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本日ふたつめ。↓3年前に紹介した記事はこちら。http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3729.html2024.9.23 参拝 地元焼津で「罪切地蔵尊ごりやくまつり」。9月23日は大供養祭で24日が縁日。観光協会のイベントページに9:00〜15:00とあったしいつも賑わってたような記憶あるから、始まるくらいの時間に合わせて行ってみた…が、物凄く静か。地蔵尊の隣には抽選の景品を渡す係のお婆さんたちが数名椅子に座って世間話をしてい...
『自分とか、ないから 教養としての東洋哲学』感想と、内容の要約を紹介します
今回は、しんめいPさんの著書『自分とか、ないから 教養としての東洋哲学』を紹介します。 『自分とか、ないから 教養としての東洋哲学』は哲学書としては異例の10万部越えを達成されています。 この本、私が仕事に悩み苦しんでいる時に、『からっぽ』になっても大丈夫(むしろ『からっぽ』の方が良い)と気付かせてくれました。 そして前に進む勇気をくれました。 もし貴方が現在、苦しい立場や逃げ出してしまいたい状況に陥っているのなら、『自分とか、ないから 教養としての東洋哲学』を是非読んでみて下さい。 私と同じように、きっと貴方の背中を押してくれると思います。 この記事では『自分とか、ないから 教養としての東洋哲学』を、実際に読んだ感想と内容の要約について書きました。 ぜひ最後までご覧ください。
大本山永平寺の貫首を務められた森田悟由禅師の「彼岸会垂示」から、彼岸・彼岸会の意義を考えてみたい。彼岸とは、「彼の岸」といふて、譬喩の詞ぢや。銘々お互の現在の位置を此方の岸に譬へ、後々は是非斯くせねばならぬ、斯くありたいものぢやと思ふ、一大事の目的、今日の話なら理想とでもいふ処であらう。その理想も浅墓な凡夫量見から出たのでは何にもならぬ。万古不抜の道理から生出した金剛堅固の理想、それを彼の岸に喩へたものぢや。『森田悟由禅師法話集』鴻盟社・明治43年まずはこんなところから。「譬喩」というのは、先般から繰り返し拙ブログで述べているようなことにも適用される。要するに、「彼岸」「此岸」というのは、それぞれ、理想的な境涯・凡夫の迷いを喩えた言葉なのである。ただ、譬えであってもそれがあって、我々自身のイメージが良くな...彼岸会の意義について(1)
小学校の時は日光(日光東照宮)、中学校は京都・奈良、高校は鎌倉というように、私は修学旅行や遠足を通して、神社やお寺について学習してきました。 恐らく今の子ど…
幸福の科学は仏教精神を基礎した教えだっていうけど、仏教って、我慢して戦ったりしない宗教なんじゃないの?それに反しないの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀の証明──偉大なる悟りの復活』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。仏陀も、「非難すべきは非難すべし」と、きっちり言っています。「非難すべきものを褒めて、褒めるべきものを非難するというのは間違いだ」ということを、仏陀も言っているのです。非難すべきもの、間違っているものに対しては、「間違っている」と言わなければなりません。ですから、仏教においては、「忍辱(にんにく)の姿勢」ということがよく言われますが、これをどうも悪用されているようです。あるいは、何もしないことの隠れ蓑にしているところが少しあります。善悪を言えない...仏教でも戦うの?
以前、或る人から、神道でも彼岸に皇室の先祖を祭る云々という話を聞いたことがあった。拙僧は僧侶になってしまっていたので、余り関心を持たなかったのだが(どうせ、神道の話しだから)、その辺、或る記述を見出したので、紹介したい。春季皇霊祭春、秋の彼岸の中日は皇霊祭といつて、神武天皇から、明治大帝に到るまでの歴代の皇霊をお祭りし給ふのである。皇霊祭は明治二年六月二十八日に、明治天皇が、百官を率ひて神祇官に行幸せられ、天神地祇及び歴朝の皇霊を御祭りになつたのが初であらう。然し歴代の皇霊を御祭りになつたことは之以前に於ても往々歴史の上に見えてゐる。皇霊祭の名称のつけられ宮中の恒例とせられたのは明治天皇の叡慮によるものである。皇霊祭御親祭の次第を察するに、皇霊殿及び神殿の御親祭がある。神殿祭は八神、天神地祇の二祭典であつ...神道的彼岸会について
中国臨済宗の大慧宗杲禅師(1089~1163)にこんな教えが残されている。黄面老子、纔かに悟了して、便ち此の如き広大なるを見得す。然る後に、慈を興し、悲を運んで、生死の海に於いて、此岸に著かず、彼岸に著かず、中流に住せず。而も能く此岸の衆生を運載して、彼岸に到らんと欲す。生死の中流に住せず。『大慧普説』巻17黄面の老師というのは、釈迦牟尼仏のことである。よって、釈尊が悟って、広大なる仏法を見得し、その後、慈悲を興して生死の海の中にあって、迷いの岸にも悟りの岸にも、その中にも留まらず、迷いの岸にある衆生を運んで、彼岸に到ろうとしたというのである。釈尊の慈悲による衆生済度を意味しているといえる。浄土教系の文章を集めた文献に、このように書いてある。阿弥陀仏と観音・勢至と大願の船に乗り、生死の海を泛る。此岸に著か...彼岸と此岸とその間
反省って大事だって分かるけど、何をどこからやればいいの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法──未来を、この手に』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。女性にとって特に大切なのは言葉の部分です。女性は正語を重点的に点検してみてください。正しく見ることも難しいのですが、女性の場合は、言葉の部分が、より難しいだろうと思います。男性には、どちらかというと、理性的、知性的な傾向があるので、「正しく語る」ということは、訓練していくと、ある程度、できるようになります。女性の場合、悪しき言葉によって地獄をつくっていることが多く、「正しく語る」ということが特に大切なので、これをチェックしてください。「自分の家庭が天国であるか、地獄であるか」ということを判定しようと思うならば、口...反省ってどうすればいいの?
昨日から、令和6年度秋の彼岸会である。そこで、早速だが、こんな童謡を見出したので紹介しておきたい。お彼岸詣り虫の音ほそぼそ森の道千草の中でないてます萩や桔梗や女郎花どの花降りましょお母さま今日はお彼岸寺詣り向ふのお寺の門の上赤いお旗がゆれてます森の細道うれしいな花を肩にして詣りましょ西川林之助『お話と童謡』(文潮社出版部、昭和3年[1928])著者の西川林之助氏だけれども、主として戦前に活躍をした民謡作家であった。合わせて、童話や童謡なども制作していた人であり、本書を見ると、仏教を題材にしたお話なども見られる。まぁ、仏教が子供向けの話になる、というのは、或る意味古典的な事柄で、それ自体は珍しいことでは無い。この童謡についても、内容は秋の季節を虫の音と色とりどりの花で思わせつつ、お彼岸でお寺詣りをする時に、...彼岸会の童謡について
あの世とこの世を貫く幸福って、「悟り」のことなんだって?悟りなんて自分に関係ないと思うんだけど、悟ると、なにかいいことあるの?なーんてこと言ってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『釈迦の本心──よみがえる仏陀の悟り』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。悟りには、主として三つの効果があります。第一の効果は、自己の認識力が高まることによって、この世的な悩みや苦しみ、不安などを解消できるということです。認識力の増大によって、さまざまな悩みを一掃することができるのです。第二の効果は、より多くの人のために貢献できるということです。自分や世界を知れば知るほど、ほんとうの意味で、人びとを幸福にし、素晴らしくしていくための方法が分かります。悟りには、人格を向上させると同時に、多くの人びとを益するための...悟りっていいものなの?
今日から一週間、秋の彼岸会となる。皆様におかれましては、お寺参り・お墓参り、とにかく善行を積んでいただき、仏縁を深くしていただくことを願う。その彼岸会に際して、次の一節を学んでみたい。一年の内、春秋二期昼夜等分といふ好時節に、一七日を期して古来より彼岸と称して居る。これは今より千有余年以前奈良朝の頃から始つて、国内一般に行はれ来つたものなそうぢや。其本は提謂経や浄土三昧経等に依つたものでもあらうが、ツマリ寒からず熱からざる節でもあり、又農家抔も幾分か閑な時であるから、特に彼岸会と名け、一般人民をして見仏聞法の勝縁を結ばしめられたものと見える。森田悟由禅師「彼岸会垂示」(『永平悟由禅師法話集』鴻盟社、明治43年)明治期の曹洞宗で指導的立場にあられた森田悟由禅師の教えである。上掲の一節は御垂示の導入の部分で、...今日から秋の彼岸会(令和6年度版)
" どうやって生活を変えるか? "というのはむかしから、スピリチュアルの世界ではいろいろためされてきた。😁みんな少しでも良くしたいからですよね? 😘東京でね、…
ちょっとした一文である。なお、実世界の論文でも、関連する先行研究は多いので、当記事はあくまでも拙僧個人の見解を示すのみである。仏祖正伝菩薩戒作法右大宋宝慶元年九月十八日、前住天童景徳寺堂頭和尚、道元に授くるの式是の如し。祖日侍者〈時に焼香侍者〉・宗端知客・広平侍者等、周旋して此の戒儀を行ず。大宋宝慶中、之を伝う。『仏祖正伝菩薩戒作法』道元禅師が、中国で本師・天童如浄禅師から「仏祖正伝菩薩戒」を授けられたときの儀式について、その内容を記した文献の奥書に、上記一文がある。そして、これらの一節について、先行研究などを踏まえると疑問点は以下の通りである。(1)如浄禅師について「前住」という一句がある⇒もし、この式が行われたのが「大宋宝慶元年九月十八日」であったとすれば、まだ如浄禅師は堂頭(住職)であったはずである...『仏祖正伝菩薩戒作法』奥書について
今日9月17日は、旧暦8月15日、つまり「中秋の名月(十五夜)」である。道元禅師は、ほぼ毎年、中秋には上堂を行って「満月」そのものを題材にしながら、弟子達に仏法の真髄を説いておられた。今日はその1つを見ていきたい。中秋の上堂。月中の桂樹を折り尽して来る。這回は旧を恋わずに這回。胡来胡現、漢来現。限り無き清光十五枚、と。『永平広録』巻1-77上堂これは、仁治2年(1241)8月15日に行われたと考えられるため、京都の興聖寺に居られた時の「中秋の上堂」になる。道元禅師が「中秋の名月」に因み、満月の欠けたること無き姿から、法の円満なる様子を示された。まず、「月中の桂樹」は月の中に五百丈(約1.5㎞)の高さがある桂があるとされ、伐ってもすぐに戻るとされる。しかし、中秋の名月の場合には、余りに素晴らしい明るさをして...今日は中秋の名月(十五夜)(令和6年度版)
先日、人間トシをとるものだという、「人生の無常」について書きました。でも、それって、なんとかならないの?なーんて思ってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『沈黙の仏陀──ザ・シークレット・ドクトリン』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。仏教の教えの基本は、「三法印(さんぽういん)」という言葉でよく表現されます。まず第一の法印(ほういん)として「諸行無常(しょぎょうむじょう)」があります。すべてのものは移ろいゆくものである。変化変転していくものとして、一切の現象を見つめなさい。一切の現象のなかには、物質や肉体のみならず、あなた方の心のなかに生起し、去来するものも含まれている。すべてのものは流れ去っていくものである。そのような、川の流れのようなものであるのだから、執着してはいけない。何ひとつ...無常ってなんとかならないの?
今日は敬老の日である。日本の国民の祝日に関する法律では、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨として制定されている。世間としては、それで良い。そこで、仏教には「長老」という立場が存在している。現代の曹洞宗では、一座の法会の首座を指す言葉となっているが、実際には以下のような定義であった。禅門規式に云く、凡そ道眼を具え、尊するべきの徳有る者を、号して長老と曰う。西域の道高くして臘長き、須菩提等を呼ぶの謂いなり。『禅林象器箋』巻6「長老」項こちらの通りで、長老というのは、いわゆる高徳の僧侶であり、更には、「臘長き」という言葉がある通りで、出家してからの年数なども考慮されたものであったらしい。ところが、同じ『禅林象器箋』でも引用されているのだが、以下のような見解も存在していたらしい。...今日は敬老の日(令和6年度)
この地球上を見渡してみると、私たち人間の他に、魚、虫、動物など多くの種類の生命が存在します。 どうして自分が人間の姿かたちをしていて、あなた方は、アリや、蝶や、蜘蛛なの? 私が幼い時に抱いた疑問です。 それから何十年もの時間が過ぎました。
タイトルから、いきなり何のこと?と思われた方もおられるかもしれないが、とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。九月十五日、宝篋印塔を建つ。『洞谷記』「元亨元年の記録」この「元亨元年」とは、西暦に換算すると1321年となり、この年に瑩山禅師は能登永光寺に宝篋印塔を建てたという。で、この「宝篋印塔」というのは、『宝篋印陀羅尼』という密教で用いる陀羅尼を収めた塔のことで、供養塔などの機能を持ち、墓碑塔としても建てられたという。中国で、南方の呉越王・銭弘俶が八万四千塔を建立したという伝説があるそうだが、これを真似した日本でも同様の様式が定まったという。それで、拙僧自身、このことを余り良く分かっていなかったので、文献的にも探ってみようと思う。忠懿、天性誠厚にして、夙に仏を敬うことを知る。阿育王の八万四千塔を造りたる...九月十五日瑩山禅師が「宝篋印塔」を建てる
ここでいう「孤雲」というのは、曹洞宗大本山永平寺二世・懐奘禅師(1198~1280)の道号とされている。ただ、以前から、懐奘禅師を受業師とされた瑩山紹瑾禅師に係る文献には、懐奘禅師の道号が載っていないということにが気になっていた。一例を示そう。・第五十二祖、永平弉和尚、元和尚に参ず。一日請益の次で、一毫衆穴を穿つの因縁を聞き、即ち省悟す。晩間に礼拝し、問ふて曰く、一毫は問はず、如何なるか是れ衆穴と。元微笑して曰く、穿了也と。師礼拝す。師、諱は懐弉。俗姓は藤氏。謂ゆる九條大相国四代の孫秀通の孫なり。『伝光録』第五十二祖章・祖翁、永平二世和尚、諱は懐弉、洛陽の人。姓は藤氏、九條大相国の曽孫なり。『洞谷記』「洞谷伝灯院五老悟則并行業略記」……号について何も書いていない。そこで、懐弉禅師の伝記は、大体道元禅師の伝...「孤雲」について
以前書いた【「師僧」と「師匠」について】の続編という感じで記事にしておきたい。その際、現在の宗派の規程などで、「師僧」という用語は使われているが、一方で「師匠」という用語は、「匠」という職人的な用語であって、相応しくないという話があるそうだ。ただし、道元禅師の用例からすれば、「師僧」と「師匠」では、「師匠」の方が多く使われていたことを、先の記事で指摘した。それで、今回は今少し、「匠」の字句に注目して記事にしておきたい。いま、有道の宗匠の会をのぞむに、真実、請参せんとするとき、そのたより、もとも難辨なり。『正法眼蔵』「行持(上)」巻このように、道元禅師は「有道の宗匠」という表現をされていて、これは優れた指導者という意味である。ただまさにしるべし、七仏の妙法は、得道明心の宗匠に、契心証会の学人あひしたがふて正...優れた指導者を「匠」と呼ぶことについて
江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?(2)
【江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?】の続きの記事である。問題意識などは、リンク先を見ていただければ良いのだが、要するに江戸幕府は一つの寺院に男女が一緒にいることを問題視したけれども、授戒会などは四衆といって、男女が一緒に修行するものだったから、そういう場合にはどうしていたのか?という話だったわけである。前回は、或る作法書の一節を紹介したけれども、今回は拙僧自身が持っていた作法書写本に、或る記述を見付けたので紹介しておきたい。黄昏に至て戒弟之婦人と尼僧は下宿に下山致さすべし。此時下宿にても開静迄は加行致すべしと申渡すべし。『直壇寮指南記戒会用心』、カナをかなにするなど読み易くしているこのように、黄昏(夕方)になると、戒弟の内、在家の女性と尼僧さんは、下宿に下ろしたと書かれているのである...江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?(2)
以下の指摘を読んで、なるほどと感じた。『菩薩瓔珞本業経』は菩薩の修行階位説や戒律観などに特徴が見られるが、そのうち菩薩戒に関して、三聚浄戒(上述四節)の内、律儀戒とは十波羅夷(梵網経の説)であるという、きわめて特徴的な見解を本経は主張している。ところで素材とされた『梵網経』には専ら十重四十八軽戒が説かれ、三聚浄戒に対する言及はない。従って『菩薩瓔珞本業経』の説く菩薩戒では、既に声聞戒を受けていることが菩薩戒を受ける前提とはならないことになる。言い換えれば、以前に在家の五戒や具足戒を受けたことがなかった者が菩薩戒だけを受けることも理論上は可能なのである。船山徹先生『六朝隋唐仏教展開史』(法蔵館・2019年)235~236頁これが何を意味しているかといえば、例えば、菩薩戒を説いた『大般涅槃経』では次のような指...菩薩戒単受の淵源は『瓔珞経』らしい・・・
今日9月9日は重陽の節句である。いわゆる五節句の最後になるのだが、重陽とは9の数字が「陰陽の陽」を意味し、それが重なることから、そのように呼称される。また、華に因む場合は「菊の節句」ともいう。そのため、古来よりこの日の朝、菊の華に貯まった水を使って顔を拭くと、美顔になるという信仰や、この水を使って筆を使うと美筆になるという教えもある。禅林では、この日に偈頌を詠んでいた印象が強い。今日はそのような一首を紹介してみたい。重陽に兄弟と与に志を言う去年九月此の中に去、九月今年此自り来る、憶うことを休みね去来の年月日、叢裏に菊華の開くるを看るのを懽しむ。『永平広録』巻10-75偈頌この偈頌であるが、道元禅師が宝治元年(1247)7月~宝治2年3月にかけて行われた鎌倉行化に因む偈頌よりも、前に収められていることから、...重陽の節句(令和6年度)
肉食ってのは、生き物を殺して食べるんだから、いけないことなんじゃないの。宗教者はベジタリアン(菜食主義者)でなきゃいけないんじゃないの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀の証明──偉大なる悟りの復活』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。当時は、生き物を殺すことも禁じていました。これは戒ですから、もちろん自主的なものですが、どうしてもそれに違反することはあります。空中にも生き物がいますし、道路を歩けば蟻(あり)だって這(は)っていますから、知らずに犯すことは当然あるのです。しかし、生命尊重の考え自体は大事なことです。これは現代でも同じだと思います。現代は肉食をしますから、どうしても生き物を食べてしまうのですが、そのときも、やはり感謝の心を持って食べることです。これ...肉食してもいいの?
とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。直受菩薩戒予、戒疏発隠を著す中に言く、必ず先づ五戒・十戒・二百五十戒を受け、然る後に菩薩の十重・四十八軽戒を受く、と。講師有り、憤然として平らかならずして曰く、何を以てか人をして直に菩薩戒を受けしめずして、而も迂曲なること是の如くなる。仏の記して、末法の中に魔王有りて、吾が法に混入して、而も吾が法を壊す。今、其の人なりと。予、答えず。講師、卒す。其の徒、前語を理として、諸僧・諸宰官・居士等を集めて、大会を設けて、而して弁を作して難ぜんと欲す。予、亦た答えず。予に代わりて答えんと云う者有りて曰く、以て為ること無し。彼の引く所の菩薩善戒経を観ずや。経に云く、譬えば重楼四級の如し。下より上に次第すること歴然たり。等を躐ゆべからず。戒を受けること亦た然り。経の語なり。以て為...中国で議論された「直受菩薩戒」
このような文脈があった。又、悲華経に袈裟に五種の功徳を説せらる。これは世尊の因地の修行の時の誓願にて、それを今日成就せらることを示さる。その五種の第一には、仏法に入て、たとひ禁戒を破せし罪ありても、一度この袈裟を信心して著たらん人は、不退転の授記あるべしと。面山瑞方禅師『釈氏法衣訓』、明治期再版本27丁表、カナをかなにするなど見易く改めるこれを読む限り、御袈裟の功徳はかなりのものである。禁戒を破しても、最終的には授記(成仏するという予言を受けること)されるというのである。なお、面山禅師はその典拠を『悲華経』としているが、同経には修行中の釈尊が、五百大願を建てたことが示されている。そこで、実際にはどういう文脈であるのか?世尊よ、我れ成仏し已るに、若し衆生有りて我が法中に出家し袈裟を著くる者有り。或いは重戒を...御袈裟は破戒の罪を救うのか?
ただ今午後11時50分。ベッドに横になったところだ。昨日の夜いつもより早く寝たせいか、今日は朝3時30分に目が覚め、ベッドに横になってはいたが、スマホを見たりして、午前6時前に起きた。それから、家の周りの草引きをした。草引き前ビフォー草引き後アフタ
石田瑞麿先生の『女犯』(ちくま学芸文庫)でも繰り返し指摘されているように、江戸時代は僧侶の女性問題について、幕府はそれなりに規制を行い、実際に取り締まられた事例もあったようである。そこで、今回は或る一節から、幕府の規制について現場の僧侶がどう思っていたのかを見ておきたい。第三不貪婬〈中略〉此の戒、在家の菩薩は、正婬を開して邪婬を制す。出家は開なく男女の色共に堅く禁ず。もとも僧に女犯あらば、官制にも許さず。女犯肉食却盗は、僧の三条罪とて、世・出世共に立がたし。凡そ此の戒は、老弱共に甚だ慎むべし。溺れやすきは愛欲の境なり。いはゆる行婬のとき、三学共に不成。戒すでに破るが故に、定慧共にならず。婬を行じて禅定を修し、智慧を明かにせんとするは、沙を蒸して飯となすがごとし。労して功なし。然れば修行人第一の公案なり。容...江戸時代の僧侶は幕府からの規制をどう思っていたのか?
『宝慶記』は、道元禅師が中国で天童如浄禅師から受けた教えをまとめた文献だとされるが、その中に「沙弥」と「比丘」に関する話題が見られる。伝統的には非常に有名な一節なのだが、拙僧自身一度この辺を考えておきたいと思ったので、まとめておきたい。それで、『宝慶記』の問答の数え方は様々だが、とりあえず今回見ておきたいのは「第43問答」である。堂頭和尚慈誨して云く。薬山の高沙弥は、比丘の具足戒を受けざりしも、また、仏祖正伝の仏戒を受けざりしにはあらざるなり。然れども僧伽梨衣を搭け、鉢多羅器を持したり。是れ菩薩沙弥なり。排列の時、菩薩戒の臘に依って、沙弥戒の臘に依らざるなり。これ乃ち正伝の稟受なり。你に求法の志操あること、吾の懽喜する所なり。洞宗の託するところは、你、乃ち是れなり。さて、こちらの内容を素直に読むと、天童如...『宝慶記』に於ける「沙弥」と「比丘」の話題について
【仏教&スピリチュアル】因果応報とバチ ー 仏教とスピリチュアルで解説 ー
こんにちは!引き寄せで因果応報を語るミラクルもっちーです!本日は、因果応報とバチの違いを仏教とスピリチュアル的な観点から解説します。スピリチュアルは守護霊の…
以下の一節をご覧いただきたい。戒を受ける主体が仏であることは、菩薩戒の特徴の一つである。というのも、一般に、声聞乗における通常の受戒儀礼の場合は、戒は比丘から授けられるのが原則であり、このように他の修行者を介して戒を受ける方法は従他受戒と通称される。この受戒法は、いわゆる師資相承の系譜を遡ると、釈迦牟尼仏にまで連綿と繋がる点が重要である。間接的にではあるが、釈迦牟尼仏の制定した戒律を代々受け継ぐという性格がある。一方、菩薩戒においては、瞑想や夢の中に釈迦牟尼仏や他の仏や菩薩が現れ、かかる仏や菩薩から直接に戒を授かるという場合がある。この受戒は、仏や菩薩に菩薩の誓願を自ら表明することによって実現するため、しばしば自誓受戒と呼ばれる。船山徹先生『六朝隋唐仏教展開史』法蔵館・2019年、251頁確かに菩薩戒は人...「菩薩戒」とは誰から受けるのか?
JUGEMテーマ:練馬区JUGEMテーマ:ハンドメイド雑貨のお店おはようございます!と言っても現在早朝4時なので皆さん就寝中ですよね(^^;私は昨日来客の後、昼食を済ませ14時頃から昼寝してしまい気付いたら夜の7時。でも、夕食もとらずに再度
今日9月2日は、「9(く)2(じ)」の語呂合わせで「くじの日」である。「くじ」というと、現代ではいわゆる「宝くじ」を思い付く人が多いと思うし、更に展開して、いわゆる「サッカーくじ」なども思い付かれるかと思う。然るに、かつて「宝くじ」は「富籤(とみくじ)」と呼ばれていたのだが、これは江戸時代の中期くらいまでで、江戸時代の後期は禁止されていた。その詳細は以下のサイトなどを見ていただければ良いと思う。・天下御免の富くじ(宝くじ公式サイト)そこで、上記サイトを見ると、「天保の改革」が行われていた天保13年(1842)に禁止され、政権が変わった後の明治元年(1868)にも「太政官布告」によって禁じられたとある。なお、この禁制は、天保から考えれば103年間続いたという。無論、「闇富籤」は横行したようだ。そこで、今回は...今日は「くじの日」(令和6年度版)
今日は9月1日である。大本山永平寺を開かれた高祖道元禅師(1200~53)は、永平寺に入られてから、この日にほぼ毎年説法をされている。今日は、その1つを学びたい。九月初一の上堂。功夫猛烈、生死を敵す。誰か愛せん世間の四五支。縦え少林三拝の古を慕うとも、何ぞ忘れん端坐六年の時。恁麼見得、永平門下、又、作麼生か道わん。良久して云く、今朝、是、九月初一、打板坐禅旧儀に依る。切忌すらくは、睡ること、要すらくは疑いを除かんこと。瞬目及び揚眉せしむることなかれ。『永平広録』巻6-451上堂道元禅師の坐禅は、他に何かを実現するための手段としてではなく、まさに無上菩提として仏教に於ける智慧の完成として存在する。或いは、わずか一時の坐禅であっても三世十方を証契するともされる。すべからく回向返照の退歩であり、身心が自然に脱落...九月一日の説法を読む
『浄土布薩式』「大科第十 請師」②(『浄土布薩式』参究19)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十請師」の項目を学んでいきたい。大科第十請師二に金色世界の上首、大聖文殊師利菩薩を請し奉る。我が為に羯磨阿闍梨と成り玉へ。吾れ羯磨に由る故に、頓教事理の妙戒を受ることを得、文殊哀愍の故に、来て道場に入り、円戒を以て吾等に授与し玉ふ。是の故に、礼すること一拝すべし〈金色世界及び清凉山の上首文殊師利の足下を礼の念上を作すべし〉。『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧なお、この「請師」項だが、全体で五段になっている。よって、記事1回で一段ごと検討してみたい。ここでは、菩薩戒授与の現場で重視されている「文殊菩薩」についての話である。本書では文殊を「羯磨阿闍梨」だとしている...『浄土布薩式』「大科第十請師」②(『浄土布薩式』参究19)
龍王様から龍の大玉をもらったので、もしかして、過去世の最澄ともなにか龍のご縁ってあったりしたのかな?と調べていたら、 「サガーラの娘の話」という記事に辿り着き…
「数学」とは「数の学問」ですが、今回は「数」について昔学校で学んだことを復習します(笑)ひと口に「数」といっても色々な種類があります。「1・2・・」というようにモノの個数や順番を表したのが「自然数」で一番最初にできた数字でこの自然数に「0」とマイナスを付けた自然数を加えたのが「整数」です。「分数」は割り算の答えとして考案されました。例えば1÷3という計算は整数の中に答えがないので「3分の1」という名前を与えたのが「分数」です。この「整数」と「分数」を合わせて「有理数」といいます。「小数」には小数点以下は有限の小数「有限小数」と、無限に循環する「循環小数」、そして√2のように分母・分子を整数で表…
明治期の改暦の関係で、現在では9月29日を「両祖忌」としている曹洞宗だが、かつての旧暦の頃の記録を見ると、8月28日に道元禅師が亡くなられたことが知られる。建長五〈癸丑〉年、八月廿八日〈甲戊〉寅之刻に偈を示して、自書して云く・・・(以下、遺偈)古写本『建撕記』ここから、建長5年(1253)8月28日の夜半、道元禅師が亡くなられたとされる。正治2年(1200)のお生まれだったため、54歳の御生涯であった。現在の曹洞宗では、日を改めて9月29日に「両祖忌」とするが、拙ブログでは今日8月28日を道元禅師の忌日として記事を書く日としている。理由は以下の通りである。8月15日⇒旧暦で瑩山禅師御遷化。ただし、「終戦の日」。8月28日⇒旧暦で道元禅師御遷化。9月29日⇒新暦で両祖忌。ここから、9月29日を瑩山禅師御遷化...8月28日道元禅師忌(令和6年度版)
日蓮宗も江戸時代の慧明院日燈(1642~1717)が著した『草山清規』を始め、法式の整備が進み、その到達点の1つが北尾日大(1877~1946)著の『日蓮宗法要式』(平楽寺書店・大正10年)であったらしい。なお、北尾は近代戦前期に至るまでを主たる活動期とし、戯曲の制作など多方面に功績を残した。今回は、その『日蓮宗法要式』に見える「盂蘭盆会」を採り上げてみたい。まず、式次(差定)は以下の通りである。一讃歎二奉請三願文四礼拝五懺悔六読経七祖訓八唱題九宝塔偈一〇回向一一三帰式後講演『日蓮宗法要式』142頁さて、拙僧の関心日蓮聖人は『盂蘭盆経』を「爾前経」に配した可能性が高く、『法華経』の教理によって乗り越えを図っている。そうなると、そもそも盂蘭盆会自体が日蓮宗でどう扱われるのかが気になる。そこで、上記内容に『法...大正期日蓮宗に於ける「盂蘭盆会」について
幸福の科学って宗教なんだから、神さまとか仏さまとか、信仰してるんでしょ。でも、なんで、そんなの信じられるの?信仰って何なのよ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『無限の愛とは何か──今よみがえる愛の福音』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。神という存在への思いなくして生きているということは、子供たちが、自らの親が誰であるかということを考えることなく、人生を過ごしてゆくことと同じなのです。子供は、生まれ落ちるとすぐに、自分の母親が誰なのか、父親が誰なのか知ろうとするでしょう。それだけではなく、知ってさらに、求めようとするでしょう。抱きしめてほしいと願うでしょう。一歩でも二歩でも、親に向かって進んでくるでしょう。それがほんとうの姿なのです。それなのに、親子の関係で言えば子...信仰って何なの?
皆さま お釈迦様は、約2500年前に「人生は苦である」(苦諦)と説きました。 ここでの「苦」とは、単なる痛みや不快感にとどまらず、虚しさや思い通りにいかないこ…
これは、【『幻住庵清規』「開甘露門」に見る「五戒」について】で考えたことの焼き直しである。先の記事では、拙僧自身が「開甘露門」全体を理解していなかったので、ちょっとピントが外れた記事となっていた。そこで、改めて「開甘露門」を読み直したところ、この一節は、「普施法食文」と「盂蘭盆施食」という2パターンの法要について書いていることを理解した。前回の記事は、前者についての内容であった。しかし、後半の法要として行う場合に詠まれる文言を見ると、以下のような一節があった。若し過去現在の身口意業を懺悔し披陳せざれば、則ち倒懸を解くべからず。既に懺悔し已りても、若し帰依三宝せざれば、仏を称して師と為すも、則ち倒懸を解くべからず。既に帰依三宝しても、若し如来真浄戒法を具受せざれば、則ち倒懸を解くべからず。既に戒を具し已りて...『幻住庵清規』「開甘露門」に於ける「受戒」の意義について
今日8月24日は、永平寺二祖・懐奘禅師(1198~1280)の忌日である。現代は、明治期の改暦の関係で、9月の高祖忌の前段階で行われるものであるが、旧暦では8月24日であった。・永平弉和尚、弘安三年〈庚辰〉八月廿四日に逝く、今、元亨三年に至りて、四十四年なり。古写本『洞谷記』・八月廿四日永平二代忌なり。塔頭にて諷経し、茶湯・小供物を供す。『瑩山清規』「年中行事」以上の通り、懐奘禅師は弘安3年(1280)の8月24日に御遷化された。そこで、今日の記事に因み、拙僧が学んでみたいのは、次の一節である。時に師聞て承諾し、忽に衣を更て再び山に登らず。浄土の教門を学し、小坂の奥義を聞き、後に多武の峰の仏地上人、遠く仏照禅師の祖風を受て見性の義を談ず。師、往て訪らふ。精窮群に超ゆ。有時、首楞厳経の談あり。頻伽瓶喩の処に...今日は永平寺二祖・懐奘禅師忌(令和6年度)
いわゆる本尊が阿弥陀仏の宗派に於いて、釈尊の経説由来の盂蘭盆会がどう扱われているかについて関心がある。既に【『真宗百通切紙』に於ける盂蘭盆式について】は記事にしておいたが、今日は浄土宗に於ける盂蘭盆会のあり方を見ておきたい。今回採り上げるのは、昭和14年に当時の浄土宗務所が発行した『浄土宗法要集』である。まず、差定は以下の通りである。洪鐘版木法鼓喚鐘作相入堂香偈三宝礼表白(盂蘭盆会表白)奉請六位咒願咒願献供咒釈尊三唱頂礼六位懺悔行道開経偈誦経(盂蘭盆経、又は小経)回願(いわゆる回向偈)摂益文念仏一会別回向〈十念〉総回向偈〈十念〉総願偈三帰礼送仏偈〈十念〉法話〈十念〉退堂前掲同著、164~168頁、適宜抽出我々洞門に於ける盂蘭盆施食会からすれば、法要の組み立て方は相当に違っている。お唱えする内容などは部分的...浄土宗に於ける盂蘭盆会について
そういえば、拙Wikiでも書いた通り、曹洞宗の盂蘭盆会は「盂蘭盆施食会」として行われる。その際、『甘露門』を読誦して施食供養を行うのだが、以前から不思議だったのが、例えば「五如来」である。・多宝如来・妙色身如来・甘露王如来・広博身如来・離怖畏如来以上である。ところが、『瑜伽集要救阿難陀羅尼焔口軌儀経』などでは、「七如来」となっており、しかも、その名称も禅宗系とは相違している。というか、禅宗系が相違しているという(詳細は【七如来―つらつら日暮らしWiki】参照)。・宝勝如来・多宝如来・妙色身如来・広博身如来・離怖畏如来・甘露王如来・阿弥陀如来それで、拙僧的に検討したいのは、「多宝如来」の是非である。密教系の『焔羅王供行法次第』では「宝勝如来」であり、「多宝如来」ではない。だが、曹洞宗では『瑩山清規』などを見...『甘露門』の「五如来」への雑感
法話とか仏法とか、その類の話や言葉には染み入るものが多い。 特に年齢を重ねていくと、過ごしてきた日々の反省やら、生死の世界を考える時間やら哲学する時間が増えて、このような言葉が身近に感じられるよ
供養する僧侶が不在の時は?(高田道見先生『盆の由来』参究10)
【盂蘭盆会は少ない供養でも大丈夫か?(高田道見先生『盆の由来』参究9)】の続きである。とりあえず今回の短期連載の最後の記事ということで、『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。その前に、今日扱うテーマだが、既に前回までの記事で申し上げてきた通り、盂蘭盆会の基本は食供養(施食)であり、しかも自恣をした僧侶たち(大衆)を供養するというものであった。そうなると、一つ疑問が出てくる。もし、僧侶が身近にいない場合はどうするのか?あるいは、明治時代以降には菩提寺を持たない人も増えたわけで、当然に知り合いの僧侶がいないケースも一気に増加したものと思われる。それを考えるときに、今日の問題が出てくるのである。◎問ふ、僧すらなき所、如何ぞ仏法を請すべきや○答ふ、今ま謂ふ所の仏とは肉身の仏にあらず、僧と云ふも亦肉身の僧にあら...供養する僧侶が不在の時は?(高田道見先生『盆の由来』参究10)
今日8月19日は、語呂合わせで「俳句(ハイク:819)の日」である。よって、少しく仏教と俳句について学んでみたい。ところで、個人的な感想ではあるが、松尾芭蕉には意外と仏教に関する俳句は少なく、小林一茶には多い印象である。理由などについては、考察したことがないので良く分からないが、本人の宗教観なども見ていく必要があるのだろう。さて、今日という日に因んで見ていくのは、以下の記事である。第九十六話仏経中の俳句先年一二の雑誌に見えたる話なるが、福地源一郎氏の父は頼山陽の門人なり、一日論語中に三十一文字の和歌あることを発見し、先生に語りて曰く、日本にて和歌の始は神代の八雲たつ出雲八重垣の歌なるが、支那にて和歌の始は何人の時代なるや承りたしと、先生曰く、支那に和歌のあるべき筈なしと、曰く有り、孔子の時代に始れりと、乃...今日は俳句の日(令和6年度)
馬国の仏教・道教の伝統である毎年の Hungru Ghost Festival(飢餓霊祭)は、宗教的な理念・教義とは少し視点の異なる「奇祭」だと思います。華人の皆さんが大真面目なのは、この祭典が他界の邪気・邪霊を封じる恒例行事だからです。