真田丸の顕彰碑と出城跡
慶長19年(1614年)、方広寺鐘銘事件をきっかけに、徳川氏と豊臣氏の関係が悪化。豊臣家は、浪人を集める策を採り、九度山の真田信繁の元にも使者を派遣して黄金200枚、銀30貫を贈り、信繁に九度山を出るように説得します。信繁は上田にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけ、九度山を脱出して、子の大助幸昌と共に大坂城に入場しました。大坂で信繁の率いた軍は、鎧を赤で統一していたといいます。信繁は、大坂城の最弱部であ...
2023/12/04 01:15
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#心眼寺
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