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十一面観音坐像を安置した観音堂。江戸時代、この地に住んでいた伊東家の人々が先祖を祀るため、周防国分寺住職に製作を依頼した。現在のお堂は昭和時代に建てられ、平成期に修繕された。
宮内天王社の別当寺だった光代寺は、福島正則が当主だった時代に取り潰されてしまった。廃寺となった後も、本尊だった千手観音立像は大切に守られ、現在も観音堂の中に安置されている。室町時代の作品として、廿日市
厳島合戦の前哨戦とも言われる折敷畑合戦が行なわれた古戦場跡。折敷山は廿日市20名山にも選ばれており、登山も楽しめる。合戦は毛利方の圧勝に終わったので、あまり気分爽快にはなれない場所だが、付近には宮川甲
市杵島姫命をお祀りする神社。『宮島本』に普通に載っているのに、地元の人もご存じない幻の神社(行ってみれば、なんだ、あそこのことか、となられる方は多数のはずです)。地元に精通したガイドさんとご一緒するの
廿日市市で唯一の熊野信仰の神社です。単に「権現社」と呼ぶようですが、Googlemap でご鎮座地をつけて「佐原田権現社」となっていることからここでもその呼称を使います。ハート型の竹、梅の木などで有名
折敷畑の戦いを指揮した大将・宮川甲斐守がこの上で自決したという言い伝えがある大岩です。折敷山登山口からもほど近く、距離的にはいかにもありそうなお話ですが、戦場から逃げおおせたとはとても思えません。なら
廿日市宮内地区で唯一現存する寺院。その意味で極めて貴重。立派なご本堂には素晴らしい彫刻があり、表側と裏側で絵柄が違っている。付近には西国街道の一里塚などもあり、みどころは尽きない。あまり観光客が押しか
祭神不明の謎の神社。広島県内の黄幡社はおしなべて真幡神社と名前を変えたそうです。つまり祀られていたのが異国由来の神さまだったゆえにでしょう。ほかの真綿神社は素戔嗚尊をお祀りしているケースが多いように思
現在日本で栽培されているイチジクの80%を占める「桝井ドーフィン」を全国に広めた桝井光次郎氏の功績を称えるために建てられた記念碑。米国から持ち帰った三本の挿木のうち、一本が奇蹟的に根付いたことがすべて