メインカテゴリーを選択しなおす
源氏物語は 一条天皇が彰子に興味を持つように藤原道長が紫式部に書かせたといわれているのだが 若紫がモロそうよね 手に入らない過去の女を追い求めるより無垢な娘…
御嶽詣(みたけもうで)とは、吉野郡金峰山(きんぶせん)に参拝すること。藤原宣孝は、正暦元年(990年)3月頃に御嶽詣を行いますが、『枕草子』によると「御嶽は『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって長男の隆光とともに派手な衣装で参詣したことが書かれています。帰京後の同年8月に筑前守に任ぜられたことから、「あのとき言った通りであった」と噂されたといいます。吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、...
【光る君へ】#34 まひろ、道長から贈られた檜扇にインスパイアされ、もう1人の自分「若紫」を書き始める
道長、対興福寺で奮闘。日記に記録が NHK大河ドラマ「光る君へ」第34回「目覚め」が9/8に放送され、まひろの宮廷作家生活は軌道に乗った一方、為政者道長は興福寺の強訴に遭った。これが、寺は違えど後世で白河法皇が嘆いた「天下三不如意」の山法師の強訴の走りなのだろうか。寺社勢力の強まりの兆しを感じる。まずは公式サイトからあらすじを引用する。 (34)目覚め 初回放送日:2024年9月8日 興福寺の僧らが都に押し寄せ、朝廷に要求を突きつける非常事態。道長(柄本佑)は事の収拾に奔走する。一方、まひろ(吉高由里子)は物語を書き進め、宮中の話題を集めるが、狙いである一条天皇(塩野瑛久)と中宮・彰子(見上愛…
「藤原道長と平安時代の貴族のくらし – 小学生にもわかる貴族文化」
「平安時代の貴族たちの遊びや文化、藤原道長、清少納言、紫式部の代表作について小学生にもわかる言葉で紹介します。蹴鞠や和歌、花見など、貴族のくらしの一端を学びましょう。」
宇治駅の近くにある東屋観音に「東屋」の古蹟があります。浮船の母は今は常陸介の後妻になっていた。浮舟には左近少将という求婚者がいたが、少将は、浮舟が介の実子でないと知ると、財力めあてで浮舟の義妹と結婚してしまう。この破談に浮舟を不憫に思った母は、縁を頼って二条院にいる中君に預けることにした。ある夕暮、ふと匂宮は、西対にいる浮舟を見て、その美しさに早速言い寄った。驚いた母は、娘の行く末を案じ、三条あた...
彼方神社の脇に「椎本」の古蹟があります。春、花の頃、匂宮は、初瀬詣の帰路、宇治の夕霧の山荘に中宿りし、お迎えの薫君やお供の貴族たちと音楽に興じた。楽の音は対岸の八宮の邸にもよく通い、八宮は都にいられた昔を偲ばせた。薫君から二人の姫君のことを聞き、ゆかしく思っていた匂宮は、宇治に消息を送ったが、返事はいつも妹の中君がなさるのだった。薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君に強く心をひかれて...
こんにちは!雨の中、無事に新千歳空港に到着しました。それまでお話ししていなかった真向いに座っていらしたCAさんとお話ししたら、なんと北海道出身との事でした。私は初めて北海道に上陸したことを伝えると、「お仕事ですか?」と質問されました。笑顔で「観光です」と答
京都翔英高等学校の近くに「蜻蛉」の古蹟があります。源氏物語宇治十帖(五) 宇治の山荘は、浮舟の失踪で大騒ぎとなった。事情をよく知る女房達は、入水を推察して、世間体を繕うため母を説得し、遺骸の無いまま泣く泣く葬儀を行った。薫君も匂宮も悲嘆の涙に暮れたが、思いはそれぞれ違っていた。 実情を知った薫君は、自らの志の不運を嘆きながらも、手厚く四十九日の法要を営んだ。 六条院では、明石中宮が光源氏や紫上のため...
こんにちはご訪問頂き有難うございますNHK大河ドラマ「ひかる君へ」後半になって来ました最近は暑いのでどこも行かず、ちょっと思い出のブログをご紹介させて頂きます、備忘録と言う言葉がありますが、このブログを書いた時はそんなつもりはなかったのですが、最近は誕生日が来るとgooブログは私の備忘録になっていることに気がつきました🪻🪻🪻…❤…❤…❤…🪻🪻🪻『2年前、春3月の石山寺です』(2022)最近やっと春らしくなってきました、ですが、また下り坂のお天気になるとかで皆さんが春の便りの梅の花を写真で紹介してされているのを見ると私も梅園に行きたくなり、けど、滋賀の梅の花てどの程度咲いているのか期待しないで、今日の午後、もう...石山寺の梅園と瀬田のしじみ
読書記録:あさきゆめみし1:源氏物語(講談社コミックスミミ960)コミック-1980/11/1ようやく1冊目を読了。源氏物語をコミカライズしたものとしてはかなり有名だろう、8〜90年代頃の少女漫画。文庫版や完全版や愛..
「源氏物語」の作者・紫式部の娘として知られる藤原賢子。 賢子さんのことをいう時、たぶんですが、紫式部の娘の…っていいませ
早蕨の古蹟からさわらびの道を進むと宇治上神社があります。さらに進んで行くと、与謝野晶子没後50年と宇治市制40周年を記念して建てられた与謝野晶子の歌碑があります。幼い頃から古典文学に親しんだ晶子は、源氏物語 にひかれ紫式部を師と仰ぎました。そして源氏物語の現代語訳に力を注ぎ、五十四首の詠歌で再構成した「源氏物語礼讃」によって歌人としての天分を発揮したといわれています。歌碑には宇治十帖の十首が晶子の真筆...
宇治駅から三室戸寺からに向かう交差点の近くの歩道に「手習」の碑があります。薫27歳から28歳の夏にかけての話。匂宮と薫の板ばさみで追い詰められ、自殺を図った浮舟は宇治川沿いの大木の根元に昏睡状態で倒れていた。たまたま通りかかった横川の僧都一行に発見されて救われる。僧都の80余歳になる母尼(ははあま)が、僧都の50余歳になる妹尼(いもうとあま)との初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰途に宇治で急病を患ったため、看護の...
現在の京都御苑の仙洞・大宮御所の北側には、藤原道長の邸宅・土御門第がありました。藤原道長の日記『御堂関白記』には、寛弘4年(1007年)道長が、曲水の宴を土御門殿で主催したとあります。平安時代のこの辺りは、公家の屋敷や寺院が建つ土地で、東側には紫式部の邸宅跡・廬山寺、その南の鴨沂高校の辺りには、道長が創建した法成寺もありました。寛仁2(1018)年10月16日、道長の「御堂関白記」に和歌を詠んだ記載があり、その歌...
【光る君へ】平安時代の二大巨匠:藤原道長と紫式部の目合ひ ネタバレあり
<光る君へ>次週第34回は「目覚め」 あらすじ&場面カット公開 一条天皇と彰子の関係は深まらず?(ネタバレあり) 俳優の吉高由里子さん主演のNHK大河ドラマ「光る君へ」(総合、日曜午後8時ほか)。9
サブタイトルは「目覚め」。……いやいやいや、まひろの局に道長だけじゃなく中宮彰子や帝まで訪れて、しかも「また来る」ってwwこれが大河あるある(やたら歴史上の偉人に好意を持たれる主役)なんでしょうが、さ..
曲水の宴は、(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、庭園の曲水に沿って参会者が座り、上流から流される杯が自分の前を通り過ぎないうちに詩歌を詠み、杯を手に取って酒を飲んでから杯を次へ流すという遊びで、もとは中国で行われたものです。奈良時代には宮廷行事として確立していたとみられ、平城天皇の代に一時中止されましたが嵯峨天皇により復活。平安時代には宮廷や貴族の邸宅などでも行われるように...
【光る君へ】#33 藤式部まひろ宮中で華々しく作家生活スタート。道長、彰子を照らす光に
まるで平安版「プラダを着た悪魔」、高級女官の生活を垣間見 NHK大河ドラマ「光る君へ」第33回「式部誕生」が9/1に放送された。大河ドラマの33回と言えば、「おんな城主直虎」の高橋一生の名演が否応なしに頭に浮かぶ。毎年、大体が節目となる大事な回だと思うが、今作ではとうとう(やっとのこと?)帝に認められ、まひろが宮中作家として華々しいデビューを飾った。 では、公式サイトからあらすじを引用する。 (33)式部誕生 初回放送日:2024年9月1日 道長(柄本佑)に頼まれ、まひろ(吉高由里子)は彰子(見上愛)が暮らす藤壺に住み込みで働き始める。まひろは早速、物語の続きを書こうとするも、宮中での暮らしに…
平安時代中期、奈良の興福寺別当であった定澄(じょうちょう)。壬生氏の生まれで左京の人。延喜19年(919年)17歳で得度し、仁和寺別当・寛空、興福寺別当・空晴に学ぶ。興福寺に籍を置き、永延2年(988年)の維摩会では講師を務めた。長徳元年(995年)権律師に任じられ、西大寺別当に就任[3][4][1]。長保元年(999年)興福寺権別当となり、翌年には正任の別当に転じ、権少僧都となって龍蓋寺・龍門寺の別当職も兼任した[5][6][7...
サブタイトルは「式部誕生」。……実は解説サイトさんで、まひろがすぐに内裏から下がることについては、ネタバレ食らってました(苦笑)でもそりゃあ、あの環境では集中して書けないよねと思います。しかもかっちり..
三室戸寺の鐘楼の脇に「浮舟」の碑があります。これは、寛保年間に「浮舟古跡社」を石碑に改めたものです。その際、古跡社のご本尊「浮舟観音」は当山に移され、浮舟念持仏として、伝えられています。正月、中君のところに宇治から消息があった。浮舟のことを忘れられない匂宮は、家臣に尋ねさせたところ、まさしく浮舟は、薫君に匿われて宇治にいることがわかった。そして、ある夜、闇に乗じ、薫君の風を装って忍んで行く。浮舟が...
読書記録:「源氏物語ふあんたじい〈桐壺〉」阿素洛、与謝野晶子 https://jp.mercari.com/item/m6043919331610日ほどかかってなんとか読了。古すぎる書籍なためか、販売元をメルカリぐらいしか見つけられませんで..
小倉百人一首を編纂した藤原定家ゆかりの嵯峨野(5)嵯峨嵐山文華館
百人一首は、800年前に藤原定家がここ嵯峨嵐山で優れた和歌を撰んだことから始まると伝えられます。2006年1月から2017年3月まで営業していた百人一首ミュージアム「百人一首殿堂 時雨殿」を改装し、2018年11月1日に「嵯峨嵐山文華館」としてリニューアルオープンしました。常設展では百人一首の歴史やその魅力を伝える展示が行われています。1F 常設展百人一首の歌かるたは江戸時代の初期に誕生。当初は貴族や大名の嫁入り道具の1...
日本刺繍の草乃しずかさんの展覧会に行ってきました。 以前、知人に教えてもらって拝見して感動したので、楽しみにしていました。とても繊細で美しい刺繍は本当にみとれてしまいます。 今回のテーマは源氏物語を花で装うということで物
小倉百人一首を編纂した藤原定家ゆかりの嵯峨野(4) 中院山荘跡
清涼寺から西に約5分、二尊院門前北中院町の通り沿いに、地蔵尊が祀られており、その横に「中院山荘跡」の駒札があります。鎌倉時代のはじめ、僧・蓮生の中院山荘がありました。蓮生の出家前の名は、宇都宮頼綱といい、歌人としても著名で、藤原定家との親交が厚く京都歌壇、鎌倉歌壇に並ぶ宇都宮歌壇を築きました。『英雄百首』(歌川貞秀画)宇都宮頼綱鎌倉時代の武将,歌人。法名蓮生。宇都宮成綱の子。祖父朝綱の公田掠領の罪に...
まひろ、道長のために立ち上がり、一条天皇に献上する物語を書いていく大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第31回「母として」について道長の願いで、中宮彰子の為…
二尊院は、平安時代初期の承和年間(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したとされています。総門慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅...
まひろ、中宮彰子の下で宮仕えをしながら、物語の創作活動に励む『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第33回「式部誕生」についてまひろ、中宮彰子のもとで宮仕え…
小倉山山腹に位置する常寂光寺にも、藤原定家の小倉山荘跡と伝えられる場所があります。 常寂光寺は、慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創されました。山門江戸後期に改築されたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。仁王門仁王門は、もとは本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345〜49)に建立されたものが元和二年(1616)に移築されました。 当寺...
すんません まひろさん 一旦、宮中に入って すぐに里帰り すぐに復帰 のくだり、 里帰りする意味、あった 気が散る状況は何の改善もされてませんけど クリック…
なんかおすすめ動画に出てきて、視聴してみたら良さげだったので、見失わないようにメモ。■ヘバーデン結節の痛みと変形を止めるセルフケア|兵庫県西宮市ひこばえ整骨院-YouTube https://www.youtube.com/watch?v=..
名和児童公園の前に一条院跡の案内板があります。一条院跡は、もと藤原伊尹(これただ)の邸宅で、その異母弟為光から藤原詮子に伝えられ、のち一条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の里内裏となりました。紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕えていた期間は、ほとんど一条院が皇居となってします。ゆえに『紫式部日記』で描かれる内裏は、一条院のことと考えられています。一条院は、平安宮の北東に隣接した邸宅で、一条天皇...
『源氏物語』は、紫式部が生涯で唯一残した物語作品です。平安中期、宮仕えで宮中の内情にも精通した紫式部が、和歌795首を詠み込んだ物語を通して、当時の貴族社会を描きました。『源氏物語』の原本は、今は残されていませんが、現存する最古の写本は、鎌倉時代に藤原定家(ふじわらのさだいえ)が残したものであるといわれており、定家の写本は、以後『源氏物語』の主流となり、広がっていきました。また、定家が京都小倉山の山...
ドラッグストアゲンキー徒歩5分かからず牛乳187円(税抜)近辺で一番安い。他いつもの定番品。ドラッグストアコスモス(月1行きます)ヘアカラー798円✕3(3ヶ…
【光る君へ】#32 まひろは「物語の泉」が脳内に湧き、道長は嫡妻倫子様に嘘をついた
書いて出さないと落ち着かない NHK大河ドラマ「光る君へ」第32回「誰がために書く」が8/25に放送された。「誰がために」とくれば「鐘が鳴る」と反応する世代なので、一瞬、何かヘミングウェイと関連するものでもあったかと無駄に思ってしまった。大作家誕生ってことか?さて、公式サイトからあらすじを引用する。 (32)誰がために書く 初回放送日:2024年8月25日 道長(柄本佑)の思惑通り、一条天皇(塩野瑛久)はまひろ(吉高由里子)が書いた物語に興味を示す。そこで道長は、まひろに道長の娘・彰子(見上愛)が暮らす藤壺へあがり、女房として働きながら執筆することを提案。狙いは、一条天皇が物語の続きを読むため…
ココのアセンション日記さん 貴重な珍しい動画 有難うございましたリブログさせて頂きました ”100年以上前存在していた 亡くなった人と話すマシーン” 1…
2020年 (185-2) 紫式部小旅-2-/大原野神社/宇治/石山寺/上賀茂神社/小説映画
*** 大原野神社 *** 『2020年 (59-2) 大原野神社/春日乃茶屋22Nov28』*** 参道/参拝/狛鹿 *** 勝持寺も大原野神社も紅葉の名所…
紫式部は、長保4年(1002年)ごろ、『源氏物語』を書き始めたとされています。のちに藤原道長に召し出され、一条天皇の中宮・道長の長女である藤原彰子に女房として仕えることに。女房名は藤式部(とう の しきぶ / ふじ しきぶ)で、後に「紫式部」と呼ばれたとされています。彰子の家庭教師としての役割も果たしたとされ、この間、道長の支援のもとで『源氏物語』を完成させています。『源氏物語』の執筆地として有力なのは石山...
図01 内裏(皇居)内の後宮 【2024年8月25日のNHK大河ドラマ「光るの君へ」第32回】藤原道長(塚本佑)は一条天皇(塩野瑛久)の中宮として娘の彰子(見上愛)を入内させました。しかし、一条天皇は亡き中宮定子(高畑充希)への思いが消えず彰子に気にかけてくれないことを道長は悩みます。 一条天皇が彰子の暮らす藤壺(飛香 舎、ひぎょうしゃ)に通ってもらう手段として、道長はまひろ(後の紫式部、吉高由里子)が書いた源氏物語の始まりの段を贈りました。 道長のもくろみが成功し、一条天皇が源氏物語に興味を示したので、まひろは道長の命により中宮彰子付の女房として藤壺へあがり、源氏物語の続きを執筆することにな…
京都市上京区晴明町にある晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明をお祀する神社です。一条戻橋のたもとにあった晴明の屋敷跡に鎮座しています。寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、一条天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)、晴明の屋敷跡に晴明を祀る神社を創建しました。創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通まであり、か...
#781 第30回「つながる言の葉」感想~大河ドラマ『光る君へ』
日照りに、娘の中宮定子に振り向いてくれない一条天皇に悩まされる道長の姿を描いた大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第29回「母として」について定子に心奪われ…
京都市上京区の堀川に架けられている一条通の一条戻橋は、「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも言われていました。伝説では、安倍晴明の父である安倍保名が殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所とも言われています。安倍保名 あべの-やすな古浄瑠璃(こじょうるり)「しのだづま」の登場人物。摂津阿倍野(大阪府)の武士。和泉(いずみ)(大阪府)の信太(信田)(しのだの)森で陰陽師(おんようじ)芦屋道満の弟...
2020年 (185-1) 紫式部小旅-1-/廬山寺/中宮定子陵/清凉寺/紫式部電車
*** 容子も歩けば棒に当たります。京都大津で小旅してると紫式部さんに何度もお会いしてるのね。光る君へ/Oが佳境を迎えつつある今、彼女&ワキ役さんたちとのお付…
#802 第32回「誰がために書く」感想~大河ドラマ『光る君へ』
まひろ、ついに宮中での女房生活に入ることとなる大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第32回「誰がために書く」について道長は『源氏物語』に興味を持った一条天皇…
【光る君へ】まひろこと、紫式部の知られざる宮仕え:彰子サロンの実態
目次1. 彰子サロンの顔ぶれ2. 紫式部と女房たちの関係性3. 紫式部の性格と宮仕え4. 宮仕えの影響と『源氏物語』まとめ 1. 彰子サロンの顔ぶれ 大河ドラマ『 #光る君へ 』主演 #吉高由里子 大
仁王門から本堂までの399段の長い登廊を上りきり、やっと長谷寺の本堂に到着。小初瀬山の斜面に建つ国宝の本堂は、慶安3年(1650)、徳川家光により造営された大殿堂。10mを越す本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、本尊を参拝する礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造になっています。ご本尊は、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ長谷寺式十一面観世音菩薩...
また、長谷寺は『源氏物語』の「玉鬘(たまかずら)」の舞台としても知られています。仁王門から右の小道に向かうと、『源氏物語』二十二帖「玉鬘」ゆかりの二本の杉があります。幹の根元がくっついた杉の大木です。 謡曲「玉鬘」と二本の杉 謡曲「玉鬘」は源氏物語玉鬘ノ巻に拠ったもので、初瀬詣の旅僧の前に現れた玉鬘の霊が、僧を長谷寺の”二本の杉”の下に案内し、この杉の下で亡母の侍女右近とめぐりあった話を述べるという...
【京都】大河ドラマ『光る君へ』 「二尊院」でいただいた紫式部・藤原道長のステキな【和歌御朱印】
【京都】京都市右京区嵯峨二尊院門前の二尊院 藤原定家が『小倉百人一首』を編纂した山荘があった と伝わる小倉山の麓に建つ二尊院。 『小倉百人一首』…
サブタイトルは「誰がために書く」。あああ、晴明〜〜〜・゜・(ノД`)・゜・御簾の外で、ちまっと座って真言を唱えてる須麻流さん、可愛いと思ったのも束の間。「今宵死にまする」と、静かに、どこまでも静謐かつ燃..
奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山の寺院・長谷寺初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬は150種類以上、7,000株といわれる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されています。牡丹に続いて、6月には紫陽花が見頃を迎え、境内の各所で紫陽花を楽しめます。長谷寺は、朱鳥元(686)年、僧道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置したことが始まりとされています。平安時...