降りたところで、「三献の茶」の三成さまを発見!ここから南へ50mほど行くと、右手に石田三成出生地があります。三成が生まれた屋敷跡に立つ石田会館には、三成の生涯を描いた絵巻パネルが展示されています。「石田治部少輔出生地」と刻まれ...
家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城を守り切れ…5百対1万5千の戦いの行方
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「長篠城」!武田の大軍から城
【どうする家康】#38 傾城の女狐・茶々は意志を秘めて悪女全振り、家康の防波堤は阿茶局
なんかちょっとマンガチック NHK大河ドラマ「どうする家康」第38回「唐入り」が先週10/8に放送された。あと10回かと思うと感慨深い。残り10回で、女狐お茶々を打ち破って天下泰平の世を築けるのかタヌキ家康!狐と狸の化かし合い!みたいな流れになってきた。 何とも善悪がはっきりし過ぎ、茶々が全部悪を被る方向(でも麗しい悲劇のヒロインなのよ)なのがどうもマンガチックだ。ジャニーズ崩壊といえど、松潤を悪者には「絶対」しないんだろうね。既定路線、当たり前か。そう考えると、岡田准一は爽やかとは縁遠い、思い切った信長を演じたものだ。 公式サイトからあらすじを引用する。 天下統一を果たした秀吉(ムロツヨシ)…
【どうする家康】#39 徳川の大番頭・酒井忠次にお別れ、秀吉最期はホラー
秀頼誕生から秀吉の死へ、話が一気に進んだ NHK大河ドラマ「どうする家康」第39回「太閤、くたばる」が先週10/15に放送された。早速あらすじを公式サイトから引用しておこう。 茶々(北川景子)に拾(ひろい、後の秀頼)が生まれた。家康(松本潤)の説得により、明との和睦を決めた秀吉(ムロツヨシ)。しかし、石田三成(中村七之助)たちが結んだ和議が嘘とわかると、朝鮮へ兵を差し向けると宣言、秀吉の暴走が再び始まった。都が重い空気に包まれる中、家康は息子の秀忠(森崎ウィン)を連れて、京に隠居していた忠次(大森南朋)を訪ねた。忠次から最後の願いを託され悩む家康に、秀吉が倒れたとの知らせが届く。(これまでのあ…
伏見城は3度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建された徳川期とに分けられます。指...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜ラストに向かって走ってるね〜ってことで第39話の感想ぉ!秀吉の子?茶々が懐妊で唐入りは中断、これは良いが……
上野城跡から南に300mほど行った天道院の前にも榊原康政生誕の碑があります。この石碑は大正6年(1917)に建てられたもので、もとは上郷町会下山にあったそうです。会下山には、上野下村城がありました。康政の祖父・榊原清長が城主だったとも内藤清長が築城したとの説もあります。榊原清長は、伊勢国一志郡榊原より三河に移り、酒井忠尚に仕えました。一方、内藤氏代々代々松平氏(徳川氏)に仕えた譜代の家臣の家柄です。清長は、...
豊田市上郷町は徳川四天王の一人である榊原康政生誕の地とされます。上郷町には、2つの榊原康政生誕地の石碑が存在し、そのひとつが上野城跡にあります。愛知環状線「三河上之郷」から550mのところにある上野城跡は、現在は上野護国神社と城山稲荷となっています。城山稲荷社上野城の遺構は、社がある高台のみです。 1400年代半ばごろ、戸田宗光が築城したと言われています。宗光が渥美半島に移った後は、阿部氏が治めていまし...
日本100名城の小田原城に行ってきました。きっかけは、どうする家康で家康の江戸に移動に伴い大久保忠世が小田原城の城主になったことです。何時も新幹線🚄より見ていただけでした。何時かは訪れたいと思っていました。掛川城と同じです。訪れた結果は🎵とても立派な城と城郭でした。もっと早く行けば良かった‼️防御用の枡形が各所に設けられ、難攻不落の城だったこと体験できました。天守閣は鉄筋コンクリート製ですが、石垣にとても調和していて素晴らしかった‼️個人の感想ですが、コンクリート製でも天守閣があるとないとでは印象は全然違います。天守閣があれば、石垣が俄然映えてきます。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。掛川城(100名城)と桜-リタイアじーじの徒然絵日記日本100名城の掛川城に行って来ました。1...日本100名城小田原城どうする家康
豊臣秀頼と淀殿は、豊臣秀吉没後から秀吉の追善供養として、畿内を中心に寺社の修復・造営を行いました。主なもので東寺金堂・延暦寺横川中堂・熱田神宮・石清水八幡宮・北野天満宮・鞍馬寺毘沙門堂など、85件にものぼったといいます。今まで撮影した画像をまとめてみました。東寺南大門東寺金堂醍醐寺金堂熱田神宮石清水八幡宮北野天満宮等持院鞍馬寺由岐神社の本殿と拝殿金戒光明寺の阿弥陀堂真如堂の本堂相国寺の法堂寂光院の本...
大河ドラマ「どうする家康」に登場する阿茶局とは?才色兼備の側室で家康の信頼も厚い
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。家康の側室としては、すでに於愛の方(西郷局)・お葉(西郡局)・お万が登場していますが、10月から突然側近のような形で登場し
『太閤くたばる』というタイトルが話題でもあったどうする家康39話。 予告映像の段階でも色々と考察がされていましたが、実際にドラマを見てみて私が気になったのは別のポイントでした。 ということで、いつものごとく感想雑記です。 さよなら、サル。 母親似。 別れの差 天下の行方 母親似。 キリっとした青年姿の徳川秀忠。 家康と於愛の息子です。 個人的に大河ドラマで印象深いのは『江』での向井さんが演じられていた姿で、そのイメージが強い人物でもあったのですが、こちらの秀忠はとても朗らか。 にこにこと笑って忠次に海老掬いの本家を見たいとせがむ姿は、どこか於愛を思わせるなぁと微笑ましくなりました。 あの笑顔も…
1160年(永暦元年)、後白河法皇が院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、もとは智積院南側に創建したのが始まりです。その後社地は転々としており、江戸時代になって豊国廟社が壊されたのと同時期に旧廟前に移り、現在の社地となったのは、豊国廟が再興された1897年(明治30年)になってからです。1958年(昭和33年)後白河天皇を増祀し、1959年(昭和34年)に神社名を現在の新日吉神宮と改めました。楼門江戸時代には、豊臣家や豊臣...
昨日カキコミをUPしようとした直前、目の前に這い出した異様な物体。。。 ム・・・ムカデ!しかも10cmを超える大物! 寝起きの下着姿のままだったので身体の防御力は皆無、しかも想定外の出来事なので手の届く範
慶長三年(1598年)に豊臣秀吉の遺体を東山の阿弥陀々峰に葬り、翌年に社殿が山腹に創建されましたが、豊臣家滅亡後に徳川家により取り壊され、現在の豊国神社の社殿は1880年(明治13)方広寺大仏殿跡地の現在地に再建されたものです。旧福岡藩主の黒田長成侯爵が中心となり境内の整備が行われ、1897年(明治30年)には神社境外地の阿弥陀ヶ峰山頂に伊東忠太の設計になる巨大な石造五輪塔が建てられました。豊国神社豊臣秀吉を祀る...
アヴァン,トーキチロー,変なところで自覚はあるのね。アンタ,甥一族を惨殺してるもんね。 忠勝クンがなんか物分かりよくなってるー。 阿茶サンはずけずけ,治部クンは夢追い人。なかなか面白い造形ですな(苦笑) 左衛門尉サン,お久しぶり〜〜〜っ♪ 老いても,オツムのキレは変わってませんのね。よき。 君臣親子夫婦揃っての海老すくい,壮観でした。これが最後,ですか・・・??? これ泰平の象徴だと思うのね。江戸城でも,是非お...
どうする家康 第39話「太閤、くたばる」 ~慶長の役と秀吉の死~
鶴松の死後、自身の年齢から考えてもはや実子は見込めないと考えた豊臣秀吉は、養子となっていた甥の豊臣秀次を後継者と定め、関白職も譲ります。しかし、それから...
どうする家康 第38話「唐入り」 ~文禄の役と淀殿2度目の懐妊~
小田原征伐を終えて天下統一を成し遂げた翌年の天正19年(1591年)、豊臣秀吉の身の回りを立て続けに不幸が襲います。1月には最も信頼していた実弟・豊臣秀長...
どうする家康 第37話「さらば三河家臣団」 ~小田原城落城と家康の関東移封~
九州を平定した豊臣秀吉にとって、残る大敵は相模国小田原城主の北条氏のみとなりました。北条は関東一円に300石近い領地を支配する大大名で、徳川家康とも同盟...
どうする家康 第36話「於愛日記」 ~西郷局の死と鳥居元忠の側室~
徳川家康の側室のひとりである於愛の方は、天文21年(1552年)に遠江国西郷村に生まれたと伝わります。家康より9歳下となりますね(永禄4年(1561年)...
忠次のシーンはすべて胸がギュッとなった。最後の海老すくいも、天下をとりなされも、最期も…そして登与のご苦労さまでございましたも。ここまで生きてこられたことはよかったと思うけど、それでもせつなくなる。殿が天下をとるところまで見届けさせてあげたかった。秀吉がいまにもくたばりそうなのになかなかくたばらなくて、しぶといなと思ってしまった(酷)。でもサブタイトルがそうなってるので、くたばるのを待つような心境になるのも仕方ないんじゃないかと。秀吉は思った以上に家康を見込んでいたらしい。天下人になれると信じているあたり見る目はあるのかも。三成のことはまったく評価してなさそうで、本人はやる気になっているだけにちょっとかわいそうになってしまった。どうする家康第39回太閤、くたばる
【どうする家康】第39話あらすじ・感想考察「太閤、くたばる」|「秀頼はこの私の子、天下は渡さん」秀吉の死の直前に本音を剥き出す茶々
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年10月15日放送第39話「太閤、くたばる」の内容となります。
慶長3年(1598年)3月15日、豊臣秀吉は、醍醐寺諸堂の再建を命じ、各地から700本の桜を集めて境内に植えさせて、秀頼や奥方たちと一日だけの醍醐の花見を楽しみました。しかし、5月より秀吉は病に伏せるようになり、次第に病状は悪化。徳川家康・前田利家・前田利長・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元ら五大老及びその嫡男らと五奉行のうちの前田玄以・長束正家に宛てた十一箇条からなる遺言書を出し、自身を八幡として神格化するこ...
家康を辿る城旅「野田城」!武田信玄が生涯最後に攻めた城、信玄狙撃伝説も
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「野田城」!武田信玄が生涯最
2023年10月14日(土)聖地ではなく今回は「ゆかりの地」ということで、どうする家康第37話(さらば三河家臣団)で話題の小田原城と石垣山一夜城に出掛けてみることに。なにを隠そう、同じ県内で自宅から30~40kmの距離なのに小田原城も一夜城もすぐ近くは通過しているのにちゃんと訪れたことがありませぬ。NHK大河ドラマの力は大きいです。いや、ただのミーハーですけど。そんなことで、まずやって来たのが小田原城。この日は、二の丸広場で小田原おでん祭りと小田原城骨董市が催されるようです。練り物は大好物なので、天守閣見学のあとで寄ってみることにしましょう。NINJA館やSAMURAI館などの看板を横目に天守閣の中に入ると、意外と(失礼な表現で申し訳ありません)展示物が充実していて参考になりました。天守閣は昭和の城再建ブ...「どうする家康」聖地巡礼(⑤さらば三河家臣団)
【どうする家康】第37話ネタバレあらすじ「さらば三河家臣団」再放送は?どこで見れる?
2023年大河ドラマ「どうする家康」第37話は「さらば三河家臣団」。家康と家臣団の皆さんの卒業式と、「大久保忠世回」です。 この記事では ・37話を見逃した。・37話の動画を視聴したい。「どうする家康」の見逃しをイッキ見したい。・37話「さ
【どうする家康】第38話ネタバレあらすじ「唐入り」再放送は?どこで見れる?
2023年大河ドラマ「どうする家康」第38話は「唐入り」。秀吉の暴走が止まりません。破竹の勢いだった秀吉の世にも陰りが見え始めます。 この記事では ・38話を見逃した。・38話の動画を視聴したい。「どうする家康」の見逃しをイッキ見したい。・
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜秀吉さんの暴走は止まらないねってことで第38話の感想ぉ〜豊臣秀吉の唐入りが始まりました。いったい何のために…