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その塚は、杉林の中でひっそりたたずんでいた。 石積みの壇の上に石仏や石塔が立ち並び、隣に五輪塔の礎石が1つ。周囲には、かつて五輪塔の一部だったと思しき石材が散らばっている。 そして、傍らに立つ石碑には「七人塚跡」の文字。 ああ、間違いない。これが八つ墓明神のルーツなんだ。僕は感無量の思いでカメラのシャッターを切った――――。 岡山県立図書館での文献調査を終えた僕が新見へ向かったのは、まだ梅雨の明けきらない7月初めのことだった。 JR岡山駅を出発した伯備線の2両編成列車は、水田の緑が映える吉備路をひた走り、高梁川の流れに沿って中国山地の奥へ分け入ってゆく。 列車が新見市に
それではいよいよ、尼子落人の黄金の隠し場所を示す「宝の地図」に記された謎の歌の内容に踏み込んでいくことにしよう。 ここまで読んでいただいた方はすでにお察しのことと思うが、僕はかなりの埋蔵金マニアである。フィクションとしての宝探し小説はもちろん、日本各地に伝わっている埋蔵金伝説そのものにも強い関心を持っている。 かつて新聞記者をしていたころは、地方へ赴任するたびに仕事の合間を縫ってその土地の埋蔵金伝説に関する文献を集めたり、古老から地元の言い伝えを聞き取ったりしながら、「この伝説はガセっぽいな……」「これは信憑性が高いかも……」などと考察することを趣味としてきた。 その経験から言
「八つ墓村」の本編でも、要所要所で物語に絡んでくる尼子落人の埋蔵金伝説。その存在が最初にうっすらと顔をのぞかせるのは、物語の語り手である寺田辰弥という青年の身の上話の中である。 彼が亡き母親の形見として幼いころから肌身離さず持っていた「守り袋」の中に、和紙に毛筆で描かれた奇妙な絵図が納められている、というのだ。少し本文を引用してみよう。 それは不規則な迷路のような形をした地図で、ところどころに「竜の顎(りゅうのあぎと)」とか「狐の穴(きつねのあな)」とかいうような、地名ともなんとも、わけのわからないことが書いてある。 そして絵図のそばに、御詠歌のようなものが書きつけてあるのだが
横溝正史の「八つ墓村」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。 原作小説(1949年発表)を読んだことのある人なら、迷信に支配された山村で次々発生する連続殺人事件の不気味さを思い出すかもしれない。 あるいは、「祟りじゃ~」という流行語を生みだした松竹映画「八つ墓村」(1977年公開)の、あまりにも残虐な落人襲撃シーンを思い出して身震いするかもしれない。 あるいは、あなたが犯罪マニアなら、この小説のモデルになったと言われる昭和初期の現実の事件、「津山三十人殺し」を連想するかもしれない。 いずれにせよ、今から半世紀上前に横溝正史によって紡ぎだされた「八つ墓村」という物語は、推