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ShinmachiStreet,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、近江八幡市を訪れて八幡堀の桜を楽しんだワタクシ達ですが、八幡堀から歩いてすぐの場所に「新町通り」と呼ばれるエリアがあります。ワタクシは新町通りの町並みが好きでして、次の予定があってゆっくり散策することは出来ないのですが、せっかくなので駆け足ではありますが新町通りに向かうことにしました。新町周辺は、古い町並みがよく保存されています。そして、国の重要伝統的建造物保存地域にも剪定されているんです。江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして保存運動が展開されています。近江商人の中でも八幡商人は、近江商人の中でも最も早い時期に活動し、海外進出を果たしたのもこの地の出身者でした...近江商人の町並み-滋賀県近江八幡市:新町通り
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、桜を求めて近江八幡市にある八幡堀へとワタクシ達は向かいました。満開とまでは言いませんが、八分咲きくらいの桜は十分に見応えのあるものでした。若い頃、さほど桜に興味を持つことも無かったですし、桜の美しさに心惹かれることもありませんでした。歳を重ねるごとに「桜っていいなぁ」「桜は素敵だなぁ」と思うようになりました。特に五十路を迎えた頃からでしょうか。桜の季節を迎えると今までに無い感情が湧いてくるようになったんです。それは、「今年もまた満開の桜を見ることが出来て幸せだ」という幸福感と、「これからあと何度、美しい桜の姿を見ることが出来るのだろう」という不安感です。いつ頃からでしょうか。一年が過ぎ去っていく速さに驚くようになりま...今年も桜を楽しむことができる喜び-滋賀県近江八幡市:八幡堀
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、桜を求めて近江八幡市の八幡堀へとワタクシ達はやって来たのですが、八幡堀には白い土塀や古い民家が立ち並び、そして堀には屋形船が行き来します。しかも堀の両サイドには遊歩道が設けられ、美しい光景を眺めながらの散策を楽しむことが出来るんです。八幡堀は琵琶湖と城下を結びつける水路として大きく発展してきました。町の繁栄に大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国では大津と並ぶにぎわいをみせたそうです。八幡堀はその後、昭和初期までは経済・流通路として反映しましたが、戦後の陸上交通の発展によって徐々に衰退していきます。昭和30年代に入って高度成長期を迎え、やがて八幡堀は市民からも忘れ去られる存在になってしまったのです。その結果、今の...堀は埋めた瞬間から後悔が始まる-滋賀県近江八幡市:八幡堀
Hachimanbori,OhmiHachimanCity,ShigaPref.さてさて、4月7日の月曜日なのですが、この日は関西地方の多くの場所でソメイヨシノが見頃を迎えていました。ワタクシ、4月からは週3日勤務の非常勤職員になったので、日〜水が休日なんです。ですので、平日で人出が少ないこの日に桜を見に行こうと考え、家人と出かけることにしました。向かったのは滋賀県の近江八幡市です。朝6:30に自宅を出発、8:30に近江八幡に着きました。この建物は「白雲館」といい、明治10年に八幡東学校として建築されました。当時のお金6千円で設立されたもので、貴重な擬洋風建造物なんです。近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示...湖国の桜-滋賀県近江八幡市:八幡堀
古民家のブックカフェ-奈良県橿原市:今井町・「うのまち珈琲店」
“UnomachiCoffeeShop”,ImaiTown,KashiharaCity,NaraPref.さてさて、今井町の古い町並みを散策していたワタクシ達ですが、「コーヒーでも飲みたいなぁ」と話をしていると、いい感じのお店を見つけることが出来たんです。ワタクシも家人も「ここに入ろう」と即断即決でした。古民家を利用したこのカフェは「うのまち珈琲店」というお店で、岡山県玉野市で人気を集めているカフェの2号店だそうです。現在は東京、神戸、広島などにも店舗を広げられているそうです。天井が高い広々とした店内で、壁一面に様々なジャンルの本が並んでいました。これはいい雰囲気ですな。店内のディスプレイもワタクシの好みです。これはいいお店に入ることが出来ました。中に入ってわかったのですが、このお店、かなりの人気店のよう...古民家のブックカフェ-奈良県橿原市:今井町・「うのまち珈琲店」
ImaiTown,KashiharaCity,NaraPref.さてさて、橿原市今井町の町並みは、江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みです。ですので、テレビドラマやCMのロケなどによく利用されているんですよ。この建物は「旧米谷家住宅」というのですが、かつては「米忠」という屋号で金物商を営んでいた旧家です。中を見学することが出来るので、ワタクシ達は中に入ることにしました。2015年にNHKの朝ドラで「あさが来た」というドラマが放映されました。女優の波瑠さんが主人公の白岡あさを演じたのですが、ドラマではあさの実家である今井家は京都にあることなっていました。でも、あさの実家今井家のロケはこの場所で行われたんですよ。今井町だから今井家にしたのですかね。ワタクシはこのドラマを見ていましたが、あさのご主人にな...テレビのロケ地-奈良県橿原市:今井町
ImaiTown,KashiharaCity,NaraPref.さてさて、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている今井町を訪れたワタクシ達ですが、タムスリップしたかのような古い町並みはフォトジェニックで、ついついシャッターを押す回数が増えてしまいます。今井町は戦国時代に称念寺を中心に発展した寺内町です。防衛のため町を環濠で囲んだ城塞都市で、織田信長との戦いで町を守り抜いた功績を称えられ、自治権が与えられました。以降、商業都市として発展を遂げ、「海の堺陸の今井」と呼ばれるほど、豊かな経済力を手に入れます。江戸時代になると独自の紙幣「今井札」を流通させ、「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄しました。この立派な建物は「今西家住宅」なのですが、今西家は今井町の惣年寄筆頭をつとめた名家だそうです。戦国時...青空と白壁-奈良県橿原市:今井町
ImaiTown,KashiharaCity,NaraPref.さてさて、明日香村を後にしたワタクシ達なのですが、まだ12:30という時間でしたので自宅に帰る前に橿原市にある今井町に立ち寄ることにしました。かつて「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄したのが今井町です。現在も町の大半の町家が大切に保存され、江戸時代の姿を残しています。この建物は「今井まちなみ交流センター華甍」というのですが、明治時代に建てられたものでかつての旧高市郡教育博物館です。その後、昭和4年からは今井町役場として利用されていました。現在は、今井町の歴史を詳しく、分かりやすく解説する資料を一堂に集めた資料館として開館しています。多くの古民家が現存している今井町の町並みは、歴史的風致を形成している伝統的な建造物群の中でも特に価値の高...江戸時代の風情-奈良県橿原市:今井町
KurashikiBikanHistoricalQuarter,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、夜の「倉敷美観地区」はワタクシにとって魅力十分な場所でありました。この日は一人旅でした。ワタクシは朝から夜まで一人で過ごす時間を満喫していました。一人旅の良さは誰にも気を使うことも無いですし、自分の思うがままに行動できることでしょうか。特にワタクシの場合、旅先で興味や関心を持つ対象が一般の人とは違うことが多いので、一人旅の方が気が楽なんです。今回の旅でも倉敷美観地区は誰でも訪れてみたいと思う場所だとは思うのですが、その前に訪れた下津井、翌日に訪れる予定の玉島なんて「それってどこなん?」と訊かれそうな場所だと思います。でも、ワタクシにとっては興味深い場所なので、一人旅だと好きな場所に...一人で過ごす夜-岡山県倉敷市:倉敷美観地区
KurashikiBikanHistoricalQuarter,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「倉敷美観地区」の夜景は本当に美しく、ワタクシは寒さも時間も忘れて散策と撮影を楽しんでいたのでありました。今回の倉敷旅行はワタクシにとって令和7年最初の旅でありました。今年は何回旅に行くことができるだろう、今年はどんな場所に旅に行こうか、そんなことを考えながらワタクシは散策を続けていました。ワタクシの旅好きは子どもの頃からなのですが、時々、「なんで俺はこんなに旅が好きなんやろう」と思うことがあります。ワタクシのブログを見てくれている人の中にも旅好きの方は多いと思いますが、皆さんは何を求めて旅に行かれるのでしょう。「旅の目的は何?」と訊かれた...旅の楽しみ-岡山県倉敷市:倉敷美観地区
KurashikiBikanHistoricalQuarter,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、美味しい食事とワインを楽しんだワタクシは、ホテルへと戻って行きました。と言っても、ホテルに戻ってテレビでも見てから寝るという訳ではありません。ホテルに戻って三脚を取り、「倉敷美観地区」へ向かって夜の風景を撮影しようと考えたんです。時刻は夜の7時半。1時間くらいはゆっくりと撮影を楽しむとしましょう。日没になると美観地区ではライトアップが始まります。冬の間は21時頃までライトアップがされるそうなんです。やわらかな明かりが灯る光景はとてもロマンチックです。観光客の姿はほぼ皆無で、ワタクシはこの光景を独占していたのでした。土産物屋や飲食店は夕刻に全て閉店しているようです。それに変わって、古...夜はこれから-岡山県倉敷市:倉敷美観地区
KurashikiBikanHistoricalQuarter,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、久々に訪れた「倉敷美観地区」なのですが、観光地化されているとは言え、古い町並みが好きなワタクシには、やっぱり魅力的な場所でありました。この日、ワタクシはカメラは1台(FUJIFILMX-T30)に、レンズを4本(18〜300mm、10〜24mm、30mmマクロ、35mm)を持って、倉敷の町を訪れていました。最近は2台のカメラを持ち歩くことは少なくなり、1台のカメラで行動することが増えました。実はこの日(1月5日)は19720歩歩いたのですが、今のところはレンズ4本くらいを持ち歩いても2万歩くらいは平気です。ただ、登山の際はカメラ機材の軽量化を図ろうと考えています。特に三脚はねぇ。午...似てるかなぁ??-岡山県倉敷市:倉敷美観地区
KurashikiBikanHistoricalQuarter,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、カフェで香り高いコーヒーをいただいた後、私は「倉敷美観地区」の散策を続けました。この日は1月5日の日曜日。多くの人にとっては正月休みの最終日でした。ですので、観光客で賑わう美化地区も、午後2時頃になるとかなり人の数が減ってきたんです。次の日から仕事ですので、いつまでもウロウロしている訳にはいきませんものね。歩いていると立派な古民家がありました。「井上家住宅」といい、建築後300年以上経った美観地区で最古の町屋だそうです。倉敷では少なくとも江戸時代後半には大火が無かったのですが、こうした古い町屋の形式が残っているのは井上家だけだとか。平成24~令和4年度まで全解体して保存修理が行われ...古民家を見学-岡山県倉敷市:倉敷美観地区
Cafe“ElGreco”,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、「倉敷美観地区」を訪れたワタクシは重要伝統的建造物群保存地区に選定された美しい町並みを、カメラを片手に持ちながら興味深く歩いていました。この建物は「大原美術館」です。倉敷紡績の2代目社長であった大原孫三郎が1930年に開館した日本初の西洋美術中心の私立美術館です。ワタクシはあまり時間が無かったので、今回は中に入って作品を見ることはありませんでした。大原美術館のすぐ隣に「エル・グレコ」という喫茶店がありました。大正14年にできた洋風建築をリノベーションし、昭和34年にお店がオープンしたとか。ワタクシが昭和36年生まれなので、ほぼ同世代ですね。赤色のひさしのある白い扉を開けて店内に入ると、高い天井の開放的な空間が広がりま...香り高いコーヒーを楽しむ-岡山県倉敷市:「エル・グレコ」
KurashikiBikanHistoricalQuarter,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、「倉敷美観地区」を訪れたワタクシは、美観地区の中心部の方へ向かって行きました。町並みに合わせたかのような、古いスタイルの自転車が置いてありました。ワタクシが子どもだった頃は、こういう自転車をよく見かけたものでした。今の自転車に比べると、とにかく重たいですよね。江戸時代から大正時代にかけての古い建物がリノベーションされて、雑貨屋や飲食店として利用されているお店が数多くありました。最近はどこに行っても、若い人達が古民家を上手く活用している姿を目にします。倉敷美観地区には白壁の建物が多いです。またなまこ壁の建物も数多くありました。視覚的に統一された建造物が並んでいると町並みに統一感があっ...川舟流し-岡山県倉敷市:倉敷美観地区
KurashikiBikanHistoricalQuarter,KurashikiCity,OkayamaPref.さてさて、岡山県倉敷市にやってきたワタクシですが、この日に宿泊する倉敷アイビースクエアに車を停めて荷物を預けると、「倉敷美観地区」と呼ばれる倉敷の定番とも言える観光スポットへと向かいました。ただ、美観地区の一番メインとなる一帯はまだ観光客がいっぱいなので、先に少し裏通りの方から歩こうと思いました。倉敷美観地区なのですが、江戸時代初期の1642年、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所がこの場所に設けられました。それ以来、備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つんです。この一帯は白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残しています。1969年には倉敷市の条例に基づき美観地...歴史が息づく町並みへ-岡山県倉敷市:倉敷美観地区
JinaimachiTown,TondabayashiCity,OsakaPref.さてさて、富田林市の「寺内町」の散策を、ワタクシは楽しんでおりました。ワタクシは歴史が好きなので、城下町、宿場町、門前町のような歴史を感じることが出来る町を歩くのが好きです。当然ながら寺内町もワタクシにとっては散策するのが楽しい町並みです。前にも書きましたが、浄土真宗などの寺院(御坊)を中心とする寺内町は、関西の周辺に多く造られました。その中で富田林の寺内町は、寺内町がそのまま地域の商業の中心地となって発展した例で、全国的にもまれと言っていいほどの極めて大規模な古い町並みが残っています。ここは女性専用のゲストハウスのようですね。あまりレンズを向けていると、不審者と思われかねませんな。古民家の前に可愛い猫のオブジェがありまし...熱いチャイをいただきました-大阪府富田林市:寺内町
JinaimachiTown,TondabayashiCity,OsakaPref.さてさて、ワタクシは富田林市にある「寺内町」を興味深く歩いていました。ここ数年、寺内町に新しい変化が起こっています。古民家を若い人たちがリノベーションして飲食店や雑貨屋などが年々増えてるんです。この建物は地元の食材だけを使ったイタリア料理のお店です。一度行ってみたいなぁと思っているのですが、値段もそれなりにするのでまだ訪れたことが無いんですよ。こちらはアンティークショップです。ワタクシは骨董品に興味がないというか、骨董品の価値がわからないのでアンティークショップで商品を買った記憶がありません。いつも思うのですが、骨董品のお店ってさほどお客さんがいるわけでもないのに、どうして採算が取れるんですかね。寺内町にある一番大きな古民...「カムカムエブリバディ」のロケ地-大阪府富田林市:寺内町
JinaimachiTown,TondabayashiCity,OsakaPref.さてさて、自宅から歩いて富田林市に向かったワタクシは、歴史を感じる「寺内町」を訪れました。この日は放射冷却で冷え込んだ朝となりました。でも、歩いている時には冷気が心地いいんですよ。昨日のブログにも書きましたが、寺内町とは多くは一向宗(浄土真宗)の寺を中心に寺と町が合体して作られた町です。広い寺の敷地の中に都市がある、というイメージがわかりやすいかと思います。ここ富田林の寺内町の中心となったお寺が見えてきました。堂々とした立派なお寺さんです。このお寺は「富田林興正寺別院」と言い、京都にある興正寺の別院です。地元の人からは「御坊さん」と呼ばれているそうです。記録によれば、戦国時代の末期に興正寺第16世証秀上人が、富田林周辺の四...富田林の「御坊さん」-大阪府富田林市:寺内町
JinaimachiTown,TondabayashiCity,OsakaPref.さてさて、11月のある日曜日なのですが、ワタクシは朝起きると「今日はしっかりと歩きたいなぁ」と思いました。カメラを片手にちょっと歩こうと思ったワタクシは、1時間少し歩いて大阪府南部の富田林市に着きました。ワタクシがやって来たのは富田林の「寺内町」。ただ、寺内町という住所はありません。住所で言うと富田林市本町や富田林町のあたりになるのですが、この辺りは寺内町と呼ばれるのが一般的です。寺内町というのは城下町、門前町などと同じく、その町の成り立ちを表す言葉です。寺院の周囲に町屋が建てられ、町家の外側を濠(堀)と土居(土塁)で囲まれ、町全体が広い意味での寺院の境内であるとの考えで寺内町と呼ばれました。寺内町は一部日蓮宗でも見られま...大阪にもある古い町並み-大阪府富田林市:寺内町
KiyomizuderaTemple,HigashiyamaWard,KyotoCityさてさて、早朝の東山界隈を散策するワタクシ達は、八坂の塔から「産寧坂」へと向かいました。オジサン達は朝から元気いっぱいです。この日もスタスタと坂道を歩いていくのでした。産寧坂は「三年坂」とも呼ばれ、清水寺への参道の一部です。南には清水寺が、北には八坂の塔や高台寺、八坂神社などがあるため、産寧坂は常に多くのというか、ものすごい数の観光客で賑わっているんですよ。特にここ数年は観光客の大半が外国人でして、周囲から聞こえてくるのは日本語以外の言語の方が多いという状況です。ワタクシ、観光客のいない産寧坂を撮影したいので、ここに来るときはいつも早朝なんです。とてもじゃないですが、昼間の産寧坂なんて歩きたいとは思いません。別名の三年...早朝の参拝-京都市東山区:清水寺
Ninenzaka,HigashiyamaWard,KyotoCityさてさて、京都での二日目(2020年11月23日)ですが、この日もワタクシ達は朝早くにホテルをチェックアウトして、朝の6時半には東山の方へと向かいました。まずやって来たのは「二寧坂」です。二寧坂は二年坂とも呼ばれるのですが、その由来には二つの説があるんです。一つは産寧坂の下なので二寧坂で呼ぶようになったという説でして、もう一つは大同2年(西暦807年)に坂が整備された時よりこの名前が付けられたという説なんです。今となってはどちらが正しいのかわかりませんね。二寧坂から産寧坂、そして清水寺にかけては「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された歴史的な町並みが広がり、いつも観光客でごった返しているんです。でも、この日はコロナ禍であるとともに、早...静かな朝-京都市東山区:二寧坂
KoudaijiTemple,HigashiyamaWard,KyotoCityさてさて、ワタクシ達は大覚寺からバスと地下鉄を乗り継ぎ、東山にあるこの日のお宿に着きました。この時はGoToトラベルキャンペーンで宿泊費が35%引きになるのがありがたかったです。ホテルで1時間ほど休憩した後、ワタクシ達は夜の京都へと繰り出すことにしました。ここは「八坂神社」の西楼門です。阪急電車の四条河原町駅、京阪電車の祇園四条駅から四条通を東に向かえば、突き当たりにあるのがこの西楼門です。やっぱりこの時は外国人観光客の姿がありませんね。ワタクシ達は八坂神社の境内を通り、高台寺のライトアップを見ようと東山界隈を歩いて行ったのでした。ワタクシ達は紅葉のライトアップを楽しもうと、「高台寺」にやって来ました。高台寺は豊臣秀吉の正室ね...夜の京都へ-京都市東山区:高台寺
SagaToriimoto,UkyoWard,KyotoCityさてさて、ワタクシ達は祇王寺を出て嵯峨野をさらに北に向かいました。しばらく歩いて行くと、「嵯峨鳥居本」の町並みが目の前に広がります。京都の北西部には愛宕山という山があり、山頂にある愛宕神社は「火の神様」として京都の人から信仰されています。嵯峨野から愛宕神社へと至る道は愛宕街道と呼ばれ、江戸時代中期から数多くの参詣者が愛宕山を目指して歩きました。京都へ行くと、多くの家庭の台所に愛宕神社の『火廼要慎』(ひのようじん)と書かれたお札が貼ってありますわ。その愛宕街道の途中に、江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた家屋が緩やかな勾配の坂道に沿って建ち並んでいるんですここが嵯峨鳥居本でして、愛宕神社の門前町らしい光景が残っているんです。嵯峨鳥居本は重...化野という地名-京都市右京区:嵯峨鳥居本
JizouinTemple,OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、関宿の旧東海道を西に向かって歩いて行くと、街道沿いに立派なお寺が見えてきます。このお寺は地蔵院というのですが、正式な名前は宝蔵寺地蔵院。地元の人や昔の旅人からは親しみを込めて、「関の地蔵さん」「関の地蔵院」と呼ばれてきたそうです。お寺の歴史は非常に古いものでして、創建は詳らかではないのですが、天平13年(741)奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。お地蔵様というのは、この世でもあの世でも、あらゆる苦しみから人々を救ってくださる菩薩だと言われています。地蔵院の本尊である地蔵菩薩は数あるお地蔵様の中で、古くから東海道を旅する人々...関の地蔵さん-三重県亀山市:関宿・地蔵院
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、ワタクシは関宿の町並みを、さらに西へ西へと歩いて行きました。街道脇に「高札場」がありました。高札とは、幕府が定めた法度や掟書などを板に記したもので、高札を掲げた場所が「高札場」です。人々に周知徹底することが目的ですから、宿場の入口や中心部など、往来が多く目立つ場所に設けられました。もともと江戸時代にあった高札場は、明治10年に取り壊されたしまいました。現在の高札場は平成16年3月、関宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて20周年の記念として復元されたものです。『東海道宿村大概帳』によると、関宿高札場には八枚の高札が掲げられていたそうです。その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止とい...高札場-三重県亀山市:関宿
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、関宿の散策を続けるワタクシは、かつての宿場町ならではの資料館へとやって来ました。この建物は「関宿旅籠玉屋歴史資料館」と言いまして、日本最初の旅籠資料館なんですよ。玉屋は関宿を代表する大旅籠で、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」と謡われたほどだそうです。現在は修復され、当時使われていた寝具、食器などの道具や庶民の旅に関する歴史資料、歌川広重の浮世絵などが見られる資料館になっています。旅籠(はたご)とは本来、馬で旅をするときに馬の餌を入れる籠(かご)を意味する言葉でした。それがいつしか「人の食事を入れる器」を示す言葉になり、さらに「宿で出る食事」という意味に変わりました。江戸時代には「旅籠=食事を出す宿」という意味になり、これが定着...旅籠-三重県亀山市:関宿
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、香り高いコーヒーをいただいた後は、ワタクシは再び関宿の散策を続けました。「関まちなみ資料館」という建物がありました。この建物は関宿を代表する町屋のひとつです。町屋で使われていた道具類や、関宿に関する歴史資料などが展示されています。何度も書いていますが、ここ関宿は東海道の宿場町です。東海道には約9kmごとに宿場ができ、途中には休憩場所もあり、江戸時代の後半には徒歩による旅行というのが庶民の間でも大きなブームになるんです。旅の目的として最もポピュラーだったのは、三重県伊勢市へのお伊勢参りでした。現在も多くの参拝者や観光客を集める伊勢神宮ですが、江戸時代の人気は今以上でした。庶民の間では「一生に一度は伊勢参り」を合言葉に、憧れの...江戸時代の旅人-三重県亀山市:関宿
Cafe“En”,OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、旧東海道の雰囲気を味わうことが出来る関宿は、まるで時代劇のセットの中にいるかのような雰囲気でした。ここ関宿には古くから続く老舗もあれば、古民家をリノベーションした新しいお店もあるんです。ここは創業明治15年の桶屋さん。創業時から受け継がれる伝統的な技法を頑なに守り続けているそうで、現在は4代目の当主がお店を守られています。既製品を一切使用せず、一から十まで安全なる手作りです。もちろん、受注生産なので、作り置きはありません。一番良く売れるのは、昔からある花手桶だそうです。こちらは骨董品屋さんのようです。ワタクシは骨董品に対する目利きなども全く出来ないですし、そもそも骨董品って買ったこともありません。いつも思...静かなコーヒータイム-三重県亀山市:関宿・カフェ「エン」
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、国の重要伝統的建造物群保存地区でもある関宿を訪れたワタクシは、久々に訪れた宿場町らしい町並みをカメラを片手に歩いていたのですが、見慣れない観光スポットがあったんです。「関の山車会館」という施設がありました。ワタクシの記憶にはこのような施設は無かったはずなのですが、せっかくなので内部を見学しようと思い、入口のところで「この建物、前からありましたっけ?」と訊いてみました。すると、この建物は2019年7月にオープンしたとのこと。どうりでワタクシは知らないはずですわ。ここは関宿の夏の風物詩「関宿祇園夏祭り」で曳き出される山車4基のうち2基を常設展示する施設です。関の山車会館は、主屋、離れ、土蔵、山車の収蔵展示棟の4棟の建物があり、...関の山-三重県亀山市:関宿
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、旧東海道の宿場町である関宿を訪れたワタクシですが、朝9時の宿場町はまだ訪れる人も少なく、ゆっくりと散策を楽しむことが出来ました。言うまでもなく東海道は江戸時代の五街道の一つで、最も人の往来が多かった街道です。江戸と京都を結んだ東海道は約490kmの距離で、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられました。なんと言っても歌川広重の浮世絵は有名ですね。この写真を見てもらうとわかると思うのですが、民家と道路(東海道)との間にちょっとしたスペースがありますよね。これは参勤交代の大名行列が通行する際に、土下座をするための場所なんですよ。ただ、ワタクシたちがテレビの時代劇で見てきた大...大名行列-三重県亀山市:関宿
OldSekiPostTown,KameyamaCity,MiePref.さてさて、10月末のことなのですが、ワタクシは久々に三重県亀山市にある関宿を訪れました。関宿は東海道47番目の宿場町で、江戸から明治期にかけての町屋が今も約200軒も連なっているんです。当然ながら国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。関宿の東の入口“東の追分”にあるこの鳥居は、関宿では「一之鳥居」として親しまれているものです。「一之鳥居」というのは伊勢神宮に向かう最初の鳥居という意味なのですが、実際には伊勢神宮の鳥居ではなく、伊勢神宮に向かう人々への道しるべとして建てられたものです。この鳥居がこの場所に初めて建てられたのは18世紀の初め頃と考えられていますが、当時は伊勢講の人々からの寄進により建てられ、関宿の人々によっ...江戸時代へタイムスリップ-三重県亀山市:関宿
GujoHachiman,GujoCity,GifuPref.さてさて、郡上八幡は「水の町」と呼ばれるほど水が豊かな町です。郡上八幡は周囲を深い緑の山々に囲まれ、市街地の中央を水量豊かに流れる吉田川が長良川に向かって注ぐのですが、その吉田川の支流が小駄良川なんですよ。この辺りは昨日のブログで紹介した名水百選として名高い「宗祇水」のたもとの清水橋付近です。小駄良川のすぐそばに、民家が立ち並んでいる様子がよくわかるかと思います。川の深さは膝くらいまでですので、夏になると子ども達が川の中で遊んでいる姿を目にします。ワタクシは大阪市内で育ちましたが、ワタクシが子どもだった頃の大阪の川なんてドブのような川ばかりでした。ですので、「川で遊ぶ」「川で泳ぐ」という経験は親戚の家に遊びに行った時くらいで、日常の中には無いん...小駄良川の流れ-岐阜県郡上市:郡上八幡
GujoHachiman,GujoCity,GifuPref.さてさて、郡上八幡にやって来たワタクシ達は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている町並みを、楽しく散策していました。何度も来ている町なので地図も必要ありません。「郡上踊」と書かれた大きな提灯がありますが、郡上踊りは夏の約30日もの間、毎晩繰り広げられる“日本一長い盆踊り”として知られています。とりわけ毎年8月13日から16日は一番の盛り上がりを見せる「徹夜おどり」でして、普段は静かな町も大いに賑わうんです。江戸時代から約420年間続いてきた郡上踊りですが、地元の人だけではなく観光客も自由に参加することが出来るんです。「郡上の夏はおどりに始まり、おどりに終わる」と言われるんですよ。「肉桂玉」と書かれた暖簾がかかるお店がありますが、「桂玉」とは...石畳-岐阜県郡上市:郡上八幡
GujoHachiman,GujoCity,GifuPref.さてさて、9月28日〜29日にワタクシは家人とキャンプではなく、グランピングに行ってきました。グランピングについては、また後日に詳しく書きますが、今回のグランピングは岐阜県のひるがの高原が目的地でした。せっかくなので、ひるがの高原に行く前に大好きな郡上八幡の町に立ち寄ることにしたんですよ。11時少し前に郡上八幡に到着し、ワタクシ達は大好きな郡上八幡の散策に向かいました。郡上八幡は長良川の支流、吉田川沿いに南北に広がり、市街地の各所から仰ぎ見る位置にそびえる郡上八幡城の城下町として栄えてきました。なかでも職人町、鍛冶屋町、柳町は、江戸時代初期に整備された城下町の風景が今なお残っており、平成24年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。...グランピングに行く前に-岐阜県郡上市:郡上八幡
Gokasho,HigashiOmiCity,ShigaPref.さてさて、外村繁亭をあとしたワタクシは、五個荘金堂の町並み散策へと向かいました。五個荘金堂の「金堂」という地名は聖徳太子が当地に金堂を建立したという伝承に由来しているそうです。そうなると随分と古い時代から、この地域は人々の暮らしが営まれていたということになりますね。金堂村では、陣屋を中心にその三方に寺院が配置され、そのまわりに農村集落が形成されました。五個荘は農村集落ではありますが、江戸中期になると農業の傍ら行商に出る商人が現れ、江戸時代の後期には呉服や綿・絹製品を中心に京都・大坂・江戸へ出店する豪商も現れるようになりました。五個荘は近江商人発祥の地として知られていますが、近江商人とは近江に本拠地をおく他国稼ぎ商人のことで、近江八幡・日野・...近江泥棒伊勢乞食-滋賀県東近江市:五個荘金堂
Gokasho,HigashiOmiCity,ShigaPref.さてさて、古き良き町並みが残る五個荘金堂の町を、ワタクシはさらに歩いていました。表通りも素敵ですが、こういう狭い路地もまた魅力的です。ワタクシは金堂の町を東に向かって歩いて行きました。町外れに立派な神社がありました。大城神社という神社です。大城神社の由緒は随分と古いものでして、621年に厩戸皇子(聖徳太子)が金堂寺を建立し、その護法鎮護のためにこの大城の地に社殿を造ったのが始まりだそうです。1170年、現在の場所に社殿を改造し、天満天神(菅原道真公の神霊)、大梵天王、八幡大神を合祀し、五個荘の産土神としました。それにより、この頃から天満宮と称されるようになりました。1869年には恐らく前年の神仏分離令によるものでしょうね。現在の大城神社とい...朝ドラのロケ地-滋賀県東近江市:五個荘金堂
Gokasho,HigashiOmiCity,ShigaPref.さてさて、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている五個荘金堂の町並みは、何度訪ねてもワタクシにとっては興味深いものでした。ここ五個荘は「近江商人発祥の地」だと、昨日までのブログにも何度か書いてきました。近江商人は、近江国(現在の滋賀県)に本宅(本店、本家)を置き、他国へ行商して歩いた商人の総称で、大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人のひとつです。近江商人の経営哲学のひとつとして「三方よし」が広く知られています。皆さんもこの言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。では、「三方よし」とはどういうことでしょうか。「三方よし」とは「売り手によし、買い手によし、世間によし」ということでして、「商いというものは、売り手も買い手も適正な利益を得て満...「三方よし」の精神-滋賀県東近江市:五個荘金堂
Gokasho,HigashiOmiCity,ShigaPref.さてさて、五個荘金堂へとやって来たワタクシなのですが、昨日のブログにも書きましたが五個荘金堂は近江商人発祥の地の一つとして知られています。そして、金堂地区の中には商人屋敷を見学できる場所が数カ所あるのですが、ワタクシはその中の一軒に入って行くことにしました。この家は外村繁邸というのですが、外村繁は、昭和10年「草筏」が芥川賞候補、昭和13年池谷賞を受賞、昭和31年「筏」が野間文学賞を受賞した滋賀を代表する作家だそうです。ただ、ワタクシはこの人の作品を読んだことはありません。上記した「草筏」という作品は、出自である近江商人の世界を客観的に描いた作品だそうです。建物の中に入っていくと「川戸」と呼ばれる施設がありました。五個荘金堂の町は愛知川が琵...商人屋敷-滋賀県東近江市:五個荘金堂
Gokasho,HigashiOmiCity,ShigaPref.さてさて、伊庭の散策を終えたワタクシは、車に乗って同じ東近江市にある五個荘金堂という町に向かいました。20分ほどで目的地に到着です。駐車場に車を停めて歩き始めると、こんな看板があったんですよ。五個荘は近江商人発祥の地の一つでして、古くから「六心の訓(おしえ)」と呼ばれる教えがあるとのこと。小学校や中学校でもこの教えを推進しているそうで、ワタクシも思わず襟を正したのでした。五個荘の金堂地区は近江商人発祥地のひとつとして広く全国に知られ、現在も伝統的な農家住宅と商人の本宅が、調和のとれた美しい町並みを作り出しており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。このお寺は弘誓寺(ぐぜいじ)というのですが、源平合戦の扇の的の逸話で知られる那須...近江商人の町-滋賀県東近江市:五個荘金堂
FuruichiKanaya,YanaiCity,YamaguchiPref.さてさて、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている古市金谷地区を訪れたワタクシ達は、白壁が続く美しい町並みを興味深く散策していたのでした。時刻は朝の8時半ですので観光客の姿は皆無です。この日も快晴。もう気温は30℃を超えているかと思います。中国地方は中国山地を境目にして北側は「山陰」、南側は「山陽」と呼ばれますが、瀬戸内海の沿岸は山陽という言葉にふさわしく、年間を通して晴天率が高いんです。ワタクシ、岡山や広島を旅していて雨に降られた記憶が一度も無いんです。特に冬場は穏やかな晴天に恵まれて旅することが常で、ポカポカとした暖かさの中を歩くことが多いんですよ。白壁の通りにひっそりと佇む美しい小路は、かつてあった豪商の屋号を取り「かけ...金魚ちょうちん-山口県柳井市:古市金屋
FuruichiKanaya,YanaiCity,YamaguchiPref.さてさて、大阪に帰る前に山口県柳井市の古い町並みを散策しようと考え、ワタクシ達はJR柳井駅から10分ほど歩いて古市金屋地区へとやって来ました。ここ古市金屋地区は、16世紀ごろにはすでに商業で栄えていた柳井市の旧市街地にある柳井津という町の西半域にあたり、江戸時代末のころには、ほぼ現在のすがたに近いものになっていたそうです。この町並みは中世の商業都市における敷地割の様子を残しているだけでなく、江戸時代に建てられた瓦ぶきの大壁づくりの商人の家が建ちならび、見た目にも美しい白壁の町並みをつくっています。そんな町並みに柳井の民芸品『金魚ちょうちん』が白壁の軒下や沿道に揺れる姿は、SNS映えも抜群なんでしょうね。8月はライトアップを楽しめ...白壁が美しい町並み-山口県柳井市:古市金屋
FuruichiKanaya,YanaiCity,YamaguchiPref.さてさて、ワタクシ達の「2024年夏青春18きっぷの旅」も最終日となりました。この日も朝は5時前に起床。5時過ぎにはホテルをチェックアウトして、JR山口駅へと向かいます。山口駅を5:44に出発する山口線の始発電車に乗って、まずは新山口駅へと向かいます。ワタクシ達の行動は、常に始発電車とともに始まるのです。JR新山口駅で6:20発の山陽本線の各駅停車に乗り換えます。ワタクシ、いまだに新山口駅という名前に馴染めないんですよ。以前の小郡駅の方がしっくりくるのですが、もう仕方ないですね。8:00ちょうどにJR柳井駅に着きました。この日は当然ながら大阪まで帰るのですが、柳井に立ち寄って2時間ほど柳井の古い町並みを散策しようと考えたんですよ...旅の最終日-山口県柳井市:古市金屋
TsuwanoTown,ShimanePref.さてさて、ワタクシ達は津和野の町を訪れ、重要伝統的建造物群保存地区に選定された地域をウロウロと歩いていました。時刻は午前10:30頃になりました。太陽が高くなってくると、この日も猛烈な日差しとなりました。この日の津和野は最高気温が36℃。10時30分でもすでに34℃になっていました。内陸部の盆地ですので冬は寒く夏は暑い気候なのでしょうが、今年の夏は特別に暑かったようです。水の中で悠々と泳ぐ鯉が羨ましくも思えますが、この子達は狭い水路の中でしか動くことが出来ません。本当はもっと広い場所で泳ぎたかったのかもしれません。とにかく暑い津和野です。ワタクシ達は「冷たいものが飲みたい」とカフェや喫茶店を探していたのですが、「沙羅の木」という昭和っぽい雰囲気の喫茶店があり...クリームソーダ-島根県津和野町
HonmachiStreet,TsuwanoTown,ShimanePref.さてさて、重要伝統的建造物群保存地区である津和野の町を歩くワタクシ達は、殿町通りを抜けて、次は「本町通り」へとやって来ました。殿町通りが武家町であったのに対して、ここ本町通りは商人町として栄えました。この建物は「分銅屋七右衛門」というお店で、建物は国の登録文化財になっていました。江戸時代は髪付けや和蝋燭を製造販売していましたが、最近では文香、線香、匂袋、便箋、絵葉書、熨斗袋、和蝋燭などの和小物を販売しているそうです。女性の観光客には人気でしょうね。こちらは明治時代の初めから、農機具や種苗を販売しているお店だそうです。この辺りの建物の屋根は、赤茶色い石州瓦が使われていました。こちらは古民家を利用したイタリア料理店でした。なかなか人...商人の町-島根県津和野町:本町通り
TsuwanoCatholicChurch,TsuwanoTown,ShimanePref.さてさて、「重要伝統的建造物群保存地区」である津和野の町並みを、ワタクシ達は歩いていました。鯉が泳ぐ水路に沿って歩いていくと、日本的な津和野の古い町並みに目を惹く建物がありました。この建物は「津和野カトリック教会」でして、イエズス会のドイツ人司祭パウロ・ネーベル神父によって建てられました。キリシタン迫害、キリシタンの殉教というと長崎や天草が頭に浮かびますが、ここ津和野にも悲しい歴史があるんです。1867年、大規模な隠れキリシタン弾圧事件が起こり、長崎浦上村の153名が津和野藩に送られました。津和野の乙女峠にある光琳寺に到着、キリシタン達は本堂に幽閉され、津和野藩により改宗の説諭が行なわれましたが棄教する者はなく、津...悲しい歴史-島根県津和野町:津和野カトリック教会
TonomachiStreet,TsuwanoTown,ShimanePref.さてさて、太皷谷稲成神社の参拝を終えたワタクシ達は、津和野の中心部へとやって来ました。津和野の弥栄神社には「鷺舞神事」というのがあり、その像がありました。津和野も「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているのですが、この辺りは「殿町通り」と呼ばれる一画です。「殿町通り」は保存地区の南側にある旧武家町で、白壁の土塀が美しい町並みが広がっています。ワタクシの記憶と雰囲気が違うなぁと思ったのですが、ワタクシが40数年前に訪れたのは4月初めでした。イチョウの木には葉が無かったはずですから、ワタクシの印象とは違ったのですね。土塀に面した通りの掘割には、この付近だけで400匹余りの大小様々の鯉が泳いでいます。観光客が餌をあげるからでしょ...山陰の小京都-島根県津和野町:殿町通り
Hiyako,HagiCity,YamaguchiPref.さてさて、ワタクシ達は堀内地区から萩市内を南の方に向かって歩いて行きました。向こうから長州藩の藩士が歩いてきても、何の違和感も無い町並みが続きます。時代劇のロケなどをするにはもってこいの気がしますが、今は時代劇なんて放映しませんものね。先日のブログにも書きましたが、この日(8月21日)の萩市は37℃の気温でした。おまけに湿度も高かったんです。歩くと、いや歩かなくても汗が噴き出てきます。常にペットボトルのお茶を飲んでいましたが、500mlのお茶を4回買うことになりました。それほどの暑さだったんですよ。ワタクシ達は平安古と呼ばれる地域にやってきました。ここも「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。なお、平安古は「ひやこ」と読みます。かなりの...猛暑に負けず-山口県萩市:平安古