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浄土真宗の祖師である親鸞は承安3年(1173)、下級貴族の日野有範の子として京都伏見の日野の里に生まれ幼名を松若丸と伝えらています。治承5年(1182)9歳の時に後の天台宗座主・慈円を師として出家し範宴(その後法然門下となり越後流罪後に親鸞と名乗ります)と称しやがて比叡山横川の常行堂の堂僧となります。建仁元年29歳の時に比叡山を下り東山の吉水で専修念仏を説いていた法然の門弟になり元久元年(1204)には『選択本願念仏集』の書写と法然の肖像を描くことを許され法然の専修念仏を受け継ぐ直弟子として認められます。元久元年に法然が定めた『七箇条制誡』に連署した109人に弟子の中にも綽空(親鸞)の名前があ…
我々は、道元禅師が用いた言葉であっても、それが現代と同じ意味として使われているとは限らないことを知るべきなのだろう。例えば、次の御垂示はどう理解すべきだろうか?しかうしてのち、衆僧、おのおのこころにしたがひて人事す。人事とは、あひ礼拝するなり。たとへば、おなじ郷間のともがら、あるいは照堂、あるいは廊下の便宜のところにして、幾十人もあひ拝して、同安居の理致を賀す。しかあれども、致語は、堂中の法になずらふ、人にしたがひて今案のことばも存す。『正法眼蔵』「安居」巻これは、「安居(特に、道元禅師の時代は「夏安居」に限定)」が始まるときに、修行僧達がお互いに挨拶する行持(人事)について指摘されたものである。それで、今でもそうだが、当時、修行僧達は住持に対して挨拶をした後で、お互いに挨拶したのであった。「人事(読み方...「同安居」という言葉
仏弟子は心の安定である禅定をどう見て無上の無碍安穏に到達するのか?中部経典52 アッタカ市人経から
前回の続きです。 では今回は前回を受けて、仏弟子は心の安定である禅定をどう見て、無上の無碍安穏に到達するのか?について御紹介してみたいと思います。 (中部経典 第52アッタカ市人経 (At.t.hakanāgara-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 第一期3 P53から引...
旅人よ 危ぶむなかれ その旅路 志賀の山越え 仏とともに ~志賀の大仏(滋賀県大津市)
前回の投稿でも触れましたが、先日滋賀・京都に行ってきました。滋賀県の西側、湖西エリアや大津エリアにはステキないくつか石仏がありまして、それを見て回るのも今回の旅行の大きな楽しみでした。 そんなステキな石仏のひとつが大津市にある「志賀の大仏」。↓ 「大仏」と書いて「おぼとけ」と読むそうです。「しがのおぼとけ」。おぼとけ!...じゃなくておぼえとけ!😴 以前から見てみたいと思っていた仏さまでした。 天智天皇の大津京跡からもそれほど離れていない(徒歩40~50分くらいだったでしょうか)場所にあります。 この仏像がある場所はもともと大津と京の都を結ぶ「志賀越え」または「山中越え」と呼ばれる街道の入口で…
宗教って、いい宗教もあるんだろうけど、悪い宗教も多いでしょ。どう見分ければいいの?なーんて、疑問に思ってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『人生成功の秘策』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。宗教の正邪を見分ける基本的な基準は、その宗教に入った人が、おかしくなるか立派になるか、ということです。長い眼で見ると、世間の眼はごまかせないのです。オウムに入れば、おかしくなって、どこへ進出しても嫌われるのです。ところが彼らは、「周りから差別や迫害を受けている」「住民たちが自分たちに害を加えている」「国家の謀略だ」と言っていますが、どこに進出してもそうしたことが起きるということは、縁起の理法からいっても、自分たちに原因があることは明らかです。要するに、その教団に入っている人たちが、狂っていき、おか...邪教の見分け方は?
今日、6月1日は半夏節である。半夏節とは、夏安居の半分という意味で、旧暦の時代は4月15日結夏、7月15日解夏であったため、6月1日が半夏であった。六月一日、半夏節と称す。若しくは上堂の次で、坐禅を放下する由を報ず。即ち随意坐禅なり、打鈑せざるのみ。『瑩山清規』「年中行事」以上の通りである。そこで、「半夏」で調べてみると、以下の事績が確認されたので、学んでおきたい。・師、又、末世の規矩を遺す為に、越前中浜に在りて、半夏頭院(陀?)行化す。『三祖行業記』「懐奘禅師章」・師、又、末世の規矩の為に、越前中浜に在りて、半夏頭陀化を行ず。『三大尊行状記』「懐奘禅師章」上記は、大本山永平寺二祖・懐奘禅師(1198~1280)の最古の伝記に位置付けられる『三祖行業記』『三大尊行状記』を引用したものだが、それらの伝記の末...6月1日旧暦なら半夏節
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第八懺悔」の項目を学んでいきたい。大科第八懺悔とは、前の所造を悔ゆ、後の所起を伏す、前後倶に断じて、永く罪を作らず、師は先づ頌を説く、受者次に唱ふ。其の頌に曰く、往昔し造る所の五逆の罪、四重謗法一切の悪、至心受戒刹那の頃に、軽重倶に滅して更に余無らん。『続浄土宗全書』巻15・78頁、訓読は原典に従いつつ拙僧懺悔である。大乗仏教であれば、懺悔は受戒の前に行われるのだが、その基本は既に作ってしまった罪を悔い、今後はそういったことを起こさないように願うことが大切である。そして、懺悔については、師僧が偈頌を唱え、受者がそれを受けて唱えるという。その内容だが、「かつての昔に作った五逆の罪、四重...『浄土布薩式』「大科第八懺悔」(『浄土布薩式』参究17)
「第一官律名義弁」其二十四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・24)
ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。現在は日本の役職となっている。それで、前々回の記事では奈良時代の制定された僧侶への位階である【四位十三階】を論じたのだが、詳細を『緇門正儀』で載せている内容から検討してみたい。一威儀師一従儀師延暦五年三月六日太政官符、威儀師の員を定むる事、右治部省の解を得て、偁く威儀師、其の員定まらず、比年の間、猶お増減有り、望み請う、...「第一官律名義弁」其二十四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・24)
前回までの記事などを受けつつ、江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』を読んでいたら、釈尊の親族で、その弟子になった者達について言及していたので、確認しておきたい。特に、篤胤は「難陀尊者」に関心を持っているようなので、見ておきたい。さて此時釈迦がその親族どもを弟子に致したる神変、又無理やくたひに出家させたる者多き中に、いとも憐むべきは釈迦が迦毘羅衛国の尼拘類と云にいて城内に入り乞食おしてあるいた所が、其弟の難陀と云が有り、此は彼摩訶波闍婆提が生んだ子でござる。年もいつかう若くして高ひ処から見ると釈迦が乞食するを見下て来て云には、仏は刹帝利の王胤として有ながら自ら鉢を持ち乞食をすることやあると恥しめて、其鉢へ飲食をいれてやつたでござる。釈迦は還てもはやかれを比丘来にしてやらんと云心...釈尊の弟子の話③(拝啓平田篤胤先生39)
明庵栄西禅師(1141~1215)は、中国に二度留学して、二度目の留学時には臨済宗黄竜派の虚庵懐敞禅師から法を嗣いで帰国されている。なお、帰国後、栄西禅師は、中国天童山の伽藍修築のため、日本から木材を送るなどしたという。そこで、栄西禅師が遷化された後、日本から弟子の明全和尚と、道元禅師など一行が中国に渡った時、栄西禅師の年忌を修行したという。その経緯について、『日本国千光法師祠堂記』(『続群書類従』9上)に書いているので、見て行きたいと思う。臨終を予め期して、両手に印を結び、安坐して化す。寿は七十五、臘は六十二。後十年、其の徒明全、復山中に来たりて、捐楮券千緡を諸庫に寄せて、転息して七月五日の忌、冥飯を設ける為とす。衆の本孝なり。このようにある。そこで、ここで考えてみたいのはこの供養自体がいつ行われたかと...天童山に於ける栄西禅師供養について
『大正新修大蔵経(以下『大正蔵』と略記)』巻78「続諸宗部9」に『偽書論』というのが収められている。『大正蔵』巻78は、日本における諸宗派の文献が収められているが、特に真言宗系の文献が中心になっている。そこで、『偽書論』は寛永6年(1629)に作成され、著者は恭畏(真言宗、1565~1630)という方である。「偽書」とは、著者の名前を偽って作られた著作のことであり、内容に著しく問題があるにもかかわらず、その著者の名前だけで有り難がられてしまうということが発生してしまった文献である。恭畏は本書冒頭で以下のように述べて偽書を批判する偽書の目録、先年に之を書写せしむると雖も、今度、重ねて祖師の勘文、少少書抜いて、授与す。努努、他見有るべからざるのみ。偏に是、破邪顕正の謂いか歟。傍流の族、正流の師伝を得ざるが故に...『偽書論』への雑考
今日5月25日、道元禅師が弟子の慧運直歳の行いを讃える機縁となった日でもある。早速、当該の文章を学んでみたいと思う。慧運直歳の充職は、乃ち延応庚子の歳なり。去冬除夜に請を承けて、今、供衆す。五月二十五日、梅雨霖霖として、草屋漏滴す。因みに、山僧入堂坐禅するに、照堂と雲堂と、両屋の簷頭、平地に波瀾を起こす。清浄海衆、進歩退歩、中間に兀立す。時に直歳に告ぐるに、匠人と等しく裰を脱ぎ笠つけず、屋上に上りて管す。雨脚、頂に潅げども辞労の色無し。予、潜かに発意を感ず、一句、他に与えん、と。乃ち、本祖の時、他を鑑憐するのみなり。爾して自り以来、月六箇を経、日、二百に将んとす。未だ工夫有らずも、其の意、忘れ難し。暑中に未だ筆をとらず、寒に至って墨を使う。是、則ち先仏の骨髄なり。一身の卜度に滞ること勿れ。吾子充職より已来...5月25日その日京都は雨だった
現在の曹洞宗では、「焼香師」という言葉が用いられている。しかし、この言葉は古い文献にさかのぼることが出来ず、『曹洞宗宗制』や『行持軌範』には用例はあるものの定義されていないらしい。よって、今回は定義的な問題を含めて検討したい。まず一般的な仏教辞典には、「焼香師」は立項されていない。これは、中国で編まれた漢訳仏典に「焼香師」が登場しないことを意味する。また、江戸時代の臨済宗の学僧・無著道忠禅師『禅林象器箋』にも、立項されていない。これは、江戸時代中期に、用例が存在しなかったと理解して良いのではなかろうか。ただし、『禅学大辞典』には「焼香師」が立項され、以下の意味を見出すことが可能である。①法会に際し香語を唱え香を拈ずる式師で、導師のこと。②本山などの大寺院の特別法要に、とくに外部から式師の役を勤めるもの。そ...焼香師について
昨日の【『正法眼蔵』勉強会】では、「画餅」巻を読んでいった。さて、禅語(禅の言葉)には、本来の仏教学からすれば独特なものがある。それは、いわゆる経典や論書(註釈書)で使われる仏教語を脱して、世俗で使われている日常語を大胆に導入した結果、生み出されたものが多い。その中に、極めて禅語的な響きを持つ言葉に「画餅」がある。古来は「わひん」だったそうだが、現在の曹洞宗では「がびょう」と読む言葉で、通常の日本語でも「がへい」と読んで、「画餅に帰す」といった用法がある。意味としては、「無駄」ということであり、様々な行いが、無駄になってしまったときに嘆息混じりでいわれる言葉ということになるだろう。又香厳智閑禅師、かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり、章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあ...画にかいた餅は飢を充たさず
谷本富(たにもととめり、1867~1946年)とは、教育者であると同時に、教育学者でもあり、乃木希典の殉死を批判したことなどもあり、京都帝国大学を逐われると、その後は批評家などとして活動した。その谷本に『現代宗教と性慾』(二松堂書店・大正12年)という文献があるのだが、何故か「授戒会に就て」という一節がある。谷本の問題意識は、何故に禅(坐禅)を中心としているはずの禅宗(特に臨済宗の記事が多い)に於いて、授戒会を行っているのか?という問題意識の解決を目指して考察したものである。その辺の事情は以下の通りである。勿論授戒会は固より禅家独特のものではない。爾余の仏教諸宗派、只独り真宗を除いての外には、大概これを行ふ様で、寧ろ禅宗の方では実は却て遙に後れて他の真似をしたらしく見受けられる様でもある。更に言葉を改めて...谷本富による禅宗授戒会への批評について
幸福の科学って、世界宗教になるって話、聞いたけど、なんで世界宗教なんて目指さなきゃいけないの?なーんて疑問持ってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション⑥ー悟りに到る道ー』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。戦争が起きる(中略)もっと根源的なる理由は、「お互いに理解することができない」ということ、「相互の理解ができない」ということが原因となっております。理解できない原因は、文化に共通項がないことが多いからです。だから、理解できないのです。共通の言語を持たない、共通の文化を持たない、共通の行動様式を持たない。そこに「不信」が生まれ、相手の考えが理解できないところから「憎しみ」が生まれ、「争い」が生まれてきます。これも、戦争の大きな大きな原因の一つです。...なぜ世界宗教をめざしてるの?
学生の頃、歴史の勉強というと思い出すのが年号の暗記です。私の時は「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」でしたけど、今は「いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府」らしいですね。他にも創価学会員だけが分かる歴史年号の語呂合わせとして、「ぶんこぶんぶん・おうちょうえいえい・がんがんがんぱち・まいこたつ」というものがありますが説明は割愛します(笑)。「歴史=暗記」というイメージで学生の時は歴史はあまり好きではなかったです。もっとも学校で歴史を教えるのには自ずと限界があります。というのは、歴史というのは「事実の歴史」と「認識の歴史」があって「認識の歴史」は思想教育になってしまうので積極的に学校では教授できませ…
拙僧の手元に、日蓮聖人の御書から、各項目に因んだ教えを集めた『崑玉撮要集』(上下巻、正徳6年初版の天保8年再版本)がある。本書を見ていると、様々な事柄について関係した日蓮聖人の教えを知ることが出来るということで、現代的なテキスト検索などが無かった時代には重宝したのだろうとか勝手に推察する次第である。そこで、ちょっと気になる一節があったので、学んでみたい。○三帰を唱ふるより題目を持するが勝れし事十二御書に云く、三帰ばかりを持つ人大魚の難を免れ、何に況や法華経の題目は八万聖教の肝心一切経の眼目也〈云云〉『崑玉撮要集』巻下・73丁表、見易く改めるなるほど、三帰依よりも『法華経』題目の方が勝れているという話をしているらしい。それで、この典拠となる御書は何であろうか?ちょっと調べたところ、真蹟が残る『法華題目抄』と...三帰依と題目の関係について
鈴木正三道人については、拙Wikiの解説でもご覧いただければ良いと思うが、まずは元武士で戦場働きをしたこともある人が、仏教の「持戒」についてどう説いているかが気になるのである。以下の一節を学んでみよう。○四十三工夫を倣って、疑情を発すも起たず、便ち有為の功行を倣わんと欲す。或いは解脱を倣い、或いは苦行を行い、冬は炉せず、夏は扇がず。人来て衣を乞えば、便ち全身脱去し、甘心凍死す、之を解脱と謂う。人来て食を乞えば、便ち自己は食わず、甘心餓死す、之を解脱と謂う。更に種々有り。具さに説くべからず。総じて之を諭すに、皆是れ勝心の無知を誑惑せしむる所なり。彼の無知は、是れを活仏と謂い、是れを菩薩と謂い、其の形命を尽くして承事供養す。殊に知らずや、仏戒中、之を悪律儀の業と謂う。是れ持戒なりと雖も、歩歩に結罪す。師、衆に...鈴木正三道人が示す「持戒」論
あの世って、マンガとか、ドラマとか、小説とかでよく出てくるけど、昔の時代のままで止まってるみたいに思えるんだけど、ほんとにそうなのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。あの世もまた、この世と同時に変化しています。現代の人が亡くなれば、その人が生きていたときと同じような生活様式があの世にも現れています。現代において、あの世の世界を見てきた人は、数百年前、あるいは千数百年前の臨死体験の報告にあるような、古代の世界を見たわけではありません。いまは、極めて現代的なあの世というものができています。天国も地獄も変わってきています。都会も現れています。この世にあるものはほとんどすべて、似たようなかたちで、想念の世界において現実化して...あの世って昔のままなの?
皆さま 当ブログは、霊性(Spirituality)をキーワードに、魂の心理学、日本的霊性を大きな柱として、関連する話題を幅広く取り上げています。 今回は死と…
先日、坐禅法を指導していたところ、僧堂(坐禅堂)への入堂時、聖僧様へは合掌低頭なのか?叉手低頭なのか?微妙に分からなくなった。いやでも、何となく叉手低頭で習ってきたように記憶していて、個人的にはそうすることで違和感が無いのだが、テキストを読んでいると迷うのである。入堂の法、合掌を面前に擎げて入る。〈中略〉前門より入は、上下間の者は、並びに南頬より入る。先づ左足を挙げて入り、次に右足を入れて行く。『赴粥飯法』いや、ちょっと待てよ。ここでは、合掌して前門を通るのだが、その後、問訊するとは書かれていない。なお、『行持軌範』になると以下のようになる。諸寮より入堂する者は、前門の南頬より先づ左足を挙げて入り、聖僧に揖し(叉手低頭)(以下略)『昭和改訂曹洞宗行持軌範』「第一暁天坐禅」項ここで、「叉手低頭」となっている...坐禅時の入堂法で聖僧へは合掌低頭か?叉手低頭か?
今日は5回目である。江戸時代の学僧・面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」を参究する連載記事である。昨日は、熊本県人吉市周辺では、未だ授戒会が行われていなかったと、面山禅師が認識していたことを示したが、今日はどのような内容であろうか。又、血脈を授くるとは、釈書栄西章に謂く、迦文従りの譜図を受く。五十三世、系連明覈なり。是れ今の血脈なり。古を按ずるに、六祖壇経に謂く、五祖、堂前に血脈図を画く。亦、日本叡山伝教大師、血脈譜一巻を作し、中に謂く、達磨大師相承血脈一首、是れ伝教は、法を馬祖法嗣の王姥山倐然に受くるの由来なり。我が相承する所は、天童浄祖、永平祖に授くる所の図なり。法灯国師の年譜に、いわゆる天童浄和尚従り相伝の血脈とは是れなり。今、仏祖正伝大戒血脈と題するものなり、知るべし。是の故に此の血脈、龍に授け...面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」参究(5)
禅定を完成させた異生(他)の生まれと禅定を完成させた仏弟子の生まれとは、その後どう違ってくるのか?増支部経典から
前回の続きです。 今回は、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た人(異生、他の人)のその後の人生の行方と、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た仏弟子のその後の人生の行方との違いという経典の御紹介です。 南伝大蔵経 第18巻 増支部経典 二 四集 百二十三 第三 怖...
今日は4回目である。江戸時代の学僧・面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」を参究する連載記事である。昨日は、「讃戒の偈」を中心に、戒の功徳を示した。それでは、今日はどのような内容であろうか。然れば亦、経に謂く、小乗戒は犯有れば即ち捨す。大石の破れるが如く、修補すべからず。菩薩戒は則ち金銀なるが如く、若し損すれども幾回も修補すべし。是の故に若し人心中に犯有ることを覚えるは、半月半月、布薩し礼仏懺悔すべし。晦日に懺悔すれば則ち十六日より後の罪悉く滅す。十五日に懺悔すれば、朔日より後の罪皆消えるべし。一生、是の如し。則ち縦い臨終に及ぶも、少しも罪有ること無し。是の故に謂く、命終時正見なれば心歓喜す。豈爾らずや。伝聞するに、此の郷、昔従り未だ菩薩戒の授受有らず。是れ、因縁の未だ到らざるなり。者回因有り縁有り、授受...面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」参究(4)
日頃は何気に使っている言葉にも、いざその意味合いを定義せよ説明せよとなると、 ちょっと答えに詰まってしまうことも少なからずあります。 自分なりにはその概念はしっかり把握しているつもりなのに、言葉としては巧く 表せないということです。 筆者の場合なら、たとえば「高級ブランド」...
【4月の結夏5月の結夏】の続きの記事と言うべきか。特に、現在の「結制祝祷上堂」の作法について、途中に「垂語」というのが出てくる。一応、軌範上の定義は以下の通りである。垂語住持は拄杖を卓てゝ垂語し、「何々底の漢あらば出で来て商量せよ」などゝ法問を促す。『昭和改訂曹洞宗行持軌範』「年分行持・五月十五日・結制祝祷上堂」項、138頁問題は、この「垂語」という表現である。無著道忠禅師『禅林象器箋』巻11「垂説門第十一」を見ると、「又た是れ垂示なり」(「垂語」項)とある一方で、「忠曰く、上堂の垂語、索話と称するは非なり。索話の処を見よ」(同)とあって、垂語と索話の違いについて論じている。実は、拙僧も、先に挙げた『行持軌範』の記述について、「垂語」の意味で係る範囲が何処までか分からないことがあった。もちろん、拙僧自身の...垂語と索語と釣語
今日は3回目である。江戸時代の学僧・面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」を参究する連載記事である。昨日は、戒を受けない場合には仏道修行が継続できないことを示された。それでは、今日はどのような教えになっているだろうか。是の故に縦い是の男女、此の戒を受けざれば、彼と異ならず。者回の真俗の男女、二百三十五人、等しく仏位に入るは、無上の大功徳なり。豈に並ぶもの有りや。是を以てか、讃戒の偈に言わく、戒を妙法の蔵と為し、亦た出世の財と為す。戒を大なる舟船と為し、能く生死の海を渡る。戒を清涼の地と為し、諸熱悩を澡浴す。戒を無畏の術と為し、邪毒の害を消伏す。戒を究竟の伴と為し、能く険悪の道を過ぐ。戒を甘露の門と為し、衆聖の遊ぶ所なり。『永福面山和尚広録』巻10「肥後求麻永國寺満戒普説」既に【(1)】で述べたように、永国...面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」参究(3)
ね、いま、信仰が大切だなんて、教えられてるんでしょ。信仰って、神社におまいりしたり、仏壇でおがんだりするなんだよね?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『真説・八正道』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。「信仰」というと、みなさんは、どこか遠いところにいる神仏を拝んだり、他力を頼んだりするイメージが強いかもしれません。しかし、「信仰の原点」はいったいどこにあるかというと、「みなさんが神仏によって創られた」という創造の秘密にあるのです。「みなさんが神仏によって創られた」ということを信じるか、そして、「神仏によって創られたみなさんが、永遠の生命のなかで無限の転生輪廻を繰り返しながら魂修行をしている」という説を信じるかということです。まず、これを問われているわけです。こ...信仰って?
このまんだらを身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく・子ををやのあいするがごとく・いをの水をたのむがごとく・草木のあめをねがうがごとく・とりの木をたのむがごとく・一切の仏神等のあつまり・まほり昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし 今月の御講御書は『妙心尼御前御返事』の御文を拝読しました。妙心尼は高橋六郎兵衛入道の妻です。河合入道の娘で日興上人の叔母に当たります。持妙尼(大聖人からいただいた法号と言えれています)とも窪尼(夫の死後に郷里の西の窪に移住したのでその地名です)とも呼ばれていて、妙心尼・持妙尼・窪尼は同一人物と思われます。今回は御文の冒頭の御本尊受持につ…
こんにちは、アイチューバーことイラストユーチューバーで電脳少女隊のミラクルもっちーです。 本日は、因果応報とバチについて動画で平易に解説しています。理不尽な…
江戸時代の学僧・面山瑞方禅師には、いくつかのまとめられた説戒録が残されているけれども、最晩年の説戒録として知られているのが、「肥後求麻永國寺満戒普説」である。これは、現在の熊本県人吉市内にある永国寺さまにて行われた授戒会に随喜された面山禅師の説戒録になる。同寺にて説戒を行った経緯は、『年譜』の以下の文章から知られる。明和4年(1767)師85歳十一月肥後球麻永国寺円髄力生至りて、師を来夏の結制に請う。師、諾す。明和5年(1768)師86歳二月二十三日京より発して、肥後永国寺結制の請に赴く。三月二十三日を以て到る。制中に、『金剛経纂要』及び『参同契吹唱』を開示し、且つ戒会を開く。得戒者、二百三十五人。事畢りて、五月二十八日を以て求麻を発し、六月二十五日を以て京に入り、直ちに建仁西来院に寓す。このようにあって...面山瑞方禅師「肥後求麻永國寺満戒普説」(1)
万仭道坦禅師『禅戒本義』所収「嵩嶽元圭禅師戒文」について(1)
まず、万仭道坦禅師の『仏祖正伝禅戒本義(以下、『禅戒本義』)』は『曹洞宗全書』「禅戒」巻に翻刻収録されているが、安永3年(1774)序・跋の版本があって、拙僧の手元には明治期の貝葉書院後刷本がある。それを見ても、「嵩嶽元圭禅師」と書いてあるので仕方ないのだが、「嵩嶽元珪禅師」と表記されるのが一般的である。その表記だと、『景徳伝灯録』巻4の表記から、五祖弘忍―嵩嶽慧安―嵩嶽元珪と続く法系の人で、要するに五祖からの傍出(例えば慧能禅師や神秀禅師ではない)の法系の人、ということになるだろうか。それで、万仭禅師は『禅戒本義』に「嵩嶽元圭禅師戒文」を収録したのだが、これは先に挙げた『景徳伝灯録』を初め、『聯灯会要』巻3・『五灯会元』巻2などの「嵩嶽元珪禅師章」にも見え、見ることは全く難しくない。おそらく、中国禅宗で...万仭道坦禅師『禅戒本義』所収「嵩嶽元圭禅師戒文」について(1)
今日、5月9日は語呂合わせで「呼吸の日」らしい。以前は、機動戦士ガンダムに出てくるジオン軍のゴッグの日だと思っていたが、今日は「呼吸の日」に因んで、坐禅の呼吸について学んでみたい・・・と思ったが、決して難しくはない。鼻息微かに通じ、身相既に調えて、欠気一息し、左右揺振すべし。流布本『普勧坐禅儀』呼吸の基本は、「鼻息微かに通じ」なので、実際には口を閉じて鼻から呼吸する。以下の御垂示もある。鼻息は通ずるに任せ、喘がず声せず、長からず短からず、緩ならず急ならず。『弁道法』通ずるに任せというのは、ごく自然に呼吸することをいう。腹式呼吸などを強調すべきだという見解もあるが、実はそこまででも無いし、むしろ、そういった呼吸の強調が否定されている部分もある。上堂。衲子の坐禅、直に須らく端身正坐を先と為すべし。然る後に調息...5月9日「呼吸の日」に学ぶ坐禅の呼吸
我が家の階段には窓がある。そこからよく、主人が帰る頃の時間になると角を車が曲がって来るのを見ていたものでした。お風呂上がりの私は、空気の入れ替えも兼ねて窓を開…
反省なんて、なんで必要なんだろ。大人に反省なんて必要なのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の発見説法自由自在①』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。天国にいれば反省はいらないのです。しかしこの世にでたら、それぞれの人間がおたがいの心が読めないので、相手が頭をなぐってほしいと思っているのではないかと誤解して、頭をなぐったりするわけです。これは極端な例ですが、そういうことが起きうるのです。それで、間違ったときにはどうしたらよいかといえば、心の針を戻さなければいけません。これが反省です。この三次元の地上世界というのは、ひじょうに間違いを起こしやすいのです。間違いを起こしやすい理由は、肉体があり、物質があり、霊的なことを忘れやすい環境だからです。盲目であるから、...なんで反省が必要なの?
Buddha は一神教 神&悪魔から悪魔を取り除くとBuddhaに等しい
昨年後半から、 Buddha と如来の関係を考えてきました。そのうちに、 Buddha は、科学になり得ないと気づきました。 2023年11月2日 ヲシテ文献の「カミ」{Buddha:タマ 如来 神} 科学になり得るのは … 続きを読む →
ちょうど、【『正法眼蔵』勉強会】で「画餅」巻を読み始めたので、備忘録的に書いておきたい。この一言をあきらめざらん、たれか余仏の道取を参究せりと聴許せむ。『正法眼蔵』「画餅」巻この一節は、香厳智閑禅師はそれまで経論を学んだ秀才の僧侶だったのだが、潙山霊祐禅師の下で学んでいた時に父母未生以前の言葉を持ってくるようにいわれ、それが出来なかった時に発した言葉「画餅不充飢」を指したものである(詳細は「渓声山色」巻を学ばれると良い)。その言葉は、経論の学びをただ無駄なものだと、如何にも禅宗らしく理解されていたのだが、道元禅師はそういった理解は正しくないとし、真実の「画餅」理解を示すために本巻を著された。よって、先の一節は、「この一言を明らかにしないのなら、誰が他の仏であっても、この言葉を参究していたと許すことがあろう...「余仏の道取を参究せり」について
これは、以前にアップした【「総相戒」の話】と対をなす記事である。『大智度論』では、「尸羅波羅蜜」を「十善道(十善戒)」だと位置付けているが、その理由を考えると、「総相戒」と「旧戒」が該当するように考えられるためである。そこで、今回は「旧戒」を学んでみたい。十善道、旧戒と為し、余の律儀を客と為す。復た次に、若し仏、好世に出れば、則ち此の戒律無し。釈迦文仏の如きは、悪世に在ると雖も、十二年中、亦た此の戒無し、是を以ての故に、是れ客なるを知る。復た次に、二種戒有り。有仏の時、或いは有、或いは無なり。十善、有仏・無仏、常に有り。復た次に、戒律中の戒、復た細微なりと雖も、懺すれば則ち清浄なり。十善戒を犯せば、復た懺悔すると雖も、三悪道の罪、除かず。比丘の畜生を殺すが如きは、復た悔を得ると雖も、罪報、猶お除かず。『大...「旧戒」の話
こんにちはやまカツ年金生活者・仏教CHです先にお断りしておきます私は特定の宗派を支持している者ではありません専門家でも仏教を習った者でもありません🙏ではなぜ?項目を設けて仏教と仏像?答え仏像を見るのが好きなのでこれからの趣味に加えられてはいかがでしょうか?先般のブログ「興福寺」国宝館に80分滞在しました👍私椅子があれば4時間滞在する自信があります💪そして、最終コーナーの十大弟子立像は素晴らしいです最終...
5月6日は、「5月(may)6日(ろ)」の語呂合わせで、「迷路の日」らしい。なお、いわゆる「迷路」の語句は、英語の「maze」の訳語として「曲折、混雑、迷惑、迷路、曲路」(明治6年『英和字彙』参照)の1つとして見える。なお、本来の漢語としては「路に迷う」という動詞で使われる。その意味で、以下の一節を学んでみたい。梁の普通よりのち、なほ西天にゆくものあり、それ、なにのためぞ。至愚のはなはだしきなり。悪業のひくによりて、他国に跉跰するなり。歩歩に謗法の邪路におもむく、歩歩に親父の家郷を逃逝す。なんだち、西天にいたりてなんの所得かある、ただ山水に辛苦するのみなり。西天の東来する宗旨を学せず、仏法の東漸をあきらめざるによりて、いたづらに西天に迷路するなり。『正法眼蔵』「行持(下)」巻「西天に迷路するなり」と示され...今日は「迷路の日」
さて、端午と言えば、古来から禅宗でも重要な日であり、道元禅師も端午に因む行持を行われた。この日に行持を行う理由は、中国の風習に由来する。そして、五月の端(はじめ)の五日、つまり五月夏至の端(はじまり)の意味を持ち、端午の称は午月午日午時の三午が端正に揃うことに因む。このように五月五日を端午と明らかに称するようになるのは唐代以後のこととされ、宋代以後には「天中節」とも呼称された。これは、五月五日の五時が天の中央にあたることと、この日の月日時の全てが数字の“一三五七九”の天数(奇数)の中央である“五”にあたることから、天中節と称する。端午には廳香・沈香・丁子などを錦の袋に入れ、蓬・菖蒲などを結び、五色の糸を垂らさせた「薬縷(薬玉)」を作り、柱にかけたり身に付けたりして、邪気を払い長命息災を祈った。また、薬狩と...今日は「端午の節句」(令和6年度版)
「幸福の科学は、仏教的精神が基本にある宗教なんです」と話したりすると、「でも仏教って、あの世を認めてないんじゃないの?」なんて質問が来たりします。本当に、仏教は、あの世を認めてないんでしょうか?幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(下)』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。しかし、正確に仏典を読んでいくと、あの世や魂がなかったら、到底ありえないような話ばかりが出ているわけです。あの世がないのに、なぜ成仏ということがあるのでしょうか。あの世がないのに、どうして阿弥陀様がいらっしゃるのでしょうか。あの世がないのに、どうして来世の幸・不幸や、あるいは地獄に堕ちるという話が出てくるのでしょうか。また、魂の転生輪廻というものがないのに、なぜ釈迦が「過去世にも仏陀がいたのだ」という「過去七仏」の話を何度も...仏教はあの世を認めてるの?
今日5月4日は、「みどりの日」である。なお、2007年からそうであった。昭和時代は、昭和天皇の誕生日だった4月29日が、平成に至って「みどりの日」と呼称されたが、更に5月4日へ移動されたのである。今は、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」という意義付けがされる。今日は「みどりの日」に因み、「みどり(緑・碧・翠)」に関わる記事でもアップしようと思うが、1つ思い付いたのが、『碧巌録』である。中国臨済宗の圜悟克勤禅師が、雪竇重顕禅師の頌古100則に自ら評唱などを付した文献なのですが、この名前に「碧」が入っている。「碧巖」で「みどりの岩山」っていうことなのでしょうが、調べてみると、「碧巖に住し……」とかいう表現が見えたので、その名前の付いた山か、寺院にでも住していたのかと思いきや、夾山の...今日は「みどりの日」(令和6年度版)
5月の和名は「皐月」である。もっとも、「五月」も「さつき」と読むため、「皐月」はどういうことなのかな?そういえば、こういう記事でいつも参照させていただいている三田村先生の本を確認しておきたい。◎五月和名をさつきといふ、田をうふる月なれば、さなへ月といふを略せる也と奥義抄に見へたり。三田村鳶魚先生『江戸年中行事』中公文庫・1981年、41頁要するに、「早苗月」の略で「さつき」ということらしい。それは良いとして、問題は「皐」の字か。単漢字としては、「岸、沢、水際」などの意味であり、「皐月」は「こうげつ」とも読むらしいが、中国での陰暦五月の表記に該当する。よって、中国での漢字表記に、日本での「さつき」の読み方を充てたと考えれば良いということになる。・・・これで終わってしまうと記事にならないので、五月に因む内容で...「皐月」一考
まずは、以下の一節を見ておきたい。大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元、はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す。先師古仏、はじめて道元をみる。そのとき、道元に指授面授するにいはく、仏仏祖祖面授の法門、現成せり。これすなはち霊山の拈華なり、嵩山の得髄なり、黄梅の伝衣なり、洞山の面授なり。これは仏祖の眼蔵面授なり。吾屋裏のみあり、余人は夢也未見聞在なり。『正法眼蔵』「面授」巻この一節を拝して、拙僧自身が思うことは、素直に、初相見されたのであろう、ということである。実際、道元禅師が中国に渡られて、最初に入られたのが天童山だったことは間違いない(その前に、別の律院に行ったりはしているが、安居ではない)が、その時の住持は臨済宗大慧派の無際了派禅師であり、無際禅師とは相見し、礼拝したことが知られている(『正法眼蔵』「嗣書...宝慶元年五月一日道元禅師が天童如浄禅師から面授
前回までの記事などを受けつつ、江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』を読んでいたら、釈尊の親族で、その弟子になった者達について言及していたので、確認しておきたい。特に、篤胤は「提婆達多」に関心を持っているようなので、見ておきたい。其つぎお調達といふ、是がいわゆる提婆達多でござる。これがとかく釈迦のすることが気に入らぬと云て、生がい争つた男でござる。尤もさやうに始終の宜しかるまじき訳は、釈迦が彼瞿夷と云女を迎へる時に、調達も夫に心をかけていたなれども釈迦にとられたるから、始終夫が根と成て中わるかつたと見へるでござる。とふとふ争ひが募り是は釈迦の神通で焼殺されたでござる。『平田先生講説出定笑語(外三篇)』72頁さて、この「瞿夷」という女性だが、釈尊の妻の一人だったとされる。瞿夷は、...釈尊の弟子の話②(拝啓平田篤胤先生38)
今日4月29日は「昭和の日」で祝日となっている。何故、この日が「昭和の日」かといえば、拙僧どものような昭和生まれにはよく分かっていて、元々が昭和天皇の誕生日として祝日だったからである。昭和天皇が崩御されてからは、「みどりの日」という名称で残されたが、結果として同日は「5月4日」へ移動となり、4月29日は「昭和の日」となった。平成生まれには意味が分からない祝日だとは思うのだが、拙僧どもには、或る種の哀愁を感じさせる祝日である。よって、毎年この日には、昭和とは一体何だったのか?といったようなことを考えるようにしている。とはいえ、政治や社会についてのみ考えると堅苦しくなるから、緩いネタではある。今年は、『昭和人事総覧』(聯合人事調査通信社、昭和4年)という当時の「年鑑」のような書籍から、昭和初期の仏教、就中曹洞...「昭和の日」に『昭和人事総覧』へ一言