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Pithecanthropus Erectus https://squeezeme.hatenablog.com/

本、映画、音楽、ラジオ、ムーミン、スポンジ・ボブが好きです。レゴも。読んだ本などの感想をブログに書いています!

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2022/01/25

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  • 町田康『ギケイキ③ 不滅の滅び』

    そして私にとってそれは私によって私自身の魂を鎮めること。死者である私のために私が祈る祈りなのである。だから私は静のことを語ろうと思う。ふるえる声で語ろうと思う。そう、それこそnovelのように。(p.352) どうも現代に「いる」らしい源義経が、みずからの生涯を生真面目に語って語って語りまくり、その語りの波というかうねりというかグルーヴというか磁場に飲み込まれて、本から離れることができず、寝るのも忘れて爆笑しながら読み進めるのが私にとっての『ギケイキ』シリーズである。三作目の本作も、義経の語りの渦に身を委ね、最高に楽しくて踊りながら読んだ。 読んでいて時々、思うのだけれども、義経は、いま、どこ…

  • 髙村薫『土の記』

    たとえば、次のような文章に私は興奮する。 その下では落下した雨粒の一つ一つが葉から枝へ、枝から葉へと集まって無数の白糸になり、茂みを這う男の周りで極小の滝をつくる。あの有名な白糸ノ滝も、滝つぼに佇んだ巨人の眼にはこんなふうに見えるか。(下 p.124) 超高性能のマクロレンズで撮影された雨粒の動きをスロー再生しているように描いた直後に、思い切り俯瞰のイメージに繋げる、この、描写の遠近感の凄さ。そしてこの作品全体が、このように、極小のものと巨大なものがシームレスに描かれているように感じる。MRIで発見される血栓から、一億五千万キロメートル離れた太陽まで、カメラのレンズを交換することなく、同じ筆で…

  • やなせたかし『ふしぎな絵本 十二の真珠』

    どこにでも死闘はある 小川の流れの中にも ツルバラの茂みにも タンポポの葉の下にも なにかが生きて なにかが死んでいる (p.52-53「チリンの鈴」より) この本に収められている十二の短編、そのほぼ全てが、悲しい、強烈に。 なぜこんなに悲しいのかというと、その悲しみを照らす光がまた、強烈だからだと思う。その光は、優しさと呼ぶことができるだろう。 光が同時に影を存在させるように、この本の中では、優しさと悲しさが同時に存在している。優しいから、悲しいのではないのだ。優しくて、悲しいのだ。 通常であれば二分される感情が、ひとつのものとして描かれている。かつて作者が作詞した歌に「生きているから悲しく…

  • 渡辺浩弐『2030年のゲーム・キッズ』

    私はいろいろなことを忘れていく。 けれども、問題はない。 思い出すことはできるのだから。 そんなふうに、私は機械に変換されていった。(p.197-198) 現在、不惑の私が、高校生だった頃、つまり前回のミレニアム前後のことだが、「当時の大人たち」は盛んに、「ゲームばかりしていると、現実とゲームの区別がつかなくなる」と警鐘を鳴らしていた。たまごっちが大ブームを巻き起こしたこともあり、ゲーム感覚で命をリセットする人間が育ってしまう、なんてことも言われていた。 そんなこと、あるわけないではありませんか、きっと冗談で言っているのでしょう、と穏やかに聞き流していた私だが、しかし、現在、いい歳になっている…

  • フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山晃、増田義郎訳

    無数の星がきらめく黒い空。そして月のそばには、いちばん大きな星。(p.95) アブンディオという名のロバ追いの男が登場する。生者も死者も分け隔てなくしゃべりまくるこの小説内において、耳の遠い彼には特別な役割が与えられている。哀れな狂言回し。彼に与えられた役割はそれである、と私は考える。 アブンディオがこの小説内で最後に残したものは、二本の線である。 「酔っぱらっちまったよ」 男たちのところに戻った。彼らの肩にもたれかかると、そのまま引きずられて行った。地面には足先が刻んだ二本の筋だけが残った。(p.204) 地面に刻まれた二本の筋、これを、二つの道と考えてみる。アブンディオは道を用意した。二つ…

  • 國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』

    ですから、どうすれば自らの力がうまく表現される行為を作り出せるのかが、自由であるために一番大切なことになります。(p.110) 面白くて三回、読んだ。どういうところが面白かったかというと、まず、読みやすいということ。 そして、読みやすいけれど、既成概念や陋習に染まり切った私には、スピノザの斬新な考え方は、すんなりと理解できない。その戸惑いも、面白い。 そしてそうやってたじろいでいると、必ず「わかりやすい例え」が登場するのです。その例え話が本当にわかりやすくて面白くて、また、登場するタイミングも「待ってました!」といった感じで最高で、面白い。 本質は、形ではなく、力=コナトゥスだということ。 善…

  • 千葉雅也 二村ヒトシ 柴田英里『欲望会議 性とポリコレの哲学』

    二村 なぜ、境界線を引いて敵と味方をはっきりと分けたいんだろう。 千葉 それは、柴田さん的に言えば、気持ちいいからでしょう。 柴田 はい。「敵」の存在は、コミュニティの結束を高めますからね。そこには共感の快楽があります。 (p.104-105) 名著、と呼ばれるものは、いつの時代だって「いま」読まれるべき書物である。逆に言えば、そういう、時を超えてアクチュアルな何かを帯びている作品が、名著ということになる。つまり本書『欲望会議 性とポリコレの哲学』もまた、名著ということである。 なぜなら、この本には、2017年から2021年にかけて行われた鼎談が収録されているのだけれども、2023年のいま読ん…

  • 2023年10月24日_町田康_高円寺JIROKICH

    冒頭、町田康さんは、おおよそ次のようなことを語る。 綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)という言葉がある。これは、天子(偉い人)の言葉は、取り消しできないという意味である。なぜ、天子のような偉い人の言葉を、汗という汚いものに例えるのか、昔から疑問だった。 先日、徳間ジャパンのインタビューで、歌手はもう引退すると語った。しかし、『ミュージック・マガジン』で始まった連載で、むかし聴いていた歌のことを書いたり、某ミュージシャンと対談したりするうちに、歌いたくなってきた。車を運転しているときについ歌ってしまったりする。歌うことが生き癖(もっと絶妙な言葉を使われていたと思います。生来の習慣みたいな、そう…

  • 横道誠『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』

    新型コロナウイルスが蔓延するよりも数年前の年明け、高校時代の友人らとコーヒー店で話をしている時に、生きづらさ、の話題になった。 我々も、今はこうやっていい歳したおじさんとしてなんとかぶざまに存在しているけれども、なんか色々と、本当に色々と、困難だったよねー特に思春期。みたいな会話をしていたと思う。 そんな流れで、私が、「でもさ、そうでもない人はそうでもないらしいんだよ。というか大多数の人が、そうでもないらしいんだよ、どうも」と言うと、友人の一人が驚いて叫んだ。 「死にたいって思わないで大人になった人なんているの!?」 彼の常識外れにでかい声で、新年で賑わうほぼ満席のコメダ珈琲店が、一瞬だけ静ま…

  • 『巴里の女性』

    この残酷な物語の主人公は誰なんだろう、と私は思う。 貧しい絵描きの青年(ジャン)だろうか、それとも常に完ぺきな社交的微笑を浮かべている金持ちの男(ピエール)だろうか。あるいは、その二人の間に君臨する運命の女=マリー・サンクレールなのだろうか。 私は最初、貧しきジャンが主人公なのだろうと思っていた。これはジャンの物語なのだ、と、彼に肩入れして映画を観ていた。 金持ちピエールの鼻持ちならない感じ、嫌だなー苦手だなーと思ったり、マリーのとある仕打ちに「いやそれはやっちゃ駄目でしょう、それは絶対やっちゃ駄目なやつでしょう」と憤慨したりしながら(メモの件です)。 しかし、エンディングを迎えてみると、なん…

  • トーベ・ヤンソン『小さなトロールと大きな洪水』冨原眞弓訳

    優しくきらめき、ちょっと不思議なこの短編は、戦時下に書かれたものだということが、「序文」で作者自身によって述べられている。 当時すでに風刺画家として作者の名は知られていたという。鋭い筆鋒で風刺画を描く一方で、『小さなトロールと大きな洪水』という物語を書いていた(途中まで)。 登場人物たちが置かれた環境には、戦時下の世相が反映されているのだろう。しかしこの物語で描かれているのは、風刺ではなく祈りである、と私は思う。 浜辺のあちこちでは、たくさんの生きものが火をおこして、体をあたため、食事を作っています。たいていは、家をなくしたものたちです。(p.86) 家を失くしたものたちによる、家探しの物語。…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の十一月』鈴木徹郎訳、翻訳編集:畑中麻紀

    ホムサ・トフトには、まるっきり今までとちがったママが見えて、それがいかにもママらしく、自然に思えました。ホムサはふと、ママはなぜかなしくなったのだろう、どうしたらなぐさめてあげられるのだろうと思いました。(p.258) 1. 昨年、初めて読んだ『ムーミン谷の十一月』が面白すぎて、半年くらいずっと繰り返し読んでいた。今年に入って初めて読み返してみたけれど、やはりとてつもなく面白く、忘れていた箇所や、読み落としていた箇所などもたくさんあり、新鮮な気持ちで読めた。 そして今回、私がとても気になったのは、『ムーミン谷の十一月』と『ムーミンパパ海へいく』が似ているということである。 両作品とも、移動から…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミンパパ海へいく』小野寺百合子訳、翻訳編集:畑中麻紀

    「わたしはいつだって海が好きだったよ。うちはみんな、海が好きだろ。だからこそ、ここに来たんじゃないかね」(p.269) ムーミン一家が、灯台のある島で暮らし始める。『ムーミンパパ海へ行く』とはそういう物語なのだけれど、でも、なぜ彼らは、住み慣れたムーミン谷を離れなければならないのだろうか。 かんじんなのは、みんながまるきりあたらしい生活を始めることなんです。ムーミンパパがみんなの必要なものはなにもかもととのえてやり、みんなを食べさせたり、守ったりすべきだというのです。今までは、みんなのくらしがあまりにも、うまくいきすぎたのにちがいありません。(p.34-35) パパのこの考え方は健全とは言えな…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』山室静訳、翻訳編集:畑中麻紀

    ふと、自分の青ざめた鼻が鏡のかけらにうつっているのを、フィリフヨンカはちらと見たのです。そして思わず窓のところまで走っていくと、外へ飛び出しました。 (p.78「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」より) ムーミン小説の中で唯一の短篇集が本作である。 九つの作品が収められている。 これまでに五作の長編が書かれている。『ムーミン谷の彗星』、『たのしいムーミン一家』、『ムーミンパパの思い出』、『ムーミン谷の夏まつり』、『ムーミン谷の冬』。 これらの作品では、多くの場合、序盤で登場人物たちがのっぴきならない状況に陥る。 でもなんか意外に平然としているようにも見えたり。むしろ破滅を楽しみにしている…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬』山室静訳、翻訳編集:畑中麻紀

    トゥーティッキは、肩をすくめました。 「どんなことでも、自分で見つけださなきゃいけないものよ。そうして自分ひとりで、それを乗りこえるんだわ」 お日さまは、いよいよ燃えるように輝きはじめました。(p.170) ムーミンたちは冬眠をする。十一月から四月まで。そういう種族なのである。したがって、彼らにとって冬とは、空白の季節だった。これまでは。 新年を迎えて間もない、ある晩のこと。冬眠中のムーミントロールの顔に、 月明かりが静かに差し込む。その時、彼の目が開いた。彼は冬眠から目覚めてしまったのである。先祖代々、誰も経験したことがないという目覚めを経験したムーミントロール。家族の皆は平常通り冬眠してい…

  • 『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

    話はこないだの世紀末前後にさかのぼる。 その頃、「ゲーム好きの、ファミっ子」(by飯田和敏from『スーパーヒットゲーム学』著・飯野賢治)だった僕が所有していたゲーム機はニンテンドウ64だった。 それで『スーパーマリオ64』を遊びまくっていた。クッパの尻尾を掴んで、コントローラーの3D(サンディ)スティックをぐるぐる回して勢いをつけて、クッパをポーン! と遠くまで放り投げる。僕は楽しくて「あっはっはっはっはっは!」と嬌声を上げる。そうしているうちに中学校の三年間は終わった。 高校一年生の十一月の終わりに、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が発売されるまで、僕は『スーパーマリオ64』ばかり遊んでいた…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の夏まつり』下村隆一訳、翻訳編集:畑中麻紀

    ミーサは赤いベルベットのドレスを着て、舞台の上をしずしずと進みました。しばらくの間、両手を目の上にあててじっと立ったまま、プリマドンナになるとどんな気持ちがするものか、味わいました。それは、すばらしいものでした。(p.165-166) 彼女の名前はミーサ。いつも悲しんでいる。悲しみを悲しむために生きている、そんな自分がとても悲しい。そしてそんな自分のことを誰も分かってくれない。そのことがなおさら悲しい。このように、悲しみのどん底で悪循環にはまっている人、私にはそう見える。 そんなミーサの暮らすムーミン谷が、大洪水で水没してしまった。もちろん彼女は悲しみまくる。 「だれかが、わたしのことを考えて…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミンパパの思い出』小野寺百合子訳、翻訳編集:畑中麻紀

    わたしはたのしくてたまらず、この時間がすぎていってしまわないかと心配する気持ちさえ起きませんでした。 「たのしんでる?」 わたしは聞きました。 「たのしんでるさ」 フレドリクソンは口の中でいって、とてもはずかしそうな顔をしました。(p.106) 上記は、若かりしムーミンパパが、とある場所で、友人のフレドリクソンと会話を交わす場面である。 あまりにも瑞々しいやりとり。 言葉にした瞬間に損なわれてしまうような、ふたりのあいだに通う優しい何かと、ムーミンパパの見ていて心配になるほどの繊細さ、それらがさらりと表現されているとても素敵な文章だと私は思うのですが、みさなんは、どう思われましたか。 前作『た…

  • 島田雅彦『自由人の祈り』

    表向き美しい世の中を 本当に美しくするために おまえは歌え。 (「自由人の祈り」より) 本書に収録されている「またあした」という全文ひらがなの詩が私は大好きで、もう二十年以上の長きにわたって私を支えてくれている。 もうほとんど背骨みたいなものである。 ひねくれて純真で愚かで馬鹿で傷つきやすかった若かりし日の私の心を、この詩は慰撫し、そして活力を与えてくれた。 でもひとつ分からないところがあって、それはこの詩の「ぼく」が、最後、「きみ」になって終わるところ。なんでいきなり「きみ」? という疑問はずっと持っていた。 それで少し前になるけれども、当時小三だった息子の寝かしつけに何かいい本ないかなーと…

  • トーベ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』山室静訳、翻訳編集:畑中麻紀

    「ねえ、スナフキン。ぼくがパパにもママにも話せないひみつを持ったのは、これが初めてなんだ」 ムーミントロールは、真剣な顔でいいました。 それからスナフキンがぼうしを抱えて、ふたりは川ぞいを歩きだしました。(p.60) 前作(『ムーミン谷の彗星』)があれだけ面白かったのだから、今作もきっと面白いに違いない、でも、前作の面白さを超えることは難しいだろうな、だって『彗星』はあれだけ面白かったのだもの。そんな浅はかな予断を軽やかに蹴とばしてくれる傑作が『たのしいムーミン一家』である。 冒険あり、笑いあり、友情あり、バカンスあり、ターザンごっこあり、恋愛あり、笑いあり、涙あり、ニョロニョロあり、モランあ…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』下村隆一訳、翻訳編集:畑中麻紀

    岩山全体がぐらぐらゆれて、あたり一面がふるえ、彗星が恐怖のさけび声をあげました。それとも、悲鳴をあげたのは地球のほうだったのでしょうか。(p.208) ムーミン小説の第一作目(『小さなトロールと大きな洪水』はとりあえず置いておいて)の『ムーミン谷の彗星』では、冒頭から、ムーミン谷の美しくおだやかな風景が描かれている。ムーミン谷、よさげなところだなあ。自然がきらきらしていて、まばゆいなあ。そんな牧歌的な思いを抱いて読み進めた矢先に、ムーミン谷の様相は一変してしまう。 すべてが、灰色なのです。空や川ばかりではありません。木々も、地面も、家も。あたり一面が灰色で、この世のものと思えないほど、気味わる…

  • 村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』

    その昔、私が犬と暮らしていたころ。 犬との散歩コースにある電柱に、看板が取り付けられていて、そこには、「お父さんお母さんに 言えないことは悪いこと」という標語が書かれていた。 それを見るたびに私は嫌な気持ちになっていた。ごく控えめに言って、くそむかつく、と思っていたわけだけれども、それがどういう風にむかつくのかをうまく言い表せずもやもやを抱えたまま、毎日、夕方になると犬と一緒にその看板の前を通り過ぎては、くさくさしていた。 本当に精神衛生によくない看板だった。 いびつな規範・ゆがんだ道徳を不気味な笑顔で押し付けてくる、この嫌な感じをなんと説明したら良いのだろう。なんてことを考えながら、気づいた…

  • 太田静子『斜陽日記』

    「でも、今日の夕方は、とても、うつくしい夕焼だったわ。夕焼は、明日いいお天気になるという証拠でしょう? きっと、お天気になりますわ。(後略)」 「相模曾我日記」と題して太田静子さんが付けていた日記帳は、彼女自身の手によって太宰治に渡され、太宰はこの日記をヒップホップ的な意味でサンプリングしつつ、傑作『斜陽』を書いた。『斜陽』出版後、太宰が死んだのちに、この日記は『斜陽日記』として世に出た。 読んで、とても面白かった。なんというか、太宰がいかに太田静子さんの文章を再現しつつ『斜陽』を書いたか、その再現力の高さに恐怖を覚えたりもした。そして、これは『斜陽』のクレジットに太田静子さんの名を加えるべき…

  • 太宰治『斜陽』

    上原さんは、ふふ、とお笑いになって、 「でも、もう、おそいなあ。黄昏だ」 「朝ですわ」 弟の直治は、その朝に自殺していた。(『斜陽』p.181) 『斜陽』はこれまで何度も読み返してきた作品だが、その『斜陽』のサンプリング元として知られる太田静子さんの『斜陽日記(相模曾我日記)』は、今回、初めて読んだ。 ふたつの作品は、かたや小説、かたや日記ということで当然、大きく違うわけだけれども、似ている部分もあるし、そっくりそのままの部分もある。 なにより私が驚かされたのは、『斜陽日記』の文章の感じというか「声」が、『斜陽』で完全に再現されている(と私には思えた)というところである。 つまり、『斜陽日記』…

  • 沖田瑞穂『世界の神話 躍動する女神たち』

    機織りは女神の管轄で、運命を織りなすという意味が隠されています。日本神話では最高女神アマテラスが自ら神の衣を織るとされています。インドの神話では、地下の世界でダートリとヴィダートリという女神たちが、機織りをすることで時間と季節を織りなしています。(p.165) 今となってはくたびれたおじさんになり果てた私だが、それでも子供の頃は、とんぼを追いかけてはしゃぎまわる、みたいな素朴な日々を送っていたものだ。しかしそんな無邪気でラブリーな私の心に、暗い影を落としている物語があった。「三枚のお札」である。嫌な話だ。 『まんが日本昔ばなし』で観たのか『おはなしのくに』で観たのか本で読んだのかは覚えていない…

  • 國分功一郎『スピノザ 読む人の肖像』

    非常に大雑把に言えば、近代においてはその過不足が生じるのであり、ホッブズはそれをjusの過剰(自然権)として発見したのである。スピノザもこの発見を継承する。だが、例の如く、その継承の仕方は尋常ではない。(p.250) 上記引用文は、本書の後半に登場する。私はここに至るまで、いくつもの「尋常ではない」考え方を目の当たりにしているので、けっこうどきどきするわけです。スピノザはどういう風に考えるんだろう? って。 それで、スピノザの考えを知って衝撃を受けて、私の中の常識・先入観・思い込み、といったものが砕け散り、よちよち歩きの私が誕生する、というのが、本書を読んでいるときのお決まりの流れである。 例…

  • 燃え殻 二村ヒトシ『深夜、生命線をそっと足す』

    思春期をしくじって大人になった人間の多くがそうであるように、私もまた、生真面目な性格をしている。責任感も強い。 と、自分で自分のことを立派な人間のように語ることの厚かましさ、格好悪さ、鼻持ちならなさ、は分かったうえでも言わなきゃやってられないような世の中である。 生きづらいなあ、と声を大にしては言いにくい年齢になってしまった私だが、でも、少なくとも生きやすくはないですよね、と、ふんわりした感想くらいだったら口にしても良いだろう。まったく毎日がくたびれるよ。 しかし、『深夜、生命線をそっと足す』を読んだら少し気持ちがほぐれて、楽になった。血行も良くなった気がする。 本書に収録されている燃え殻さん…

  • 『ノディエ幻想短篇集』篠田知和基編訳

    ウェブ上にちらばっている怖い話を日々、読み漁っては恐怖にふるえ、眠れない夜を送っている私は本当に馬鹿だとは思うけれど、しかし、面白くてやめられない。 私が特に惹かれるのは、「よくわからない出来事が起きて、よくわからないままに終わる」系の体験談である。あやふやでもやもやな未完成の話こそが私にとっては「本物の怖い話」であり、「よくできた怖い話」というのはそれだけで「作り話=偽物」だと思えてしまう。 文章は整っていないほうが本物っぽいし、時系列も整理整頓されてないほうが本物っぽい。「ちょっと手を加えてより怖くしよう」みたいな作為が見え隠れするものは本物っぽくないし、因果関係がきっちりしているのも本物…

  • 阿部和重『Ultimate Edition』

    「もちろんほんものではないし、わたしはほんものなど見たこともないが、しかしこれがほんものだと言われたらあっさり信じてしまうだろう。それほどのものだ」 (p.12 「Hunters And Collectors」より) 阿部和重さんの小説を読んでいると、私はいつも、ディズニーランドを連想する。 ひとたび園内に足を踏み入れると、外界のいっさいの風景は遮断されてしまうということに代表される、ディズニーランドの現実(を見えないようにする)へのこだわりと、 何年何月何時何分の何処そこにて、と実在する日時と場所を特定し、さらにその時の天候や実際にその近辺で起きていた出来事までもを小説内に取り組むという阿部…

  • パヴェーゼ『美しい夏』河島英昭訳

    まるでソファーにすわっているみたいに、アメーリアは鏡によりかかっていた。正面の鏡の中で、彼女はまっすぐにこちらを向いていたが、そこにはジーニア自身の姿も見え、少し背が低かった。ふたりは母と娘のようだった。(p.50) しかしそうは見えたとしても、二人は母と娘ほど歳が離れているわけではない。 主人公のジーニアは16歳、アメーリアは20歳。歳の差はわずか4歳である。 にもかかわらず「母と娘」に見えてしまったのにはアメーリアの醸し出す「老成してる感じ」と、ジーニアのあどけなさ、のギャップが相当に激しかったのだろうと私は思う。 あの夏はよかったなー、楽しかったなー、という回想から物語は始まる。 タイト…

  • トーベ・ヤンソン『小さなトロールと大きな洪水』冨原眞弓訳

    とにかく、これはわたしがはじめて書いた、ハッピーエンドのお話なのです!(「序文」より) ムーミン小説の第一作目にあたる『小さなトロールと大きな洪水』はきらめきにみちている。ちょっぴり不気味で、どこか不思議な物語空間を、ムーミントロールとママが冒険する。もちろん読者の私もいっしょに冒険。楽しいよ。個人的には、本作のムーミントロールが一番かわいらしいと思った。 本作以降に発表された8冊の小説を読み終えている私は、彼らとの冒険を楽しみつつも、「あ、このイメージはあの作品のあそこに出てくるやつだ」的な箇所を見つけてはひそかに興奮していた。 たとえば、「百歳近くになってメガネをなくしたコウノトリのおじい…

  • ボエル・ヴェスティン『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』畑中麻紀+森下圭子訳

    ムーミン小説を読み進めていくうちに、私は次第に、 こんな面白い小説を書くトーベ・ヤンソンとはどんな人なのだろうか、 と思うようになっていた。 各作品、比類なく独創的であり、かつ、毎回ちがった面白さがある。 シリーズを重ねていながら、それぞれの作品がお互い、どれとも似ていない。 マンネリズムの付け入る余地がないというか。いわゆる「お約束」的な展開はない。「お馴染み」なんて言葉も無縁だ。なんて格好いいんだろう。 物語はどれも面白い。ときおり笑わせられる。というか、けっこう笑わせられる。 しんみりする場面もある。もちろん、興奮する場面も。 とにかく感情を揺さぶられる。 なかでも『ムーミン谷の十一月』…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の十一月』鈴木徹郎訳、翻訳編集:畑中麻紀

    (大きくなりすぎちゃったんだ) と、ホムサは思いました。 (あんまり大きくなりすぎて、ひとりでうまくやっていくことができないんだ)(p.216) 目次 ■さようなら、ムーミン谷 ■雨音に誘われて ■ムーミナイズされる屈託 ■森を抜けるホムサ ■鏡、そしてガラス玉 ■屋根裏の夢 ■消えるムーミン谷 ■ふしぎなかみなり ■ホムサ、フィリフヨンカ、ちびちび虫 ■異常事態と、眠れるこうもり ■Sent I November ■ネコ ■影絵、絶叫、最後の雨 ■お別れ ■ほら ■さようなら、ムーミン谷 ムーミン小説もこれで最後か、寂しくなるよなあ、と軽くしんみりしながらも、いやしかし、どんな結末が待ってい…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミンパパ海へいく』小野寺百合子訳

    パパは地面を見つめて立ちつくしました。しかめた鼻づらは、しわだらけでした。それからきゅうにからだをのばすと、はればれとした顔になっていいました。 「じゃあ、わしは理解する必要がないぞ! 海ってやつは、すこしたちがわるいよ」(p.280) 理解されないことの悲しみ、みたいなものをなぜ人は感じるのだろうか。 自分の発言や行動が誰からも分かってもらえない時、なぜ寂しさが生じるのか。 これはたぶん、理解されない=認めてもらえないから、だと思う。 つまり、人は常に誰かから認めてもらいたいものなのだろう。 しかし、誰かを理解する、わかってあげる、ということはそう簡単ではない。 私なんかもよく、「何がしたい…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』山室静訳

    「いけない。ぼくはいったいどうなるんだ? ぼくはニョロニョロじゃない、ムーミンパパなんだ。……なにをこんなところでしているんだ?」(p.224) 昔はもっと色んなことにくよくよしていた気がする。 それは臆病だったからでもあるし、おそらく繊細でもあったのだろう。 ひるがえって今の自分はどうかというと、なんかけっこうどうでもいいというか。 それは、ある意味では強くなったともいえるし、がさつになったとも言える。 いずれにせよ、感性が摩耗していることはたしかだと思う。良くも悪くも。 しかし、ムーミン童話を読んでいると、廃墟の庭先に転がっている朽ち果てた枯れ枝にうるおいが戻り、あまつさえそこから可憐な花…

  • 松浦理英子『ヒカリ文集』

    「偽物でも本物でも、上手な笑顔には優しさが宿っているじゃないですか。それで十分ですよ。あるのかないのか証明できなくて伝わりもしない本物の愛より、偽物であっても目に見える笑顔の方が人の役に立つと思います。(後略)」(p.230) ヒカリという名の女性が、かつてとある学生劇団に所属していた。 ヒカリは、その劇団内の男女計六人と恋愛関係になる。 「サークルクラッシャー」という言葉が、実在人物をモデルにした作中劇の中の架空(おそらく)の人物から使われているけれども、どうもそうとは言いきれない。 なぜなら「サークル」は「クラッシュ」しなかったからである。 ヒカリの別れ際が鮮やかというか、独特すぎて、振ら…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬』山室静訳

    悪気なく明るい、そういう人が世の中に一定数は存在している。 暴力的にほがらかで、情け容赦なく親切で、うんざりするほど優しい人たち。 彼らにうしろめたさを抱くようなナイーブな時期もかつての私にはあったが、きっと、ムーミントロールがヘムレンさんに覚えた気持ちも、私と同じようなものではないかと思った。 舞台は冬のムーミン谷。 いつも冬眠して春を迎えるムーミン一家だが、とある夜に、ムーミントロールだけが冬眠から目覚めてしまう。 皆が寝静まる家の中でムーミンは孤独を感じる。 厚い雪に覆われている外を歩きまわる。 誰もいないように思われたけど、「おしゃまさん」という女性と出会う。 含蓄に富みまくった彼女の…

  • 手塚治虫『火の鳥 別巻 ギリシャ・ローマ編』

    この本には「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」「漫画少年版 黎明編」の4作品が収録されている。 火の鳥・エピソードゼロ、的な感じで私は楽しんだ。 ラブリーな火の鳥ちゃんの、キュートな物語だった。 ところで、妄想力を解き放ち、木を見て森を見ずな読書を心掛けている私ですが、「エジプト編」での洞窟の火おこしシーンには、「おお」と思わずにはいられなかった。 どんな場面かというと、主人公の男性とヒロインの女性が、洞窟で雨宿りするのだけれど、 これによく似た場面が、『火の鳥 太陽編』で登場するのだ。 犬上と、十市媛(とおちのひめみこ)が、洞窟(祠だけど)の中に身を隠し雨宿りをするのである。そしてかなり…

  • 手塚治虫『火の鳥11 太陽編 下』

    そうだ 今の私はもう人間じゃない 肉体はもう死んだんだ (p.397) 残り数ページのところで、マリモという名の狼が、草原を疾走し、異空間のようなところに飛び込んで、狼化したスグルのもとへ辿り着く場面が見開きで描かれている。 私はそこからページをめくることができずにいた。 走るマリモの体の躍動感と、真剣な眼差しに目を奪われていたというのもある。 ここには有無を言わせぬ迫力がある。その迫力に気圧されていたというのもある。 しかし私が固まってしまった最大の理由は、もう少しで『火の鳥』が終わってしまうことに気がつき、うろたえてしまったからである。 あ、終わる。え、ちょっと、どうしよう。俺はどうすれば…

  • 手塚治虫『火の鳥10 太陽編 上』

    登り切るぞ バベルの塔め おれのロック・クライミングの力を見ろ!!(p.338) 舞台は中大兄皇子とか中臣鎌足が生きていた頃。だから600年代後半くらい。 主人公は狼マスクの男。 Wikipediaによると「古代日本最大の内乱」と呼ばれている「壬申の乱」にいたるまでの不穏な背景が描かれている。 海を渡ってやって来た仏教と武力を利用して、支配力を強めようとする権力者と、それに反抗する、土着信仰に生きる人々たち。 両者の衝突は各地で起きるが、仏教勢力の圧倒的な武力の前ではなすすべもない。 このままでは日本は仏教勢力に暴力的に覆いつくされ、支配者に都合の良い教えをありがたく信仰する蒙昧な国民ばかりに…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の夏まつり』下村隆一訳

    「あたい、もう、またねむくなっちゃったわ。いつも、ポケットの中が、いちばんよくねむれるの」 「そうかい。たいせつなのは、じぶんのしたいことを、じぶんで知ってるってことだよ」 スナフキンは、そういって、ちびのミイをポケットの中へいれてやりました。(p.119) 舞台は6月のムーミン谷。 ムーミンママとミムラが、玄関先に腰掛けている場面から物語は始まる。 ムーミンママは船のミニチュアのようなものを作っている。ムーミントロールにプレゼントするのだ。 ムーミントロールはというと、池のほとりで水の中をのぞきこんでいた。 そこに、ムーミンママが小型の船をもってやって来る。 ムーミントロールとムーミンママは…

  • 手塚治虫『火の鳥9 異形編・生命編』

    あれは この場所が とざされた世界だからです ここでは…時間(とき)が狂い 逆行もいたします (p.15とp.111) 『異形編』の主人公はとある女性。 彼女は幼少期より父親から虐待を受けていた。 成長した彼女は、「父親の病気を治させない」ために、「父親の病気を治そうとする女性」を斬り殺してしまう。 そして彼女が殺したその「父親の病気を治そうとする女性」とはなんと、 三十年後の自分自身だったのだ。 なぜそんなことがありえるのかというと、なんというか、彼女が「時空のるつぼ」みたいな空間に足を踏み入れてしまい、殺人もその空間で行われたから、だと思う。 彼女はその空間から基本的に外で出ることはできな…

  • 手塚治虫『火の鳥8 乱世編 下・羽衣編』

    わたしは遠い遠い国から来たといいましたね…… その国は じつをいうと 今から千五百年も未来の国なのですよ (『羽衣編』p.313) 高熱を出した平清盛は回復することなく、早々に没する。 そしてここから、混沌を極める乱世編の「本番」が始まると言っても良い気がする。 それくらい、この後の展開はすさまじい。 いくさ、恋愛、裏切り、殺人、火の鳥、いくさ、恋愛、猿、犬、死…これらがもう怒涛の勢いで、次々と鬼気迫りまくりで描かれていく。 義経は、いくさに強くて、男前で、そして、すごく嫌な奴でね…。 弁太は、顔の造作を色んな人から笑われてきて、おぶうはそんなこと言わなかったけど、そのおぶうは…。 素朴で優し…

  • 手塚治虫『火の鳥7 乱世編・上』

    この鳥は山鳥や 雉の仲間なんだわ 異国の鳥で 羽がきれいなだけで…… ただの鳥なんだわ たぶん (p.204) 舞台は1172年。 京都では、絶頂期にある平家一族が、ぶいぶい言わしている。 『平家物語』の世界である。 弁太、という素朴で怪力な木こりの男と、平清盛が本作の主役といえると思う。 火の鳥は、「火焔鳥」という伝説の鳥として語られている。 平清盛は老いていた。そう長く生きられないことも知っている。 自分が死ねば、平家は一気に凋落することも知っている。 だから絶対に死ぬわけにはいかない、と清盛は思う。 そして火焔鳥を追い求める。 歴史って、解釈や想像の余地がたくさんあるから面白い。 生き証…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミンパパの思い出』小野寺百合子訳

    あのころは、世界はとっても大きくて、小さなものは、いまよりもっとかわいらしく、小さかったのです。わたしはそのほうがよっぽどすきです。わたしのいう意味がわかりますか。(p.117) このように、ムーミンパパはしばしば、読者に語りかける。 ここで想定されている読者とは、ムーミントロール、スニフ、スナフキンの3人。 本書は、ムーミンパパが子どもたちのために書いた「思い出の記」=自伝である。 ムーミンパパの孤独な出自から、ムーミンママとの劇的な出会いまでを描いた、愛と勇気の冒険譚。 ほがらかで、どこかドライな語り口は、なんともいえないユーモアがあり、また、かわいらしくもある。 このように一見するとほん…

  • 手塚治虫『火の鳥6 望郷編』

    でも たいていの人は 後悔してると思うわ だれだって地球へ帰りたがってるのよ…… 宇宙の生活 ほんとにつらいもの…… (p.89) これまで、過去、未来、過去、未来と交互に描かれてきたけれど、前作の『火の鳥5 復活編』に続いて本作の舞台も「未来」である。 そしてなんと、語り手は火の鳥自身が務めている。 もちろん作中にも火の鳥は登場するが、縁の下の力持ちといった感じで、前面には出てこず、プロデューサー的に物語に関わっている。 火の鳥が見つめた、とある星における歴史のはじまりと終わり。 それはいったい、どのようなものだったのか。 これって、「黎明」から「未来」までを描く長大な『火の鳥』が、 『望郷…

  • 手塚治虫『火の鳥5 復活編』

    フェニックス きいてくれ ぼくはもうふつうの人間じゃないんだ 人工的につくられた つくりものの生命なんだ!! これが復活なら ぼくはもう ごめんだっ!! (p.161) 舞台は西暦2482年。 前回の未来パートの『宇宙編』が2577年のおはなしだったので、 『復活編』はそこから95年、現在に近づいたということになる。 とは言え、『復活編』じたいが、未来の時間を行ったり来たりして描かれている。 始まりは2482年だけど、3009年に飛んだり、2484年に戻ってきたり。 最後は3344年で終わっている。 時代を行ったり来たりで頭がぐわんぐわん揺さぶられて、「時空酔い」とでも呼べそうな酩酊感を覚える…

  • トーベ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』山室静訳

    「ねえ、スナフキン。ぼくらがパパにもママにも話せないひみつをもったのは、これがはじめてだねえ」 と、ムーミントロールはしんけんな顔でいいました。 (p.75) 「はじめに」と題された短い文章で、ムーミントロールたちが冬眠に入る日のことが描かれている。 ムーミンたちって冬眠するんだ! と私は驚いた。 たしかに言われてみると、なんだか冬眠しそうな生き物っぽさがある。 彼らは長い眠りにつく。 そして春が来て、物語が始まる。 ムーミントロールとスナフキンとスニフは、山のてっぺんで黒いシルクハットを見つける。 この帽子が魔法の帽子で、この帽子のせいでムーミントロールたちは様々な騒動に見舞われる。 船に乗…

  • 手塚治虫『火の鳥4 鳳凰編』

    おれは生きるだけ生きて…… 世の中の人間どもを生き返らせてみたい気もするのです (p.355) 時は奈良時代。 東大寺にどでかい大仏が建立されたころの話である。 茜丸という男前な彫刻師と、 我王という鼻のでかい男、の二人を中心にして物語は描かれる。 『鳳凰編』での火の鳥は、その名の通り鳳凰という伝説上の鳥として語られる。 登場人物たちには、あんまりぐいぐい関与してこない。 いわばひとつの「天啓」のように存在している。 『鳳凰編』で特徴的なのは、みんなあまり「永遠の命」にこだわっていないという点である。 なので、 死にたくない! 永年に生きたい! だから火の鳥の生き血を飲みたい! という風にはな…

  • 手塚治虫『火の鳥3 ヤマト編・宇宙編』

    あなたの顔は永久に見にくく…… 子子孫孫まで罪の刻印がきざまれるでしょう (p.318) 『ヤマト編』は『黎明編』の続きの話になっている。 続きといっても、『黎明編』の最後に出てきたタケルという若者が、 かなり年老いて村の長老みたいな感じで登場するくらいの時間が経過している。 私はあのタケルがヤマトタケルになるのだろうと思ったけど、違った。ぜんぜん違った。まったくもって的外れだった。 ヤマトタケルになるのは、違う人物だった。 で、火の鳥が登場するわけなんだけれど、私は、今回の火の鳥の反応にけっこう戸惑った。 いや、そっちの味方するの!? しかも理由がそれ!? って感じなのである。 下心まる出し…

  • トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』下村隆一訳

    「ぼく、スニフをさがしにいかなくちゃ。まにあうように、とけいをかしてね」 「いけない。この人を外へやらないで!」 と、スノークのおじょうさんはさけびましたが、ムーミンママはいいました。 「これは、しなくちゃならないことよ。いそいで、できるだけ早く」 (p,227-228) この地球のどこかに、ムーミン谷という美しい場所があって、そこでは、ちょっと変わった色んな人たちが暮らしている。 そしてそこ目がけて、地球をほろぼす巨大な彗星が迫って来ていた…。 第1章では、ムーミン谷の自然の美しさがたくさん描かれている。 川、野原、森、そして海。 ムーミントロールが海にもぐる場面なんて、挿絵の効果も相まって…

  • 手塚治虫『火の鳥2 未来編』

    「動物はどんどん滅びさっていき…… 人間たちの進歩も ばったりとまりました 地上に目に見えない死のかげがただよいはじめ…」 「わかった だがどうすればなおる? わしになおせないだろうか?」 「あなたにでもむりでしょう 地球をなおせる人間は ひとりしかいません その人間はもうすぐここへきます!」 (p.51 火の鳥と猿田博士の会話) 舞台は西暦3404年。 『火の鳥1 黎明編』の時代(西暦200年頃?)からすれば、気が遠くなるほど先のお話である。 ところで、とうとつですが、私はこの、『黎明編』と『未来編』が、いつ書かれたのか気になったので調べてみた。 Wikipediaによると、 『黎明編』が1…

  • 手塚治虫『火の鳥1 黎明編』

    「わたしは あとなん年 生きられるだろう 十年……? 五年かしら… それとも 三年………? 死にたくない‥ ……死にたくない死にたくない!! 火の鳥の血がほしい!! 永遠の命がほしい!! ほしい ほしい ほしい」 (p.233 ヒミコの嘆き) どこかのおおきな火山が、大噴火するところから物語は始まる。 それはまるで、映画が上映される前のブザーのようでもあるし、 徒競走でのスタート合図のピストルのようでもあるし、 手塚治虫さんの「はじまるぞーうおーっ」という鬨の声のようでもある。 舞台は「黎明期」の日本。 神話に片足を突っ込んでいるような時代である。 その生き血を吸えば永遠の命を得られるという「…

  • 永井均『子どものための哲学対話』内田かずひろ 絵

    ペネトレ:(前略)なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりているってことなんだよ。それが上品ってことでもあるんだ。根が暗いっていうのはその逆でね、なにか意味のあることをしたり、ほかのだれかに認めてもらわなくては、満たされない人のことなんだ。それが下品ってことさ。 (p.22-24) 小学五年生から中学一年生くらいの年齢の「ぼく」と、「ぼく」の家にすみついている「ペネトレ」という猫の、対話の記録。 「ぼく」の疑問にたいして、「ペネトレ」が答える。 「ぼく」の問いはあくまで素朴だ。夏休みこども電話相談、みたいな番組に寄せられそうなも…

  • メーテルリンク『青い鳥』堀口大學訳

    チルチル (驚いて)あなたたち、どうして泣いてるの? (他の「喜び」たちを見回して)おや、みんな泣いてるの? どうしてみんな、目にいっぱい涙をためてるの? 光 黙って、ね、いい子だから。 (p.178) クリスマスの夜。 チルチル(兄)とミチル(妹)は眠れずに、部屋の中で話をしている。 サンタのおじいさん、うちには来ないらしいよ、みたいな話である。 向かいの家には金持ちが住んでいる。 二人は部屋の窓から、その金持ちの家を覗いてみると、子供たちが豪勢なパーティーを開いている。お菓子もオモチャも溢れている。 お菓子、おいしそうだなー楽しそうだなーいいなーいいなーと二人は眺めている。 そんな二人の部…

  • モーリス・ルブラン『続813』堀口大學訳

    彼はすすり泣いた、彼はわなないた、深い絶望感におそわれて、咲いたかと思うとその日の中(うち)に凋(しお)れてしまう遅咲きの花のように、彼の心は優しさで一杯だった。 老女が跪いた、そしてわななく声で言った、(後略) (p.346) 『813』の最後で捕まってしまったルパンだが、かくかくしかじかで、なんだかんだの末に、とりえあず牢からは脱出し、それでいよいよ真犯人&ケッセルバック計画の秘密に迫ろうとするのだけれど…。 ルパンが核心に迫れば迫るほど、話のスケールはどんどん巨大になり、そして同時に、ルパンは真犯人から静かに追い詰められてゆく。こんな感じに物語は展開する。 こんなの、面白いに決まってるじ…

  • モーリス・ルブラン『813』堀口大學訳

    「(前略)ジュヌビエーブの良心は潔白で最高のものです……それなのにあなたときたら……」 「わしの良心がどうだというのだ?」 「あなたときたら、心の正しい人ではない」 (p.139) ホテルの一室で事件が起こる。 「ダイヤモンド王」と呼ばれる大富豪・ケッセルバックが殺された。 死体の上には「アルセーヌ・ルパン」と書かれた血まみれのカードがピンで止めてあり…。 この殺人事件の捜査にあたるのはルノルマンという超やり手の保安課長である。 ルノルマンは即座に、この事件はルパンの手によるものではないと看破し、真犯人を追う。 ルパンもまた、真犯人の逮捕に協力するよーみたいな公開状を新聞に送り付けつつ、その一…

  • 松尾潔『永遠の仮眠』

    「光安さん、どうしたんですか、ニヤニヤしちゃって」 多田羅が怪訝そうに悟の顔色を窺う。 「喉が渇きました。どうです、サシ飲みに付き合っていただけませんか」(p.258) 物語は沖縄から始まる。 主人公の光安悟は、沖縄県那覇市のソウルバー『ダイ』のカウンター席で、なんだか凄そうな<菊之露VIPゴールド>という泡盛を飲んでいる。 悟は、この日沖縄であったタレントコンテストのことを振り返る。彼はこのコンテストの審査員を務めていた。 出場した男子小学生に、悟は「辛辣なコメント」(おそらく本音なのだろう)を寄せて、観客から大ブーイングを浴びた。 対して、グランプリを獲得した男子グループに「パクリ寸前の世…

  • ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』山田蘭訳

    著者について、さらなる説明をお求めのかたは、どうか本書の冒頭をお読みください。 リチャード・シンプソン (p.14) リチャード・シンプソンとは、ガリバーの旅行記の発行者(ということに作中でなっている人物)である。 本書の冒頭には「ガリバー船長より従兄のシンプソンへの手紙」という文章が置かれている。 この文章でガリバーは徹頭徹尾、ぶちぎれている。 ヤフーどもだのフウイヌムだのブロブディンラグだのリリパットだの、固有名詞を濫発し、なんだかとてつもなく怒っている。わめき散らしている。半狂乱と言って良いだろう。 いやちょっと、まったく意味わかんないんですけど、と読者の私は面食らった。 なんだこれ? …

  • ジュール=ベルヌ『十五少年漂流記』那須辰造訳

    「だからね、ゴードン、ぼくは大統領をやめて、きみかドニファンにかわってもらいたいんだ。そうしたら、きっと平和がたもたれると思うんだ。」 「それはいけないよ。きみはみんなに選挙されたんだから、かってにやめることはできないよ。」 「そうか。じゃ、ぼくはできるかぎり力をつくすよ」(p.236) 様々な年齢の少年たち15人と、1匹の犬が、無人島に漂着し、協力しながらのサバイバル生活が始まる。 子供たちだけで大丈夫? と思ってしまう。 最年少は8歳、最年長が14歳。 夏は暖かいけれど、冬には零下30度にもなるような厳しい土地だ。 しかし彼らは知恵と勇気と無邪気さを武器に、仲間割れをしつつも、生き延びて脱…

  • デフォー『ロビンソン・クルーソー』武田将明訳

    すなわち、生きていると、想像するのも嫌で逃げまわっていること、そこに堕ちこめばなによりも恐ろしく、最悪なことがあるけれど、それはまさに救済への扉を開く鍵となることが多く、実はそれがなければ嵌まりこんでいる苦境から抜け出すことができないのだ。(p.257) ロビンソン・クルーソーという名の男が、色々あった末に無人島に漂着し、そこで28年ぐらいほぼ一人で暮らす、という話。 スマートフォンもパソコンも何もないなか、ロビンソンは生きるために必死で頭と体を働かせる。 孤独と向き合い、自然に身を任せる日々を送りながら、ロビンソンは神について考えるようになる。 この神についての思索こそが、いわば「背骨」とし…

  • アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』青柳瑞穂訳

    「ねえ、きみ」と私は答えた。「だからこそ、ぼくはみじめなんだよ。弱いんだよ。ああ! それはぼくにだってわかっている。ぼくは頭で考えているように行動しなければならないのだ! ところが、ぼくにはそれだけの実行力があるだろうか? マノンの魔力を忘れるにはどれだけの助けが必要だろう?」(p.130) 若き騎士・グリュウ君が、マノン・レスコーという名の美しい女性に惚れてしまったばっかりに、運命の怒涛の渦の中に我が身を投じることになって、その顛末を、金持ちの作者に語り、作者はそれを記した、という小説。 グリュウ君によれば、マノンという女性はそれは美しく、まさに魔力的な魅力の持ち主だそうである。 そしてまた…

  • ゴーゴリ『狂人日記 他二篇』横田瑞穂訳

    『あたしね、くん、くん、あたしね、くん、くん、くん! 病気が、ひどくわるかったのよ!』なんだい、こいつめ犬のくせして! いや、白状するが、おれは、犬ころが人間みたいに口をきくのを聞いて、ひどく驚いたのだが、あとでよくよく考えてみると、べつに驚くほどのことじゃないとも思った。じっさい、こんなことは世間にはざらにあることなんだ。(「狂人日記」p.177) この本にはみっつの作品が収められている。 「ネフスキイ大通り」と「肖像画」、そして「狂人日記」である。 現実と夢(妄想)の間に境界線のようなものがあるとして、その線の上を危うい足取りで歩くのだけれども、やがて足を滑らせて転ぶ。 みたいな話が「ネフ…

  • エヴェリン・マクドネル『ビョークが行く』栩木玲子訳

    それでもステージであれほどナーヴァスになっている彼女を見て、私は彼女のチックとこぼれたコーヒーを思い出していた。勇敢な変人でいることの難しさ、自分で見つけた美しい衣装を着て行ったら、みんなに笑われた、そのときの当惑や哀しみを私は知っている。だからビョーク、白鳥がいっしょにいてくれてよかったね。(p.132) 著者のエヴェリン・マクドネルさんはビョークに二度、インタビューを行っている。 1997年と2001年に行われたそれらのインタビューは、本書の始まりと終わりの位置にある。 そしてその二つのインタビューに挟まれるようにして、たくさんのビョークの言葉が引用されている。各メディアでビョーク自身が語…

  • ギタンジャリ・ラオ『ギタンジャリ・ラオ STEMで未来は変えられる』堀越英美訳

    名著『不道徳お母さん講座』の著者の方が翻訳しているので、この本もまた絶対に面白いに決まっているという予感と、あとSTEMってなんか聞いたことあるけど気にならなくもない気がするというぼんやりとした動機から、この本を読んだ。 そしたら超面白かった。 出版社のサイトを見ると、この本は教育書という分類になっているけど、私はむしろ実用書として扱ってもいいんじゃないかと思った。それくらい実用的なのである。 何について実用的かというと、本書のタイトルが示す通り、「STEMで未来を変えるため」のやり方が、本当に丁寧に、情熱的に、そしてポジティブに、書かれているのだ。 たぶん、この本を傍らに置いて、ひたすらにイ…

  • 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

    「あんたをその何かにうまく結びつけるためにできるだけのことはやってみよう」と羊男は言った。「うまく行くかどうかはわからない。おいらも少し歳を取った。もう以前ほどの力はないかもしれない。どれだけあんたを助けてあげられるものか、おいらにもよくわからない。まあできる限りのことはやってみるよ。でもね、もしそれが上手く行ったとしても、あんたは幸せにはなれないかもしれないよ」(上巻 p.149) 羊男の言う、あんた、とは主人公の「僕」のことである。 「僕」のために、羊男は「いろんなものを繋げる」のだという。配電盤みたいに。 「それがおいらの役目だよ。配電盤。繋げるんだ。あんたが求め、手に入れたものを、おい…

  • 村上春樹『羊をめぐる冒険』

    「羊のことよ」と彼女は言った。「たくさんの羊と一頭の羊」 「羊?」 「うん」と言って彼女は半分ほど吸った煙草を僕に渡した。僕はそれを一口吸ってから灰皿につっこんで消した。「そして冒険がはじまるの」 (上巻 p.73) 主人公の「僕」は、離婚してから、やばい耳の持ち主の女性と出会う。 詳しく言うと、まず、やばい耳と出会って、次にその耳の持ち主の不思議な女性と連絡を取って、そして交際することになる。 この彼女の耳がどれくらいやばいかというと、 「僕」が彼女と初めて会ったレストランで、彼女がいつもは隠している耳を開放(出した)ときに何が起きたかというと、なんか耳から重力波みたいのが発生している。 レ…

  • 村上春樹『1973年のピンボール』

    僕はピンボールの列を抜けて階段を上がり、レバー・スイッチを切った。まるで空気が抜けるようにピンボールの電気が消え、完全な沈黙と眠りがあたりを被った。再び倉庫を横切り、階段を上がり、電灯のスイッチを切って扉を後手に閉めるまでの長い時間、僕は後を振り向かなかった。一度も振り向かなかった。(p.159) 追い求めていたピンボール台と会う場面で、「僕」はやたらと震えている。 「僕」は、11月のたぶん上旬に、元養鶏場の冷凍倉庫を訪れる。 冷凍倉庫といっても今は使われていない。 11月の上旬の夜は、たしかに冷え込んで寒いかもしれないけど、そんなに? と思うくらい「僕」は震えている。セーターも着てるのに。 …

  • 村上春樹『風の歌を聴け』

    「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」 語り終えてしまうと鼠は首の後ろに両手を組んで、黙って空を眺めた。(p.115) 物語の終盤、主人公「僕」の友人の鼠は、わりと唐突に、かつて女性と奈良の古墳を訪れた時のことを語り出す。 なぜここで古墳の話が出てくるのだろう。 鼠はこうも語っている。 「俺は黙って古墳を眺め、水面を渡る風に耳を澄ませた。その時に俺が感じた気持ちはね、とても言葉じゃ言えない。いや、気持ちなんてものじゃないね。まるですっぽりと包みこまれちまうような感…

  • 『完訳 アンデルセン童話集(二)』大畑末吉訳

    部屋の中は、何から何まで、もとのままでした。時計は「カチ! カチ!」いっています。時計の針もまわっています。けれども、ドアを通る時、二人は、いつのまにか、自分たちが、おとなになっていることに気がつきました。屋根の雨どいのバラの花が、あけはなした窓の外に、美しく咲いていました。そして、そこに、小さな子供の腰掛けがおいてありました。カイとゲルダは、めいめいの腰掛けにすわって、お互いに手をにぎりました。(「雪の女王」p.216-217) 本書に収められている26個の作品の中で、私がもっとも心を揺さぶられたのは「雪の女王」である。 もう冒頭の、ゲルダとカイが、向かい合うお互いの窓ガラスの氷を、熱した銅…

  • 村田沙耶香『コンビニ人間』

    三人の声が重なる。店長がいるとやっぱり朝礼が締まるな、と思っていると、ぼそりと白羽さんが言った。 「……なんか、宗教みたいっすね」 そうですよ、と反射的に心の中で答える。(p.46) 主人公の古倉さんは18歳の時から18年間、コンビニでバイトしている。 小説の冒頭では、彼女のその完璧な働きぶりが描かれている。 コンビニ内で響くすべての音、それは例えばペットボトルが手前に押し出される音であったり小銭の音であったりパンの袋が掴まれる音だったり、それらに瞬時に反応して古倉さんの体は素早く動く。 そしてお客さんの目線や手の動きからその思考を読み取り、先回りして対応する。 その洗練された無駄のない動きか…

  • 梅崎春生『桜島・日の果て』

    それは、青いものが一本もない、代赭色の巨大な土塊の堆積であった。赤く焼けた熔岩の、不気味なほど莫大なつみ重なりであった。もはやこれは山というものではなかった。双眼鏡のレンズのせいか、岩肌の陰影がどぎつく浮き、非情の強さで私の眼を圧迫した。憑かれたように私はそれに見入っていた。 (p.25) 上記の引用箇所は、主人公の村上が、桜島の全貌を双眼鏡越しに大きく目にした時の描写である。いくらなんでもやさぐれすぎなのでは…と私は思ったが、無理もない話なのだ。なぜなら桜島での軍隊生活は、とてつもなく過酷だったからである。 桜島に来る前、村上は坊津(ぼうのつ)というところにいた。そこで基地通信という仕事をし…

  • 今村夏子『あひる』

    母はお祈りに一時間近く費やした。 それなのに、のりたまは日増しに衰弱していった。 (文庫版p.18) のりたま、とは、「わたし」の家にやってきたあひるの名前だ。 名前の由来はわからない。 「わたし」の父が、働いていた頃の同僚の「新井さん」から譲り受けたあひるであり、名付け親も新井さんである。 のりたまの具合が悪くなり、父親が病院に連れて行き入院させる。 帰ってきたのりたまは、明らかに別のあひるになっている。ということが二回繰り返される。 「わたし」は毎回、すぐにのりたまの違いに気がつく。 しかし、父も母も、あひる見物にやってきていた子供たちも、あひるがまったくの別物になっていることに気がついて…

  • 阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』

    「それとあの――」 小首をかしげて「なんですか?」と訊いてきたハナコに対し、横口健二はこう伝えた。 「いつかまた、かならず会いましょう」 するとハナコは一拍おいてから、このように応じた。 「はい、かならずまた会いましょう」 この約束を果たせる見こみは今のところは無にひとしい。が、そうであっても言っておくべきなのだと、横口健二は認識をあらためていた。それを言葉にして、何度でも言いつのることこそが長大な壁に風穴を開け、世界を変える唯一の方法になるのかもしれない。そんなふうに悟ったからだった。 (p.311-312) 2019年2月24日の夜、主人公の横口健二は、知人のヤクザ・沢田龍介から、奇妙な仕…

  • 『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

    すごい面白かった。 まず、「家族愛」みたいなものを全面に押し出してこないところがいい。 そういうのはもう食傷気味だからだ。 本作は子供たちが主役で、家族は文字通り「見守る」立場でのみ登場する。 それがすごい良かった。子供たちもみんな、かっこよかった。 終盤、ひろしとみさえが、阿月チシオからあることを問われて、 ふたりはしんのすけへの思いを口にする場面がある。私はここで泣いた。号泣した。 その言葉は私や妻が、そしておそらくは多くの親たちがいつも、我が子にに対して抱いているであろう気持ちの純粋な固まりのようなものだったからだ。 この場面でのひろしとみさえはたまらなくかっこいい。こういう「家族愛」の…

  • ドストエフスキー『悪霊』江川卓訳

    それからどうなったかは、はっきりとは覚えていない。突然、人々がリーザをかつぎあげたことだけを覚えている。私は彼女の後から駆けだした。彼女はまだ息があったし、ことによると、意識も残っていたかもしれない。 (下巻 p.380-381) ロシアのとある町で起きた、奇怪でむごたらしい一連の事件の記録。 しかし物語は、ステパン氏というある意味とてもユニークなおじさんの記述から始まる。ここが巨大な渦巻きの外縁の始点であり、ここからとてつもなく大きく遠回りをしながらゆっくりと、しかし徐々に加速しながら中心部に向かって物語は進んでいく。 渦巻きの中心には穴が空いており、その穴は「祭り」によって塞がれている。 …

  • 熊谷達也『邂逅の森』

    あの時、本当にクライドリが効いたのかどうかは、今もって疑問だ。だが、理屈には合わないようなことが、山の中ではしょっちゅう起こるのも事実だった。 (p.39) 主人公の松橋富治は、マタギである。物語の舞台は大正三年。富治は二十代半ば。ここから、何十年にも渡る富治の半生が描かれる。 私はこの小説を読むまで、マタギについての知識は「クマを仕留める仕事」程度の浅はかなものしか持ち合わせていなかった。読み終えた今は、マタギ最強、と軽率に叫んでしまいたくなるくらい、厳しい自然と、獣の命を奪うことの意味、そして山の神に向き合い続けている凄すぎる職業=生き方だと思うようになった。 それくらいマタギという職業の…

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