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滝山寺本堂の北側に「日吉山王社本殿」があります。七間社流造、桟瓦葺(元檜皮葺)1608年に徳川家康が建てたと伝えられています。内陣の造りが七間社以上の流造にみられる連結方式ではなく、身舎を横長一室の内陣として奥に簡素な祭壇を設けている点が特徴。2006年(平成18年)12月21日、岡崎市指定文化財に指定されました。老朽化により、2019年(平成31年)4月から修復工事が行われ、2021年(令和3年)3月、薄い板を重ねた「こ...
滝山寺境内の滝山東照宮は、三代将軍・徳川家光の命により勧進されたものであり、日光、久能山とともに、東照宮三宮とされています。正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせたところ、家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建されました。創建以来、滝山寺が別当...
朝からブログを書いて、文章が全然進まなかったので、書いたもの全てを午後の15時過ぎに全消し(^^) 先日、車に乗った際に受けたあおり運転以来、何をするでも注意散漫気味、普段の気持ちが不安定気味で、今のところ、全くもって良い年越しじゃないです。 勤めてた会社をセミリタイア(早期退職)して四捨五入で10年である現在、必要以上に外出しないため、家族以外の人と接することがほぼほぼ無いのでちょっとのことが大事になるみたい。 というか、僕がそもそも何を言われても、何をされても平気なメンタルの持ち主だったら、セミリタイア前に勤めてた会社(ブラック企業)で定年までマイペースで勤めたと思います。 今回の大河ドラ…
あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。2024年も皆様にとって明るく希望に溢れる1年となりますようにお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。岡崎の滝山寺は1300年前に開かれた古刹で、天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。山号を「吉祥陀羅尼山」、院号を「薬樹王院」といい、熱田大宮司家、源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、徳川家...
2023年11月に購入した7冊の本です。2024年の大河ドラマ『光る君へ』に備えた本の購入や、『どうする家康』のラストバトル”大坂の陣”を楽しみたいので購入し…
20243年1月~12月までに143冊を読み終えました。2023年は読書目標の”とにかく読了”は、当初はギリシア悲劇でしたが、ギリシア喜劇も読み、ローマ最大の…
桑名の旅編が続いていますが、今年最後の記事は、徳川家康ゆかりの浜松の記事をお届けします。浜松市天竜区山東にある光明山光明寺は、奈良時代の養老元年(717年)に行基により開創された遠州地方の名刹です。元々光明山にありましたが、昭和6年(1931)の火災で焼失し、現在地に移されました。光明山は、標高540mで秋葉山とともに古代から山岳霊場として知られ、秋葉の火の神に対して、水の神として信仰を集めていました。大黒堂には...
D261.どう受け入れる家康?(大河ドラマ どうする家康❷)
第7章 韓国ドラマ映画 261.どうする家康❷ 今年1年間の大河ドラマ『どうする家康』無事終了しました。そして12月29日、4時間に掛け総集編が一挙放送…
<ガッカリ>NHK大河ドラマ『どうする家康』 ~歴史を捏造している違和感があって数回で観るのをやめた~
僕は歴史小説が好きでNHK大河ドラマを毎年楽しみにして観ていた。だが、それは今年3月頃までだった。『どうする家康』も前年から楽しみにしていた。しかし、その初回を観て不快な違和感を感じたのである。 何かよく説明出来ないのだが、歴史的な“雰囲気”が感じられずどう
桑名の専正寺があるあたり一帯は江戸初期には漁村で、蛤の貝殻で厚く地面は覆われていました。文政年間、この地の住人谷氏がこれら無尽蔵の貝殻を見て、蛤に対する感謝と供養のため蛤の墓「蛤墳」が建てられたと伝えられています。蛤の墓「蛤墳」(こうふん) 昔このあたりは漁村で、付近一帯にたくさんの貝殻が埋もれていたので、 文政6年(1823)に今一色に住んでいた谷氏が蛤の供養のために、この碑を正念寺(現在専正寺)に建...
【どうする家康】#48 家康は「鎌倉殿の13人」義時と相似形、でも最期は幸せに海老すくい
「神の君へ」から来年の「光る君へ」 もう片手で数えれば2024年が来る。年末だ。毎度のようにああだこうだに追われて年の瀬を迎えているが、気づけばまだ「どう家」最終回について書いていなかった。下手すると来年の大河「光る君へ」が始まってしまうじゃないか。 NHK大河ドラマ「どうする家康」第48回(最終回)「神の君へ」は、もう10日以上前の12/17に放送された。この記事を12/29の総集編前に書き始められて良かった(アップできるのは後かもわからないけど😅)。 最終回サブタイトルの「神の君へ」は明らかに来年大河の「光る君へ」を意識したものだろう。Amazonで発売されていた脚本をチラ見したら、最終回…
桑名城跡を出て、桑名駅方面へ歩いて約10分の場所にある浄土寺は、本多忠勝の本廟がある寺で、桑名藩主本多家の菩提寺となっています。 当寺は、永承4(1049)年海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりと言われています。 慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となり、藩主本多忠勝が没した時に、当寺に葬られ、本多忠勝本廟となりました。「慶長の町割り」とは、忠勝が、慶長6年(1601)桑名に封ぜられてか...
ドラマの事、もっと語りたくて加筆修正しましたでも感動を言葉にするのって難しい・・・自分の思いをうまく表現できず、残念な感じです最近ドラマをよく観てますテレビを見る事はあまりポジティブに言われないけれど、私は気分転換に観ています。最近のテレビ
この後、九華公園の周辺の桑名城の遺構を散策しました。立教小学校 藩校「立教館」の流れをくむ小学校。歴史を語る公園南大手橋江戸の日本橋から京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られた公園で、道中をイメージした道標や案内板などが設置されています。日本橋三条大橋ここから桑名城三の丸の城壁が見られます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ...
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 最終回の冒頭のナレーションにもあった言葉ですが、これは、神君御遺訓の冒頭の一文として今日に伝わる有名な言葉です...
静岡旅行の後半戦です前半戦はこちら(さわやかのハンバーグ等)2日目の昼食は「まぐろのみなみ 人宿町店」海鮮丼で全国的に有名な「まぐろのみなみ」の3号店です。以前1号店の「清水港みなみ」に行ったことがあり1時間近く並んだ覚えがあります。その後、2号店、3号店と出
#323 長篠から7年の武田との抗争『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で圧倒的な負け方をした武田勝頼ですが、だからといってすぐに滅んだわけではなく、1582年に滅ぶまで7年にわた…
#324 武田家の滅亡を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさりと滅亡した武田家について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から見たいと思い…
#325 第27回「安土城の決闘」感想~大河ドラマ『どうする家康』
天下取りと「信長を殺す」ことを決め、その策実行のために信長の本拠安土城に乗り込み、信長と対峙して、本能寺の変直前までの2023年7月16日の大河ドラマ『どうす…
#538 2023年末から2024年年始にかけて読む予定の本 7冊ほど
2023年年末から2024年年始にかけて読みたい本を一気に7冊借りてきました。ちょうど図書館のシステム変更でいつもよりも貸出期間が延長されたのを利用して読もう…
関ヶ原の戦いの後、桑名藩主となった本多忠勝は、4年がかりの大規模な区画整理「慶長の町割」を行いました。それまで水害に悩まされた土地を埋め立て、川の流れを大きく変えて外郭堀に利用。4層の天守閣や多くの櫓を備えた城を建て、武家と町人、さらに業種ごとに城下町の居住区を分割。港町・城下町・東海道の宿場町として、桑名の町の基盤を作りました。桑名城跡には現存建造物はなく、石垣、堀が残るのみで、現在は桑名城址九華...
前置き 視聴率 築山殿新解釈 古沢良太 ジャニーズとアミューズ 光る君へ 前置き 公私ともに忙し過ぎて、12月最初の投稿が12月最後、2023年最後の投稿になりそうです(汗) 出典:大河ドラマ「どうする家康」 - NHK 視聴率 12月17日に『どうする家康』最終話が放送され、全話平均視聴率は大河ドラマワースト2位の11.2%になったようです。 11.2%でしたが、私は毎回欠かさず観てました。 11.2%の傾向として興味深かったのが50代未満の層では男女問わず視聴率は高く、50代以上の視聴は減少傾向にあったことがテレビ視聴数の絶対数からすると全体の視聴率に影響を及ぼしたように思えます。 かくい…
最終回を迎えた大河ドラマ「どうする家康」。感想の第二弾だな最終回は徳川家康の最後……より、大阪城炎上の方が印象に残りました。千姫は秀頼と茶々の助命を家康に嘆願…
桑名の総鎮守社である桑名宗社には、幾つかの名称がありますが、通称を春日神社と言います。東海道筋の大きな鳥居は、もとは本多忠勝が慶長7年に木造で作ったものでしたが、大風で倒壊し、寛文7年(1667)、桑名城主 松平定重により、青銅の鳥居に建て替えられました。桑名宗社は、桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社からなり、ともに延喜式神名帳の伊勢国桑名郡に記載されている式内社です。織田信長、徳川家...
#530 家康の死について from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
家康が亡くなる最終回(12月17日)放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」のその死を大久保彦衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫…
#529 まとめ 大坂冬&夏の陣を描いた『城塞 上中下』と大河比較
司馬遼太郎先生が徳川家康を主人公にした歴史小説『城塞(上)(新潮文庫)』『城塞(中) (新潮文庫)』『城塞(下)(新潮文庫)』の全体を通してのレビューと大河と…
桑名駅から徒歩15分ほどのところに鎮座する住吉神社は、揖斐川に面して建てられています。神社前の石灯篭2基は、江戸時代の材木商達が寄進したものです。桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米等の集散する商業都市として発達し、住吉浦は廻船の舟溜りでした。住吉神社は、廻船業者が航海の安全を祈り、正徳五年(1715年)住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉)の分霊...
"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝頼「高天神城」をめぐる激戦の果て
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝
赤塚の戦い 織田信秀の死後、信長が家督を継いだことから、1552年鳴海城の城主・山口教継(のりつぐ)とその子・教吉(のりよし)が、今川方に寝返る。山口教吉が守る鳴海城に向け、信長は軍勢800で出陣し、中根村(名古屋市瑞穂区)、小鳴海(名古屋
本多忠勝ゆかりの地を巡る桑名の旅をしてきました。観光案内所でレンタサイクルを借り、桑名の旅がスタート!三の丸堀に架かる舟入橋ここから桑名城の石垣跡を見ることができます。柿安コミュニティパークは、桑名城の三の丸跡に造られた芝生広場です。桑名城三之丸御殿(新城)及び桑名紡績工場跡慶長6年(1601)、本多忠勝が桑名城主となり、城下町割りと共に、本格的な城の建設を行った。本丸の北には新城(三之丸)と呼ば...
どうする家康 無事に終わりましたね まずは1年間楽しませていただいてありがとうございました と言いたいです 主演が 松本潤さんでしたが 松山ケンイチさんで良かったんじゃないのかな って 思いました 松本潤さんもいいキャラクターだと思いますが 松山ケンイチさんもいい俳優さんなので 脇役ではもったいなかったのかなと 平清盛をやってるから 2度目の主演というわけにはいかなかったのでしょうかね ただ 元ジャニーズ事務所問題もあり 大手事務所に所属しているから主役という流れではなく 実力のある人が主役をするような そういう流れになっていってもらいたいですね NHKは営利目的じゃないんだから 俳優さんの起…
本多忠勝は、天文17(1548)年、安祥松平家(徳川本家)の最古参の譜代である安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として、三河の西蔵前城に生まれました。天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育ちました。幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣、このとき、同時に元服しました。三河一向一揆、姉川の戦、三方ケ原の戦、長篠の戦、高天神の...
大河ドラマ「どうする家康」が、先日で最終回でした。 個人的には「ものすごくおもしろい!」というところまではいかなかったけれど、 徳川家康の一生が丁寧に描かれていて、わかりやすかったなぁ。 他の武将を主人公にした物語の場合、 ほぼ完成された中年期以降に登場してくる...
スポニチ Sponichi Annex「どうする家康」最終回 難役・語り&春日局 寺島しのぶ“
にほんブログ村にほんブログ村 「どうする家康」見逃し配信では歴代最高視聴数に NHK発表17日に最終回が放送されたNHK大河ドラマ「どうする家康」について…
西焼津から800mほどのところにある小土神社(こひじじんじゃ)は、徳川家康が鷹狩りの際に立ち寄り、満水の大井川を渡るために祈願したそうです。小土神社から900mほどのところにある旭傳院には、田中城にあった門が、移築されて旭傳院の山門になっています。こじんまりとしていますが、歴史を感じる門です。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキン...
本丸櫓を出て、田中城下屋敷の敷地内をまわります。長楽寺村郷蔵郷蔵(ごうぐら)とは、年貢米や飢饉に備えた非常(救済貸付)米を保存するための蔵で、江戸時代には村ごとに置かれていました。村役人が管理しており、夜間は畳敷きの小部屋に2人1組で泊まり込み、夜番をしました。 長楽寺村の郷蔵は、明治10年頃に中西家に払い下げられました。この時、郷蔵の半分を切り取り移築したものといわれ、本来は現状の倍の大きさであった...
ついに最終回を迎えたどうする家康。 神の君は本当に神様になってしまいました。 とりあえず、1年間完走できた自分を褒めつつ、ふりかえりの感想雑記です。 オツカレ! 神の君 メイクと衣装と 幸せに、 コメントへ感謝。 神の君 家康の周りにはいつでも彼を理解してくれる人たちが居る…それが1年を通して何度も何度も濃く描かれてきたと思います。 信長や秀吉との大きな差であり、家康が天下泰平を成し遂げることが出来た大きな要因の1つなのでしょう。 しかし、そんな家康でも晩年はとても孤独と近かった。 阿茶局以外に家康の身の回りの世話をしたがる人物が現れない…という状態で。 偉大な神の君のご機嫌を損ねたら…ってい…
徳川家康が鯛の天ぷらを食べたと伝わる藤枝の田中城の歴史は、今から500年ほど前この地の士族一色氏がその居館を拡大したのに始まるといわれています。田中城の東南隅にあった藩主の別荘庭園である田中城下屋敷には、田中城ゆかりの建物(田中城本丸櫓、茶室、仲間部屋・厩、長楽寺村郷蔵)が移築・復元されています。草むらの中に発見!なかなkシュールな「まつだいらたけちよくん」(^0^;)本丸櫓晩年の徳川家康は、鷹狩りと称して、...
#326 長篠から7年、対武田戦争 前編 『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で武田の敗北の後も7年続く徳川vs武田の抗争を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)…
NHK大河ドラマ『どうする家康』で壮大すぎる夢の先に散った築山殿と松平信康についての史実はどうかと思い購入した『歴史街道2023年8月号(特集1「零戦の光と影…
#328 築山殿・松平信康自刃事件を『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)の武田との抗争の最中の築山殿・松平信康自刃事件について『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィ…
#527 秀頼の死は因果応報⁉ from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月10日放送の大河ドラマ『どうする家康』「XXXX」の大坂の夏の陣を大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』で見ていきた…
「その1」のつづきです。 徳川家康がこの世を去ったのは、大坂夏の陣から1年足らずの元和2年(1616年)4月17日。同年1月、鷹狩に出た先で倒れ、その後...
先の日曜日に放映がなされました・・・。60分の拡大枠で放映されました。 前半戦は、大阪夏の陣のクライマックス。真田幸村よりも、大野治長よりも、そして豊臣秀頼よりも、北川景子さん演じる淀君の壮絶なラストという感じでした・・・・(^^;)。 そして後半は、家康の死と物語のエンデ...
【2023/12/17(日)】どうする家康…最終回12.3%(7.7%)、平均11.17%(6.68%)日曜劇場「下剋上球児」…最終回9.5%(6.1%)、平均9.63%(6.14%)セクシー田中さん…9回6.6%(3.9%)、平均6.12%(3.47%)【2023/12/16(土)】土曜ドラマゼイチョー~「払えない」にはワケがある~…9回4.6%(2.5%)、平均5.54%(3.18%)2023WBC映画「憧れを超えた侍たち世界一への記録」…?%(?%)【土曜ドラマ】デフ・ヴォイス法廷の手話通訳士前編…?%(?%)【2023/12/15(金)】うちの弁護士は手がかかる…10回6.1%(3.6%)、平均6.57%(3.85%)金曜ドラマ「フェルマーの料理」…9回4.5%(2.6%)、平均5.13%(2.9...ドラマ視聴率(2023/12/11-2023/12/17)
大河『どうする家康』で、築山殿の壮大な夢に乗り、甲州征伐で徳川に下る穴山梅雪(信君)について『にっぽん!歴史鑑定』での感想です。梅雪の裏切りが徳川家康の天下…