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慶長16年(1611年)3月28日、古希を目前にした徳川家康は、京の二条城にて19歳の豊臣秀頼と対面しました。関ヶ原の戦い以後、わずか65万石となり、実...
#373 第33回「裏切り者」感想~大河ドラマ『どうする家康』
小牧・長久手の戦い終わって、あの石川数正出奔事件を描く2023.08.27の大河ドラマ『どうする家康』の第33回「裏切り者」について秀吉との交渉役で一人徳川家…
以心崇伝(いしん すうでん)は、字は以心、法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれています。京都南禅寺金地院の慶長10年(1605)の住持となり、徳川家康に仕え、外交事務、方広寺鐘銘事件や寺社行政、寺院法度、禁中並公家諸法度などの起草、キリスト教の禁圧、紫衣事件に関与し、幕府の基礎づくりに貢献しました。黒衣(こくえ)の宰相とも称されましたが、称されましたが、家康の死...
ネイリストさんには本当に本当にご迷惑おかけしました。オフを含め4時間もかかりましたm(__)mスミマセン 黒い爪は関ケ原の伊予礼黒糸威銅丸具足、ミラー仕上げで金ぴかの爪は金陀美具足。水色の爪は私の家紋の三つ橘www今作のイメージカラーは水色なので絶対入れたかった色です 親指は(今作には出てきませんが)黄金色地葵紋波兎文辻ヶ花染羽織から。白うさぎもちょうど今作の家康のイメージ。※徳川美術館公式Xより 全体のバランスはこんな感じです♪「厭離穢土欣求浄土」は萌える(笑)いつも我儘ネイルを再現してくださって本当にありがとうございます! 残りあと3話・・・終わってしまうのは寂しいけれど一年観続けて本当に良かった。来年は縁の地を訪れたいですね~久々のオタクネイルは「どうする家康」\(°∀°)/
NHK大河ドラマ『どうする家康』でついに激突した二人、羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康の特集と誕生160年の新撰組が主な特集の『歴史街道2023年9月号(特集1「豊…
かつて方広寺の大仏の台座があったとされているところは、「大仏殿跡緑地公園」として整備されています。中央の盛り上がったところに、大仏が安置されていたそうです。 大仏殿跡緑地 かつてこの地には、豊臣秀吉が奈良東大寺にならって創建し、その後秀頼が再建した方広寺の大仏殿が、偉容を誇って建っていました。現在の緑地はその中央部にあたり、2000年に遺構の状態を確認するための部分的な発掘調査が実施されました。調査...
2組の親子の対比が印象に残ったどうする家康45話。 二人のプリンスとタイトルがついていましたが、かなり色味の違う2人。 淡く光る1人と、くすんだ1人に見えてしまった。 プリンスたち 秀忠 秀頼 人に恵まれるということ プリンスたち 秀忠 徳川秀忠、偉大なる凡庸と称された彼の苦しみは、現代人にもわかる部分が多いように感じます。 大きな企業の二代目とか、家の二代目とか…そういう同じ立場・肩書の人はもちろんですが、偉大な親を持った子供って考えると、もっと広く当てはめて考えることが出来そう。 偉大な父から将軍職を引き継いだは良いものの…って感じでしょうか。 凡庸であるということは、きっと秀忠自身が一番…
2023年の大河ドラマは『どうする家康』で徳川家康、そして今年は司馬遼太郎先生の生誕100年ということでこの『司馬遼太郎『覇王の家』 2023年8月 (NHK…
#379 徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その5
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、信玄死後の高天神城をめぐる徳川家康のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新…
#381 TVメモ『どうした?石川数正~なぜ家康の忠臣は出奔したのか~』
大河『どうする家康』で徳川家を出奔し秀吉の臣下となった石川数正の2023年8月30日放送の『どうした?石川数正 〜なぜ家康の忠臣は出奔したのか〜 - 英雄た…
京都国立博物館の平成知新館は、昭和41年に建てられた平常展示館をリニューアルしたもので、2014年9月に開館しました。設計は、谷口吉生氏。ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家です。庭を眺望できるレストラン広々としたロビーや展示場は解放感があって、ゆったりとできる空間です。庭園には噴水もあります。この噴水の辺りに、あの問題の方広寺の鐘があったそう...
どうする家康で話題沸騰中の江戸幕府と徳川家康。この記事では江戸幕府の役職を覚え方を交えて小学生にもわかりやすく紹介します。幕府を知れば時代がわかる!あなたも奥深い歴史の世界へLet's go!
【2023/11/26(日)】どうする家康…45回11.6%(7.0%)、平均11.14%(6.66%)日曜劇場「下剋上球児」…7回8.6%(5.8%)、平均9.53%(6.01%)セクシー田中さん…6回5.4%(3.3%)、平均6.00%(3.35%)【2023/11/25(土)】土曜ドラマゼイチョー~「払えない」にはワケがある~…7回5.1%(2.8%)、平均5.73%(3.30%)【2023/11/24(金)】うちの弁護士は手がかかる…7回6.4%(3.6%)、平均6.64%(3.90%)金曜ドラマ「フェルマーの料理」…6回4.5%(2.4%)、平均5.27%(2.98%)金曜ロードショー「ノートルダムの鐘」…?%(?%)【2023/11/23(木)】ゆりあ先生の赤い糸…6回6.5%(3.6%)、平...ドラマ視聴率(2023/11/20-2023/11/26)
#382 石川数正出奔に揺れる徳川家 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
石川数正が出奔した8月27日の大河ドラマ『どうする家康』、徳川家中の反応を信濃国小諸城の大久保忠世について、弟の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三…
#383 武田勝頼のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その6
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、信玄死後の高天神城をめぐる武田勝頼のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新…
#495 第45回「二人のプリンス」感想~大河ドラマ『どうする家康』
成長した豊臣秀頼と徳川家康に譲られた二代目将軍の徳川秀忠の二人のプリンスの間で徳川の天下のために静かに動く家康もついに決断をすることとなる大河ドラマ『どうする…
京都の東山にある方広寺は、天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。しかし、「方広寺」という寺号は、江戸時代初期の文献には見られず、自然発生的なものとされています。方広寺大仏を発願した秀吉は、正式な寺号を定めておらず、当時は単に大仏(殿)、新大仏(殿)・京大仏(殿)・東山大仏(殿)・京東大仏(殿)・洛東大仏(殿)などと呼ばれていたそうです。天正14年(1586年)大仏殿の造営が開始され、文禄4年(...
のっけから出た,茶々サマのパワハラ〜www あ,オープニング元に戻った。あの回だけだったんか〜い! 結構気に入ったんだけどな〜。最終回とかで,も一度やってくれんかしら。 豊臣公家化戦略・・・頭の切れる息子は,飄々とした親父には勝てないんだよな〜。 清正クン,かっこい〜(笑) 秀頼クン,若いながら凄みを出してるのが,よき。偉大なる凡庸・秀忠クンとはえらい違い。 最初の対面の場から,和やかに火花散ってるし。 ど...
秀頼はシュッとしたイケメンに成長して、本当に秀吉の子?どこに秀吉要素が?と思ったけど、ずる賢いところは確かに秀吉っぽい。容姿は母親似ということか。両親のいいとこ取りをしたようでよかったね。容姿が秀吉で頭脳が茶々だったらと思うと…。秀忠が家康から受け継いだ才は弱さを素直に認められるところ。でも認めるだけではなぁ。家康は幼少のころから荒波に揉まれまくって、いい家臣にも恵まれて、弱さがありながらも何だかんだすこしずつ成長してきたけど、秀忠はどうなんだろうか。氏真がまだ生きてるとは思わなかった。ここへきての『兄弟』はアツい。どうする家康第45回二人のプリンス
#385 第34回「豊臣の嫁」感想~大河ドラマ『どうする家康』
小牧・長久手の戦いのあとも緊張の続く中での秀吉の妹が家康の正室となる大河ドラマ『どうする家康』の第34回「豊臣の嫁」について瀬名と信康の誓いから解放される家康…
【どうする家康】第45話あらすじ・感想考察「二人のプリンス」|たくましき豊臣の跡継ぎと凡庸な徳川二代将軍
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年11月26日放送第45話「二人のプリンス」の内容となります。
家康を辿る城旅「諏訪原城」!徳川武田攻防の城、圧巻の中馬出を見よ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「諏訪原城」!徳川武田攻防の
【どうする家康】#44 家康が徳川SDGsに目覚めた10年、秀頼は大成長
母に欺かれていた家康 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第44回「徳川幕府誕生」が特別なオープニングと共に11/19に放送された。今回だけのスペシャルバージョンだそうな。今回は1600年の関ケ原の戦いが終わってのひととき、というよりも1611年に手が届く10年もの期間がブワーッと一気に巻き気味に描かれ、家康の母・於大、股肱の臣の平平コンビ(本多忠勝、榊原康政)、そしてドラマでは出てこなかったが家康の息子らが死んでいった。 この間、大坂方の豊臣秀頼が確実に成長していく。一方、家康は天下を返さぬための手を打っていった。 あらすじを公式サイトから引用する。 家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告…
元離宮二条城は、慶長8年(1603)徳川家康が京都の守護および上洛じょうらく時の居城として築城した城で、慶長16年(1611)3月28日、家康と豊臣秀頼の会見が行われました。当初、秀頼はこれを秀忠の征夷大将軍任官の際の要請と同じく拒絶する方向でいましたが、家康は織田有楽や高台院を仲介として上洛を要請し、ついには秀頼を上洛させることに成功しました。Wikipediaによると、「前日の27日未明に、福島正則などを留守居役として秀...
「どうする家康」も、いよいよ佳境を迎えていますね。好きな武将は?と訊かれて、信長や秀吉を挙げる人は多いのですが、僕は、二十代の頃から家康びいき。司馬懿が好きになったのは、ずっと後ですが、家康と似ているなあ、と思っています。どちらも、次の時代の礎を築いた人
11月25日号のリビング滋賀に 掲載されていたこの記事。 リビング滋賀⇒リビング滋賀 2023年11月25日号 (living.jp) 日程が合えば行きたい…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜関ヶ原後、どうなったかなぁ…って第44話の感想ぉ〜!「関ヶ原の戦い」後、豊臣秀頼に挨拶をした家康。茶々さん…
愛知県知多郡阿久比町の洞雲院は、徳川家康の生母である於大の方の菩提寺です。948年(天暦2年)、菅原道真の孫である菅原雅規が開基となり、洞雲院の前身となる久松寺を創建したと伝わります。1494年(明應3年)、雅規の後裔である久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建しました。1547年(天文16年)、久松俊勝のもとに於大の方が再嫁され、坂部城に在城の15年間に三男四女の子女が出生しています。寺伝によれば、平安時代、天暦2...
大病院占拠の続編!来年1月クール!ドラマ!翔ちゃん、おめでとう!!!!!続編待ってたよ!映画じゃなくて連続ドラマ!『#大病院占拠』の続編放送決定!/2024年1月期 新土曜ドラマ『#XXX占拠』主演🔥武蔵三郎役#櫻井翔 さんSPインタビュー🎥\続編のオファーを聞いた時の
#386 小牧・長久手の戦い from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
家康と秀吉が激突した「小牧・長久手の戦い」について、大河ドラマ『どうする家康』では8月13・20日と繰り広げられていました。それを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟…
#387 再度、徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その7
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、長篠の戦いで勝利を収めた徳川家康の再反撃のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』…
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康は、息子・秀忠に征夷大将軍の位を譲り、「駿府の大御所」として大御所政治へ。家康が少年期と晩年を過ごした駿府にお出かけしてみてはいかがでしょうか。大河ドラマ館は、2024年1月28日(日)まで。
岡崎の大泉寺は、徳川家康が生まれた翌年、母・於大の方によって創建された寺院です。於大の方が懐妊した際、俊恵蔵主という名僧が岡崎城内の持佛堂薬師如来前で毎日安産の祈願を行いました。家康が無事誕生したことから、俊恵蔵主を開基、安産を祈願した持佛堂の薬師如来を本尊とし、城の東北にあたる場所に大泉寺が建立され、以来安産祈願の信仰を集めるようになりました。開山時の表記は「大仙寺」でしたが、慶長6年(1602)に...
#390 徳川軍の上田城攻め from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』第33回で、少しだけ描かれた上田城攻めについて、其れに従軍した大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫…
徳川幕府が誕生した今回のどうする家康。 オープニングが映像と音楽どちらも大きく変わっていて、時代が動いた感覚が強く感じられました。 今まで黒が強かった画面が白メインになって。 いよいよ戦の世が終わるのね、って思えた。 ウサギが跳ねる世 転換していく。 大阪のプリンス ウサギが跳ねる世 オープニング、2羽のウサギがぴょこぴょこと跳ねている様子が可愛かった。 そして本編始まって久しぶりの登場の於大の方。 寧々さんに家康が実は虎ではなかったという話をしていました。 今まで自分が寅年生まれであると信じていた家康にとっては、かなりのビックリ情報。 それでも、時代が変わっていて虎が不要になったのだと考える…
伝通院(傳通院)は、東京都文京区小石川三丁目にある徳川将軍家の菩提寺です。慶長7年(1602)に徳川家康の生母・於大の方が逝去し、伝通院を菩提寺としました。伝通院の墓地の北側に徳川家の墓域があり、於大の方、千姫などの墓が建っています。於大の方の墓家康の生母で、法名は伝通院。於大の方は享禄元年(1528)三河刈屋城主・水野忠政の娘として生まれ、天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚し、竹千代、後の徳川家康...
今回は、関ヶ原で勝利した後の10年が一気に描かれました(^^;)。 やはり、家康の75年の生涯を描ききるには、1年の大河ドラマをしても、短いと言わざるを得ないという感想です。 家康の生涯を50回分の放送でどう割り振るかは脚本家の腕の見せ所でしょうが、このたびのドラマは家康の...
関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は征夷大将軍となり、上総東金を鷹狩りの宿泊地して八鶴湖に御殿を建てます。家康が植えたみかんの木や大阪の陣決断に至る地元住職との対談など、ドラマには出て来ないエピソードがあります。
東京浅草の浅草寺の総門である雷門、最初の門は平公雅(たいらのきんまさ)によって42年(天慶5)に建てられました。五重塔は、天慶5年(942)平公雅が本堂と共に建立したのを初めとして、その後数度倒壊、炎上に遭いましたたが、その都度再建されました。境内からスカイツリーが見えます。平公雅 たいらの-きみまさ平安時代中期の武人。平良兼(よしかね)の子。平将門(まさかど)の従兄弟。一族と抗争していた将門と対立,天慶(...
#392 TVメモ『家康VS秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編)』
大河『どうする家康』で小牧・長久手で戦火を交えた徳川家康と羽柴秀吉の特集『家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編) - 歴史探偵 - NHK』の…
#486 第44回「徳川幕府誕生」感想~大河ドラマ『どうする家康』
関ヶ原の戦い後の徳川家康と茶々&秀頼の静かに進行していく対立を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第44回「徳川幕府誕生」(11月19日放映)家康と茶々の本心を…
桶狭間の戦い(桶狭間古戦場伝説地-豊明市)1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立した。昼頃、佐々政次・千秋四郎隊が桶狭間村で今川軍の先頭に攻撃を仕掛け討ち死にした。その知らせと、鷲津・丸根の砦での勝利を聞いた義元は田楽
情報操作や印象操作はこうして起こる!【大河ドラマ『どうする家康』不人気の理由】第43回「関ヶ原の戦い」で感じた歴史認識への酷すぎるミスリード。
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富士見櫓から蓮池濠の石垣沿いに遊歩道を北に進むと、植込みの中に松の大廊下跡の標石があります。松の大廊下跡忠臣蔵でおなじみの元禄14年(1701年)3月14日赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が殿中で吉良上野介義央への刃傷事件を起こした場所です。廊下に沿った襖戸に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれ、江戸城で2番目に長い廊下でした。石室抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが...
戦勝報告の時の茶々サンのお顔が,コワイんだわ・・・。治部ドノに続いて,息子にまで不信感を吹き込むなど,ラスボス活動に余念がありません(笑) 詐欺師,違った謀臣正信サンも,他の皆も年取ったのぉ。まあ,しょっちゅう戦さに出てれば,体の傷みも増えるわけだし・・・その筆頭が万千代だよなぁ。語り死に・・・。 タイトル音楽,ピアノ主体に編曲が変わりましたな。映像も変わってるし,終盤へ向けての助走ですか〜。 息子に...
夫婦で夫婦で名古屋に行ってきましたが今年も主人が9月に夏休みを取り1泊2日のツアーで静岡~愛知県をふわっとまわって来ました。2ヶ月経っていますがお付き合いく…
ラウンジセンターテーブルの装花が一新。Raubritter(ローブリッター)さんのアーティシャルフラワーのアレンジでした。季節ごとに入れ替わるそうです.。❁ラウンジメニューはナッツストック実森の「ショコラサンド茶の福」♪JAL国内線ファーストクラスでも提供されてるお菓子です。美味しかった~♡この日は樹脂フェンダーのコーティングもお願いしてたのですが、雨天のため乾くまで6時間以上かかるとのこと(●´^`●)ん~後日改めても面倒なので、車を置いて帰りたいとワガママを申しましたらば・・・タクシーチケットを用意してくださいましたっ!(代車が無かった)翌日父の車でディーラーまで送ってもらい、無事自車の引き取り。樹脂フェンダーがピカピカになると新車みたいっ✧*。============================...12か月点検と樹脂フェンダーコーティング、どうする浄水器!
どうする家康 第44話「徳川幕府誕生」 ~征夷大将軍就任と世襲~
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
オープニングのアレンジと映像が新しくなってた…と思ったら、今回だけのスペシャルエディションだそうで。家康の昔からの家臣が次々と亡くなっていくのが寂しい。井伊直政は関ヶ原の戦いの傷がもとで亡くなっていたのか。忠勝は殿のために戦って死にたいという思いでここまできて、その強さで生き残ってきたわけだけど、だからこそ老いて戦えなくなっていくのはつらかっただろうと思う。最後にいつから家康を主君と認めていたのかを明かすのが熱いね。家康は驚くくらい秀忠に手厳しい。フォローする康正と正信も才がないとか凡庸とか言いたい放題。確かに二代目ボンボンという感じで政に向いてない気はした。茶々の言葉の裏も読めないあたり大丈夫かと心配になったし…まっすぐでおおらかでかわいいんだけどね。於愛の子と聞いて納得。どうする家康第44回徳川幕府誕生