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最初にこのお話を知ったときには、てっきりよくある歴史ヨタ話の類かと思いました。 しかしどうやら然にあらずで、逆に歴とした史実ということです。 そこで幾分の前説を加えながら、そのお話を取り上げてみた次第です。 さて奈良時代以降の天皇の命令には「詔」とか「勅」があって、それらの...
はないち(立ち食いそば)有楽町駅徒歩1分総合評価3.2(味3.2 サービス3.0 雰囲気3.0 CP3.3 ) 有楽町駅を出て直ぐの場所にある人気の立ち食いそ…
下記は、第三次桂内閣の不信任決議案に関する尾崎行雄の第三十議会(大正二年ニ月五日)における主張全文です。桂太郎自伝の解説で、宇野俊一教授も取り上げていますが、尾崎は”彼等は玉座を以て胸壁(キョウヘキ=とりで)となし、詔勅を以て弾丸に代へて、政敵を倒さんとするものではないか”ときびしく桂首相を指弾したといいます。護憲をスローガンとした桂内閣不信任決議案提案当日は、多くの民衆が早朝から衆議院を取巻き、議場も開会前から異常な緊張状態にあったということです。この時、尾崎の立憲主義の主張を受け入れていれば、日本は統帥権独立を盾にした軍部の暴走による戦争の大きな犠牲を払うことはなかったと思います。だから私は、王政復古のクーデターによって、日本を”大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス”という天皇制国家にしたことが、日本の敗戦...玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて…