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三宝寺廃寺(→神奈川県横浜市都筑区東山田町)は、江戸時代には神田山 幡随院 新知恩院(→東京都千代田区神田駿河台、現在は東京都小金井市前原町に移転)の末寺として幕藩体制の一翼を担った東林山 三宝寺(浄土宗)の跡地です。明治時代初期の廃仏毀釈によって廃寺となったといい、跡地には東山田町公民館が建っています。 三宝寺は創建年代等は不詳ですが、1159(平治元)年の平治の乱に敗れ、逃亡先の尾張国で源義朝(→源頼朝...
鎌田堂(→神奈川県横浜市都筑区東山田町)は、平安時代後期の武将で源義朝(→源頼朝の父)の家人で乳母子でもある鎌田政清の館跡に建立されたと伝わる地蔵堂です。江戸時代前期までは純金製の観音菩薩像を安置していたようですが、盗賊に奪われ、1673(寛文13)年に石の地蔵尊を建立したと記されます。江戸時代には真言宗豊山派寺院の妙見山 不動院 長泉寺(→神奈川県横浜市都筑区北山田7丁目)が管理し、幕末の安政年間(→1855年~1860年)...
祇央山 龍頭院 妙法寺(→神奈川県川崎市高津区久末)は、開基不詳の天台宗寺院ですが、本堂には1976(昭和51)年春に山門前から出土した鎌倉時代中期の「建長七年」と彫られた鎌田政清(かまたまさきよ→源義朝の乳兄弟)の往生を願うと記された板碑が安置されています。1255(建長7)年は鎌倉幕府の5代執権北条時頼(→泰時の孫)の治世で、鎌田政清の没後100年(→百回忌)にあたります。「主君聖霊」とあるので政清の家臣の子孫たちによって建...