メインカテゴリーを選択しなおす
キンドル本、出しました 「八つ墓村埋蔵金伝説~横溝正史 最高傑作の謎を追う」
念願かなってキンドル本を出版しました。タイトルは「八つ墓村埋蔵金伝説~横溝正史 最高傑作の謎を追う」。今回はその紹介です。
今日は近隣にある 法輪寺【曹洞宗】の紹介です。 場所は名古屋市守山区の更に北東端に位置しております。 その起源は平安時代末頃かの源義経の家来であった佐藤兄弟(※継信・忠信)が平家追討のおりに戦
謎多き武将「明智光秀」の埋蔵金伝説!隠された黄金の行方を追え!
本能寺の変で「織田信長」を討った人物として知られる 「明智光秀」は謎が多い武将で数多くの伝説があります。 その伝説の1つ明智光秀の「埋蔵金伝説」 今回のミステリーは「明智光秀」の埋蔵金伝説です。 黄金の埋蔵金伝説…黄金の在処は明智光秀の読ん
消えた黄金!?謎に包まれた幻の城「帰雲城」に伝わる埋蔵金伝説とは?
一夜にして消えた伝説のお城「帰雲城」をご存じでしょうか?天正地震により消滅したお城で未だに城跡すら発見されていない幻のお城です。そんな謎多き「帰雲城」には黄金の埋蔵金伝説があります。今回のミステリーは謎に包まれた幻の城「帰雲城」の埋蔵金伝説
財宝の在処は里謡にある!?謎に包まれた「佐々成政の埋蔵金伝説!」を追え!
埋蔵金伝説…日本各地に存在し発見すれば一夜にして億万長者です。今回のミステリーは日本に眠る埋蔵金伝説の1つ「佐々成政の埋蔵金伝説」です。佐々成政は戦国時代の武将で「さらさら越え」をなし得た人物。そして悲劇の武将として知られています。そんな「
謎の和歌がヒント??未発見の埋蔵金伝説!「結城家の黄金」を追え!
日本に眠る埋蔵金掘り当てれば一夜にして億万長者!…なんて夢のお話…いや!夢ではないかもしれない!今回のミステリーは謎の和歌がヒントになっているとされる「結城家の黄金伝説」です。「結城家の黄金」は日本三大埋蔵金の1つに数えられるほどメジャーな
その塚は、杉林の中でひっそりたたずんでいた。 石積みの壇の上に石仏や石塔が立ち並び、隣に五輪塔の礎石が1つ。周囲には、かつて五輪塔の一部だったと思しき石材が散らばっている。 そして、傍らに立つ石碑には「七人塚跡」の文字。 ああ、間違いない。これが八つ墓明神のルーツなんだ。僕は感無量の思いでカメラのシャッターを切った――――。 岡山県立図書館での文献調査を終えた僕が新見へ向かったのは、まだ梅雨の明けきらない7月初めのことだった。 JR岡山駅を出発した伯備線の2両編成列車は、水田の緑が映える吉備路をひた走り、高梁川の流れに沿って中国山地の奥へ分け入ってゆく。 列車が新見市に
横溝正史が描いた八つ墓村埋蔵金伝説のルーツを求めて、十数年ぶりに訪れた岡山県。真っ先に足を運んだのは、JR岡山駅から東へ約1キロ、岡山城のすぐ南側に位置する岡山県立図書館だ。 旭川のほとりにそびえる岡山城 この種の伝説調査をする場合、新旧の郷土資料が大量に所蔵されている地元の図書館は「宝の山」であると言っていい。もちろん、文献調査なんかすっ飛ばして、いきなり現地で住民に聞き取りをするという選択肢もあるが、僕の経験から言えば、それはあまりにも効率が悪すぎる。 なぜなら、日本各地に残る伝説・民話の類は近年ものすごいスピードで消滅しつつある。戦前生まれの古老が健在だった昭和の時代ならと
まずは、八つ墓村埋蔵金伝説のモデルとなった伝説を探すにあたって僕が参照した主な文献を紹介しておこう。 1冊目は、日本における埋蔵金研究のパイオニアである畠山清行氏(1905~1991)の「日本の埋蔵金」(1973年・番町書房)だ。北海道の山奥から鹿児島の離島まで全国50カ所近くの埋蔵金伝説を取りあげ、現地調査の結果も交えながら各伝説の信憑性を考察した上下2巻本。埋蔵金マニアの間では「バイブル」と呼ばれていて、絶対に外すことのできない名著である。 2冊目は「別冊歴史読本 日本列島埋蔵金地図」(1984年・新人物往来社)。この本の特筆すべき点は「全国埋蔵金伝説総覧」と題した膨大なリ
ここからは「八つ墓村」のモデルとなった実在の土地や事件、伝説などを紹介し、創作の裏側に迫っていくことにしよう。 横溝正史がこの小説を構想するにあたって、かつて岡山県で発生した大量殺人事件から多大なインスピレーションを受けたことは、ミステリーファンなら知らぬ者がいないくらい有名な話だ。 その事件とは、いわゆる「津山三十人殺し」(別名・津山事件)である。 横溝正史を戦慄させた津山事件 日中戦争開戦の翌年にあたる1938年(昭和13年)の5月21日未明、岡山県北部の旧西加茂村(現在は津山市の一部)の山間集落で、都井睦夫なる21歳の青年が猟銃や日本刀を使って民家を次々と襲撃。一夜に
それではいよいよ、尼子落人の黄金の隠し場所を示す「宝の地図」に記された謎の歌の内容に踏み込んでいくことにしよう。 ここまで読んでいただいた方はすでにお察しのことと思うが、僕はかなりの埋蔵金マニアである。フィクションとしての宝探し小説はもちろん、日本各地に伝わっている埋蔵金伝説そのものにも強い関心を持っている。 かつて新聞記者をしていたころは、地方へ赴任するたびに仕事の合間を縫ってその土地の埋蔵金伝説に関する文献を集めたり、古老から地元の言い伝えを聞き取ったりしながら、「この伝説はガセっぽいな……」「これは信憑性が高いかも……」などと考察することを趣味としてきた。 その経験から言
「八つ墓村」の本編でも、要所要所で物語に絡んでくる尼子落人の埋蔵金伝説。その存在が最初にうっすらと顔をのぞかせるのは、物語の語り手である寺田辰弥という青年の身の上話の中である。 彼が亡き母親の形見として幼いころから肌身離さず持っていた「守り袋」の中に、和紙に毛筆で描かれた奇妙な絵図が納められている、というのだ。少し本文を引用してみよう。 それは不規則な迷路のような形をした地図で、ところどころに「竜の顎(りゅうのあぎと)」とか「狐の穴(きつねのあな)」とかいうような、地名ともなんとも、わけのわからないことが書いてある。 そして絵図のそばに、御詠歌のようなものが書きつけてあるのだが
横溝正史の「八つ墓村」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。 原作小説(1949年発表)を読んだことのある人なら、迷信に支配された山村で次々発生する連続殺人事件の不気味さを思い出すかもしれない。 あるいは、「祟りじゃ~」という流行語を生みだした松竹映画「八つ墓村」(1977年公開)の、あまりにも残虐な落人襲撃シーンを思い出して身震いするかもしれない。 あるいは、あなたが犯罪マニアなら、この小説のモデルになったと言われる昭和初期の現実の事件、「津山三十人殺し」を連想するかもしれない。 いずれにせよ、今から半世紀上前に横溝正史によって紡ぎだされた「八つ墓村」という物語は、推