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龍門山 等持院 高安寺(→東京都府中市片町2丁目)は、平将門の乱(→939年~940年)を鎮圧した藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の館跡に建てられた市川山見性寺を前身とする曹洞宗寺院です。寺伝によると源義経・武蔵坊弁慶主従が何度も参詣したといい、義経主従が奉納したと伝わる大般若経や、弁慶硯の井戸が残されています。鎌倉時代末期の戦乱で荒廃したようですが、南北朝時代前期の1340(暦応3)年頃、室町幕府の初代将軍足利尊氏が鎌倉...
功臣山 報国寺(→神奈川県鎌倉市浄明寺2丁目)は、鎌倉幕府滅亡後に北条氏の旧領を拝領した足利尊氏が、1334(建武元)年に、祖父の足利家時を開基とし、僧の天岸彗広を開山に迎えて創建した臨済宗建長寺派寺院です。ただし、足利家時は1284(弘安7)年に死去しているため、建武の新政期にこの地を治めていた宅間上杉重兼が実際の開基だと推察されます。天岸彗広は、鎌倉五山第2位の円覚寺(→神奈川県鎌倉市山ノ内)を開山した無学祖元に師...
稲荷山 超世院 別願寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁目)は、創建年代は不詳ですが、「能成寺」という名の真言宗寺院として鎌倉時代前期には創建されていたと伝わります。公忍が住職の時に、踊念仏(おどりねんぶつ)で有名な時宗の開祖一遍に帰依し、1282(弘安5)年に宗派を時宗に改め、寺号を「別願寺」としたと記されます。1282(弘安5)年は2度目の蒙古襲来(→弘安の役)に勝利した翌年にあたり、寺社の恩賞問題は御家人の恩賞と並び幕府の喫...