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#日本史
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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 30.徳川家康・十八
以上が、『どうする家康』の展開であるが、明らかに、史実を逸脱しており、諸説として、完全に認められない。 通説では、築山殿は、徳川家康と不仲であり、悪女とされ…
2023/07/16 06:22
日本史
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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 29.徳川家康・十七
織田信長が、長篠の戦いにおいて、武田勝頼に勝利を治めた頃から、信長と徳川家康は、対等な同盟関係ではなくなってゆく。 徳川家康は、「一門に準ずる、織田政権下の…
2023/07/15 00:16
芸術の世界と宗教って?
芸術の世界って、宗教と関係あるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『竜宮界の秘密』――豊玉姫が語る古代神話の真実(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。日本神道の源流に迫る一書である。私は、宗教も「真」「善」「美」の中の「美」についても追求すべきだと思う。「芸術の世界」と言いかえてもよいかもしれない。現代人は、心の透明度とか魂の美しさについて、もっともっと考えてもよいのではないか。それが、人間の本質が霊であり、魂こそが人間の本体であるという悟りに近づく道の一つであると思う。本書によって、来世の美しさの一部でも開示できたとするなら、著者としては望外の喜びである。(180~181ページ)宗教も「真」「善」「美」の中の「美」、つまり「芸術の世界」について...芸術の世界と宗教って?
2023/07/14 23:50
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 28.徳川家康・十六
鳶ヶ巣山攻防戦によって、武田軍は、武田勝頼の叔父の河窪信実を筆頭に、三枝昌貞、五味高重、和田業繁、名和宗安、飯尾助友等の家臣が討死している。 武田の敗残兵達…
2023/07/14 01:30
【歴史の本】ランキングBest500<61位~70位>
◆第061位 『ノルマン騎士の地中海興亡史』評価:085点/著者:山辺規子/巻数:全1巻/ジャンル:西洋史/2009年 ◆第062位 『韓国の教科書に出てくる…
2023/07/13 00:05
『鎌倉殿の13人』がNHKオンデマンドから消されてた(泣)
こんばんは最近、鎌倉殿ズのイラストを描いてるんですけど、狩衣の参考資料が欲しくて、NHKオンデマンドで配信されている『鎌倉殿の13人』を観ようとしたんですよ。…
2023/07/13 00:01
日蓮の考えって?
戦争は絶対にいけない、平和だけが善だっていう考え方があるけど、たとえば、仏教系の多くの宗派が奉じてる日蓮聖人は、このあたりを、いま、どう考えてるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『日蓮聖人「戦争と平和」を語る』――集団的自衛権と日本の未来(幸福の科学出版)で、天上界の日蓮聖人の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。だから、「戦争というのは、とにかく善なる戦争も悪なる戦争もなくて、完全に、戦争そのものが悪なんだ。平和そのものが善なんだ」という感じ方、考え方は、非常に単純な正義論ではありますし、政治学者、国際政治学者等のなかにも、そういうふうに言う方はいらっしゃいますが、本当に歴史をよく勉強した人であったら、その考えが間違いであることは分かるはずなんですね。...日蓮の考えって?
2023/07/12 23:04
陰陽師が登場する説話文学一覧・あらすじ
目次 陰陽師が登場する説話宇治拾遺物語内記上人、法師陰陽師の紙冠を破ること今昔物語集慈岳川人、地神に追わるること東三条の銅の精、人の形となりて掘り出ださるること近江国安義橋なる鬼、人を喰らうこと播磨国
2023/07/12 22:18
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 27.徳川家康・十五
鳥居強右衛門は、「あと二、三日で、数万の援軍が到着する。それまで持ちこたえよ」と、武田勝頼の命令とは、逆のことを大声で叫んだ。 武田勝頼は激怒すると、部下に…
2023/07/09 06:15
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 26.徳川家康・十四
武田氏の西上作戦の頓挫によって、織田信長は、反織田勢力を撃滅して、徳川家康は、勢力を回復して、攻勢に出た。 それに対し、武田信玄の後継者、武田勝頼は、攻勢に…
2023/07/08 00:14
エッセイ 森銑三という人 <初雁>
ご存じの方は少ないと思うが、日本の近現代に森銑三という人がいた。 この人は、図書館の司書をしながら、執筆活動をしていた人で、あまり目立たないが、とても優れた著作を残していて、特に日本の江戸時代の歴史については、誰も凌駕できないほど、熟れた知識を持っていた人である。 わたしは...
2023/07/07 21:46
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 24.徳川家康・十弐
前述の通り、徳川家康は、夏目吉信等の家臣が、身代わりになったため、命を救われ、浜松城に逃げ帰った。 徳川家康は、浜松城に入ると、全ての城門を開いて、篝火を焚…
2023/07/07 00:48
日本神道って?
日本神道って、なんだかよく分からないんだけど、いいテキストってないの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『日本神道的幸福論』――日本の精神性の源流を探る(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。大変まとめることが困難な、「日本神道概論」的な考察も加えつつ、日本神道的幸福論を説いてみた。日本の精神性の源流を探る試みである。日本の精神や大和の心、大和魂、武士道などまで言及していくと、何巻にもなる本になるだろうが、将来的な研究の余地を残しつつ、今回は、神代の時代を中心とする考察となった。本書の特徴は、日本神道を単に民族信仰として捉えるのではなく、世界宗教的な比較宗教学の観点から位置づけた点にある。私の勉強がまだ浅いのかもしれないが、ここまで日本神道の持つ「世界宗教...日本神道って?
2023/07/02 23:22
2023/07/02 21:31
【年表】平安時代の陰陽師たちの活動記録(醍醐天皇期~村上天皇期)
出典:日付の記載がない項目は同日条に記載されています。 目次 醍醐天皇時代延長二年(924)12月29日 陰陽寮が追儺に使用する道具を渡す延長四年(926)8月5日 陰陽寮が神祇官とともに霖雨の祟りに
2023/07/02 14:13
反原発運動って?
ひところ、反原発運動って、盛り上がりがすごかったよね。あれって、どう考えたらいいのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『核か、反核か─社会学者・清水幾太郎の霊言─』(幸福の科学出版)で、有名な社会学者・清水幾太郎の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。戦後、左翼にずっと流れていて、いまだに強い考え方は、「先の大戦で日本は間違っていた」というものだ。だから、「日本は反省し、二度とそうならないようにしなくてはいけない」という考え方が主流だね。日本は、核兵器を落とされたにもかかわらず、それに対する見方を、「核兵器そのものがいけない」というほうに持ってきたし、憲法九条で、「日本は平和を求める。戦争には手を出さない」ということを定めた。(中略)これが(中略)ソ連邦の...反原発運動って?
2023/07/01 23:25
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 23.徳川家康・十壱
徳川家康は、中根正照の二股城の降伏、開城を知らず、二股城に援軍に向かっていた。 そのため、徳川家康は、武田軍と戦闘になると、敗北して、浜松城へ逃走した。 二…
2023/07/01 00:04
【中学受験】社会(歴史)の勉強にオススメ!『東大教授監修ウケるゴロ合わせ 日本史編 イヤでも覚える基本重要事項98 』
もうただ見ているだけで面白い日本史の語呂合わせの本です。中学受験、高校受験、大学受験まで使える社会の参考書です。インパクトのあるマンガで笑いながら年号を暗記してしまいましょう。
2023/06/30 19:12
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・九
先行していた、本多忠勝及び内藤信成の率いる、偵察隊は、武田軍の先発隊と遭遇する。 偵察隊は、即座に退却したが、武田軍は、素早い動きで、徳川軍を追撃し始め、太…
2023/06/30 00:41
日本史の記述模試
日本史の先生がぼやいてました。 5月に実施した記述模試の平均点が悪い。 平均点が45点になるように作ったのに、実際の平均点が38点だった。 始末書を書かされた…
2023/06/28 21:50
大東亜戦争の真実って?
ねえ、戦争中の日本が悪い国だったって、よく聞かされるけど、ほんとに日本って、侵略戦争をやったりした悪い国だったのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』(幸福実現党刊)のあとがきで、こう説いておられます。先の大東亜戦争の日米開戦時の東條首相(陸軍大将)は、いまだA級戦犯の中心として全責任を引き受けているようである。しかし、本霊言は、当時の日本のベスト・アンド・ブライテストが全身全霊で戦って敗れた無念さにあふれている。緒戦で全戦全勝しつつ、敵将マッカーサーを、その身一つで、フィリピンからオーストラリアへ取り逃がした無念さ。逃亡中の大将を捕獲できておれば、捕虜にして和平交渉に持ち込むことも可能であったことであろう。(中略)「戦後」はもう終...大東亜戦争の真実って?
2023/06/27 23:48
徳川家康、今川氏真、北条氏康による、武田信玄からの駿河国の奪還は、成就せずに、掛川城の開城と同時に、戦国大名としての今川氏は、滅亡した。 1570年(元亀…
2023/06/25 05:53
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・八
1567年(永禄十年)5月、徳川家康は、清洲同盟の盟約に従い、自身の長男の竹千代と織田信長の娘の徳姫を結婚させた。 竹千代と徳姫は、共に九歳の形式の夫婦であ…
2023/06/24 00:04
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 19.徳川家康・七
当時の松平家康の直臣団は、小領主が主体であり、三河の国衆及び、松平衆と異なり、単独にて、「備」、即ち、部隊等を編成可能な者は、少なかった。 そのため、旗本先…
2023/06/23 02:03
司馬遼太郎って?
ものすごくたくさん、霊言集が出てるでしょ。じゃ、司馬遼太郎って、どういう世界に還ってるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『司馬遼太郎なら、この国の未来をどう見るか』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。まえがき司馬遼太郎は、私の好きなタイプの作家の一人である。一九六〇年、七〇年の日米安保闘争の時代、学生たちは何かに取り憑かれたかのように、無意識のうちに、日本を中国の植民地とするための運動を繰りひろげていたかのようだった。しかし、全学連のリーダーたちが、明治維新の英雄のようになることはなかった。中国の四人組の「文化大革命」の悲劇や、「天安門事件」で、日本人も少しは中国の実態を知ったし、ソ連邦は崩壊し、北朝鮮にあこがれる人はいなくなった。あの朝...司馬遼太郎って?
2023/06/21 00:26
政教分離って?
政教分離って、人類普遍の真理なんだから、祭政一致の政党って、どうなのかなあ?なーんてこと、いまだに考えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『世界の潮流はこうなる―激震!中国の野望と民主党の最期』(幸福の科学出版)で、論語で有名な儒教の祖・孔子の言葉(霊言)を、次のように紹介しておられます。実業の世界において、ビジネス等で忙しく働いている人たちに、宗教への関心を持たせることは、なかなか難しいことでもあるので、そういう人に対しては、やはり、政治活動のほうで啓蒙していくことも、非常に大事だと思うね。だから、私は、「この国を理想の国にしていくためには、政治と宗教は両輪である」と考える。(中略)数十年前にできた日本国憲法に、政治と宗教を分ける、「政教分離」という規定があるので、「宗教は政治活動をしてはい...政教分離って?
2023/06/18 22:13
<聖徳太子異説>ブラタモリ セレクション「法隆寺〜なぜ法隆寺は1400年愛され続けるのか?〜」~筆者は聖徳太子は実在しなかったと考えている~
今回のブラタモリ セレクションは「法隆寺」の成り立ちと歴史について。「浅野里花」アナが初回出演。番組進行中に「聖徳太子はどんな人だった?」というテーマがあったが、筆者は違う解釈を持っている。 「聖徳太子」は実在しなかったと考えている。「蘇我馬子」を歴史から
2023/06/18 10:46
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 18.徳川家康・六
三河一向一揆に味方した、松平氏家臣の中には、主君の松平家康への忠誠心と信仰心の板挟みに合い、苦しんでいる者がいた。 松平家臣の中には、一度は、一揆に加わった…
2023/06/18 05:50
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 17.徳川家康・五
三河国宝飯郡上ノ郷城主の鵜殿長照は、三河国内にて、今川氏真に臣従を続けていた。 同年、松平元康は、軍勢を率いて、上ノ郷城を攻撃した。 鵜殿長照は、戦死して、…
2023/06/17 00:04
善人なをもて往生を説く、いかにいわんや悪人をや
(念仏を唱えれば)善人でさえ極楽往生できるのだから、悪いことをして後悔している悪人が往生できないはずはない。 親鸞上人(しんらんしょうにん)の弟子の唯円(ゆい…
2023/06/16 20:47
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 16.徳川家康・四
今川義元の死後、嫡子の今川真が、今川家の家督を継承した。 今川氏真は、織田信長の三河国への侵攻を防ぐため、松平元康が、岡崎城に入ったことを追認したと考えられ…
2023/06/16 00:42
寛和の変(花山天皇の退位・出家)~出家の途中で安倍晴明の家の前を通りかかる
寛和かんなの変とは、寛和二年(986)6月23日に起こった花山天皇の退位・出家事件である。『古事談』では、寵愛していた弘徽殿の女御の死を悲しんでいたところへ藤原道兼が出家を勧めてきたとされている。しか
2023/06/15 06:12
平将門の乱
平将門の乱は、天慶二年(939)11月に起きた、平将門による反乱である。藤原純友の乱と合わせて承平天慶の乱と呼ばれる。 目次 基本情報背景将門と叔父良兼の対立兵乱の兆し平将門の乱野本合戦川曲村合戦将門
2023/06/13 05:51
撃沈!
共通テスト トレーニングとか言うよくわからないテストが朝からありました。 駅まで迎えに行った、娘のプリンちゃんが一言。 撃沈! 現役生が参加していないため、全…
2023/06/12 17:16
寝る前の復習
日本史の先生が、人に教えるといい復習になる。家の人に今日の授業を話してあげなさい。 それを聞いた娘のプリンちゃん、日本史の授業の夜はパパにその日の授業を30分…
2023/06/12 17:15
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 15.徳川家康・参
1559年(永禄二年)、駿府の松平元康は、七か条の定書を岡崎の家臣団との間で交わした。 松平氏の家臣団は、岡崎城に城代を派遣し、駿府の松平元康を介し、間接支…
2023/06/11 05:44
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 13.徳川家康・弐
竹千代は、父の松平広忠の死の際、駿府にいたと思われる。 本来、竹千代の継承すべき、岡崎城は、今川義元の派遣した、城代によって、支配された。 竹千代が、父の松…
2023/06/10 00:07
「日本史はらぺ考」演出家に個人指導をしていただきました🌟
朗読家 葉月のりこのブログです♪
2023/06/09 20:00
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 13.徳川家康・壱
徳川家康は、1542年(天文十一年)、松平広忠の嫡男として、岡崎城において、生まれた。 母は、水野忠政の娘、於大の方、家康の幼名は、竹千代である。 無論、家…
2023/06/09 00:57
安倍晴明が生きていた時代に起こったできごと
年表 延長元年(923)4月 朝廷が菅原道真に右大臣正二位を贈る 延長八年(930)6月 清涼殿落雷事件 清涼殿の柱に落雷があり、大納言藤原清貫らが犠牲になった。この落雷は、菅原道真の怨霊による祟
2023/06/08 06:30
長徳の変(花山院闘乱事件)
長徳の変(花山院闘乱事件)は、長徳二年(996)1月16日、藤原伊周・隆家の従者と花山法皇の従者が闘乱になった事件である。この事件以降、藤原伊周・隆家兄弟は没落することとなった。 目次 道長と伊周・隆
2023/06/07 06:50
第3章 昭和末期 1 学歴差別(2) 滝川幸辰(ゆきとき)
~2種類の生徒の発言 「すげー」と「三流」~ 「先生どこの大学出たの?」僕が過去に勤めたA中学校の1年生の質問です。僕の返答に対する反応で、前者は加藤さん(仮名)、後者は須藤さん(仮名)という男子生徒でした。 言い方を変えてみましょう。前者は「あなたは立派な学歴をもっていますね」となります。後者は「あなたは三流の学歴しか持っていませんね」ということですね。 見事なほど対称的な生徒たちの反応でした。...
2023/06/05 06:55
菅原道真の怨霊による落雷の祟り
目次 菅公の祟り清涼殿落雷事件落雷の犠牲になった人々天満大自在天神として祀られる内裏焼亡事件対策菅公の祟り 清涼殿落雷事件 清涼殿落雷事件は、延長八年(930)6月26日に平安京内裏の清涼殿南西の第一
2023/06/04 10:26
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 12.続・松平広忠
松平広忠の後見人、叔父の松平信孝は、次第に増長して、自身の弟である、松平康孝の所領を横領する等、松平広忠及び、家臣達と対立した。 1543年(天文十二年)、…
2023/06/04 05:41
平将門の娘・滝夜叉姫(如蔵尼)の伝説
目次 滝夜叉姫の伝説姫塚『忍夜恋曲者』如蔵尼の伝説『今昔物語集』巻17第29話『元亨釈書』如蔵尼の墓滝夜叉姫の伝説 姫塚 秋田県仙北市田沢湖の姫塚に残る伝説。天慶の乱に敗れた平将門の娘滝夜叉姫は五人の
2023/06/03 11:48
【平安時代】陰陽道祭祀の記録
目次 陰陽道の祭祀祭祀の記録(五十音順)疫神祭鬼気祭招魂祭泰山府君祭本命祭陰陽道の祭祀 祭祀の記録(五十音順) 疫神祭 和暦 日付 担当 出典 長徳四年 7月5日 (陰陽寮) 権記 鬼気祭 和暦 日付
2023/06/03 11:46
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 11.松平広忠
徳川家康の父である、松平広忠は、1526年(大永六年)、三河国の岡崎城主、松平清康の息子に生まれた。 当時、松平清康は、十六歳であった。 松平清康には、庶子…
2023/06/03 00:10
予備校の面談
担任講師と面談があって、Y先生の面談になった。 お昼過ぎに、娘のプリンちゃんからLineが来ました。 予備校のクラスに担任なんていたっけ? 帰ってきたプリンち…
2023/06/02 17:29
探検564 明治から150年とその前の1500年
~「幕末維新」を起点にして眺めると、これより以後現在に至るまでが 百五十年・・・つまり、明治元年から数えると平成30年がちょうど 「明治150年」に当たる~なるほどそうだった。確かにその年は全国各地で「明治150年」と銘打ったイベントが数多く開催されたし、大河
2023/06/02 08:02
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 09.松平清康・参
松平清康は、宇利城攻め以降、桜井松平家の当主で、叔父の松平信定と不仲になったと言われている。 その理由は、宇利城攻略戦において、大手門を攻める、福釜松平家の…
2023/06/02 04:19
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