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家康を辿る城旅「小川城」!家康決死の"伊賀越え"を援けた甲賀信楽の山城
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「小川城」!家康決死の"伊賀
徳川家康(8)心火の巻!信長落つ"本能寺の変"そして家康決死の逃避行"伊賀越え"
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康(8)心火の巻!信長落つ"本能寺の変"そして家康決死の逃避行"伊賀越え"です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの
【どうする家康】#29 伊賀越えで軽やかに松ケン本多正信復帰!おめでとう!
信長襲撃、家康黒幕説に1票! NHKのコメディ大河ドラマ「どうする家康」第29回「伊賀を越えろ!」が7/30に放送された。前回ブログで書いた通り、今作をただの「大河ドラマ」と認識するのは誤りだ、そういうつもりで楽しめばいいんだと気づいたので、忘れないように「コメディ大河」と書くことにした。 toyamona.hatenablog.com さて、8/5の再放送を見て改めて思ったのは・・・「こりゃ、殿がやりましたな!だけど秀吉に裏をかかれましたな!」だ。さすが生き馬の目を抜く戦国時代だ。 まずはあらすじを公式サイトから引用しておこう。 信長、死す――。衝撃的な知らせが世を駆け巡る中、光秀(酒向芳)…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜信長さんが『本能寺の変』で討たれて、さぁ大変だぁ〜ってことで第29話の感想ぉー!家康の3大危機の最後、それ…
碧南市浅間町に鎮座する浅間神社は、寛文9年(1669)吉左衛門家次が創建されました。天正10年(1582)6月2日の朝に「本能寺の変」の報を聞きつけた徳川家康。命からがら伊賀越えをして大浜経由で岡崎へ逃れる道中、家康一行は、碧南北部にある浅間神社近くに上陸しました。農民が「麦えまし」という食事を差し出されたところ、空腹に耐えかねた徳川家康は、浅間神社で食べたと伝えられています。浅間神社では、現在でも夏越祭で「麦...
加太越から白子に出て、船で三河の大浜へ。船を手配したのは、角屋七郎次郎秀持でした。角屋 七郎次郎(かどや しちろうじろう)は、伊勢商人・角屋家当主が代々名乗った名前。角屋は屋号。本姓は松本。寛永年中には「角谷」とも号する。なお、代数は、角屋七郎次郎秀持を初代とする場合と2代目とする場合がある初代 角屋七郎次郎 秀持 朝熊山の柴を集め、廻船で各地に販路を広げた。1575年(天正3年)4月、北条氏政が徳川家康に...
~基礎情報学習帳:伊賀を超えろ~ NHKの大河ドラマのエースとも言える徳川家康が主役ですが、「どうする家康」29回も大河ドラマ「どうする家康」、関連本などの中から情報を整理します。
甲賀市信楽町多羅尾の伊賀越えの道4日目は小川城から神山に向かい、桜峠を越えて伊賀に入り、柘植の徳永寺に寄りました。当寺で一泊した家康はその時のお礼に、田畑や山林を与え、葵紋の使用も許したといわれています。徳永寺葵の御紋入った瓦伊賀越えの新説ルート甲賀伊賀越え通過点の一か所とみている天台宗明王寺(甲南町磯尾)には徳川家康より四代の位牌があり、神君甲賀伊賀越えの新たなルートの拠点として近年注目を集めて...
滋賀県在住の歴女の友人が、伊賀越えの画像を送ってくれたので、「伊賀越え」についてまとめてみました。天正10年6月2日(1582年6月21日)未明、織田信長が明智光秀軍に殺害されるという本能寺の変が勃発。信長の同盟者であった徳川家康は、その時堺に投宿していましたが、茶屋四郎次郎から変の報を聞いて、明智軍の支配下にある京都に上り、松平氏にゆかりのある知恩院に駆け込んで「追腹」を切ると言い出しました。しかし本多忠...
帰省で三重県伊賀市周辺を良く走りますが、国道沿いに忍者の里のお漬物伊賀越漬という大看板が何カ所かあります。 こういう昔ながらの看板って効果あるのかなと思っていましたが、何回も通っているうちに脳に刷り込まれたようです。高速サービスエリアの土産物店でみかけて、ついつい買ってしまいました。 あんまり漬物は買わないんですけどね。白菜の浅漬けが好きですが、他には実家でよく出てくる京都名物すぐき菜を使った刻みすぐき漬け。乳酸菌発酵したすっぱいお漬物ですね。これは美味しいです。 【メール便】刻みすぐき(徳用)220g お手軽単品メール便価格: 850 円楽天で詳細を見る 話しがそれました。 これがあの忍者の…