崇伝が住持した南禅寺の塔頭・金地院
以心崇伝(いしん すうでん)は、字は以心、法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれています。京都南禅寺金地院の慶長10年(1605)の住持となり、徳川家康に仕え、外交事務、方広寺鐘銘事件や寺社行政、寺院法度、禁中並公家諸法度などの起草、キリスト教の禁圧、紫衣事件に関与し、幕府の基礎づくりに貢献しました。黒衣(こくえ)の宰相とも称されましたが、称されましたが、家康の死...
2023/12/01 02:06
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#南禅寺 金地院
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