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【「どうする家康」出演】俳優・村杉蝉之介容疑者を逮捕 麻薬特例法違反の疑い 「あまちゃん」「家政夫のミタゾノ」ほか多数出演
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」(13年)大河ドラマ「どうする家康」(放送中)出演などで知られる、俳優村杉蝉之介(本名・友一)容疑者(58)が11日、規制薬物を譲り受けたとして、麻薬特例法違反の疑いで福島県警に逮捕された。
「どうする家康」最終回での衝撃の展開!本当の家康の素顔が明らかに!
「どうする家康」の最終回、松本潤演じる家康の真の姿が明らかになるなんて、とても興味深いですね。このドラマがどんな展開を見せるのか、今からワクワクしています!
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜感想が1週遅れちゃったなってことで第46話の感想ぉ!ついに豊臣との戦を決意した家康。豊臣の名を残すことを考…
茶々が思ったより病んでた。憧れの君と思っていた家康に裏切られて憎んでいるだけかと思っていたら、憧れの君をおのれの手で作り上げたとか…その憧れの君を利用して裏切った家康を倒そうというんだから執念を感じる。秀頼がちょっとかわいそうに思えてきたよ…本当の心といっても幼少からそう育てられてきたわけだからね。洗脳といってもいいのかもしれない。茶々は乱世を終わらせるために死ぬつもりでいるのかな。家康とともに乱世の亡霊を引き連れて。秀頼が最後の乱世の亡霊ではないかという気がするけど、道連れにするんだろうか。どうする家康第47回乱世の亡霊
大坂冬・夏の陣ゆかりの地 どんどろ大師~堀越神社~四天王寺庚申堂~徳川家康本陣跡
心眼寺の近くにある天王寺区の善福寺は、創建当初に「鏡如庵大師堂」と称し、大坂夏の陣の戦死者を弔うために建てられたと伝わるお寺です。通称はどんどろ大師。「どんどろ大師」の語源については、土井利位(どいとしつら)(生没年:1789年~1848年)(下総国・古河(茨城県)藩主)が大坂城代に在任中の期間(1834年~1837年)の屋敷が鏡如庵大師堂の近くにあり、土井利位が鏡如庵大師堂に祀られている弘法大師に深く帰依し、参...
なぜ家康は妻子を死に追いやったのか?松平信康事件と浜松ゆかりの史跡
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、なぜ家康は妻子を死に追いやったのか?松平信
松平忠直は、徳川家康の次男・結城秀康の嫡男で、慶長12年(1607年)、父親の遺領を継いで越前北庄(福井)68万石の当主となりました。慶長16年(1611年)には徳川秀忠の娘・勝姫(天崇院)を正室に迎えます。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、二万以上の兵を率いて、真田丸の攻撃を行いましたが、進撃命令が出ないのに、無理な突撃を敢行して、真田信繁の罠に嵌り、真田勢の攻撃により大敗。軍令違反の攻撃のうえに大敗という...
大阪の平野区にある志紀長吉神社は、古事記・日本書紀に載せられている延喜式内社で、真田信繁(幸村)ゆかりの神社です。大坂夏の陣の時、信繁は道明寺の戦いから退却の途中で当社に立ち寄り、軍刀や軍旗を奉納して戦勝を祈願しました。志紀長吉神社の境内ではなく、南側の鳥居のある交差点より少し南に入ったところに、真田幸村休憩所跡があります。門を開けると石碑があります。信繁が、大坂夏の陣の時、南河内誉田において東軍伊...
全くかすりもしなかった関東・中部・東北自治宝くじ。今年も1枚も当たらなかった。スクラッチも事実上「可愛い動物の絵が付いたカードを100円または200円で買ってコレクションしてる」になってしまっている。もうカードゲームかカード占いができるくらいに一杯たまってるで!この間もレッサーパンダのムックラとした可愛さに当たる予感がしてスクラッチを買ったら…ハズレた。スクラッチのガッカリさせる手あるある。「縦横斜めの絵を揃えると当たりで2つめまでは揃わせて喜ばしといて、緊張ワクワクで続きを削ったら全然違うの出て来た!」レッサーパンダのは1枚全5種中4つの絵柄がそうだった。まだ年末ジャンボも間に合うので買うかどうかは検討中。浜松にちなむゆるキャラ「出世大名家康くん」。(「ついでに出世法師直虎ちゃん」もいる)こういうのがチ...カルバリン砲より、こっちを当ててほしかった!
2023年7月購入本の第1弾は、ほぼ毎月恒例の2冊『歴史街道2023年9月号(特集1「豊臣秀吉と徳川家康」)』と『司馬遼太郎『覇王の家』 2023年8月 (N…
#350 本能寺の変後の荒れる甲斐国 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲット”天正壬午の乱”を家康家臣の奮戦ぶりを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 …
大坂夏の陣、いよいよ最終決戦・天王寺・岡山の戦いです。慶長20年(1615年)5月7日未明、豊臣方は大坂城を出発し、現在の大阪市阿倍野区から平野区にかけて迎撃体制を布き、幕府方は、夜明け頃天王寺口と岡山口から大坂城へ向け進軍を開始。豊臣軍は、天王寺口には真田信繁、毛利勝永など14,500、岡山口には大野治房ら4,600、別働隊として明石全登300、全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊計15,000が布陣。幕府方の配置は、大...
【どうする家康】#46 家康不在で豊臣が勝利したら、秀頼はプーチンのようになったのか
砲撃にさらされ過呼吸の千姫。秀忠も泣く NHK大河ドラマ「どうする家康」は大詰めの第46回「大坂の陣」を12/3に放送した。あらすじを公式サイトから引用する。 豊臣家復活を願う方広寺の鐘に、家康(松本潤)を呪う言葉が刻まれたという。家康は茶々(北川景子)が徳川に従い、人質として江戸に来ることを要求。激怒した大野治長(玉山鉄二)は、両家の仲介役・片桐且元(川島潤哉)の暗殺を計画。家康はついに14年ぶりの大戦に踏み切る。全国大名に呼びかけ、30万の大軍で大坂城を包囲、三浦按針(村雨辰剛)に用意させたイギリス製大筒を配備。そんな徳川の前に真田丸が立ちはだかる。(これまでのあらすじ 大河ドラマ「ど…
#352 高天神城の城主 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争~その2
高天神城の城主について、大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐる10年の戦いがあります。歴史雑誌『歴史群像2023年8…
#353 北条氏政・氏直も動く from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
北条氏、43,000の大軍で旧武田領の分捕り合戦に参戦!!8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲット”天正壬午の乱”を家康家…
#354 信玄の”三年の鬱積” 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その3
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、まずは武田信玄の攻撃ターンから、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新号での特集で…
#511 大坂の陣にむけてfrom『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月3日放送の大河ドラマ『どうする家康』「大坂の陣」について、これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』で見ていきたい…
東大阪市の蓮城寺は、豊臣方武将・木村重成の菩提寺で、若江の戦いの際、重成はこの辺りに布陣しました。 母の宮内卿局(一説には右京大夫局とも)は豊臣秀頼の乳母となり、重成は幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれています。 慶長19年 (1614) 大坂冬の陣には玉造口を守備し奮戦。 元和1 年(1615) の大坂夏の陣で、長宗我部盛親らと出撃し、八尾・若江で井伊直孝、藤堂高虎と戦って戦死しました。 境内には重成の位牌堂があ...
今年始めの1月13日には伊豆の国市「鎌倉殿」の大河ドラマ館へ。そして年末12月7日には駿東郡清水町「どうする家康」のパネル巡回展へと行って来ました。冬の伊豆地方特有の凄まじい強風日で、たどり着くまでが大変でした。大河ドラマ館みたいに出演者の等身大パネル、ポスター、あらすじ等の展示がありました。主演の松潤さん、信長の岡田さん、於愛のアリスさん秀吉のムロさん、は私より少し背が高いだけだった。芸能人がTVだと実際より大きく見えるってのは本当。派手派手だったムロさんが思ったよりこじんまりの佇まいだった。築山殿の有村架純さんは私より少し背が低かったのですが、見た目と実際がぴったり一致していました。例外で井伊直政の板垣李光人さんだけは小さく見えてたけど、この人も私より「ちょっと背が高い組」の一人でした。残った阿部寛さ...見納めにパネル巡回展行って来た
大河ドラマ『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』は主人公が徳川家康。これを司馬遼太郎先生がどう描くのだろうと思い、『覇王の家(上)(新潮文庫)』を読みまし…
道明寺合戦は、真田信繁(幸村)軍と伊達政宗軍が激突。片倉小十郎、後藤又兵衛、薄田隼人が激突しました。2014年11月、道明寺駅前に建立された道明寺合戦記念碑当時の道明寺は、現在の道明寺天満宮の階段下南側にあり、この辺りに西軍が陣を布き、真田信繁は、後藤又兵衛、毛利勝永と打倒徳川の誓いの盃を交わしたと伝えられ、道明寺の戦いの舞台になったといいます。道明寺天満宮道明寺天満宮は、土師氏の氏神として創建され、の...
いよいよ終わりが近いどうする家康。 今回の大坂の陣では色々と思うところがあり、少々終わりに向かって不安になっていっているのが否めない私です。 なんというか、解せない感じと言うか…。 こんな終盤にモヤモヤが待っているとは。 秀頼 茶々 家康と秀忠 コメントいただきまして、 さて、次回 秀頼 豊臣秀頼、結局のところどういう人物なのでしょう? 前回までは、秀吉に似た頭の良い人物だと捉えていましたが…。 今回はなんだかそれを裏切られるような描かれ方に感じてしまいました。 と言うのも、茶々の傀儡のように見えてしまうところと、自身の意思で動いているところの2つのラインが同じに見えたんです。 茶々の傀儡であ…
清洲城1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信
大阪市城東区の白山神社の創建年月は不詳ですが、明治5年までは、白山権現と称し、応永(1394年)の頃から中浜・鴫野・森の諸村の氏神でした。 天正4年(1576年)織田信長が石山本願寺を攻撃した時、社殿を焼失しましたが、慶長8年(1603年) 豊臣秀頼により再建されました。 拝殿の見事な彫刻 同19年、大阪冬の陣による兵火で再び焼失し、元和3年(1617年)大坂城代内藤紀伊守により再建されました。 歯痛治癒に霊効があることで...
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その2 ~真田丸の戦い~
「その1」のつづきです。 方広寺鐘銘事件で徳川との関係が急速に悪化した豊臣方は、旧豊臣恩顧の大名たちを味方に引き入れようと試みますが、そのすべてに拒否さ...
#357 第31回「史上最大の決戦」感想~大河ドラマ『どうする家康』
家康対秀吉、最初で最後の直接対決の2023.08.13の大河ドラマ『どうする家康』の第31回「史上最大の決戦」について見違えるような覇気をまとった戦国の英雄、…
#359 北条との和睦 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
家康が甲斐と信濃をゲットした”天正壬午の乱”の収束について8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康家臣の奮戦ぶりを大久保彦左衛門忠教(忠世の…
【2023/12/03(日)】どうする家康…46回11.6%(7.0%)、平均11.15%(6.67%)日曜劇場「下剋上球児」…8回9.9%(6.6%)、平均9.58%(6.09%)セクシー田中さん…7回6.0%(3.4%)、平均6.00%(3.36%)【2023/12/02(土)】なし【2023/12/01(金)】うちの弁護士は手がかかる…8回6.4%(3.6%)、平均6.61%(3.86%)金曜ドラマ「フェルマーの料理」…7回5.2%(3.1%)、平均5.26%(3.00%)金曜ロードショー「プリンセスと魔法のキス」…?%(?%)【2023/11/30(木)】ゆりあ先生の赤い糸…7回6.1%(3.5%)、平均6.37%(3.50%)<木曜劇場>いちばんすきな花…8回5.1%(2.9%)、平均5.03%...ドラマ視聴率(2023/11/27-2023/12/03)
大阪市城東区今福に鎮座する三郷橋稲荷神社この辺りは、大坂冬の陣で、後藤又兵衛(基次)、木村重成、が、佐竹義宣、上杉景勝と戦った激戦地でした。神社の前に、「大坂冬の陣古戦場 今福・蒲生の戦い跡」の碑があります。側面には、木村重成・後藤基次奮戦の跡地と書かれています。慶長19年(1614年)、大坂城攻撃のため、現在の天王寺、茶白山に本陣を置いた徳川家康の命により、今福・蒲生は秋田城主佐竹義宣、鴫野には...
土曜日ベストアーティスト!長丁場、翔ちゃんお疲れ様でした。安定のMCぶり。全方位あらゆる角度から、それぞれのアーティストへの具体的なコメント。さすが翔ちゃん。普段、今流行っている曲含めてあまり音楽に詳しくないから、この番組で初めて教えてもらいました!という
#504 第46回「大坂の陣」感想~大河ドラマ『どうする家康』
狸親父の家康と女狐の茶々との化かし合いがついに武力対決に発展してしまう大河ドラマ『どうする家康』の第46回「大坂の陣」(12月3日放映)大坂の挑発でついに火ぶ…
#505 関東国替えの対応 ~『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』での小田原征伐後の関東国替えでの徳川家臣の対応が『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』ではどのようになって…
大阪天王寺のJR玉造駅から約5分、真田山丘陵に鎮座している三光神社反正天皇時代の創建と伝えられ、天照大神、月読尊、素戔嗚尊を祀り、日本全国で唯一の中風除の神として広く知られています。 「真田丸」が放送された年に行ったので、真田信繁を演じた堺雅人さんのポスターが飾られていました。境内には「真田の抜け穴」といわれる石室状の横穴が残されています。当社は、大坂城の出城(真田丸)のあったところで、慶長19年(1614)...
アヴァン,崇伝と羅山の掛け合い,笑える〜。前回,呼び出されただけで横から鐘銘にオチが付けられてたんで,セリフなしかと心配してますたw 且元サン,例によって胃が痛い演出であります。「豊臣秀頼」を生きる秀頼クンのビミョーな表情が,悪くない。 総大将を勧める江サンの表情,娘を案じる故とは言え,血は争えませんな(苦笑) ところで,バックで遊んでるお子たちを見守ってるボヤけた姿は,もしかしてあのお方ですか? 織田...
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その1 ~方広寺鐘銘事件~
今回は方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣の終結まで一気に話が進みましたね。平成28年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』のときはこの間だけで5話ぐらい費やしてい...
【どうする家康】第46話あらすじ・感想考察「大坂の陣」|「これが戦じゃ…この世でもっとも愚かで醜い…人の所業じゃ!」
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年12月3日放送第46話「大坂の陣」の内容となります。
だいぶ大人になってからNHKの大河ドラマの面白さに目覚めました。今やってる「どうする家康」も観てます。観てるけれど、録画で観ているのでまだリアルタイムに追いついていません夏前くらいまではリアルタイムで観ていたのですが観られない週が続いてどんどん貯まり8月放送
「これが戦じゃ…この世で最も愚かで醜い人の所業じゃ」にズシッときた。戦はいつだって残酷で非道なもの。家康はそれを幾度となく目の当たりにしてきたもんな。主君たるもの身内を守るために多くのものを死なせてはならない…というのは理想だけど、それがわかっていても迷いなく実行できるひとは多くないのかも。家康も若いころは悩んだり泣いたりしてた。いまは地獄を背負ってあの世へ行く覚悟を決めているから揺らがないんだろうけど。そして千姫はつらい立場。血気盛んな豊臣勢の前に立たされるのなんて針のむしろもいいところ。秀頼の妻だから仕方ないのかな。もしかしたら茶々が憎き徳川の姫だからいびってるんじゃないかと思ったけど…最後は助けようとした?千姫のことは嫁として身内として認めていたんですかね。信雄はまだ生きてたんだ。長久手の戦いを自分...どうする家康第46回大坂の陣
#363 天正壬午の乱 徳川の侵攻~『松平家忠日記を読む』から見る
8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲットの”天正壬午の乱”を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)…
#364 天正壬午の乱 北条家との戦い~『松平家忠日記を読む』から見る
8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲットの”天正壬午の乱”の北条家との戦いを『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角…
慶長19年(1614年)、方広寺鐘銘事件をきっかけに、徳川氏と豊臣氏の関係が悪化。豊臣家は、浪人を集める策を採り、九度山の真田信繁の元にも使者を派遣して黄金200枚、銀30貫を贈り、信繁に九度山を出るように説得します。信繁は上田にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけ、九度山を脱出して、子の大助幸昌と共に大坂城に入場しました。大坂で信繁の率いた軍は、鎧を赤で統一していたといいます。信繁は、大坂城の最弱部であ...
謎多き「松平信康事件」!家康は信長の命で妻子を殺した?岡崎ゆかりの史跡へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、謎多き「松平信康事件」!家康は信長の命で妻
【どうする家康】#45 涙のプリンス秀忠こそが、戦を求めない「王道」を成す者
サブタイトルは「二人のプリンス」でも NHK大河ドラマ「どうする家康」第45回「二人のプリンス」が11/26に放送された。いやあ、11月もこれで終わり、残るは12月の3回分だけ。視聴者側のこちらの気持ちも急いてくる気がする。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 関ケ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣の下に集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜徳川幕府の成り立ちとかはバッサリ端折ってるよねってことで第45話の感想ぉ〜!今回、豊臣秀頼をめちゃ持ち上げ…
大坂の天王寺公園内にある茶臼山古戦場跡を訪ねてみました。公園の入り口には、旧黒田藩屋敷長屋門があります。(碑文)現在中之島三井ビルの場所がおおむね福岡黒田藩の蔵屋敷で、これはその長屋門である。数少ない蔵屋敷遺構の一つで、昭和8年三井ビル建設に際し大阪市に寄贈された。旧黒田藩屋敷長屋門 蔵屋敷は諸大名が自国産物の保管、管理、販売のために設けた藩邸で、明治維新直後には135を数え、交通運輸(水運)に便利な堂...
#367 第32回「小牧長久手の激闘」感想~大河ドラマ『どうする家康』
ついに直接対決の2023.08.20の大河ドラマ『どうする家康』の第32回「小牧長久手の激闘」について徳川四天王勢ぞろい!距離が離れる石川数正勝負のカギは、織…
#368 武田信玄のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その4
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、高天神城をめぐっての武田信玄の攻撃ターンから、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最…
1614年(慶長19)年、方広寺鐘銘事件により、豊臣方と徳川方と対立が激化すると、両家の調整役の片桐且元は、戦争を避けるために徳川家康との和平交渉に奔走しましたが、家康と交渉している間に、大野治長や淀から家康との内通を疑われるようになり、大坂城を追放されてしまいました。これが徳川方の冬の陣の宣戦理由となり、家康は総勢20万の大軍で、秀頼のいる大阪城を包囲させました。片桐且元一方、豊臣方は、旧豊臣系の大名に味...