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前回は、オークションに出品したレンズでのラストショットを掲載した。今日もラストショットだけど、これはX-PRO3でのラストショット。少し前の新潟村上シリーズの写真である。ダーティーといえるほど濃い描写だ。カメラ設定で微妙なカスタマイズをしているものの、通常のフィルムシミュレーション「クラシックネガ」である。これをX-T5で撮ると、恐らくもっとお上品になってしまうだろう。カメラやレンズは高画質であるほど良いとは限らないことを再認識した。例えれば、こんな話だ。高性能高出力のクルマに乗り換えて、数値的には明らかに速くなっている筈なのに、以前のクルマの方が加速が良かったように感じる。あるいは・・・。古いスピーカーを最新の後継機種に変えた。出力特性は劇的に向上している筈なのに、前のスピーカーの音の方が迫力がある。こ...これもラストショット
2019年の発売から丸5年以上、富士フィルムのX-PRO3を使ってきた。昨年カメラの大整理をした際に一度手放した。代替機がしっくりこず、結局再びX-PRO3を買い戻した。迷走している感があった、そして今回、またもやX-PRO3を売却し、今度はX-T5という機種を購入した。これらは全て下取り交換を利用しているので、実際の手出しのお金は少ない。今回の差額は6400円。つまり6400円払ってカメラを新機種(中古)に交換したわけだ。X-PRO3のリセールバリューは衰えを知らない。X-PRO3はとても気に入っていた。もはや相棒レベルだ。でも液晶の稼働分の構造に問題があり、液晶が突然死するという致命的なリスクを孕んでいる。この件でアメリカでは巨額な集団訴訟まで起こされている。単なる個体差や運ではない。設計と構造の問題...さようならX-PRO3
福島県郡山市である。今後、福島コンプリートを進める上では、拠点となる地(宿泊地)が必要だ。岩手県では花巻の鉛温泉が、宮城県では鳴子温泉がその役を果たしてきた。広大な福島県を廻るには、郡山を中継地とすれば効率が良い。そう見当をつけている。郡山には前職の京都での会社員時代にも何度か出張で訪れている。正直、風情に欠けた騒々しい街というイメージだった(郡山市民の方、すいません)。東北のシカゴという異名を持ち(シカゴ市民の方もすいません)、治安もよろしくないと聞く。東北に移住してからも何度かは来ているが、正直敬遠していたのが実情だ。そんな郡山で宿を取り、写真を撮った。街の雰囲気は実際、どうだったのか。一切の忖度なしで書こうと思う。詳細は次回以降にて。ちなみにタイトルは「パリ、テキサス」をもじったもので、「シカゴ、コ...シカゴ郡山①〜イメージからの脱却
福島方面に一泊二日の遠征に行ってきた。それは旅行(物味遊山)ではない。便宜的に「旅」とも表現するが、少し違うような気もする。今後も増えるであろう福島方面への外出、つまりは東北コンプリートへの挑戦は、「遠征」という表現がしっくりくる。今回の道中では、5つの新たな町を巡った。①川俣町、②大玉村、③旧・白沢村(本宮市)、④旧・岩代町(二本松市)、⑤旧・東和町(二本松市)の5つである。全く全貌の掴めなかった福島コンプリートも道筋は見えてきた。それでも全92市町村に対し、現状では約35の市町村にしか行けていない。ほぼ日帰りは不可能なので、拠点となる宿(温泉付きのボロ宿が理想)も確保しないと達成は無理だろう。今回の遠征は大雪の最中であり、道路事情も心配された。でもそんなことを心配していては到底コンプリートなど達成でき...福島コンプリート経過報告〜川俣町の光景
深い意味はない。2025年になってから撮影した町並みの写真であり、山形県鶴岡市に初詣に出かけたことを除けば、秋田市でしか町並みの写真を撮っていない。1月4日の街の光景を掲載した。まあその「街」は僕の好みの場所だけれど・・・。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical2025年の秋田市①〜好みの場所の光景
それにしても酷いタイトルだ(笑)。今回、石鳥屋に来たのは久々の定点観測に加え、お酒を買うためである。石鳥谷は南部杜氏の里と呼ばれ、日本酒造りが盛んな町でもある。少し前にブロ友さんの記事を拝見し、七福神という酒を飲みたくなった。お正月用に購入した。こうなると「酒を買うことをダシに、街で写真を撮る」のか、「街で写真を撮ることをダシに、酒を買う」のか、自分でも分からなくなる。石鳥谷の町には清々しいほど誰も歩いていなかった。この町は亡き上原師匠推薦の町であり、ここに来るたびに僕は少し緊張する。もうフィルムカメラを使うことは滅多にないが、気持ちだけはネガフィルムに寄り添って撮影した。X-PRO3/XF23mmF2RWR石鳥谷で街撮りや
24日の午後から、今朝まで風邪でダウンしていた。コロナとインフルエンザは陰性。喉が痛くて飲み物を飲むのも辛かった。全快ならずも、今朝は大分マシになった。普段は珈琲を飲みながらブログをアップするけど、ホットミルク片手に更新している。さて、花巻編の最終回(作成済なのにアップロードする気力がなかった)です。僕は花巻の中心部を大きく3つに分けている。①駅前周辺、②市役所周辺、③マルカンデパート周辺、の3エリアである。本当は更に細分化しているので、いささか乱暴な区分けにはなる。でも大まかには3つだ。3つ全てを歩けば、丸一日コースとなるので、大抵は一つか二つのエリアを歩く。悪いことに気になる物件は均等に分散しており、①のエリアを歩いているときに、突然③のエリアの物件の写真を撮りたくなったりする。写真撮りにとっては幸せ...花巻温故知新(終)~エトセトラ、エトセトラ
ここも恋焦がれる花巻スポットである。街中のエアポケットのような立地にあり、いくらGoogleマップ(ストリートビュー)を眺めても決して検索することは不可能な場所だ。縁がなければ一生足を踏み入れることはないだろう。僕は何かの縁に導かれ、初めて花巻の街を歩いたその日、わずか十数分で此処に辿り着いた。それはちょっとした奇跡だと今でも思っている。小っ恥ずかしいけど、僕が花巻と恋に落ちた瞬間だった。初めて見た時点で、テル美容室は閉店してから長い時間が経っていることは明らかだった。それでも、その佇まいからすぐに分かった。少しだけ昔、お洒落な花巻娘(今では大々お姉様)は、この店に集っていた。新しい髪型、流行のセットをここで整えていたに違いない。花巻の流行はこの場所から発信されていたのだ。今では店は眠りにつくけど、往時の...花巻温故知新②~花巻モード
茶色とマゼンタが入り混じった光景が、東北の町には溢れている。一口に茶色といっても、そのバリエーションは実に豊富である。一つの物の色だってグラデーションのように色の幅を持っている。「◯◯色」と単純に言い切ることは出来ないし、10色の基本カラーで表現することも難しい。そこで今回の3枚の写真。どの部分を取るかで判断は分かれるだろうけど、一応はどういう色なのかを調べた。上から順に、①栗皮色、②土器色、③駱駝色、が最も近いようだった。カメラの設定や画像処理エンジンによっても異なると思う。ご注意戴きたいことは、街の色が豊富であることの例えで使った色名である。一般論でいえば、奥方やパートナーに向って「その土器色のセーター良いね」等とは言わない方が良いだろう。・・・。誰もそんな風に言わないか。X-PRO3/XF23mmF...土器色の愛しい人
東北では、特に北東北では基本的に冬季は傘を差さない。僕は不安なので常に傘を持っていくが、殆どの人は傘すら持たない。一つには傘があまり役に立たないからである。どっちにしろ雪を防げないし、傘自体に雪が積もって重くなる。視界が悪くて足下が危険だし、積雪で狭くなった歩道などでは行き違いも困難である。またもう一つには、そもそも外を長距離歩かないからでもある。クルマで目的地まで行き、駐車場から建物までは早足で歩く。かつての商店街にはアーケードなど屋根付きのものが存在したが、老朽化と共に消えていった。人々は郊外のショッピングモールに集中し、本来は便利だったはずの中心地の商店街は廃れていった。・・・。その辺の話は長くなるので割愛する。では傘を差さずにどうするかといえば、フード付きのダウンジャケットなりで歩き、建物に入ると...モノクロの街に雪が降る
昨年は記録的な少雪だった。個人的にも色々あり、雪の街を歩いて写真を撮ることは殆どなかった。今年度の冬季シーズンの始まりにあたり、手順確認を兼ねたリハビリ的な撮影を行った。色々なことを忘れていた。フードなしのダウンジャケット姿で、傘も持たずに歩いたので、早々にびしょ濡れになる。手袋もニット素材なので雪が染み込み使い物にならなくなった。歩き始めたときは薄日の刺す曇り空で、歩いているうちに雪が強くなった。レンズの前玉(フィルター付き)に水滴が着いたが、拭くものも持っていなかった。諦めてクルマに戻り帰りかける頃に、また薄日が差した。そんなこんなのすべてが懐かしい感覚だった。雪の街を歩く高揚感、冷たさ。それ故に感じる暖かい場所の有り難さ。数年前までは地吹雪が吹こうと町で撮影していた(嘘です、大げさに言いました)。今...東北の町には冬が似合う
秋田県横手市にて。とうとう雪が振り始めた。天気予報の大げさな報道については一家言持っているが、それは別の機会にする。横手市は豪雪地域である。本格的な積雪シーズンになると、街歩きは困難となる。今のうちに今年の撮り納めとばかり、出かけてきた。この写真は僕が勝手に「さばきの商店」と呼ぶ廃業した店である。「死後さばきにあう」のキリスト看板が目印だ。雪のなか、フィルムシミュレーション「クラシックネガ」で粒状度(強+大)で撮ると、表現のしようもない写りになった。これを若い人たちは「エモい」と言うのだろうか。多分違うな。X-PRO3/XF23mmF2RWRさばきの商店
仙台の壱弐参横丁。久しぶりに来た。最後に来たのが何時なのかは定かではない。少なくとも丸一年以上は来ていない。もしかすると2年以上かもしれない。この横丁の精神的な一丁目一番地は、木村商店(写真2枚目)だと思う。昨年の12月に閉店したそうだ。戦後バラック商店街がルーツの壱弐参横丁。細胞が入れ替わるように新陳代謝を行いながら継続している。だから閉店する店もあるのは仕方がないことだ。それでも寂しく感じる。特に何かを買ったこともないけど、そこにあるだけで安心する商店だった。確認したところ、様々なカメラで撮影していた。ライカだけで6機種(M3、M8、M9、M10、MM、M10M)、フジが4機種(X-PRO2、X-M1、X-PRO3,X-H2)、キヤノン、リコーGR系、パナソニック等々。見返すと記憶の森の中で迷子になり...いろは横丁~記憶の森で迷子になる
日本全国には約500か所の銀座があるそうだ。データは見つからなかったが、ほぼすべての都道府県に存在すると考えて良いだろう。そしてここは仙台銀座、正式には仙台銀座商店街である。世の中に色々な銀座がある。その規模も形式もバリエーションに富んでいる。それにしても不思議に思う。何故ここを「銀座」としたのだろうか。仙台は東北では最も大きな街だし、それなりに都会である。いや結構都会である。例えば、角田市とか栗原市であるならば分からなくもない(両市の方、すいません)。角田銀座、うん。これなら分かる。でも仙台であるならば、他の場所がふさわしいのではないだろうか。というか、そもそも銀座というより横丁だよな、と思う。商店街と言いつつ、ほぼ全てが夜の飲食店なのである。つまりここが「仙台思い出横丁」とか「仙台ゴールデン街」であれ...仙台銀座の謎、再び
江刺の路地歩き、第2回目。実質的には最終回である。随分と様相が異なるにせよ、ここは岩手の神楽坂みたいだと思う。まあ石畳だけが似ているという・・・。また江刺には「えさし藤原の郷」という平安時代のテーマパークもある。なかなか立派な建造物が建ち、平安時代に紛れ込んだかのように感じることのできる場所だ。その藤原の郷は、NHK大河ドラマ「光る君へ」のロケ地となったそうだ。もっとも僕は大河ドラマみたいなものは見たことがないので、どんな場面なのかは知らない。恐らく煌びやかな世界なのだろう。一方、僕は古びた路地を歩き、モノクロで写真を撮るのであった。全く光らない男である。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical江刺の路地を歩く②~光る君、光らない男
江刺の町である。旧・江刺市、現在の奥州市となる。定期的に行きたくなる。よく行くのは、旧市街の蔵町モールという辺りであり、ここは路地が縦横無尽に伸び、所々に蔵が建っている。夜まで粘って歩くような町でもないので、日帰りで時間に追われていても、十分楽しめる。町並み=路地という、僕にとっては理想的な場所でもある。最初に来た時、一枚目の写真の和風バー「路路」でランチカレーライスを食べた。もう10年以上前の話だ。思いっきりスナックの店内で、高齢のママさんの手作りカレーを食べた。親戚の家にお邪魔したかのような親近感だった。もう廃業したと思い込んでいたが、どうも店は継続しているようだ。ママさんは当時から既に高齢だったので、違う方が店を継承したのかもしれない。とすれば、泊りがけで来る価値があるかもしれない。そんなことを考え...江刺の路地を歩く①〜聖地はここにもある
僕の住む地域では、今年はまだ雪らしい雪は降っていない。土曜日に岩手北上方面に日帰りで出かけたところ、山間部には若干の積雪があった。いよいよ冬到来である。写真は、そんな岩手県西和町(旧・湯田町)に立つ巨大道祖神人形である。人形の右手方向(画面左側)には大きな民家があり、背後は湯田牛乳製造元の湯田牛乳公社である。結ハウスというショップが併設され、そこで牛乳とかヨーグルトとか、スイーツなんかが販売されている。それ故、山間とはいえ結構な数の観光客が出入りする。「みるくぼーや」というソフトクリームが大人気で、お子さん連れの家族客が多い。東北の山間地らしいヌメッとした道祖神人形とのギャップが面白い。この日も小学校入学前くらいのお嬢ちゃんが「ねえママ!、なんであの人形さんのオチ◯チンは、あんなに大きいの??」と聞いてい...雪の季節が来たる〜身体の大きな人形
これも秋田市川反の繁華街。30分5000円と書かれたピンクキャバレー(多分)のネオン看板があり、その電球部分のアップ写真である。僕はネオン玉と呼んでいる。夜は綺羅びやかに光るであろうネオン玉も、昼間はビルの谷間の空を鈍く映している。ふと思う。ネオン玉が映したいものは、本当にこの空なのだろうか。もしそれが叶うのであれば、本当は映したい別の何かがあるのだろうか。ネオン玉が喋れるものであれば、聞いてみたい。X-PRO3/XF23mmF2RWRネオン玉が映したいもの
おでんを摘まみながら熱燗をきゅっとやって、怪し気なアロマで二次会。さらに熟女クラブでジャズを聴いて(聴けるのか?)、返す刀で30分5000円の店へ行き、締めにブラジル珈琲を飲む。あ、脳内の話です。このうち実際にやったことがあるのは、最初の「おでん」だけ。ここだけの話、他のところに行ったところで、言うほど楽しくないと思う。むしろ嫌な思いをするかもしれない。そもそも「アロマ」と「ブラジル珈琲」は、もう営業していない(筈)。だから、こうやって脳内トリップをしながら写真を撮る。お金も掛からないし、時間も取らず、実に楽しい。昼間の川反(秋田の繁華街)で、こんなことをしているのは僕くらいなものだ。追伸:撮影が終わり、クルマに乗り込み帰ろうとした。信号で止まったところ、珍しく同業者を発見。それもギャルみたいな恰好をした...ディープな繁華街の仮想現実
山形県鶴岡市の羽黒山五重塔。令和5年の5月から1年半に渡って屋根修復の工事が行われていた。その工事も完了し、久しぶりに勇姿を拝見した。僕は下側の駐車場にクルマを停め、片道10分と掛からない参道を歩いて見に行った。その参道(石段)を登っていけば、本殿に到達する。僕は本殿に行くときは、有料道路を走行してクルマで行く。でも一度この参道を歩いてみなければと思っている。この五重塔は東北最古のもので、本来の建立は約千年前、鎌倉時代のことになる。実際、4枚めの写真の大杉は樹齢千年を超えているそうだ。現在の塔は室町時代(西暦1370年頃)に建て直されたものである。塔は杉林の中にあり、周囲には何もない。こんな林の中にこつ然と姿を表す五重塔は、とても美しい。ここに来ると、身も心もぴしっと締まることを実感する。X-PRO3/X...羽黒山の五重塔〜聖なる場所を見た
敢えていえば、「悲しい」ではなく「哀しい」。もっといえば、「哀しい」でも十分ではない。日本語の「かなしい」は、かくも深く多様な意味を持っている。これを英語ではどう表現するのだろうか。多分、即物的になるのだろうなと思って調べてみた。いちいち挙げないけど、英語にも「かなしさ」を表現する言葉は沢山あった。もしかしたら日本語以上に多彩かもしれない。とても使い分けられない。つまり人類には数え切れないほどの「かなしさ」があるのだと、今更ながら気づいた。さて、11月の酒田市(山形県)の町並みである。11月の冷たい雨に濡れた酒田には、言いようのない「哀しさ」が溢れていた。それは単一的な「かなしみ」ではなく、様々な感情(正反対の感情)を抱合している。僕の解釈ではなく、見る方の解釈が何よりも優先されるだろう。一点だけ補足する...11月のメランコリー酒田
毎年とまではいかなくても、大体5年に3回くらいのペースで角館の紅葉を見に行く。ここ数年はコロナ禍の観光控えで、ゆったりと見学することが出来た。例年この時期は、雨か曇りになる確率が高く、その分紅葉もしっとりと美しく見えることが多い。今年は観光客も戻り大混雑であり(観光地にとっては良いこと)、しかも天気は恐ろしいほどの好天となった。こんなに眩しい陽が差す11月というのは、秋田県では滅多にないことである。観光客は大喜びだが、写真撮りにとっては厳しい条件となってしまった。こんなときは、もう達観するしかない。目くじら立てて写真を撮ることもない。のんびり歩きながら、ゆるく写真を撮るに限る。「お作品」など土台無理な話である。ちなみに僕の個人的な調査によると、根からの秋田県民は角館に行くことは殆どないようだ。東京育ちの子...角館に秋の陽射し差す
これも何度も書いていることだが、僕は盛岡という街が好きだ。街の規模だとか、雰囲気が本当にしっくり来る。都会すぎず、田舎過ぎず、広過ぎず、狭過ぎず。そして歩いて色々なところを廻れるところも良い。仕事の出張があったことを幸いに、盛岡に一泊して写真を撮った。それが今回の記事であり、主に夕刻から夜に至る時間帯のものである。通常は繁華街のど真ん中に宿を取る。それはそれで十分楽しいけど、結局は繁華街で飲みすぎて撃沈するのが習わしだ。今回は繁華街から少し離れたところに泊まったので、昼にしか来たことのない街角の夜の様子も見ることが出来た。また、これまでになかった新たなことは、街中で同業者を頻繁に見かけるようになったことである。同業者というのは、僕と同じように街の写真を撮る人たちだ。大抵、僕が行く街では僕以外に写真を撮る人...盛岡アフターダーク
「三沢に犬を探しに行く旅」、二日目(最終日)の朝が来た。撤収を意識しながら移動する日になる。話は変わる。岩手・青森には、名前に「戸」と数字が組み合わされた町がある。一戸から九戸まで(四戸は現在は欠番)、これに十和田を含めれば10の町があり、これがユダヤの失われた十氏族と関係がある。そんな「月刊ムー」のようなネタがあり、僕はそういうものに興味を持ってしまう悪癖がある。残る未踏の町は五戸で、その五戸もそう遠くない場所にある。もっといえば、以前に行ったことのある「キリストの墓」にだって行くことはできる。正直、行きたかった。でもそれでは脱線にも程がある。妥協案として、以前に行って気に入っている七戸の町を歩くことにした。これも脱線には違いないが、とにかく良い町だ。クルマで十分くらいの距離、やはりクルマで来たから自由...三沢に犬を探しに行こう⑤~脱線
旧・上北町から更に北上し、東北町(元々の旧・東北町)まで来た。ここは野辺地の南側に位置し、野辺地駅までは鉄道で行けば2駅10分ほどの距離である。むつ市からの帰路に野辺地に立ち寄ったことがある。是非、東北町(乙供駅)までと思ったが、時間の関係で泣く泣く諦めた。やっと念願叶って来ることが出来た。時間は夕刻の一歩手前。この後は、近くの温泉銭湯に宿を取ることになっていた(掲載しません)。時間帯のせいもあるけど、じわじわと来る町だった。寂しさが胸に染み入り、優しい気持ちにさせてくれた。「からすと一緒に帰りましょう」と頭の中でメロディーが鳴った。そんな町は中々ない。厳冬期の姿も見てみたい。犬は見つからなかったものの、道路を横断する猫を見た。猫たらしの僕でさえ呼び込むことが出来ないほど、警戒心の強い猫だった。旅の一日目...三沢に犬を探しに行こう④〜町の日が暮れる
三沢市といえば、米軍と自衛隊の基地があり、民間航空も含め多くの航空機が往来する。イメージとしては大きな(面積の広い)ところだと思っていた。実際には、その面積は約120k㎡であり、青森県の中では最も小さい(狭い)市である。西側には東北町が隣接していて、その面積は約326k㎡と三沢市の2.5倍以上となっている。同じく北側には六ケ所村が隣接しており、面積は約253k㎡と三沢市の2倍以上である。そして今回の写真は東北町のものである。クルマで走る限り、三沢と東北町では景観的な変化は殆どない。上空の米軍機から見れば誤差の範囲だろう。それでも外部の我々からすれば三沢市は何となくイメージできても、東北町は想像し難い。僕も以前から気になっていた。そんなわけで東北町にお邪魔したたわけだ。現在の東北町は、元々の東北町と上北町が...三沢に犬を探しに行こう③~縄張りを拡げる
三沢へは十和田湖、おいらせ渓流を経由して向かった。丁度紅葉が真っ盛りで、とても美しかった。多くの人が紅葉目当てで集まっていた。その美しい光景を他所に、脇目も振らず三沢に向かう自分が可笑しかった。まずは寺山修司記念館。次いで三沢の繁華街。一般的に秋の行楽シーズンに向かう先ではない。そんなことは関係なく、僕は三沢の繁華街にクルマを停め、街中に繰り出した。犬を探しに来たと言いつつ、まるで自分自身が犬でになったような気分だ。嗅覚を頼りに一直線に三沢に来た。そしてまた嗅覚を頼りに、以前に歩いた街を歩く。マーキングした場所は鼻が覚えている。今回、三沢に泊まり、この繁華街の夜の姿を見るべきかどうか迷った。結局は青森の地場温泉(宿泊できる温泉銭湯)に泊まることにした。見ない方が良い気がしたのである。これも普通、夜の繁華街...三沢に犬を探しに行こう②〜犬の記憶
その日、僕は青森県某所をクルマで走っていた。目的地となる未踏の町(旧町部0に差し掛かった時、この光景が眼に入った。一瞬の通貨でもあり、それが何なのか当初は分からなかった。スキー用品などを扱っていたスポーツ用品店が廃業した跡地ではないかと想像していた。クルマを近くに停め、再び現地に戻る。こんなに狙ったの如く看板の文字が落ちることがあるのだろうか。それは「スノーキムラ」ではなく、スーパーキムラの跡地だった。傾いた陽の光が、金色のスノーキムラを鈍く光らせていた。よく「HONDA」のバイク屋さんが、「ONDA」とか「HODA」になっているのは見る。「パチンコ」が「チンコ」になっていることもある。でも「スーパー」が「スノー」になるとは想像もしなかった。ここがハイライト(笑)の青森方面の遠足、明日から掲載します。X-...スノーキムラがある光景
フィルムシミュレーション「クラシックネガ」、レンズはノクトン23㎜、WB固定(5900K)。もはやこれはフィルムで撮った写真そのものだ。少し前にメッセージで批判を受けたという話を書いた。批判内容を確認すると①トーンが暗い、②色が濁っている、③被写体が廃れている、だった。これを僕流に解釈して、①Dark(暗い))、②Dull(濁った)、③DieOut(廃れた)と言い換えよう。3つのD、つまりは3D写真である。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2AsphericalLikeaFilmCamera~私的3D写真
裏庭の葉が赤く染まった。全体的に染まったわけではない。写真の枝だけ真っ赤になり、あとはまだ青々としている。陽当たりの問題ではないと思う。どんな環境であっても、必ずそういう先走った葉(とか花とか実)が出てくる。裏庭の無花果(いちじく)もそうだった。ひとつだけ突出して早いのである。人間の世界だって同様かもしれない。先走った誰かが何かをやり、例えそれが失敗でも、あとに続く者がいる。進化とか変異もそういう生物の観測気球的な動きが最初にあるのかもしれない。まあ裏庭でそんなこと考えても仕方ないか。X-PRO3/XF90mmF2.0LMWR先走って赤く染まる
先日、荒れた天候の際に見た海の写真である。海がこんな感じになったのであれば、もう冬は近い。去ってしまうときには未練を感じる冬も、これから来るとなると気が重くなる。それは僕が北国の男になりきれていないからだと思う。毎日毎日続くグレーの世界。やはり他所から東北に来た人間は、DNAレベルでそれに耐えるメンタルを持ち合わせていないと思う。それでもやってくる冬。どうやって過ごすべきか考えている。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical冬の海を思い出した
我が家の猫、銀次郎さんの大あくび。銀次郎さんの長所を挙げろと言われれば、この大あくびは欠かすことが出来ない。欠伸という行為に真っ直ぐ、かつ全身全霊を傾けて臨む姿勢。それは彼の生き方そのものを象徴している。こんなストレートな大あくびは、とても人間には出来ない。・・・。という風に、無理筋に褒めておきましたよ。多分、眠かっただけだと思うけど。X-PRO3/XF56mmF1.2RWR全力の大あくび
双子なのだろうか。ミラーリングした画面のように全く同じ動きをするので驚いた。仲良きことは美しき哉。X-PRO3/XF56mmF1.2RWRシンクロナイズド猫
初めて大東町に来たのは何時のことだったのか、それは覚えていない。確かなことは、僕が最初に来た頃と今では多少の変化はある。何かが失くなったり、どこかが変わったり・・・。それでも大きく捉えれば、ここは紛うことなく大東町であり、本質的なことは変わっていないようにも見える。こうして撮っている自分はどうだ?。進歩がないとも言えるけど、自分では何も変わっていないと思ってはいる。でもそんな訳はない。町が経年するように、僕という一人の人間も同じだけ歳を取っていく。以前はその事実に焦燥感が募ったが、今ではそれも別に悪くないと考え始めた。ああこうやって僕は歳を取っていくのだな。町を歩きながらニヤッとした。MakiAsakawa浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら(歌詞付)」X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23...あの頃の大東町(終)〜こんな風に過ぎて行くのなら
岩手県の旧・大東町大原地区である。丁度、昨日掲載したラーメン屋さんの周辺だ。大東町には、大原、猿沢、摺沢という3つの町並みがあり、どれも魅力的な町並みだから困る。岩手コンプリート達成後、訪問機会が減っているが、それは飽きたからではない。なまじ町の魅力を知ってしまったから、生半可な気持ちで来ることが難しくなっているのだ。どうしても本腰を入れて歩かざる得なくなる。前後の予定とか、帰宅時間とか、色々なことに支障が出る可能性がある。支障が出たとしても歩くことを選ばされてしまう、そういう危険な町なのである。この日はラーメン屋さんに行くことありきで訪れたけど、正直「面倒なことにならないだろうか」と腰が重かったのも事実である。とにかく摺沢や猿沢には近づかないようにして、大原地区だけを歩こう。上原師匠の写真から岩手の街道...あの頃の大東町①〜君子、危うきに近づく
青森県の大鰐温泉。大鰐温泉には2~3回泊まったこともある。でも多くは弘前方面へ出かけた際の帰り道に立ち寄ることが多い。クルマで行くにしても、鉄道で行くにしても、秋田から弘前とか青森方面に行くのであれば必ず通過する場所だからだ。温泉街だけに限らず、日常生活の町並みも魅力的で、いくら歩いていて飽きない町である。今回立ち寄ったのは久しぶりのことだった。イメージなので実際は違うかもしれないが、大鰐温泉を歩くときは、曇りの日、雨の日、雪の日が多い。それが似合っている町並みだと思う。からっと晴れた日に歩くことは滅多にない。一般的には秋晴れの休日には大鰐温泉を歩くよりも、別のことをした方が良い。でも今回は秋晴れだった。予想に反し、青空の下の大鰐温泉も悪くなかった。この微妙な違和感は表現が難しい。バリバリの演歌歌手がジャ...青空の下に大鰐温泉
今回は所用があって弘前に行った。それを済ませ、スナックホテルに泊まれば目的は達成されたも同然だ。とはいえ僕は写真撮リなので、行く以上は街を歩いて写真を撮る。前週に伊豆に行っているので、体力的にも財力的にも控え目な夜の写真撮影となった。弘前という街は、夕刻に差し掛かっていく時間帯が最も魅力的だ。定点観測のように過去に撮影した古い建物を探していると、街はあっという間に暮れてゆく。今回は二次会など行かなくても、ホテルに戻れば良い。そこは前回の記事の「スナック」なのだから。そんなわけで弘前の短い夜は終わったのである。それにしてもフィルムシミュレーション「クラシックネガ」と弘前は相性抜群だ。以前はオリジナルのプロファイルをLightroomで作成していたけど、いまはクラシックネガに頼り切りだ。弘前アフターダーク
繁華街の猫は、僕の大好物の被写体である。ここ数年は繁華街にあまり出なくなった上に、猫の数自体も少なくなったような気がする。猫との遭遇も減っているので、千載一遇のチャンスだった。日々、僕は猫たらしになるべく努力している。何度も往復して少しづつ猫との距離を詰めてゆく。「何だよ?、」が徐々に「またか?」に変わっていく。気を許す猫もいれば、最後まで頑なの猫もいる。今回の猫たちは、やさぐれというには品があった。X-PRO3/VoigtlanderNOKTON23mmF1.2Aspherical繁華街の猫〜やさぐれとは呼ぶには品がある
僕が学生の頃、静岡県には「高校学区」が存在していた。というか、それが無くなっていることは最近知った。詳細は忘れたが、先の記事の下田市であれば、下田市と賀茂郡が一つの学区となっていた。僕が進学する高校は、三島市、駿東郡(うち清水町、長泉町)、田方郡、熱海市、伊東市が一つの学区であったと思う。確か、地理的要因で、下田市周辺では例外も認められていたように思うが、基本的には学区は厳守された。三島市と沼津市は隣接しており、互いの通学には便利だが、越境は認められない。そんなわけで、僕が通った高校には、熱海とか伊東から通学する生徒もいた。伊東なんて、僕からすれば夏休みに遊びに行く観光地であり、日常の生活圏がクロスするなど考えられなかった。でも伊東から三島、あるいは伊豆箱根鉄道沿線の高校には十分通学が可能であった。そして...かつて伊東には伊藤君が住んでいた
止むに止まれぬ用事があり伊豆まで行ってきた。今年2回目の「大人の休日倶楽部パス」を使い、二泊する小旅行となった。伊豆での用件についてはブログでは触れず、完全スルーする。いきなり要件を済ませた後の写真からスタートする。簡単にいえば、伊豆半島南端から東側への短い旅をした。東伊豆三都物語とばかり、3つの街の写真を掲載する予定である。まず最初は下田市である。下田の写真は何回かに分けて掲載する。下田は言わずと知れた、黒船が来航した街である。子どもの頃は、伊豆の南端にある下田に何故外国からの船が来るのか疑問に思ったものだ。どうぜなら横浜辺りにすれば良いのにと・・・。それでも伊豆の片田舎が開国の地だったことには感銘を受けたのも事実である。こんな田舎でも世界に通じている。少し離れた西伊豆の海で、太平洋の先にあるハワイ(実...下田幻影①〜肥大化したイメージ
秋田県の羽後町(西馬音内地区)。雨がどうなるか分からない週末だったので遠出は諦め、この小さな町を歩くことにした。盆踊り(西馬音内盆踊り)が有名で、夏の開催時期には数万人単位の人が訪れる。他の時期は静かな町である。・・・。確かに静かな町ではあるが、それにしても今回は静か過ぎる。元々、休日には人通りはあまりない。でも今回は「あまりない」ではなく、「まったくない」のである。少し歩くと、中心部は車の乗り入れが規制されていることが分かった。祭りの提灯が掛かっている。地元の神社の例大祭の開催日のようだ。それにしても人の気配が全くないのは、どういうことだろうか。祭りの準備で皆どこかに集まっているのだろうか。通常、祭りの開催時には独特の高揚感みたいなものが町を包んでいるはずだ。そういった気配は全く感じない。独自の禁制ルー...誰もいない町を歩く
<おまけ:鰻の老舗、桜屋でのひと時>会津の三島町に行ったことは、日本全国の「三島」の町について考える機会になった。僕にとっての三島は、伊豆の三島市が標準原器となっている。忘れていたわけではないが、昨年の11月に僕は伊豆に戻っている。実家関係の所用なので、詳細は割愛する。その時に短い時間だけど三島の街を歩き、で真も撮った。当時はブログを休んでいる時期だった。後になってこの時に見た富士山の写真だけはブログに掲載した。三島の街の写真自体はボツになっていた。これは何かの機会なので、当時の写真を掲載する。お得意のボツからの救済である。今見返すと悪くない写真のような気がする。見返して思い出した。帰省中は雨の日ばかりだった。墓仕舞いした永代供養墓に行った時だけ、何故か空は晴れ渡った。青空の向こうには富士山があった。三島...AnotherStory~伊豆三島の街を歩いた昨秋
我が家の猫、銀次郎さん。屋根裏部屋(僕の部屋)がお気に入りで、格好の昼寝スポットになっている。特に本棚の前が好きである。でもそこは窓に面しているので、夏場は恐ろしく暑くなる。しばらくは別の場所を使っていたが、また最近ここで昼寝をするようになった。つまりは暑さが和らいだことを意味している。室内で過ごす猫にも四季がある。どう使って良いか分からず、思い悩むフィルムシミュレーション「エテルナ」。今回のシチュエーションにはぴったりだった。X-PRO3/XF35mmF1.4R本に抱かれて微睡む日
僕は喜多方の町が大好きだ。事ある度に立ち寄っている。今回も旅の岐路に立ち寄った。喜多方ラーメンの老舗「あべ食堂」のラーメンを食べようと決めていた。行列ができる有名店で、その行列に並ぶ根気がなく、一回も食べたことがなかった。一度、台風の時だったか、コロナ禍だったか、喜多方に立ち寄った際に、最大のチャンスがあった。実はどうせ混んでいるだろうと別の店でさっさとラーメンを食べた。食後に散策すると、あべ食堂に行列はなかった。滅多にない奇跡だ。喜多方ラーメンはあっさりしているので、2杯くらいは食べることはできると思う。だが僕はカロリーとか塩分のことを思い悩み、絶好の機会を逃してしまった。どこかで「ここで食べないと一生食べることが出来ないかも」という想いがあった。今回はそんな想いを払拭すべく、例え1時間でも並んで食べよ...喜多方ラーメンの哀歌(エレジー)
僕は西伊豆の出身で、現在は秋田県に住んでいる。伊豆には伊豆長岡町(現・伊豆の国市)という町がある。新潟県長岡市と区別するためのネーミングだと思う。また秋田県には湯沢市という町があり、新潟県には湯沢町という町がある。新潟の湯沢町は「越後湯沢」と称されることが多い。これも区別のためである。僕が知る限り、三島という名のつく市町村は、①愛媛県の伊予三島市、②福島県の三島町、③鹿児島県の三島村、④静岡県の三島市の4つである。他に地区名や市町村内の町名などでは沢山あると思う。状況によっては、静岡の三島市は「伊豆三島市」になった可能性があるし、福島の三島町は「会津三島町」になった可能性もある。何となくだけど、三島と名のつく町は須らく良い町で、水の綺麗なところだと思っている。僕は行く先に、例え小さな集落名であっても、三島...会津の奥を目指す旅(終)~世に三島は四つあり
会津旅シリーズは次回が最終回となる。今回は番外編である。僕は町並みを偏愛し、自然風景などはあまり撮らない。もちろん自然風景が嫌いということではない。うまく撮ろうという意思と努力と技術がないだけである(ほぼ全てないわけだけど)。今回は只見川(またはその支流)沿いにクルマを進め、折に触れ美しい光景が目に入った。少し山を昇れば、JR只見線の橋梁のビュースポットなどもあった。列車通過時間と合わなかったので行かなかったけど、きっと絶景だったと思う。只見川も夕景とか、あるいは朝靄に包まれる早朝は、えも言われぬ美しさに違いない。そういう特別な光景は撮れなかった。それでも適当にクルマを停めて、パシャっと撮るだけでも十分美しい緑の光景があった。会津は山と川と緑、冬には雪を抜きには語れない土地だと思った。会津の奥を目指す旅(番外編)~緑の会津
初日の最終目的地は柳津町。柳津町は「赤べこ」発祥の地である。今から400年前に、この地域は大きな地震に襲われた。お寺(圓蔵寺)の本堂を再建しようとすると、どこからともなく大きな赤い牛たちが現れ、木材の運搬などに力を尽くしてくれたという。福を呼ぶ牛「赤牛(べこ)」として、人々から慕われるようになった。現在では首を振る可愛い赤べこの玩具となり、人気がある。そんな柳津町は本当に美しい町だった。町の真ん中に只見川が流れる。水鏡のように橋梁が映る姿には目を奪われた。町並みも素晴らしかった。柳津町の中心部はコンパクトである。端から端まで歩いてもさほど時間は掛からないはずだ。どこをどう歩いたのか、気づけな相当な時間が経ったようだ。青空の下にあった橋梁は、帰る頃には夕焼け空の下にあった。この柳津町で宿を取り(今回は写真は...会津の奥を目指す旅③~赤べこ伝説発祥の地
会津坂下町から進路を南西(南南西)に取れば、奥会津へと向かうことになる。その前に一旦、真西へと向かう。そこにあるのは西会津町である。西会津町も宿場町(街道町)として栄えたところで、新潟県との県境に位置している。すぐ先には阿賀町がある。阿賀町は現在は新潟県の町だが、江戸期には会津藩の領地であった。嗚呼、町歩きには歴史の勉強も必要なのかと愕然とする。僕は歴史には疎い。でも知っていれば、また別の何かが見えてくるのも事実である。いつかここから新潟方面に抜けなければと思いつつ、趣のある町並みを眺めるのであった。ちなみに「ルービンリキ」の酒屋さんは、ここ西会津町で見つけたものだ。モノクロで撮るという当初の予定を変更し、カラーで撮影した。色に魅惑されてしまったからだ。西会津町は会津坂下町よりも湿度感があり、ぬめっとして...会津の奥を目指す旅②〜街道を西へ向かえ
福島県の全市町村を踏破するのは、いつになるだろうか。岩手県の市町村コンプリ―トも大変苦労した。それでも当時は時間的な自由も効いたし、何よりも鉛温泉(湯治部)という中継基地の存在があった。秋田県から福島への遠征は日帰りでは無理な場面も多く、岩手以上の苦戦が予想される。福島で手つかずで残っているのは、奥会津、あるいは南会津と呼ばれる地域である。会津若松とか喜多方には割と初期から足を踏み入れ、何度となく往来している。でもその先は未踏である。僕にとって東北地方で残された最後の秘境、もとい桃源郷といえる。今回は、会津坂下町、西会津町、柳津町、三島町を訪れた。更に先には南会津の町々が控えているが、その手前で大人の撤退を決めた。進めば進むほど、蟻地獄のように離れがたい町が残っているだろう。まずは会津奥地に向かう玄関口と...会津の奥を目指す旅①〜ディープ会津の玄関口、会津坂下町
「ルービンリキ」つまりはキリンビールの古い看板のことである。会津方面に遠征に行ってきて見つけたものである。最近はあまり話題に挙げないが、東北コンプリートについては粛々と活動を続けている。残すは青森県と福島県。未踏の市町村は多く、まだまだ時間は掛かるだろう。地理的に遠方の町ばかりで、日帰りで訪問することは困難になってきている。僕には僕の事情もあるので、そうそう出かけることも叶わない。一方で未踏の町も分類整理されつつあり、完全に未知の町はそう多くないとも感じている。そんな中でも例外的に手つかずのエリアの一つが、会津、それも奥会津とか南会津と言われる地域である。これまで会津若松より先には殆ど足を踏み入れてこなかった。この週末、会津方面への短い旅に出た。明日以降、その写真を掲載することになるが、予告編としルービン...ルービンリキのある光景