メインカテゴリーを選択しなおす
#846 第39回「とだえぬ絆」感想~大河ドラマ『光る君へ』
父の為時が国守に、弟の惟規も正五位下と昇進する喜びあふれるも、その惟規が亡くなってしまう悲しみの回『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第39回「とだえぬ絆…
読書記録:あさきゆめみし6:源氏物語(講談社コミックスミミ57) 大和和紀 本 通販 Amazon梅壺の女御の宿下がりから始まって秋好中宮として中宮宣下。朝顔の君とのプラトニックに終わったやりとり。夕霧と雲居の雁の..
今宮神社の祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で、正暦5年(994)に船岡の上に創立されたといわれ、平安初期に疫病を祓うために、京中の人々が疫神お祀ったのに由来するとされています。東門長保3年(1001)の疫病流行の際、一条天皇が船岡山に安置されていた疫神を当地に移し、今宮と名付けたのが始まりとされています。楼門本殿本殿は明...
2024年9月は、大河ドラマ『光る君へ』に登場している清少納言や紫式部の娘の賢子を主役にした歴史小説や、紫式部の人生と源氏物語を楽しむ本などを中心に、定番購入…
藤原道長の時代から行幸が始まり、一条天皇は即位直後から、たびたび行われた神社行幸を度々行っていました。一条天皇の神社行幸は、藤原氏の権威を示す側面もあったといいます。四条通の西端に鎮座する「松尾大社」もそのひとつです。大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)がふもとの現在地に社殿を建てて移し、同氏の氏神にしたと伝えられています。平安京の鎮護の神とされ、東の厳神といわれた賀茂社に対し西の猛霊と称...
サブタイトルは「君を置きて」。今回は世代交代! という感じでしたね。敦康親王を警戒する道長を、現実とフィクションの区別がつかなくなってるのはお前のほうじゃんと思っていたここ1〜2話でしたが、今回を見る..
第66代天皇・一条天皇の父は円融(えんゆう)天皇、母は藤原兼家の娘・東三条院詮子(せんし)。984年(永観2)花山天皇の皇太子となり、986年(寛和2)7歳で即位。初め外祖父の兼家が摂政となり執政し、兼家死後はその子道隆、道兼が摂関となり、ついで藤原道長が内覧の肩書で大臣として政権を掌握しました。初め、道隆の女定子を皇后としましたが、のち道長の女彰子が立后、一帝二后の例を開きました。定子には第1皇子敦康、彰子には...
BS4Kでお先に観てますネタバレすんません また初っ端から不義このドラマは1話に1回不義を入れる決まりなのか 本日の放送では、一条天皇が崩御しましたが 最…
おはようございます~♪ 昨日は急に冷えました。 2日前より5度以上気温が下がって そろそろ羽織物も必要な感じです。 夏物もほとんど片付けて 秋モードです。 紫式部もきれいな紫に色づき
天神さん・北野さんなどと親しまれている北野天満宮昌泰4年(901年、)菅原道真が藤原時平の讒言にあい、大宰府に左遷されるという昌泰の変が起き、延喜3年(903年)に道真は大宰府で無念の死を遂げました。その後、藤原時平が延喜9年(909年)4月に亡くなったり、落雷などの災害が相次ぐと、これが道真の怨霊による祟りだとする噂が広まり、天暦元年(947)、朝廷の命により、社殿が造営されたのが起源とされています。永延元年(...
あなたの知らなくていい世界 ~ 安倍晴明と紫式部 in 京都御苑その他・後編
さて、前回の投稿の続き。これからが本番です。前編をまだお読みになっていない方はぜひご一読のほど、よろしくお願いいたします↓ aizenmaiden.hatenablog.com 前回の最後に少し触れた藤原道長の邸宅、土御門邸。現在の京都御苑の敷地内にあったのですが、残念ながら説明板の立て札のほかはなんにも残ってなくて寂しい。↓がその跡地の様子です。 ここで道長が栄華を極めるとともに、彼の権力の土台となった外孫の天皇たちが生まれた地でもあります。1016年に邸宅が火事で焼失してしまった際にはあの源頼光が再建の際の家具・調度品をすべて用意した、なんてエピソードも伝えられていたりしてなかなか興味深い…
須磨離宮公園の日本庭園の方に進んで行きます。石灯籠傘亭(傘形四阿舎 かさがたあずまや-)傘亭は、大正3年に造営された武庫離宮内に建てられた一本柱・六角形屋根の四阿舎で、青銅製擬木の柱や竹穂葺屋根という全国的にも珍しい特徴を持った四阿舎です。昭和20年の神戸大空襲で屋根部分が焼失したといわれ、柱だけが残っていましたが、平成23年10月に復元されました。月見台と四阿舎「傘亭」在原行平月見の松跡源氏物語の主人公...
須磨を巡る(11) 須磨離宮公園 噴水広場~王侯貴族のバラ園
須磨離宮公園は、かつての皇室の別荘「武庫離宮」の跡地に整備された都市公園です。正門離宮道の松並木を含めて離宮当時の面影をとどめています。丘陵に広がる面積82ヘクタールの広大な敷地に、西洋式庭園を中心とする本園と植物園からなっています。須磨離宮(正式名称・武庫離宮)約100年前、皇室の別荘である「須磨離宮」が建造されました。 総檜造り2階建ての御殿は、大正天皇や皇后、昭和天皇、満州国皇帝の溥儀もご利用されま...
カラオケ文化の日「The Hollies - Bus Stop (UK)」
「カラオケのおはこは?」最近はカラオケで全然歌っていないので、おはこと言われても..... と、いう感じです。そもそも歌はあまり上手くはないので、せめてち…
この首塚(五輪塔)は、寿永3年(1184)年2月7日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたものです。平敦盛卿首塚 敦盛卿の御首を埋葬する。敦盛卿は首と胴とは別々に埋葬せしも胴塚は幕討死の場所たる一の谷にあり謡曲「敦盛」と敦盛首塚謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が、極楽浄土で共に成仏する運命になった事を主軸にして作曲された修羅物である。一の谷の戦いで少...
こんにちは、あとりです♥️ 滋賀県、高島市、『白鬚神社』に行ってきました。(24年10月11日) 『白鬚(しらひげ)神社』はJR近江高島駅から徒歩約40分、タクシーで約5分です。 【鳥居】 境内から琵琶湖を向いています。 境内の鳥居から琵琶湖の中に立つ大鳥居が見えました❗ 青い空、青い水が美しい~❗ 湖の中に大鳥居が突然現れたと伝えられ、現在の大鳥居は昭和56年(1981年)に再建されたものです。 鳥居と湖中の大鳥居の間の国道は交通量が多く、危険なため国道の横断は禁止されています。 車が写らないように撮影するのが大変なくらい、早い速度で多くの車が通行していました。 【鳥居】 琵琶湖を背にしてい…
本堂仁和二年開創当時の本堂には、松風村雨物語で有名な在原行平が参籠して、勅勘を許されたと伝えられています。その後、火災、洪水、地震などの災害によりたびたび建て直されました。現在の本堂は、慶長七年(1602)に、片桐且元を建築奉行とし、豊臣秀頼が再建したものです。(但し内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造)三重塔弘法大師千百五十年御遠忌、当山開創千百年、平敦盛卿八百年遠忌を記念して昭和59年に再建されました。(旧...
読書記録:あさきゆめみし5:源氏物語(講談社コミックスミミ56)コミック-1984/7/1須磨から都へ戻った源氏が5年ぶりに末摘花を訪ねる、それまでの末摘花のあれこれと、石山寺詣でで未亡人となった空蝉と行き合ったこ..
あなたの名前で香りを創るオーダーメイドなまえ香 いつもご覧くださいまして ありがとうございます 残暑のような汗ばむ日々かと思えば早朝から金木犀の匂い冬の澄ん…
藤原惟規は、勅撰集に選ばれるほど歌の才能があったそうです。『後拾遺和歌集』に、越後へ向かう時に詠んだ歌があります。辞世の歌 「みやこには恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ」惟規は最後の「ふ」の文字を書けずに息絶えたため、父・藤原為時は「おそらくこのように書きたかったのであろう」と書き足したといいます。都へ帰りたいとい気持ちを抱きながらも、再び都の地を踏むことが出来なかった惟規。。さ...
……… ……… ……… 初っ端から道長の子設定か お腹いっぱいなんだよ 〜かもしれない改変は受け入れる器は持っているつもりだし 演出的に良き改変はウェルカムな…
サブタイトルは「とだえぬ絆」。いやあ、今回も内容がみっちり詰まってた……気がするんですが、もう最後の惟規(弟)くんにすべて持っていかれて、他のことあんまり覚えてないです(苦笑)下手したら宣孝様ばりのナ..
JR二条駅から徒歩5分、中京区西ノ京北聖町にある大学寮跡。大学寮(だいがくりょう)は、式部省に所属した官僚育成のために設けられた高等教育機関です。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式である釋奠を行いました。大学寮で、紀伝道(漢文や歴史を学ぶ学科)を修めると、文章生となり任官しました。紫式部の父・藤原為時は、その文章生でした。為時の息子で、紫式部の同母兄もしくは同母弟ある藤原...
【光る君へ】#38 道長、まひろの物語をバイブルに敦康親王を彰子から引き剝がし。伊周は魔界転生
「心幼き人」伊周。三浦翔平がやってくれました NHK大河ドラマ第38回「まぶしき闇」が10/6に放送され、まだテレビが見られないし録画もできないので、夜8時を待ってパソコンのNHK+で拝見した。早くBSで見たい。三浦翔平が演じる伊周の闇を見て、ああ、これを最初に書かないわけにはいかないと思った。 あの正統派の、すかしたようなハンサムさんがここまで・・・顔は怒りで歪みに歪み、道長を前に、直接呪詛しまくるというね・・・伊周の精神が崩壊するその瞬間までを見せてくれた。やりましたねー、すごかったよね。 役者さんご本人のメンタルは大丈夫か心配になるほどの気分になったのは、「平清盛」での崇徳院の怒りのあま…
山陽電車「須磨寺」駅より徒歩7分ほどのところにある須磨寺公園は、源平ゆかりの古刹「須磨寺」に隣接した公園です。春は堂谷池を中心に桜が咲き誇り、桜の名所にもなっているそうです。ここを訪ねたのは、昨年の秋でしたので、春の光景も見てみたいです。浮御堂にはベンチがあり、休憩できます。『源氏物語』の「須磨」の一節が書かれていました。ここから須磨寺を目指して坂道を登っていきます。仁王門が見えてきました。仁王門...
松風村雨堂(まつかぜむらさめどう)は、須磨区離宮前町1丁目にある平安時代の多井畑の村長の娘「もしほ」(松風)と「こふじ」(村雨)が在原行平を慕い建てた庵の跡です。在原行平は、平安時代の歌人で、同じく光源氏のモデルの一人とされる 在原業平の兄です。 松風村雨堂(神戸市地域史跡)松風村雨堂は、謡曲「松風」を初め、多くの文学に取り上げられた松風、村雨の二人の姉妹にまつわるお堂で、次のような伝説によって広く...
秋の爽やかな気候に誘われて京都に行って来ました。今年に入りほぼ毎月行ってる京都は、旅行というより遠足になりつつあります。高速バスを使えば格安で行けて日帰り可能…
続いては、須磨の菅原道真ゆかりの「菅の井」を訪ねました。伝説によれば、901(延喜元)年、菅原道真が九州太宰府に流される途中、風波を避けて須磨に一時上陸した際、浦人たちは漁網の大綱を巻いて円座をつくり、道真に休んでいただいたといわれています。その時に西須磨の旧家である前田家の人が井戸の水をくんで差しあげたところ、道真は大いに喜び自画像を前田家に与えたそうです。前田家ではこの井戸を「菅の井」と名付け、そ...
読書記録:あさきゆめみし4:源氏物語(講談社コミックスミミ963)コミック-1983/5/1源氏物語のコミカライズ。4巻目は須磨で謹慎することにした光源氏の旅立ちから始まって、嵐の中での先帝の導き。明石の入道との出会..
頼政薬師寺の正式名称は「浄福寺」ですが、西須磨の旧家前田氏が建立し、源頼政が再興したことから通称「頼政薬師寺」と呼ばれています。寺号を浄福寺(俗に頼政薬師)と言う。浄福寺はこの地、西須磨の旧家前田氏の建立と伝えられ、御本尊は、薬師如来。聖徳太子の御作で像高は、一尺ばかり。脇士は十二神将。久寿の頃(1154・1155年)源三位頼政が再興したことから、俗に頼政薬師と言われている。そしてまた、本堂と十二神将は、...
【京都】『盧山寺、梨木神社、安井金比羅宮の櫛祭りツアー』に行ってきました。
こんにちは、あとりです♥️ 京都、『盧山寺、梨木神社、安井金比羅宮(櫛祭り)ツアー』に行ってきました。(24年9月23日) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前回からの続きです。 前回は「常林寺」、「出町桝形商店街」、「清浄華院」などについて載せています。 萩の花や御朱印も載せていますので、ご一緒にご覧ください⤵️ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここから「盧山寺」です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「盧山寺」に20年8月14日に訪れた時のブログです。 「盧山寺」のくわしい説明や写真もたくさん載せていますので、ご一緒にご覧ください⤵️ ーーーーーーーーーー…
須磨浦地域福祉センターの前には、藤原師長ゆかりの「琵琶塚」の石碑があります。藤原師長像(『天子摂関御影』より、三の丸尚蔵館蔵)藤原師長ふじわらのもろなが(1138―1192)平安後期の政治家、音楽家。左大臣頼長(よりなが)の第2子で、1156年(保元1)父に連坐(れんざ)して土佐に流されたが、のち召還され、77年(治承1)に太政(だいじょう)大臣の位まで昇るが、79年には平清盛によって追放され、尾張(おわり)で出家した。法名...
改めて感謝次々と増える便利商品感動も束の間当たり前になってるものがいくつもある例えば朝のスキンケアこのシートパックシリーズは1枚目から最後まで化粧水が滴り…
#840 第38回「まぶしき闇」感想~大河ドラマ『光る君へ』
敦成親王呪詛事件から、伊周の道長に面と向かって呪詛をぶつける道長が思い通りに政治を進めようとすることで闇が深く、鮮明に出てきた『大河ドラマ「光る君へ」 - N…
#839 レビュー 『100分de名著 アーサー・ウェイリー版・源氏物語』安田登
「逆」翻訳で理解が深まる『『ウェイリー版・源氏物語』 9月 (100分 de 名著) [ 安田 登 ]』を再読今の私たちの生活や考え方では理解しづらい『源氏物…
須磨区にある村上帝社(むらかみていしゃ)は、村上天皇を祀る神社です。この神社の創建について、次のような伝承がある。平安時代末期、琵琶の名人であった藤原師長は唐に渡って琵琶の奥義を極めたいと思い、都を出て、須磨まで来た。その夜、村上天皇と梨壺女御の霊が現れ琵琶の奥義を伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、名器「獅子丸」を埋めて都に帰った。この伝承を題材として能の「絃上」(玄象)が作られた。この伝承に...
#837 レビュー 『100分de名著 紫式部「源氏物語」』三田村雅子
大河『光る君へ』で、33帖までですが『源氏物語』の豪華本も完成したので『紫式部源氏物語 (NHK「100分de名著」ブックス) [ 三田村雅子 ] 』を再読『…
『源氏物語』の紫式部の娘、賢子を主人公にした歴史小説『あかね紫 (集英社文庫(日本)) [ 篠 綾子 ]』について紫式部の娘の賢子、和泉式部の娘の小式部と中将…
サブタイトルは「まぶしき闇」。前回、ききょう(清少納言)がやってきたことで、ドキドキしていたこの一週間でした。さすがは一流の文化人だけあって、みっともなく声を張り上げるようなことはなく、物語の素晴らし..
出た和泉式部 恋多き女和泉式部 忘れもしないおゆすき高1の時国語教師が 和泉式部日記は、エロ本読んだらわかるあれはエロ本だ と鼻息荒く言ってたのを思い出す……
史実では 紫式部と清少納言は会ったことがないらしいんですよ なので初期の仲良し設定の時!?だったんですよ まぁ、後で立場的に仲が悪くなるのは確定だったので 先…
現光寺(げんこうじ)は、室町時代の永正11年(1514)創建とされる浄土真宗本願寺派のお寺です。京都からわずかなお供を引き連れ、須磨へ移った光源氏が住まいしていた地と伝えられ、『源氏物語』ゆかりの寺として、源氏寺とも呼ばれています。本堂 鐘楼境内には、松尾芭蕉の句碑「見渡せば 跳むれば見れば 須磨の秋」が立っています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブロ...
なまえ香ギャラリー展10/19まで 手漉き和紙と世界の紙のお店「紙の温度」さんにて10月1日からギャラリー展はじまりました。 天候にも恵まれ 1日(…
【光る君へ】#37 夫道長と娘彰子のまひろラブで倫子様の能面化が進み、伊周との争いを前に道長の本音固まる
肩透かしだった赤染衛門の追及 今週2本目の大河ブログを書く。録画できなかったので(まだ引っ越し後のトラブルで地デジも見られない😢)、NHK+で見られる間に書かないと。つまり日曜日までだ。 (37)波紋 初回放送日:2024年9月29日 中宮・彰子(見上愛)が一条天皇(塩野瑛久)の皇子を出産し、まひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)は喜びを分かち合う。そんな二人の親密さがうわさになる中、彰子がまひろの書いた物語を冊子にして天皇への土産にしたいと言いだす。そこでまひろを始め、女房たちが力を合わせて豪華本を制作することに。一方、新たな皇子の誕生により、伊周(三浦翔平)らの思惑が外れ、皇位継承を巡る不穏…
神戸市須磨区にある関守稲荷神社(せきもりいなりじんじゃ)は、須磨の関の守護神、稲倉魂神を祀る神社です。名前の由来は、源兼昌が詠んだ百人一首のうちの一首に登場する須磨の関があったとされる場所に神社を建てたことから来ているそうです。須磨の関は古代、畿内と西国とを繋ぐ交通と軍事の要衝として重視されました。清少納言の『枕草子』にも、「関は、逢坂の関・須磨の関・鈴鹿の関・岫田の関・白河の関・衣川の関」と記さ...
<光る君へ> を観ています。十二単衣 美しいですね♪色の重ね 模様 とても重そうです。冬は暖かいでしょうが夏は暑いでしょうね。昔は今のように夏は暑くなかったのでしょうか。でも平安時代の皆が皆 十二単衣を着ていたわけではないですよね。宮中のそれも奥の女性に限った衣服だったのでしょうか。紫式部さん 今は藤式部さんですが・・・・才女さんで筆の文字も美しい♪普段の会話はどういう話ことばをされていたのか知りた...
【光る君へ】#36 嵐呼ぶ彰子の皇子出産で道長開眼?阿吽の呼吸のまひろ&道長に倫子様勘づく。彰子は青き衣へ
皇子出産を機に、道長の心に何かが芽生えたか NHK大河ドラマ「光る君へ」第36回「待ち望まれた日」が9/22に、そして第37回「波紋」が9/29に放送された。 我が家の東京脱出の引っ越しは伊豆へと9/26-27の2日がかりで実施され、先週はブログを休ませていただき、今週まとめて2回分書くつもりだ。まだ大量の段ボール箱に囲まれ、疲れてヘロヘロなのでサクッと書くつもりだが・・・毎度のごとくダラダラ長々行っちゃうかも。体力が持つか心配だ。お付き合いくださっている方々にはいつも感謝です。 まずは第36回から。 (36)待ち望まれた日 初回放送日:2024年9月22日 一条天皇(塩野瑛久)の中宮・彰子(…
伏見区西桝屋町の伏見大仏で知られる欣浄寺(こんじょうじ)は、曹洞宗の開祖・道元が鎌倉時代に創建したと伝わります。当地には、小野小町の恋人であった深草少将ゆかりの邸宅があったとされ、境内には「少将の通い道」や少将と小野小町の塚、「墨染井」と呼ばれる井戸があります。深草少将は、小野小町から、「私の元へ百日間通い続けたら結婚してもいい」と言われ、九十九夜通い、いよいよ百日目という日に、雪に埋まり凍死したと...
読書記録:あさきゆめみし3:源氏物語(講談社コミックスミミ962)コミック–1982/9/1源氏物語の80年代少女漫画なコミカライズ。3巻目は源氏が葵祭の勅使を任命されて、見物に行った葵の上と六条の御息所が..