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カラン、と扉の鈴が鳴った。 「こんばんは」低く、少しかすれた声だった。 40代くらいの男が、ふらりと店に入ってくる。コックコートを脱ぎ、黒いシャツに腕を通したラフな姿。料理人だと、見ればすぐにわかる。包丁に鍛えられた厚い手、そして、わずかに漂う出汁の香り。 「いらっしゃい」マスターの五十嵐あゆむが、にこりと微笑んだ。 男は無言でカウンター席に座ると、グラスに注がれた水を一口、ぐいと飲んだ。しんのすけがカウンター下をするりと歩き、彼の足元に丸くなる。 「食事、いる?」「……ああ。なんか、しみるやつを」 あゆむはうなずき、炊き込みご飯の鍋の蓋をそっと開けた。ふわりと湯気が立ち上り、鶏肉と根菜の香り…
扉の鈴が、小さく鳴った。 「こんばんは……」 入ってきたのは、まだ若い男性だった。スーツの上着を腕にかけ、少しだけくたびれた表情をしている。マスターの五十嵐あゆむは、カウンター越しににっこり微笑んだ。 「おかえりなさい」 男は、なんとなく照れたように苦笑して、カウンターの端に腰を下ろす。 窓の外では、海に月がぽっかり浮かんでいた。店内には、やわらかなジャズピアノが流れている。 「何か食べる?」あゆむが尋ねると、男は小さくうなずいた。 「……肉じゃが、ありますか」 「もちろん」 すぐに、鍋からふわりと甘い匂いが立ち上った。しんのすけが足元に寄ってきて、くるりと丸くなる。 やがて、テーブルに肉じゃ…
遠くの空で雷が鳴った。けれど、ここ糸島の海辺はまだ、雨は降っていない。 「降るかな」ぽつりと常連客が言った。 「降りそうですね」マスターの五十嵐あゆむは、グラスを拭きながら微笑んだ。 静かな夜だった。しんのすけはカウンターの隅で丸くなり、時折しっぽだけぱたぱたと動かしている。 「……俺さ、若いころは料理人になりたかったんだよ」唐突に常連客が話し始めた。 「へえ」あゆむは手を止めず、けれどちゃんと耳を傾ける。 「親父に反対されてな。真面目に働けって。結局、普通にサラリーマンやった」常連客は、バーボンのグラスを揺らした。「それでも、今になって、たまに思うんだ。もし、あのとき違う道を選んでたらって」…
店のドアが、きい、と音を立てた。もうすっかり馴染みになった小さな来客、レンがランドセルを背負ったまま顔を覗かせる。 「いらっしゃい、レンくん」カウンターの奥でグラスを拭いていたマスター、五十嵐あゆむがにこりと笑った。 「こんばんはー……」元気はあるけれど、少しだけ背中が丸い。しんのすけが足元にすり寄ると、レンはしゃがみ込んで頭をなでた。 「今日のごはんは、何がいい?」「オムライスがいいな」「了解。特製、ふわとろオムライス、ね」 鍋がコンロの上で音を立て始める。その間、カウンターの常連客が声をかけた。 「レン、学校はどうだ?」「……うん、まあまあ」 ふと、レンの目が曇った。あゆむは無理に聞き出そ…
春の夜風が、店のドアを優しく押した。カラン──と鈴が鳴る。でも、誰も入ってこない。ただ、春がそっと店に入ってきたようだった。 マスターは静かにグラスを拭きながら、カウンター越しにしんのすけを見た。丸くなった彼の背中が、どこか満ち足りて見える。 「……あっ」 ひとりの少女がドアの前で立ち止まっていた。背負ったランドセルが大きく揺れる。見上げるその顔は、少し緊張して、少し期待に満ちていた。 「……入っていいですか」 マスターは微笑み、そっとうなずく。 少女はカウンターに座ると、ポケットから折りたたんだ手紙を取り出した。 「ここで……誰かに手紙、書いてもいいんですよね?」 マスターはグラスを置き、優…
その夜、鈴の音には不思議な静けさがあった。 窓の外では、春の雨がそっと降っている。カウンターには誰もいない。マスターは奥で静かにグラスを磨いている。 しんのすけは、カウンターの上で丸くなっていた。ときおり耳をぴくりと動かしながら、ゆっくり、ゆっくり、夢の中へ沈んでいく。 ──夢のなか。 広い浜辺。潮風。どこまでも続く青空の下、しんのすけはひまわりと並んで歩いていた。 「久しぶり」ひまわりは、そう言ってしっぽを絡めてきた。 「ここ、覚えてる?」「うん。ぼく、覚えてるよ」 波打ち際で、ふたりはじゃれあった。遠い昔、夜明け前に遊んだあの頃のように。 「みんな、元気?」「うん。たまに泣くけど、でも、ち…
「……マスター、すみません。ちょっとだけ、台所、借りてもいいですか?」 夜も遅くなった頃、店に来た青年が、そう言った。彼は卒業と引っ越しを控えた常連。春になると、決まってこの店にふらりと現れた。 マスターは驚いたように目を見開いたが、すぐににこりと笑ってうなずいた。「いいですよ。火加減だけは気をつけてね」 彼は丁寧にご飯を握る。手の平に覚えのある動き。父が、子どもの頃によく作ってくれた焼きおにぎり──それを、今日は自分の手で再現してみたかった。 炭火の代わりに鉄網。焦げ目がつくたびに、あの頃の台所の音がよみがえる。 カウンターの向こうでマスターは静かに見守っていた。足元ではしんのすけが香ばしい…
夜風がぬるくなってきた。糸島の桜も、海の光をまとって少しずつ色を増している。 「これ、ひまわりちゃんに……おすそ分けです」 そう言ってやってきたのは、小さな女の子とその母親。包みをそっと差し出すと、しんのすけがすぐにそばへ寄ってくる。 「去年もこの季節に来ましたよね」 マスターがそう言うと、母親が笑った。 「娘が“ひまわりちゃんにまたお菓子持ってく”って言い出して。あれから、うちでもたまに桜餅を作るようになったんです」 小さな包みの中には、手作りの桜餅がふたつ。淡いピンクの餅生地に、ふっくらとした粒あん。桜の葉は塩気をまとうが、それすらやさしい香りに変わっていた。 マスターはお返しに、店で炊い…
[漫画]天使のわすれもの『大空の侵略者』のネームシナリオをアップしました
2年前ほどからイラストで展開していたガチギレ天使さん、だんだんと漫画になってきました。 下記からどうぞ。 https://angel.winproject.jp/scenario-sky-invaders-angels-forgotten-
この手紙、猫さんに届けてもらえますか 窓辺のしんのすけを見つめながら、女性が封筒を差し出した。中には小さな便箋と、春キャベツの押し花。宛名には、**“ひまわりへ”**と書かれていた。 10年前、ここで助けられたんです。心が沈んでいた夜、あの子がスッと膝に乗ってきて……なぜか涙が止まった 春の夜風がそっとカーテンを揺らす。マスターは頷き、厨房に立った。 キャベツの葉が、湯の中でゆっくり開いていく。ベーコンの香り、塩気、黒胡椒のぴりりとした刺激。優しくも、確かな味。 運ばれてきたスープを見て、彼女は微笑む。「……この味、あの夜と同じです」 しんのすけがカウンターに飛び乗り、封筒にそっと鼻を寄せた。…
「マスター、この店って……カレー、出すんですか」 珍しく、常連客(50代男性)が口を開いた。 夜9時を過ぎた頃。雨上がりの匂いが店の奥まで届いていた。窓の外はまだ濡れていて、しんのすけの足元もすこししっとりしている。 「カレーなら……特別な日だけですね」マスターはそう言って、棚の奥にしまわれた鍋を取り出した。 「……昔、毎週水曜にカレーを作ってくれた人がいたんです」「その人、今は?」 常連客はグラスを見つめたまま、少しだけ笑った。 「いなくなってから、もう10年です。でも──毎年この雨の匂いをかぐと、食べたくなるんですよね。その人のカレーは、市販のルウにちょっとだけ赤ワインを足して……玉ねぎは…
その手紙が届いたのは、昼すぎのことだった。常連もまだ誰も来ていない時間。マスターは郵便受けに目を落とし、ふと眉を上げた。 差出人不明。けれど宛名は、はっきりとこう書かれていた。 「鈴の音の手紙を読んでくださった方へ」 いつもなら、届くのは相談や静かな叫び。でも今日は、**“返事”**だった。 夜になり、窓際の席に彼女が座った。「こんばんは。今日は、なんだか落ち着かなくて……」彼女は、数週間前にこの店で手紙を書いた人だった。 マスターは封筒を差し出す。彼女は目を見開く。 「──えっ? これ、返事……?」 手が震えるのを抑えながら封を切る。中には丁寧な文字で綴られた便箋が一枚。 “あなたの想いに、…
わたし、寝る前にお願いするんです。神さまに… カウンターに座った彼女は、静かにグラスを揺らしながら言った。素敵な夢を見せてください、って。……あの人と逢える夢を マスターは黙って頷く。夜風が入り、カーテンがやさしく揺れる。 彼、5年前に突然いなくなってしまって。最後に交わした言葉も、ちゃんと覚えてなくて……でも、夢でもいいから、もう一度朝を迎えたいんです」 「朝ですか?」 ええ。夢の中で、彼と朝ごはんを食べたい。焼いたベーコン、黄身がとろける目玉焼き、熱いコーヒー。窓の外には海。静かな朝の光のなかで、ゆっくり言葉を交わしたいんです。 その願いは、けれどなかなか叶わないらしい。夢に彼は、出てこな…
夜の雨が、ちょうど止んだばかりだった。扉を開けた男は、コートの袖口を軽く払って、カウンターに腰を下ろした。 「ロックで。強めのやつ、ください」 私は黙ってグラスを用意しながら、彼の目の奥に残る“余白”を見つけた。 「10年付き合ってたんです。彼女と」「そろそろ結婚だなって…家の契約まで進めてた。でも、ある日ふと、“このままじゃダメな気がする”って言われて」 彼はロックグラスを手に取ると、一気に口をつけた。氷が少し音を立てる。 「最初は、“お前が不安定だから”とか、“俺の仕事が忙しすぎた”とか…いろんな理由を探したけど、結局は、そういうことじゃないんだよね」「ただ、“心が離れる”って、ちゃんと理…
その夜、扉を開けたのは、真っ白なシャツの女性だった。まだあどけなさの残る顔に、どこか“背伸びの決意”がにじんでいた。 「ハイボール、ソーダ少なめで」 軽く笑いながらカウンターに腰を下ろした彼女は、グラスを受け取ると、小さく深呼吸をした。 「明日、東京に引っ越すんです」「就職で。ずっとここにいたから、離れるのが…ちょっとだけ、こわいですね」 私は静かにうなずく。彼女は、窓の外に広がる夜の海を見つめながら、言葉を続けた。 「高校のとき、友達とこの近くの海岸を自転車で走って。アイス食べて、砂浜で転んで、笑い転げて…そんな日々が、ずっと続く気がしてた」「でも、気づいたら…ちゃんと“大人の時間”が来てた…
店の外に、ちらちらと雪が舞いはじめたころだった。扉がそっと開いて、白いマフラーを巻いた女性が入ってきた。少し赤くなった頬に、冬の夜が滲んでいる。 「ホットワイン、ありますか?」 小さな声でそう言って微笑むと、彼女はカウンターの端に腰を下ろした。私は静かにうなずき、鍋に赤ワインとシナモンを注ぐ。 「この季節になると、思い出すんです。学生のころ、毎年12月になるとだけ会う人がいて」 彼女は、グラスを両手で包むようにして話し始めた。 「塾のバイトで一緒だった年上の人。誕生日もクリスマスも何もないのに、なぜか12月だけは、ふたりでホットココア飲んでたんです。あの人、すごく不器用で、いつもカップの端にチ…
その男は、扉を開けるなり小さく咳払いをした。グレーの作業着に、少し擦れたリュック。どこか“居慣れない場所に来てしまった”という顔でカウンターに座った。 「…ウーロンハイ、薄めで」 私は静かに頷き、グラスに氷を入れはじめる。 「公園で、清掃の仕事をしてるんです」「そこでよく…手品の練習してたんですよ、若いころは。見せる相手もいないのに、トランプ回してね」「…昔はさ、本気でマジシャンになりたかったんです。舞台とか、ステージとか…夢だけは派手でした」 彼は笑いながらそう言ったが、どこか遠くを見るような目をしていた。 「その公園でね、毎日昼になると、必ず現れる女性がいて。子ども連れてるわけでもない、働…
今夜の客は、少しだけ遅れてやってきた。扉の開く音がして、香水のようにかすかに懐かしい空気が流れ込む。落ち着いたベージュのコートを脱ぎながら、女性はカウンターに腰を下ろした。 「何年ぶりだろう、こういうバーに来るの」 少し笑ったその横顔には、年齢の深みと、どこか“はじめての迷い”が浮かんでいた。私は無言でグラスを差し出し、軽くうなずいた。 「片づけをしてたら、出てきたの。昔、ある人にもらった名刺。結局連絡もしなかったけど…」「なんか、それを見た瞬間、ふっと思っちゃったの。“もう一度、なにか始めたっていいんじゃない?”って」 彼女はグラスに口をつけ、ゆっくり言葉を続けた。 「この年になると、“でき…
【鈴の音ラジオ】第3夜:声をかけたのはあの時だけだったけれど
深夜、店内にひとりの青年が入ってきた。ドアを開ける音も、歩く足音も、とても静かだった。席に着いた彼は、上着の袖を軽く引いて、目を伏せたままこう言った。 「ハイボール、薄めで」 私は軽くうなずき、手元で氷を整える。彼はどこか、“話すつもりで来た”ような目をしていた。 「大学の頃、ずっと同じ講義に出てた子がいたんです。毎回、彼女が教室のドアを開ける音が、妙に印象に残ってて」「隣に座ることが多くて…でも、あまり話したことはなかった。1回だけ、ノート貸したときに少し話しただけで」 ハイボールを差し出すと、彼は礼も言わず、少しだけ飲んだ。 「正直…好きだったんです。でも、自分なんかが話しかけても迷惑かな…
彼が扉を開けたとき、店内の時計が深夜2時を指していた。灯りを落としたBar 鈴の音。いつも通り、静かに波の音が遠くから届いている。カウンターの端に腰を下ろしたその男は、60歳くらいだろうか。スーツの襟は少しよれていたが、身なりには誠実さがあった。 「ぬる燗、ひとつ」 それだけ言って、あとは黙っていた。私はうなずき、酒を温めはじめる。 やがて、彼がぽつりとこぼした。 「幼馴染がね、いるんですよ。もう…50年になるかな」「隣の家で育って、小学校も中学もいっしょで、笑うと片方の目が少しだけ細くなる。昔から、そこが好きでね」 私は頷くだけで、何も言わなかった。 「何度か、言おうと思ったんです。好きだっ…
夜風がほんの少しぬるくなったころ、扉がふわりと開いた。 パステルカラーのワンピースに、短めの髪。20代前半くらいの女性が、少し照れたようにカウンターに腰を下ろした。 「ジンジャーエール、お願いしてもいいですか?…ノンアルで」 彼女はそう言って、両手でスカートの裾をなぞった。私は軽くうなずいて、氷をグラスに落とす。 「仕事、辞めようかと思ってるんです」「営業事務で2年目。すごくいい人たちに囲まれてて、それなのに、なんか…“これじゃない”って思っちゃって」「本当は、雑貨のデザインとか、そういう仕事をしたくて」 彼女はグラスを受け取ると、炭酸のはじける音に耳を澄ませた。 「でもね、そんなの無理だって…
その夜、彼は背中を丸めてカウンターに座った。フード付きのジャケットに、少し無精ひげ。一見して、どこか“今日で何か終わった”顔をしていた。 「…ウイスキー、ストレートで」 私は頷きながら、グラスに静かに琥珀を注ぐ。彼は手元を見つめたまま、ぽつりと言った。 「今日、退職代行で会社辞めたんです」 言い終えても、罪悪感のような空気がしばらく彼の周りに残っていた。 「同期も先輩も、悪い人じゃなかった。でも…毎朝、吐きそうになるくらい嫌で。もう限界だったのに、言えなかったんです。“辞めたい”って」 彼はグラスを傾けた。一口目で顔をしかめながらも、どこか落ち着いたようだった。 「“逃げるな”って、よく言われ…
深夜2時を過ぎたころ、ひとりの女性が店の扉をそっと開けた。外は冷たい風が吹いていたが、彼女の顔には、それとは別の静かな寒さが滲んでいた。カウンターの席に腰を下ろすと、私は黙ってグラスを磨きながら、彼女の方へゆっくり視線を向けた。 「この店、ずいぶん静かですね」 彼女がそう言って笑う。その笑顔も、どこか“思い出の続き”のようだった。 「昔ね、毎晩のように電話してた人がいたんです。 声だけで、たぶんお互いを支えてた。会ったのは数回だけ。 でも、なんだかあの時間だけは、現実だった気がするんですよね。」 私は黙って一杯のジンを差し出した。彼女はそれを受け取り、小さく礼を言う。 「終わったんです、結局。…
2025年1月を無職で迎えた私。適応障害を患い、療養しながらAIや量子力学を学んでいた。フリーランスとして活動していくことを決め、準備しているところに現れた壮年の男性。声を掛けられ、不思議な親近感と違和感を感じた。彼は一体、何者なのだろうか?
pixivでようやく更新始まりましたうちの子アイドルパロ2年越しだよ〜やっと世に出せたよ〜!Rinaくんとmegの共同創作。一緒に描いてるんですよ創作BLです…
その珈琲店では、ある決まりがあった。一つ。一人、必ずどこかの国の王を連れて来て、珈琲店で働く王たちの中に加えなければいけない。二つ。自分が連れてきた王の非、短所を、どこか言わなければならない。それをしないと、美味しい 珈琲 はできあがらないのだ。...
太陽電球が発明されました。太陽をえぐりとって、一つの電球を作るのです。それは、いつまでも使えて、普通の電球の何倍も明るいのです。ぜひ、それを世界中の皆さんに一つずつお配りしたいと考えております。ただ、そうなると、太陽はちょうどなくなってしまうのですが。...
ここはどこだ?あたりが真っ白だ。見渡す限り全て真っ白。出口がない。少し歩いてみると、何やら遠くに、小さく赤いものが見える。それの近くに歩いていく。なんだこれ?赤い玉だ。中に浮いている。自分の何倍かほどの大きさの赤い玉が浮いている。そこで僕は、あることに気づく。そうか、ここは日本国旗の中だ。...
「あれは月のじゅうすだね」「月のジュース?」「ううん、月のじゅうす」「何それ」「四角形なんだけど、三角形で、ざらざらしていて滑らかなんだよ」「それが月のジュース?」「ううん、月のじゅうす」...
蠅は、自分の中から一つずつ何かが失われていくような気がした。初めに、楽しいという概念が自分から抜け落ちた。野原を飛び回ったり、素敵な雄蠅を見つけても何も感じなかった。次に、美味しいと言う概念がなくなった。大好物のはずの、地面に落ちたパンも、機械的に咀嚼するだけとなった。そして、飛びたいと思わなくなった。その概念も同じように抜け落ちてしまったのか、それとも。生きたいと思わなくなった。体が動かなくなっ...
どこまでも続く草原、その真ん中に、卵がひとつたたずんでいた。「これは、一年ごとに殻が一枚ずつ割れるのですよ」「殻は一枚ではないのですか?」「ええ、何枚、何十枚、何千枚、もっとたくさんだったでしょうね」「だった、と言うのは?」「はい、大昔、そのまた昔、ここには地球と同じくらいの大きさの卵があったのでした。それが一年ごとにどんどん小さくなっていき、今はこのくらいなのです」サッカーボールほどの大きさの卵...
眠い。眠くて仕方がない。眠いと言うことすら考えられないくらい眠い。そんな時の対処療法をお教えします。まず、「いむくおむくいむくおん」と唱えます。すると脳みそが耳の穴から出てくるので、それを引っ掴んで全てを引きずり出します。脳を空っぽにしたら、耳に蚊の足を3本入れます。すぐに頭の中で蚊が育ち、子を産んで、頭の中は羽音でいっぱいになります。あとは戻すだけです。もう一度「いむくおむくいむくおん」と唱える...
ぽつりぽつりと本音を漏らす人。そう言う人を、ぽつりぽつり星人は狙います。「実はな、俺な、本当はな・・・ぽつり、ぽつ、ぽつぽつり!」本音を漏らす人の脳みそを食べて生きながらえているぽつりぽつり星人はたちまち人間の脳を占領してしまうのです。「ぽつり、ぽつ、ぽっつり、ぽぽぽつり、ぽつぽぽつ、ぽつり!」そうなるともう、ぽつりぽつり星人は歯止めが効かなくなり脳だけでなく心臓や肺なども蝕んでいきます。「ぽつり...
ぽんぽーん、ぽん、ぽぽぽぽん、ぽんぽぽぽぽ、ぽぽーん、ぽん、ぽぽぽぽん、ぽんぽんぽんぽん、ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、ぽぽん、ぽんぽんぽん、ぽぽーんぽぽーーん、ぽんぽん、ぽん、ぽぽっ、ぽん ぽ ぽぽんぽんぽん、ぽぽっ、ぽん、ぽん、ぽぽーーんぽぽーぽぽぽぽっぽんぽぽぽぽぽぽぽ、ぽぽーん、ぽぽーんぽぽーぽ、ぽぽぽぽぽぽ、ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、ぽぽーぽーぽぽぽぽ、ぽ、ぽ、ぽっ、ぽ、ぽ、...
ほくろでできた人間が生まれた。一年たつごとにそのほくろは一粒ずつ減っていき、50年ほど経つと体の半分からほくろがなくなった。でも、それからほくろは何年経っても一粒も消えることがなかった。仕方なくそのまま生活していると、周りから、新しいファッションと人気者になりほくろを増やす人が続出してきた。居心地が良くなったほくろ人間は、自分のほくろが愛おしくなったのだが。次の日、起きて鏡を見ると体から全てのほくろ...
「人魚姫なんか、絶対にいないよ」「何でそう思うんだい?」「だって、人魚姫なんかおとぎ話にしか出てこないじゃないか」「でも、いつかどこかで人魚姫と会えるかもしれないよ」「だって、僕たち人魚男しか、この世界にはいないじゃないか」「そうだな、やっぱり、人魚姫なんか、おとぎ話なのかもな」...
その扉は、開けると自分の髪の毛の中に出る。時折毛根につまずきながら、進んでいくと、また扉がある。それを開けると、自分の腸の中に出る。地面のひだに足を取られながら歩くと、胃に出る。そこで半分溶けかかった扉をこじ開けると、オポリン星に出る。なぜか、そこには扉がないのだ。すると、オポリン星人が群がってきて、自分の手足についている吸盤を貸してくれる。それを受け取り、その吸盤で、自分の髪の毛の中を探る。ドア...
何か声がする。私は部屋の中を見回る。リビングへ行く。声は小さくなる。キッチンへ行く。声が大きくなる。「・・・も・・・・です」「・・・うも、・・・・人間です」「どうも、私、電気人間です」その声は、コンセントから漏れ出ているようだった。「どうも、私、電気人間です。どうも、私、電気人間です。どうも、私・・」「うるさい!わかったわよ」電気人間の声が、一瞬の間止まった。そして、「どうも、私、電気人間です。ど...
「何でこの子はにんじんが食べられないのよ!」うさぎの母は憤慨していた。そのうさぎは、生まれた時から、にんじんアレルギーなのだ。うさぎは、肌で「これは危険なもの」と察知していた。だから、これまで一切、口をつけてこなかった。だが___「うさぎなのに、にんじんが食べられないなんて!」「そうだぞ、にんじんは、お前がうさぎとして生まれた限り、必ず食べんといかんのだ」母と父に、そう毎日言われ、うさぎはもう、ま...
ある広い原っぱで、太陽がもう少しで消えてしまう時原っぱは真っ赤になる。原っぱの真ん中に一本佇む木は、真っ青になる。その木はとてもとても綺麗だから、じっと見つめてしまう。たちまち真っ青な木に吸い寄せられて、原っぱの真ん中へ歩いていく。そうすると、もう木に触れたくなって、自分の手先が真っ青になっているのにも気づかず。ぺたりと触れる。体の中が、真っ青に染まっていく。染まって染まって、木に吸収される。ゆっ...
アルキョプ粒子というものが集まると、巨大なアルキョプが出来上がるのだ。人間の耳の中から、海の底から、木のほらから、卵の中から。集まれば集まるほど、大きな大きなアルキョプが出来上がる。アルキョプが出来上がったら、それを細かく刻んで、ご飯にかけて食べよう。よだれを垂らす僕の耳の中からも、アルキョプ粒子はどんどん放出されている。...
桃を一つ食べると、尻の割れ目が四つになるのです。桃を二つ食べると、尻の割れ目は八つになるのです。桃を三つ食べると、尻の割れ目は十六になるのです。人間の尻は、元々は一つも割れていなかったのです。でも、お母さんのお腹の中で、取り込まれた栄養分の中に桃が含まれていた時、人間は初めて尻が割れるのです。桃が好物な方は、食べ過ぎにご注意ください。ちなみに、ギネスにのっている尻の割れ目の数は一万ほどだと聞きます...
その喫茶店では、店に入る前に、入り口で「えりえりくとくとあせあせでりんぱ」と言わなければならないのだ。その列車では、決して、しばしば走行中に開いているドアの向こうを覗いてはならないのだ。その森では、切り株の中のこりすをいじめてはならないのだ。何があっても、絶対に。その海の中に、もしぽっかり穴が空いていたとしても飛び込んではならないのだ。朝一番に、水を吸収するのはガジュマルの木でなければならないのだ...
空のずっとずっと上は、地面のずっとずっと奥なんだよ。じゃあ、空のずっとずっとずっと上は、なんなの?地面のずっとずっとずっと奥なんだよ。本当かな、そうなのかな。試そう。父の片腕が急に太くなって、家ほどある大きな石を持ち上げたかと思ったら終わりの見えない空へ、力強く放り投げた。「ドスン」本当に地面のずっとずっと奥から聞こえてきた、その音が私の耳に届く前に地球はアボカドみたいにパックリ割れてしまった。本...
__人間の耳と口には、スピーカーのつまみがついているのだ。耳についているつまみを右に回すと、より多くの音を取り入れられる。反対に左に回すと、小さな音だけを聞くことができる。口についているつまみを右に回すと、声量が多くなる。反対に左に回すと、小さな声しか出なくなる__え、そんなもの、ついてないって?ああ間違えた。これ人間の情報じゃなくて、「わせとん人」の情報だった。どうも失礼しました。...
キジの鳴き声が運悪く耳に突き刺さると、耳はスパッと真っ二つになってしまう。「ケーン、ケーン」そんな声を聞いたら、これは「ケン」ではなく、「キン」だ、と思い込むのだ。そうすると、運が良ければ「金」がどさどさと落ちてくるだろう。思い込み方が足りないと、「菌」が降ってきてベトベトになることもあることはあるが。思い込むのが苦手なものは「ケケーン、ケケーン」と叫び返せば良い。そうすれば、声が打ち消しあって、...
地層から、数字の化石が発掘されるようになった。古い地層からは「1000050000000」新しいものからは「23000」これはいい研究の材料になりそうだと、学者たちは喜んだ。時はすぎ、その数字の化石は、朽ちていく学者の家で時を刻んでいた。「1000050000001」、「10000510000000」、「2000000000000」・・・・「見てみろよ。これ、数字じゃないか?」「ああ、そうだな」ある科学者は古い地層へと発掘をしにきていた。「すごいな、今か...
毎年恒例、馬の中身はなんなのか選手権が始まりました。ピンポーンはい、クマロンチーム。「ガラスですか」ただいま採点の結果が・・出ました出ました。クマロンチームに一点!おめでとうございます。ピンポーンはい、ラッケンチーム。「プラスチックでしょう」ただいま採点中・・はい。ラッケンチームに三点!ラッケンチーム高得点です。ピンポーンはい、クツツクチーム。「アブラムシですか」少々お待ちを。採点中・・クツツクチ...