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前回の最後に、不比等落胤説をとるなら不比等の母は「鏡王女が妥当だ」としれっと書き加えたが、ここで不比等の母について触れておこう。■車持与志古娘これまでたびたび引用している『尊卑分脈』が記す不比等の母で、長男・真人(出家して定恵)の母でもあり、これが通説のようだ。車持氏は天武13年(684年)の「八色の姓」において「朝臣」姓を賜った上毛野氏などの東国6氏のうちの1氏族だが、与志古娘の父・君子の詳細は不明。...
#3953 秋山の樹の下隠り逝く水のわれこそ益さめ御思よりは
令和5年8月3日(木) 【旧 六月一七日 仏滅】・大暑・大雨時行(たいうときどきふる)天皇の鏡王女に賜ふ御歌一首妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺《ね》に家もあらましを ~天智天皇 『万葉集』 巻2-0091 相聞歌お前の住む辺りを見続けていたいのに、大和にある大島
【奥の谷】万葉の時代を絵に描いたような景色【鏡王女の万葉歌碑と忍阪墓】
はじめに 舒明天皇陵からの細い道を進むと、忍阪山(外鎌山)のふところ #奥の谷。鳥のさえずりが聴こえるだけの、心静かに散策できるところ #鏡王女 目次 鏡王女の万葉歌碑と忍阪墓 大伴皇女墓 本文 www.zero-position.com 舒明天皇陵から続く山道を進むと、忍阪(おっさか)の奥の谷。 鏡王女の万葉歌碑と忍阪墓 小さなせせらぎの中に、鏡王女(かがみのおおきみ)の万葉歌碑。 鏡王女は、近江の国、鏡王の娘で、額田王(ぬかたのおおきみ)の姉とされます。 姉妹そろって中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)の側室に召されたとき、皇子への返歌とした詠まれたものだそうです。 鏡王女 万…