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占い師ポーは時間の感覚がバグっている、、、ポーの祝日どんな気分で過ごしているの?観たかった映画、陰陽師0の中身、陰陽師の身分は?平安時代と現代で共通する願望とは、を語るブログ
嵐山の渡月橋から少し東に進んだところにある角倉稲荷神社に隣接して安倍晴明嵯峨墓所があります。安倍晴明は、寛弘2年(1005年)9月26日に85歳で亡くなり、天龍寺の塔頭・寿寧院(じゅねいいん)に葬られたと伝わっています。寿寧院は貞治年間(1362年~1367年)に臨済宗の僧・龍湫周沢(りゅうしゅうしゅうたく)が創建し、臨川寺(りんせんじ)の子院でした。その後荒廃し、1972年(昭和47年)に晴明神社が神道式に改修・建立し...
伝説の陰陽師だけじゃない!安倍晴明の神秘的なそして意外な素顔とは?84歳で迎えた死の真相に迫ります!生涯現役で活躍した晴明の最後の瞬間と、その後も語り継がれる影響力を探求。日本の歴史に刻まれた彼の物語を、あなたも知ってみませんか?
京都市上京区の堀川に架けられている一条通の一条戻橋は、「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも言われていました。伝説では、安倍晴明の父である安倍保名が殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所とも言われています。安倍保名 あべの-やすな古浄瑠璃(こじょうるり)「しのだづま」の登場人物。摂津阿倍野(大阪府)の武士。和泉(いずみ)(大阪府)の信太(信田)(しのだの)森で陰陽師(おんようじ)芦屋道満の弟...
京都だけでなく敦賀にも、安倍晴明を祀る晴明神社があります。南北朝時代の金ヶ崎戦、織田信長と朝倉氏との戦火からあつく守られた神社で、以来数々の火災から町を守ったとして、防火の守としても信仰を集めています。晴明は10世紀末に敦賀に移り住み、天文暦学の研究を重ねたといわれており、晴明が陰陽道の研究に使ったとされる「祈念石」がご神体として祭壇の床下に祀られています。祈念石祭壇の下にある小窓から覗き見ることが...
最近若者の間では「陰陽道の安倍晴明」や「日本各地のパワースポット」が人気となっているようです。私の親の世代までは「迷信」などに拘っていましたが、私のような団塊世代は、そういう迷信や因習を嫌う世代だったように思います。幕末から明治時代にかけて