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著書:レイキを手放せ 2014年に出版した「レイキを手放せ」ですが一旦、販売をお休みしておりましたがamazonにて再出版となりました! 電子書籍(e-book)ペーパーバック(紙書籍) 単なるヒーリングとして使うのではなくレイキの本質をしっかり理解し使うことにより『安心立命・悟り』への道を模索します。 レイキを実践し疑問に思ったり腑に落ちなかったりそんな時に役に立つ本だと思っております。
~レイキを手放せ~一時的に販売を中止しているレイキを手放せ ですが手元に実際の本が無かったので 自分の書いた書籍をメルカリで購入! お取引の際にメッセージをやり取りさせて頂き著者だということは伏せて出品者さまに感想を聞いてみました。 少しドキドキしましたが読書感想を読ませていただき私がレイキを通して伝えたかったことを汲み取っていただけたと感じる内容にとても感動しました。 レイキをしているのに
【臨済録を読む】示衆(1)「師晚參示衆云」(師は晚參の時、衆に対して言った) 臨済の説法の根底にある態度について 原文と現代語訳
こんにちは、暖淡堂です。 今回から「臨済録」の示衆の部分を少しずつ紹介します。 示衆には晩参(夜に行われた説法)で、臨済と参加者との間で交わされた言葉が記録されています。 臨済の教えの全体像を把握するには、この部分の精読が欠かせません。 一方で、臨済自身は、先人の文字を大切なものとして読み込むことを「黒豆拾い」のような言い方で、切って捨てています。 さて、私たちはどうしたらいいのでしょう。 それもまた、私たちが取り組まなければいけない問いなのでしょうね。 一文を紹介します。 原文:師晚參示衆云 現代語訳:師は晚參の時、衆に対して言った この部分の大意は、ほぼ言葉通りに理解していいかと思います。…
読書好きの知人がいます。小説やエッセイをはじめ歴史書や科学雑誌まで読みとても知識が豊富、敬う点多々ありますが、他人の気持ちに鈍感だったり自分の考えを押しつけた…
こんにちは、暖淡堂です。 書棚の本、結構埃を被っています。 目についたものを少しずつ引っ張り出して、ブラシで埃落としをしています。 今回、引っ張り出したのが 「御書物同心日記」 出久根達郎さんの作品です。 講談社文庫版で、2002年12月15日に第一刷発行となっています。 御書物同心日記 出久根達郎 ものすごくざっくりというと、主人公の丈太郎は御書物同心。 呑気で軽い「中禅寺秋彦」を描くとこんな感じかもしれません。 この本を読んだ頃は、まだ時代物をそれほど読んでいませんでした。 それで、内容が頭に入ってこないところも多々ありました。 江戸の街の位置関係もよくわかっていなくて、例えば四谷と書かれ…
「臨済録」序文を読む Google Blogger「散木の小屋」の記事から 臨済の生涯をざっと見る
こんにちは、暖淡堂です。 今回はGoogle Bloggerで運営している「散木の小屋」の記事から、「臨済録」の序文について書いたものをちょっとだけ詳しく紹介します。 sanboku.blogspot.com 他のところでも書きましたが、「臨済録」はお経が書かれているのではありません。 この書物には臨済自身の「言葉」が記録されています。 それはまさしく、東洋哲学の核心の部分であるともいえます。 序文本文の現代語訳の部分を、書き直すと次のようになります。 ここで書かれているのは、臨済の修行を始めた頃から亡くなるまでのことです。 黄檗和尚のもとで修行をしていたときは、棒で打たれることが何度もあった…
北方謙三 「絶海にあらず<上>」 藤原純友の乱を通して描く動乱の時代の先駆け
こんにちは、暖淡堂です。 北方謙三さんの本も大好きで、よく読んでいます。 特に歴史物が好きです。 今回紹介するのは「絶海にあらず<上>」です。 絶海にあらず〈上〉 (中公文庫) 作者:北方 謙三 中央公論新社 Amazon 上巻のあらすじは以下になります。 *🌱🌱🌱🌱🌱* 平安時代の京では、藤原北家が次第に強大な権力を握りつつあった。その北家に繋がる藤原純友は、ふとしたきっかけで任官することになる。藤原氏の氏長者、忠平の窮地を救ったのだった。純友は従七位下伊予掾(いよのじょう)として任官、赴任する。 瀬戸内海では水師たちが、京からの指示による内海の通行制限に反発し、海賊行為をしていた。それを、…
「君がため惜しからざりし命さえ」 藤原義孝 病に倒れた薄命の貴公子
百人一首第50番目の歌の作者は藤原義孝です。 この人は三十六歌仙の一人でしたが、流行病のため二〇歳(二一歳)でなくなりました。 今回は藤原義孝よしたかについて紹介します。 藤原義孝とは 生年954年、没年は974年。 藤原北家につらなる摂政太政大臣藤原伊尹これまさの息子でした。 仏教の信仰心が厚かったと伝えられています。 また美貌の人でもありました。 若くして亡くなりましたが、その理由が疱瘡。 平安の頃は疱瘡が流行ると多くの人が亡くなりました。 時代背景 藤原義孝の亡くなった994年前後から数年の間、京都では疫病が流行りました。 994年に流行ったのが疱瘡(天然痘)。 この時、五位以上の人たち…
パブリックドメインとは 「シャーロック・ホームズの事件簿がパブリックドメインへ」 最近の著作権関連ニュースから
こんにちは、暖淡堂です。 最近のニュースに、次のようなものがありました。 パブリックドメインの作品になっても、節度ある利用をしたいものです…シャーロック・ホームズの小説や「アイスクリーム」の歌、米国でパブリックドメインに https://t.co/6HrVKOZaGM @cnn_co_jpより— 暖淡堂 (@dantandho) 2023年4月6日 Twitterで引用している元の記事をどうぞご参照ください。 ここでニュースのタイトルに使われている「パブリックドメイン」という言葉の意味を簡単に説明したいと思います。 パブリックドメインの作品とは 著作権の保護期間が経過して、誰もが自由に利用でき…
黒川伊保子 「定年夫婦のトリセツ」 生存可能性の高い夫婦の姿
このタイトルの本を手に取らない理由はありません。 まさに定年を数年以内に迎える身として、知っておくべきことはたくさんあります。 それをどのように身につけていくのか。正直戸惑っています。 そこに、この本。 砂の上にこぼした水滴のように、どのページの内容も心に吸い込まれていきました。 この本で特に心に残ったのは以下になります。 半径3メートル 事実の文脈、心の文脈 夫にはシングルタスクの家事が向いている 半径3メートル 「夫のトリセツ」にも書かれていました。 夫の脳は「男性は狩猟をする、外敵から身内を守るなどの役割を果たす」べく作られています。 一方の妻の脳は「女性は、子供を守り育てるため、身の回…
神田古本まつりでの掘り出し物 神田古本まつりでの掘り出し物 「管子・商君書」5年程前の神田古本まつりで入手しました。 「管子」と「商君書」の合本です。 地方の古書店も出店していて、普段あまり見かけない本がたくさんありました。 歩道に並んでいたお店の一つで、平台に積み上げられていた本の山の中から見つけました。 暖淡堂のブログの管子原文はこの本を主に使っています。 本文はいわゆる漢文なのですが、そこに現代の中国語で書かれた注釈が細かな文字で挿入されています。 それが非常に参考になります。 台湾で出版された本 台湾で出版された本なので、すべて中国語(台湾、繁体字)で書かれています。 本文は漢文として…
「源氏物語」に関係する著作権について改めて整理するとこうなる 【古典作品と著作権】
源氏物語の成立時期 「源氏物語」は1001年頃に執筆が開始され、1010年頃完成したと考えられています。 11世紀の初め頃、平安時代ですね。 藤原北家の権勢が絶頂に至ろうとしていた時期です。 藤原道長が摂政になるのが1016年のこと。 当時の文化にも影響力を示していたかもしれません。 紫式部について 生没年不詳、本名もわかりません。 一説では970年頃に生まれ、1019年頃に亡くなったとされています。 藤原為時の娘で、藤原宣孝の妻。 藤原宣孝の死後、上東門院彰子に仕えた人でした。 この時に「源氏物語」を執筆したと考えられています。 古典文学作品の著作権 この「源氏物語」と紫式部に現行の著作権法…
【古典文学】菅子四篇 心術上 (6) 道在天地之閒也、其大無外、其小無内。 道の在り方について、その大きさでの説明
菅子四篇 心術 こんにちは、暖淡堂です。 心術上の第六回目です。 道の在り方を、その大きさで説明している文章を紹介します。 その文章を参考にしながら、道について考えてみたいと思います。 心術上第三十六(短語十) 原文 道在天地之閒也、其大無外、其小無内。故曰、不遠、而難極也。 書き下し文 道の天地の閒にあるや、その大なること外無く、その小なること内無し。故に曰く、遠からずして、しかも極め難きなり、と。 現代語訳 道は天と地との間にあり、それは外から包むことができるものが無いくらい巨大であり、それよりも内側に入りこめるものがないくらい微小である。なので、道は遠いどこかにあるのではないが、しかし極…
【百人一首の歌人】「今来むと言ひしばかりに長月の」 素性法師 父に導かれ僧侶となった
百人一首第21番目の歌の作者は素性法師です。 僧正遍昭の子で、父の勧めで出家ししました。 今回は素性法師について紹介します。 素性法師とは 生没年は不明ですが、9世紀末から10世紀にかけて生きた人です。 清和天皇の時代に左近将監まで昇進したようですが、父の僧正遍昭の勧めで出家しています。 左近将監は禁中の護衛役の現場監督のような立場です。 官位は従六位上でした。 父の僧正遍昭が、その職位を捨てて出家することを勧めたのは、本人の性格を考えてのものだったのでしょうか。 あるいはなんらかの事件が背景にあったのでしょうか。 「大和物語」では素性法師の恋愛のエピソードが書かれていて、情熱的な人のようでも…
歴史的建造物 一般に建築物、建造物に芸術的価値が見出される場合は、著作物であると考えられます。どの程度の芸術性があれば著作物となるかは議論のあるところ。裁判などで争われることもあるようです。 なので、建築物の著作物性に関して不安に感じられるかもしれません。 実際は、著作物として認められたとしても、その建物自体をコピーして他の場所に建てるなどの場合を除き、その利用は広く認められているので、実際上の問題はあまりありません。 例えば、自分が撮影した写真に建造物が写り込んだとしても、そのことで建造物の著作権を侵害したと訴えられることはありません。 で、歴史的建造物の著作物性ですが、そもそもの著作権法制…
【古典作品と著作権】江戸時代の出版物にまつわる争い 大阪の例
江戸時代の盗作 江戸時代にはまだ著作権という考え方はありませんでした。 幕府としては、都合の悪い出版物(幕府批判など)を取り締まるために、出版物の規制をしていたくらいです。 江戸時代には、ベストセラーといえるような本がたくさん作られました。 作って売れば儲かるので、無許可で同じもの、またはよく似たものを作る業者が出てきました。 それで困ったのが、オリジナルの出版者、版元たち。 この出版社、版元たちが自衛のために行ったのが「覚」の策定です。 京都、江戸、大阪の例が知られています。 大阪での例を紹介します。 大阪では1698年に「覚」が策定されました。 この「覚」に基づいて判断されたのが次の事件。…
【古典作品と著作権】印刷機がなかった頃の出版はどうしていたか 写本の場合
聖書 前回は「印」刷のことを紹介しました。 今回は写本について簡単にまとめたいと思います。 テーマは、写本は誰が書いていたか、です。 古代ギリシャなどの書籍の写本 例えばプラトンの本などは、誰が書き写していたか。 おそらくは蔵書家に雇われていた人か、あるいは奴隷によって書き写されたものが多いと思われます。 書物を保有するというのは、ある意味ステータスシンボルです。 自分の図書館を充実させるために、専門の職人を雇っているということもあるでしょう。 ちなみに、当時の奴隷とは、戦争の捕虜やなんらかの刑罰によってその身分に落とされている人たちのこと。 その中には高い学歴を持った人もたくさんいたでしょう…
名文!美文!感動的な発刊の言葉!「タチバナ教養文庫」発刊にあたって
これぞ感動的な文章!たちばな出版さんの「タチバナ教養文庫」発刊に際した文章がメチャクチャ素晴らしいです!! 「タチバナ教養文庫」発刊にあたって 人間は誰でも「宝」を持っている! 著者の魂や生命の息吹が宿っている書物! 読者の皆様が、世に有為なる「国宝」となられ、豊かで輝かし...