メインカテゴリーを選択しなおす
これはね、最初っから言いたかったことなんですよ… 放送が始まる前から言いたかったんですよ… 最初から思っていたのにツッコミ始めが途中からだったから言えなかった…
【光る君へ】#31 天からまひろへと降り注ぎ始めた「源氏物語」、モデルの皆様の反発は心配なれど、あとは書くだけ
丁寧に描かれた「源氏」誕生ストーリー NHK大河ドラマ「光る君へ」第31回「月の下で」は8/18に放送された。道長がまひろを訪ねてきたところで再度の1週飛ばし・・・待ってました。さっそくあらすじを公式サイトから引用する。 (31)月の下で 初回放送日:2024年8月18日 ある日突然、道長(柄本佑)がまひろ(吉高由里子)を訪ねてくる。道長はまひろに、一条天皇(塩野瑛久)に入内するも、相手にされず寂しく暮らす娘・彰子(見上愛)を慰めるために物語を書いてほしいと頼み込む。しかし、真の目的は…。一方、宮中では年下の斉信(金田哲)に出世で先をこされた公任(町田啓太)が参内しなくなってしまった。事態を案…
先週の「光る君へ」で、一条天皇が源氏物語のおそらく「桐壺」を読み始められたので、また母の本棚を物色。桐壺だけを切り絵で絵本にしたものがあったので、持ってきてみました。……ってか本当に、いろんな関連本が..
京都だけでなく敦賀にも、安倍晴明を祀る晴明神社があります。南北朝時代の金ヶ崎戦、織田信長と朝倉氏との戦火からあつく守られた神社で、以来数々の火災から町を守ったとして、防火の守としても信仰を集めています。晴明は10世紀末に敦賀に移り住み、天文暦学の研究を重ねたといわれており、晴明が陰陽道の研究に使ったとされる「祈念石」がご神体として祭壇の床下に祀られています。祈念石祭壇の下にある小窓から覗き見ることが...
宇治十帖モニュメントから、さわらびの道を進み、宇治神社を越えたところに早蕨の古蹟があります。宇治神社早蕨(さわらび)は、『源氏物語』五十四帖の巻の一つ。第48帖。第三部の一部「宇治十帖」の第4帖にあたる。巻名は、中君が詠んだ和歌「この春は誰にか見せむ 亡き人の形見に摘める 嶺の早蕨」に因む。薫25歳の春の話。宇治の里にまた春がめぐってきた。父八の宮も姉大君も亡くした中君の元に、父の法の師だった宇治山の阿...
いよいよ「源氏物語」の創作へ!?大河ドラマ「光る君へ」・第31回の感想!
大河史上初の時代を描いているだけに、出てくる歴史上の描写は全て初という「光る君へ」・・・・。 今回は遂に、「源氏物語」が執筆されるシーンに入っていったようです(^^;)。 まさに、大河ドラマならではの、歴史上の出来事の描写・・・・・(^^;)。先の「枕草子」執筆場面より、1...
宇治川に架かる朝霧橋。朝霧橋を渡って、対岸に進んでいます。朝霧橋のたもとには、小舟で橘の小島に向かう浮舟と匂宮との像があります。後ろの屏風型レリーフには、薫が大君・中君を垣間見している「橋姫」の場面が描かれています。ヒカルゲンジという品種のツバキがあるのですね。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご...
平等院がある中心地から東へ進んで行くと、宇治川沿いに「宿木」の古蹟があります。宇治駅からだと、歩いて20分。さすがにここまで来ると、観光客の姿は見当たりません。宿木(ヤドリギ)はけやきなどに寄生する植物のことで、宇治川のほとりで目にすることができます。源氏物語宇治十帖(五)宿木亡き大君を忘れかねる薫君は、いつしか現し身の中君におもいをよせるようになった。中君はその真情に絆されはするが「うとましく」も思...
宇治の橋姫神社は、源氏物語宇治十帖「橋姫」の古跡ともなっています。橋姫は、宇治橋の守り神で、古代より水辺、特に橋は心霊の宿るところとされていました。橋姫神社は、瀬織津比咩尊(橋姫)を祭神とし、水運の神である住吉明神と並んで境内に祀られています。1870(明治3)年の大洪水で流されるまでは宇治西詰にあり、さらに古くは宇治橋三の間に祀られていたと伝えられています。神は川の汚れを流すとされ、苦しみ、悪縁も消...
『もしも徳川家康が総理大臣が総理大臣になったら』という映画を観た。ま、想像通りの映画だった、というか、想像通り、面白かった、というか。でも、だね。 ストーリー…
前回の投稿と連携した投稿です。この投稿だけでも内容を楽しんでいただけるよう努力しましたが、両方読んでいただければ超うれしいです(笑)↓ aizenmaiden.hatenablog.com 今回の記事の舞台となるのは滋賀県大津市にある石山寺。今年(2024年)の大河ドラマの影響もあって「紫式部がこの寺で源氏物語の着想を得た!」「源氏物語を執筆した!」などと大売り出し中!…なわけですが、この石山寺と紫式部ならびに源氏物語との結びつきはおもにお寺が所蔵する「石山寺縁起絵巻」(もっとも古い巻は鎌倉時代)によるもので、その内容は史実に基づいているのか?となると「???」な感じ。 この石山寺縁起では紫式…
『源氏物語』第54帖のうち最後の10帖は、「宇治十帖」と呼ばれ、「橋姫(はしひめ)」「椎本(しいがもと)」「総角(あげまき)」「早蕨(さわらび)」「宿木(やどりぎ)」「東屋(あずまや)」「浮舟(うきふね)」「蜻蛉(かげろう)」「手習(てならい)」「夢浮橋(ゆめのうきはし)」の10帖の総称。主人公薫(かおる)大将と宇治の八の宮の娘、大君(おおきみ)・中君(なかのきみ)、および浮舟との人間模様が語られ、主として宇治の地が舞台となって...
ここ数日、おゆすき、お盆休み中でしたていうか、書きだめが尽きただけなんだけど さて、今日の 光る君へ を見ましたけども 紫式部の身分では 源氏物語を長編を…
#4336 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲がくれにし夜半の月かけ
令和6年8月19日(月) 【旧 七月一六日 仏滅】・立秋 「蒙霧升降」(ふかききりまとう)めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲がくれにし夜半の月かげ ~紫式部(970?-1041?) 『新古今和歌集』 巻16-1499 雑歌上やっとめぐり会えたと思ったのに、あなたかどうかも分か
京都府宇治市の中心エリア。宇治十帖の舞台ゆえに源氏物語ゆかりの地として紹介されることも多い観光名所。しかし近年のオーバーツーリズムの影響で人が多すぎて…源氏物語では地名の宇治を「憂し」と結びつけられる場面がしばしば出てきますが、今の状況が続くとまさに「憂しな観光スポット」になりかねない勢い。京都の有名な観光スポットはどこでも似たような状態ですが…😓 一方で宇治十帖は必ずしも源氏物語におけるメインの部分ではなく、作品全体の主人公たる光源氏も出てきません。それどころか宇治十帖そのものが紫式部作ではなく別人の手によるもの、という説さえあります。(個人的にはこの説に投票したい) そのため宇治を源氏物語…
サブタイトルは「月の下で」。二週間ぶり、しかも道長さんがお忍びで「来ちゃった」というところで次回続くという、視聴者泣かせの回でしたが……待たされた甲斐がありました!このところ、まひろも道長も辛い展開が..
五条大橋の南東(下京区木屋町通五条下ル)に源融河原院跡の石碑があります。紫式部の『源氏物語』の光源氏のモデルとなった源融の邸宅・河原院があった地とされています。この辺りは河原院の庭の中の島「籬の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられた「籬の森」の跡で、石碑の隣にある榎は、森にあった木の最後の1本とされています。源融河原院跡この付近には、嵯峨天皇皇子で『源氏物語』の主人公 光源氏のモデルの一人と...
藤森神社の境内社です。八幡宮 永享10年(1438年)に足利義教が造営したもの。祖霊社 当社に功労・功績があった者を祀る。七宮社 蔵王社、広田社、諏訪社、厳島社、住吉社、熊野社、天満社大将軍社 永享10年(1438年)に足利義教が造営したもの。天満宮社金太郎像かへし石力石とも呼ばれます。昔、この石を拝殿から鳥居まで転がす 行事があり、力を競い合ったとのこと。自販機自販機にも馬の姿が!「必勝祈願」と書かれると、飲...
清少納言の『枕草子』完成!紫式部(まひろ)は『源氏物語』を書き始め!大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第29回「母として」について清少納言は道長のやり口に…
本殿本殿は正徳2年(1712年)に中御門天皇より下賜された宮中賢所(内侍所)。現存する賢所としては最も古く、東殿・中央・西殿の三座から成り、本殿中央には、元からこの地に祀られていた三韓征伐にまつわる7柱を祭っています。素盞嗚命(すさのうのみこと)を主神とし、あわせて神功(じんぐう)皇后、日本武尊(やまとたけるのみこと)など十二柱に及ぶ神々を奉祀し、洛南深草の産土神として崇敬されている古社である。本殿は、正徳2...
京都市伏見区深草にある藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、社伝では、神功皇后摂政3年(203年)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国深草の里の藤森に纛旗(とうき = いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしています。また、菖蒲(端午)の節句の発祥地として知られています。『源氏物語』第25帖「蛍」では、端午の節句に六条院の馬場で騎射が行われる場面が描かれています。南と西の...
#744 第24回「忘れえぬ人」感想~大河ドラマ『光る君へ』
まひろの心の中にいる大切ない人の存在をも受け入れる宣孝とその存在で心に入れなかった周明の対比が描かれる大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第24回「忘れえぬ…
京都市中京区にある安養寺は、通称は倒蓮華寺(さかれんげじ)と呼ばれています。寛仁2年(1018年)に、恵心僧都源信が大和国の當麻に蓮台院を建立する。その後、源信の妹である安養尼が入寺し、寺名を安養寺に改名した。天永年間(1110年 - 1113年)、隆暹が京都に寺を移転させると、鎌倉時代に証仏が寺運を広めている。天正年間(1573年 - 1592年)に、豊臣秀吉によって現在地に移された。本尊の阿弥陀如来立像は八枚の蓮華を逆...
先日、木までたどり着けないからと、炎天下の中で草むしりをさせられた、我が家のブルーベリー。今日も今日とて、母と二人で実を摘んだ結果、比較対象はノーマルサイズのニベア缶(169g)。これでも鳥につつかれ..
30年前、夢中で読んだ「わたしの古典」シリーズ全22巻との再会
ご訪問くださいましてありがとうございます。Mrs.エステティシャン花音です。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」を毎回楽しみにしています。いよいよ、今週回は「源…
誠心院は、京都市中京区にある和泉式部ゆかりの寺院で、通称「和泉式部寺」と呼ばれています。新京極通の東側、誓願寺南にあり、華岳山と号し、真言宗泉涌寺派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、藤原道長がその女上東門院彰子に仕えていた和泉式部のために、東京極今出川いまでがわ南にあった東北とうほく院の一隅に一庵小御堂を結び与えたのが始まりという(貞徳百人一首頭書)。和泉式部は越前守大江雅致の女。和歌に優れ和泉守橘...
娘である小式部内侍を失った和泉式部は、娘の菩提を弔いつつ、自らの往生も考えるようになり、播磨国(兵庫県姫路市)書写山圓教寺(えんぎょうじ)を訪ねたという伝承があります。圓教寺は、書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられています。摩尼殿圓教寺は、都の皇族や貴顕の崇拝が篤く、なかでも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)に来山して、圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進...
最近は滅多に現金を使うこともなく、ATMに行くのも年末のお年玉用以外は年一程度です。久しぶりに近所の八百屋へ行ったらまだ現金商売でした。昔ながらのお店...
貴船神社は、心願成就信仰としての「丑ノ刻詣(うしのときまいり)」でも知られています。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「丑の刻参り」昔、宇治の橋姫が丑ノ刻詣りをして男に呪いをかけた伝説があり、これをもとに作られたのが謡曲「鉄輪」です。竜閑斎画『狂歌百物語』より「橋姫」橋姫が頭にのせた鉄輪を老いた鉄輪掛石が貴船口駅の傍らにあるそうです。丑ノ刻詣りというと、単に呪いをかけるというイメージがありますが、本来は...
【光る君へ】#30 作家まひろ、原稿を燃やした娘が許せない。道長は嫡妻倫子様と亀裂拡大・・・バレた?
藤原F4の集いで、まひろの名が上がる NHK大河ドラマ「光る君へ」第30回「つながる言の葉」が8/4に放送された。ラストに道長がまひろの前に姿を現したところで、またまた2週間のお預け!次回放送は8/18に。 次回予告の限りでは、せっかく「源氏物語」冒頭の「いずれの御時にか」に辿り着くようなのに、なんでーなんでー!と言いたいが(いや、オリンピックのせいだと分かってはいるけど)、NHKは視聴者を引っ張るのがお上手だということにしておく。 今回も、まずは公式サイトからあらすじを引用する。 (30)つながる言の葉 初回放送日:2024年8月4日 夫の死から三年、まひろ(吉高由里子)は四条宮の女房達に和…
思い川から奥宮への参道を進んで行くと、神門が見えて来ます。神門神門をくぐると、左手にあるのが連理の杉。連理の杉連理の杉(御神木)貞明皇后御参拝の折(大正十三年)称賛された連理の杉。連理とは別々の木が重なって一つになる意で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいう。この神木は杉と楓が和合したものでひじょうに珍しい。貴船神社のお参りは、本宮、奥宮、結宮の順にお参りする三社詣という慣わしがあります。奥宮は、もともと...
貴船神社の奥宮の手前にそびえる杉の巨木。相生の杉(御神木)同じ根から生えた樹齢1000年の二本の杉。相生は、相老に通じ、夫婦艫に長生きの意味。自然の生命力を感じますね。貴船神社の縁結びのシンボルであるかのように、二本の杉が寄り添うように生えています。貴船神社の末社・「私市社(きさいちしゃ)」「林田社」私市社の御祭神は大國主命林田社の御祭神は少名彦命にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応...
貴船神社の本宮から結社(中宮)へと向かいます。料理旅館の立ち並ぶ貴船川沿いの道は、秋は紅葉のトンネルとなります。夏には川床が設けられ、涼を求める人達で賑わいます。本宮より歩くこと10分、和泉式部もお参りしたという結社(ゆいやしろ)が見えてきます。結社は、本宮より上流300メートル、山側の小高い地にあり、本宮と奥宮の中間にあるため中宮 (なかみや)とも呼ばれています。御祭神は磐長姫命 (いわながひめのみこと)を...
サブタイトルは「つながる言の葉」。いやはや、もう30回目とは、なんだか感慨深いですね。そして今回はもう、安倍晴明とあかね(和泉式部)が……っいきなり三年も時間が飛んだのにも驚きましたが、安倍晴明が引退..
貴船神社の社務所には、「水占い」というおみくじが売られています。まずは、紙の中から好きな一枚を選びます。最初は文字が書かれていませんが、境内の霊泉に浮かべると、文字が浮き出できて、普通のおみくじのように、恋愛、出産、病気、転居などの運勢が書かれています特に女性の間で人気があるようです。(私も引いたことがあります(^^;)また、おみくじには、QR Translatorが印刷されていて、外国人観光客は、それぞれの言語で...
『NHK 光る君へ に、ツッコミたい 8/4』 前々から思っていたのだが ユースケサンタマリアが どうしても 胡散臭い この話の中に あの雨乞いシーン必…
光る君へにツッコませていただいてますから★ おゆすき観光 @ 京都府宇治市 平等院 源氏物語M
前回の記事は、こちら『おゆすきも、映えました★ 旧ふるさと納税 @ 京都府宇治市 伊藤久右衛門 宇治抹茶パフェバー』今日も、ふるさと納税でいただいた、おすすめ…
「和泉式部(笑)」 昨日、18:15にジムから帰宅したら、母が「光る君へ」を見ていた。 予約録画していたが、取り敢えず見た。すると今まで見た事のない女優さんが…
小さな雲が弧を描いてならんでその中央には 指揮者が手を広げている 雲はオーケストラ♪ウフフフフ 日陰に濡れた緑の葉と果実一瞬の涼を 「花鳥の色をも音をも…
貴船神社の社殿の前に白と黒の神馬の像があります。雨乞いの社として知られる貴船神社は、歴代天皇より、日照りには黒馬、長雨には白馬、または赤馬を献じて、祈願されてきましたは、平安時代の文献によると、時には生馬に換えて板立馬を奉納したと伝えられています。その板立馬が今日の絵馬の原形と言われ、貴船神社には絵馬は、絵馬発祥の地にちなんで黒馬・白馬の絵馬、貴船神社の神様である龍神さまにちなんだ龍絵馬などがあり...
撮影日時 2024/08/03 19:21:32テレビっ子の私は大河ドラマも必ず観ています。きちんと観ることもあれば、何かしながら観て、録画も見直さないドラマがあります。今放映中の『光る君へ』はどちらかといえば後者です。それでも同じような名前ばかりなので、続き柄など頭の中で整理しながら観ています。すると、一条天皇は伯父(藤原道隆)の娘(定子)と結婚して、さらに叔父(藤原道長)の娘(彰子)と、つまりはいとこ同士で結婚し...
京都の奥座敷「貴船」に佇む貴船神社は、全国に約450社ある貴船神社の総本社で、地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」といいます。創建年代不詳ですが、貴船川は鴨川の源流にあたり、御所の真北に鎮座することから、“京都の水源を守る神”として朝廷からも大切にされてきました。この日は、バスの時間が合わなくて、貴船口から貴船神社まで歩いて行きました。その向かう途中に出会った蛍岩(ほたる...
【光る君へ】#29 まひろ道長の保護者、宣孝と女院の死。母として、まひろは物語を書き始めた
大御所からの反応にびっくり😲 NHK大河ドラマ「光る君へ」第29回「母として」が7/28に放送された。そのドラマの話に入る前に、かなりビックリしたことがあるので記しておきたい。 ・・・前回ブログの件でのXに、まさかの人物から反応があり、一瞬息が止まる思いだった。なななななんと、今年の大河ドラマの時代考証の先生が、うれしいことに「いいね」してくださっていた。名誉だ✨ありがとうございます! 私なんぞのブログまで読んでいただいたかどうかは分からないけれどね、ご覧になったのはXだけかもしれないし・・・やっぱり時代考証を担当するプロの歴史家の先生としては、「紫式部の娘・賢子の実父は藤原道長」だと信じちゃ…
新京極にある誓願寺は、清少納言、和泉式部、松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺として名高いお寺です。飛鳥時代、天智天皇 6年(667)、天皇の勅願により奈良に創建されました。鎌倉時代に奈良から一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、天正19年(1591)、秀吉の命により現在の地に移転し、慶長2年(1597)、秀吉の側室・松の丸殿(京極竜子)の援助によって伽藍の再興が完了しました。清少納言も和泉...
次回の「光る君へ」から和泉式部が登場するようなので、しばらく和泉式部についての記事をアップします。日本三大祭の一つに数えられる祇園祭は、八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれました。八坂神社 西楼門四条通りの突き当たりに建つ切妻造の楼門。南楼門八坂神社の正面門にあたる楼門。舞殿本殿現在の社殿は承応3年(1654)に4代将軍徳川家綱により建立されたもので、拝殿と本殿を大...
「物語の間」では『源氏物語』のあらすじや、物語の舞台になった宇治の名所について展示されています。『源氏物語』の早わかり表体の動きに反応するセンサー技術を使った体験コーナーでは、『源氏物語』のストーリーを見ながら、グー、チョキをかざしたりするゲーム感覚のコーナーもありますよ。ルーレットで出てきた源氏絵を探す「源氏絵大集合!」六条院にまつわる登場人物の解説を読む「六条院引き出し」「響け!ユーフォニアム...
「物語の間」では、『源氏物語』の宇治十帖の主要人物「薫」と「匂宮」にちなんだ香りについての展示があります。香りの文化香りの文化は、仏教と深くかかわっています。仏前で香を薫き、清浄な空間にととのえるのもそのひとつです。良い香りの木で、仏像を彫ることも行われました。『源氏物語』の中では、仏前で香を薫ことを「名香(みょうごう)」と表現しています。香りの原料は、中国や東南アジアから渡来した貴重品でした。これ...
このの細い参道を上って行くと、住宅地の間に宇治陵32号墳があります。この宇治陵32号墳を藤原道長の墓とする説もありますが、誰がどこに埋葬されているかは特定されていないそうです。ここを見学していたら、住人の人が反対側にも陵墓の入口があると説明してくださいました。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お...
JR・京阪木幡駅付近から北東に広がる丘陵は、藤原氏の墓地が営まれていた所で、宇治陵1号は総遙拝所に当てられています。宇治陵(うじりょう、うじのみささぎ)は、京都府宇治市にある古墳群と、藤原氏とその関係者の陵墓群である。地蔵山および御蔵山に散在する古墳群を総称したもの。地蔵山及びその北側浄妙寺山の南北約1.8キロ、東西0.9キロ、総面積89,332平方メートルに点在する大小320もの陵墓群である。明治10年に宮内庁によ...