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慈悲喜捨(サマタ)の瞑想から観(ヴィパッサナー)瞑想に移行して如何に解脱するのか?
⇑前回の続きです。 今回は慈悲喜捨(サマタ)の瞑想から観(ヴィパッサナー)瞑想に移行して如何に解脱するのか?そのやり方、姿勢のご紹介です。 中部経典 第52アッタカ市人経 (At.t.hakanāgara-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 第一期3 P57から引用) [ア...
今回は慈悲喜捨の瞑想をする人の死後の行方につきまして該当経典からご紹介してみたいと思います。 南伝大蔵経 増支部経典 四集 第三 畏怖品 大蔵出版 p226から 百二十五 比丘衆よ、此等の四の補特伽羅(人のこと)あり、世の中に存す、何をか四とす。 比丘衆よ、世に一類の補特伽...
禅定に入った四種類の人間の、死後のそれぞれの行方はどうなる? 増支部経典から
仏弟子は心の安定である禅定をどう見て無上の無碍安穏に到達するのか?中部経典52 アッタカ市人経から - インド最初期仏教への誘い 仏弟子は心の安定である禅定をどう見て無上の無碍安穏に到達するのか?PART2 中部経典52 アッタカ市人経から - インド最初期仏教への誘い 今...
仏弟子は心の安定である禅定をどう見て無上の無碍安穏に到達するのか?PART2 中部経典52 アッタカ市人経から
⇑ 前回の続きです。 つぎにまた、資産家よ、比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、心の安定より生じた喜びと楽のある第二の禅に達して住みます。 かれはこのように観察します。 〈この第二の禅も形成されたもの、意思さ...
仏弟子は心の安定である禅定をどう見て無上の無碍安穏に到達するのか?中部経典52 アッタカ市人経から
前回の続きです。 では今回は前回を受けて、仏弟子は心の安定である禅定をどう見て、無上の無碍安穏に到達するのか?について御紹介してみたいと思います。 (中部経典 第52アッタカ市人経 (At.t.hakanāgara-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 第一期3 P53から引...
禅定を完成させた異生(他)の生まれと禅定を完成させた仏弟子の生まれとは、その後どう違ってくるのか?増支部経典から
前回の続きです。 今回は、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た人(異生、他の人)のその後の人生の行方と、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た仏弟子のその後の人生の行方との違いという経典の御紹介です。 南伝大蔵経 第18巻 増支部経典 二 四集 百二十三 第三 怖...
ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 part③まとめ 相応部経典から 番外編[禅定について]
⇑ 前回の続きです。 今回は、「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」のまとめになります。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p436~ 受を知る(ゴータマ・ブッダ曰く) も...
ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 part② 相応部経典から 番外編[禅定について]
前回の続きです。 今回は、アッサジ比丘の語る「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」になります。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p431~ ーーーーーーーーーーーーー 「...
ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 相応部経典から 番外編[禅定について]
⇑前回の続きです。 今回から八正道の中に、(禅定、正定は入っている、欲を離れるためには必要であるが、~前回の話)‘’禅定は仏教の真髄ではない‘’というお経をご紹介したいと思います。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長...
ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の危難(欠点)とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART15[次第説法48 感受(感覚)の危難(欠点)]
⇑前回の続きです。感受(感覚)の危難(欠点)について。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P247~から引用 感受の危難nissaran.a 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の危難とは何か...