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江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?(2)
【江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?】の続きの記事である。問題意識などは、リンク先を見ていただければ良いのだが、要するに江戸幕府は一つの寺院に男女が一緒にいることを問題視したけれども、授戒会などは四衆といって、男女が一緒に修行するものだったから、そういう場合にはどうしていたのか?という話だったわけである。前回は、或る作法書の一節を紹介したけれども、今回は拙僧自身が持っていた作法書写本に、或る記述を見付けたので紹介しておきたい。黄昏に至て戒弟之婦人と尼僧は下宿に下山致さすべし。此時下宿にても開静迄は加行致すべしと申渡すべし。『直壇寮指南記戒会用心』、カナをかなにするなど読み易くしているこのように、黄昏(夕方)になると、戒弟の内、在家の女性と尼僧さんは、下宿に下ろしたと書かれているのである...江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?(2)
江戸時代に幕府から出されていた法度の関係で、男性住職の寺院に女性が、女性住職の寺院に男性が宿泊することは出来なかった。以下の通りである。一他人は勿論、親類の好これ有ると雖も、寺院坊舎に女人これを抱置すべからず、但し有来妻帯は各別なるべき事。『諸宗寺院法度』「条」段、分かりやすく訓読したこの『諸宗寺院法度』は寛文5年7月11日に徳川家綱による署名でもって「定」が、また老中の連署によって「条」が定められている。今回取り上げたのは後半部分に当たるものだが、上記の通り、寺院においては(どうしても男性住職が多いので)女性を置いてはならず、それは親戚などにも規制が及んでいた。さて、そうなると気になるのは、授戒会の加行で約7日間寺院に滞在するのだが、その場合、女性はどうしていたのだろうか?その辺が気になったので、ちょっ...江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?