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まずは、以下の一節を見ておきたい。大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元、はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す。先師古仏、はじめて道元をみる。そのとき、道元に指授面授するにいはく、仏仏祖祖面授の法門、現成せり。これすなはち霊山の拈華なり、嵩山の得髄なり、黄梅の伝衣なり、洞山の面授なり。これは仏祖の眼蔵面授なり。吾屋裏のみあり、余人は夢也未見聞在なり。『正法眼蔵』「面授」巻この一節を拝して、拙僧自身が思うことは、素直に、初相見されたのであろう、ということである。実際、道元禅師が中国に渡られて、最初に入られたのが天童山だったことは間違いない(その前に、別の律院に行ったりはしているが、安居ではない)が、その時の住持は臨済宗大慧派の無際了派禅師であり、無際禅師とは相見し、礼拝したことが知られている(『正法眼蔵』「嗣書...宝慶元年五月一日道元禅師が天童如浄禅師から面授