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【書評】部落出身の主人公の葛藤と歴史的背景を考える!島崎藤村「破戒」を読む
皆さんには、教科書で習ったから名前は知っているけど読んだことがない本はありますか? 私はあります。それはもう大量に。お恥ずかしい…。 というのも、私が読書に目覚めたのは大学を卒業して社会人数年目の20代半ば。学生時代に読んでいた教科書のなか
このような文脈があった。又、悲華経に袈裟に五種の功徳を説せらる。これは世尊の因地の修行の時の誓願にて、それを今日成就せらることを示さる。その五種の第一には、仏法に入て、たとひ禁戒を破せし罪ありても、一度この袈裟を信心して著たらん人は、不退転の授記あるべしと。面山瑞方禅師『釈氏法衣訓』、明治期再版本27丁表、カナをかなにするなど見易く改めるこれを読む限り、御袈裟の功徳はかなりのものである。禁戒を破しても、最終的には授記(成仏するという予言を受けること)されるというのである。なお、面山禅師はその典拠を『悲華経』としているが、同経には修行中の釈尊が、五百大願を建てたことが示されている。そこで、実際にはどういう文脈であるのか?世尊よ、我れ成仏し已るに、若し衆生有りて我が法中に出家し袈裟を著くる者有り。或いは重戒を...御袈裟は破戒の罪を救うのか?
【推薦!カンフー映画】アンジェラ・マオ 破戒 (破戒BROKEN OATH)93分
カンフー映画としてのおすすめ度 ★★★★★★★☆☆☆ 部下の裏切りによって命を奪われた両親の仇を打つため、獄中
以前、【持戒の比丘は横死しても名を残す】という記事を書いたのだが、その時、実は前後の文章をかなり省略して書いてしまった。そして、前回の記事でも書いた通り、個人的には「禿居士」という言葉を学んでみたいと思っていたので、今日の記事ではその部分に注目しておきたい。迦葉菩薩、仏に白して言わく、「世尊、若し比丘有りて守護を離れ、独り空閑・塚間・樹下に処せば、当に是人を説いて真比丘と為すべし。若し守護者に随逐して行くこと有れば、当に是の輩を是れ禿居士と知るべし」。『大般涅槃経』巻3「金剛身品第二」おそらくだが、こういった修行者の方が世間一般的には「受けが良い」ような印象がある。しかし、大乗経典である『大般涅槃経』では、そういった評価をしていない。仏、迦葉に告ぐ、「是の語を作して、禿居士と言うこと莫れ。若し比丘有りて所...「禿居士」の話
コメントいただきありがとうございます。 なかなか鋭いご指摘かと思いました。感心させられる「読み」だと思います。 「スナックのホステスと客」ですか。 雰囲気は確かにそんな感じでした。 化粧を落としたスナックで働く女性、そして客という推理です。 そしたら家内が言いました。 「もう店が開くような時間じゃん!」 「歌舞伎役者じゃないんだからいちいち化粧なんか落とさないよ!」 などと反論(笑)。 ああ、「...
先々週くらいから少しずつ読んでいた、近代日本文学の頂点とも言われる島崎藤村の『破戒』を読み終えた (以下、ネタバレありのため、注意) 昔、ある文学者先生が、島崎藤村は姪と関係して、そのことを小説で
適度な飲酒は認められている寛容な「唯一神 真知宇 イエス教会」 関西の同志社卒 増田真知宇 先生
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菩薩戒は良く、「一得永不失(一たび得れば、永く失わず)」などといわれ、失わないものとされるが、敢えて、失う条件について提示した文献もあるので、見ておきたい。諸大徳よ、一心に諦聴せよ諦聴せよ、善く之を思念せよ。我、今、三世諸仏・菩薩の成就利益一切衆生功徳戒を説かんと欲す。是の如く菩薩戒に住する者、四波羅夷法有り。何等をか四と為すや。若し菩薩、利養の為の故に自讃毀他す、是れを菩薩波羅夷と名づく。若し菩薩、多饒の財物ありて、貧苦の人来たりて従いて乞索す、菩薩慳貪にして慈心有ること無く、乃至、一銭の物も施さず、求法の者、乃至、為に一偈を説かず、是れを菩薩波羅夷と名づく。若し菩薩、瞋りて、人の前に於いて悪言罵辱し、加以、手で打ち及び杖石を以てし、意、猶お息まず,前の人、悔を求めて善言懺謝すれども、菩薩、猶お瞋憤結し...菩薩戒を失う条件とは?
あくまでも、律蔵への註釈書ではあるが、以下のような教えがあったので確認しておきたい。出家に三種の偸有り。一には偸形、二には偸和合、三つには亦た偸形、亦た偸和合なり。云何が偸形なるや。師無くして自ら出家し、比丘臘に依らず、次第に依らずに礼を受け、僧の法事に入らざるして、一切の利養を受けず。是れを偸形と名づく。云何が偸和合なるや。師有りて出家して十戒を受く。未だ具足戒を受けず。他方に往きて或いは十臘と言い、或いは二十臘と言い、次第に人の礼を受け、僧の布薩及び一切の羯磨に入り、次第に依り人の信施を受く。是れを偸和合と名づく。云何が、亦た偸形、亦た偸和合なるや。師無くして自ら出家し、次第に依りて臘を受く。一切の羯磨に入り、人の信施・礼拝を受く。是れを偸形、亦た偸和合と名づく。『善見律毘婆沙』巻17まず、偸というの...「出家に三種偸有り」という話
個人的に、浄土真宗・存覚上人の『六要鈔』を参照していたら、「末法の中に名字比丘は世宝たるが故に痛むべきにあらずとなり」という一節があった。この一節は、末法無戒の理由や意義について説かれた内容なのだが、そこに、「名字比丘」という表現があった。そこで、とりあえず以下の一節などを見てみた。了知すべし、清浄士よ、是れより以後、我は法中に於いて、復た鬚髪を剃除し、身に袈裟を著けると雖も、禁戒を毀破し、不如法を行ずるは仮名比丘なり。如是の如く破戒の名字比丘、若し檀越有りて捨施し供養して護持養育すれば、我れ是の人、猶お、無量阿僧祇大福徳聚と説く。何を以ての故に、猶お能く多くの衆生を饒益するが故に。『大方等大集経』巻55「月蔵分第十二分布閻浮提品第十七」まぁ、こういう感じの時には、ほぼ必ずと言って良いくらい参照されるのが...「名字比丘」について