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4/27(日)奈良県吉野山にある如意輪寺さんから、お葉書を頂いた。「千葉県の佐原の大祭から楠木正行公がお帰りになります。ぜひお越しください」と。如意輪寺は南北朝時代、南朝側であった楠木正行が四条畷の戦に出陣する時に、一族郎とともに後醍醐天皇の陵に詣で、辞世の句を詠み、扉に矢じりの先で書いた。「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」「梓弓で放たれた矢のように、わたしは生きて帰ってくること...
『愛国百人一首』の選定された44首目は楠正行です。あの大楠公の楠木正成の長子にあたる人物でです。(著者所持の『愛国百人一首』の楠木正行の絵札) …
~古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた 逸話であり、いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話であった~ こんな説明に接したとしても、その「戦前教育を受けた者」になる方々が今や 絶滅危惧種?並みの現在では、その「大変有名な話」の有...
辞世の句(その7)鎌倉時代 源実朝・菊池武時・楠木正行・親鸞
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ