メインカテゴリーを選択しなおす
1380年頃に建てられた「宗猷堂」が、のちに開山堂と呼ばれ堂内には、明月院開山の密室守厳の木像と、最明寺・禅興寺・明月院の歴代住持の位牌が祀られているそうです。やぐらは鎌倉時代特有の洞窟墳墓で、明月院のものは鎌倉最大規模と言われ、間口約7メートル、奥行き6メートル、高さ3メートルの大きさを誇り、中央には宝篋印塔が建てられています。宝篋印塔は、山内上杉家の上杉憲方のものと伝えられ、背後の壁面には釈迦如来や...
タイトルから、いきなり何のこと?と思われた方もおられるかもしれないが、とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。九月十五日、宝篋印塔を建つ。『洞谷記』「元亨元年の記録」この「元亨元年」とは、西暦に換算すると1321年となり、この年に瑩山禅師は能登永光寺に宝篋印塔を建てたという。で、この「宝篋印塔」というのは、『宝篋印陀羅尼』という密教で用いる陀羅尼を収めた塔のことで、供養塔などの機能を持ち、墓碑塔としても建てられたという。中国で、南方の呉越王・銭弘俶が八万四千塔を建立したという伝説があるそうだが、これを真似した日本でも同様の様式が定まったという。それで、拙僧自身、このことを余り良く分かっていなかったので、文献的にも探ってみようと思う。忠懿、天性誠厚にして、夙に仏を敬うことを知る。阿育王の八万四千塔を造りたる...九月十五日瑩山禅師が「宝篋印塔」を建てる
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 たった一度で一生開運神仏融合アチューメント3100名以上の実績逢うだけで運気…