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豊臣秀吉没す…一代で栄華を築いた英雄、最後の大舞台「醍醐の花見」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、豊臣秀吉没す…一代で栄華を築いた英雄、最後
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第六十九候 1/15〜1/19 雉始雊 きじはじめてなく 雉が初めて鳴く時期 冬の日や湧き出る清き醍醐水 ツアー4回目最後は京都市にある第11番札所 上醍醐寺(世界遺産) ご本尊は准胝観世音菩薩 貞観16年(874)に、聖宝理源大師によって開創 豊臣秀吉が慶長3年(1598)に行った「醍醐の花見」のお寺です 何度か焼失しましたがそのつど再建されました 現在は平成20年8月の落雷が原因による火災によりお堂が焼失したため、下醍醐・伽藍内の観音堂に、准胝観音を安置し、参拝、納経、朱印を受けているそうです 国宝・三宝院唐門(からもん)。豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」の翌年、慶長4年(1599)に造られ…
慶長3年(1598年)3月15日、豊臣秀吉は、醍醐寺諸堂の再建を命じ、各地から700本の桜を集めて境内に植えさせて、秀頼や奥方たちと一日だけの醍醐の花見を楽しみました。しかし、5月より秀吉は病に伏せるようになり、次第に病状は悪化。徳川家康・前田利家・前田利長・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元ら五大老及びその嫡男らと五奉行のうちの前田玄以・長束正家に宛てた十一箇条からなる遺言書を出し、自身を八幡として神格化するこ...
【花見で一杯】花はサクラ それが常識ってもんではあるんですが
< お前らどうせ花なんて5分しか見てないだろっ! ちゃうわい! 1分じゃ! > 春の風の中をコロナウイルスが飛び回っているとしても、2022年のサクラは一時に満開になって日本の四季の移り変わりを無言のままに報せてくれました。ま、なんだか雨やら北風やらで、あっと言う間にひらひら散ってしまいましたけど。 昔から満開のサクラには酒が付き物だと言えそうですけれど、なかなかね、コロナ禍ではかつてのようにはいきませんね。 でもまあ、あれですかね、コロナのちょっと前ぐらいから花見っていうのは行動規制され始めてましたね。ゴミ問題も含めた近所迷惑が最大の理由だったんじゃないでしょうか。 (adsbygoogle…