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1月20日朝日新聞は、「ウクライナ停戦戦略は」題する石井正文氏に対するインタビュー記事を掲載しました。聞き手は小村田義之氏ということです。石井氏は、1957年生れの元駐米公使で、現在学習院大学特別客員教授だということですが、その主張には、いろいろ問題があると思いました。私は停戦には大賛成ですが、石井氏が主張するようなの停戦の仕方には賛成できないのです。石井氏の言うように、人間の尊厳や人命を考慮するのであれば、まず停戦することが大事であり、停戦は無条件でなされるべきで、両国がどのように妥協するかは、停戦後に話し合うべきだと思います。彼は、”ウクライナの戦地で多くの命が失われている状況は、昨今、日本政府が唱えている人間の尊厳にも反しています。これ以上、戦争を続けるのはやり過ぎでしょう。欧米には『支援疲れ』が広...「サイクス・ピコ協定」と欧米支配
【北海道の開拓時代】入植者たちが住んでいた家 自分達の土地に手作りで作る
北海道入植者の住宅 上の写真は、明治30年頃の入植者たちの住宅。 当時の豊平周辺に建てられたもののようです。 写真は「さっぽろ文庫26 明治の話 札幌市教育委員会編 北海道新聞社 昭和58年9月28日発行」に掲載されたものをお借りしました。 僕の数代前の家族たちが、同じような家で暮らし始めたはずです。 北海道の、それももっと北の士別の辺りで。 秋になれば急に寒くなります。 その先には、雪が厚く積もる冬が来ます。 入植したての人たちはどれほど不安だったでしょう。 頑丈で暖かな建物が建てられるのであればよかったのでしょうが。 手に入る材料で、できるだけ頑丈そうに作るのが精一杯だったかもしれません。…
子供の頃、家で飼っていた動物のことを覚えています。 馬や犬、猫がいました。一番賑やかだったのが鶏ですね。 祖母が鶏小屋を作って、そこで飼っていました。 時々小屋の外にも出していました。今でいうところの地鶏でしょうか。 それを僕が追いかけているところの写真がありま...
小学校くらいまでの頃の僕の北海道観は、ほぼ祖母から聞いた話で出来上がっていました。 祖母が子供の時に奉公に出ていたという話は何度も聞きましたが、それがどこのことだったのか聞きそびれているのが残念です。 北海道への入植の時期を判断する重要な情報になったはずです。 ...
北海道の砂川市で生まれてから高校を卒業するまでのことを振り返っています。 昭和の頃の様子なども思い出せる範囲で書いています。 僕はいわゆる「お婆ちゃん子」で、いつも祖母と一緒にいました。 母が外に働きに出ていたからかもしれません。 祖母と話をすることが多かっ...
新十津川にあった母親の実家は、冬には暑い雪に埋もれていました。 雪が積もると自動車は使えなくなって、足で雪を踏み固めた細い道を伝って行き来をしていました。 馬そりで移動していたところもあるようです。 真冬には広い田圃が一面の雪原になってしまいます。隣家はずっと遠くに見...
子供の頃の家の、畑や庭の風景 夏の終わりにたくさん飛んでいたトンボ
北海道の砂川市は空知平野の北端部分。 東側を南北に連なる山並みから、西側を流れる石狩川に向かって緩やかに下りながら、田園地帯が広がっています。 実家の、季節ごとの畑の様子を覚えています。 夏にはたくさんの野菜が実っていて、毎日収穫したての新鮮なものが食卓を飾りました。 ...
北海道の砂川で、自分達の手で建てた家で暮らし始めた 祖父母がまだ若く、父が子供だった頃のこと
昭和20年から30年にかけて、祖父母は自分達の手で建てた家で家族と暮らしていました。 その家は木造の二階建て。 馬や鶏たちとほぼ同居状態でした。 その時に建てた家は、僕が生まれた頃にもまだ残っていて、農作業用の道具をしまったり、大きな脱穀用の機械が置かれたりしていました。...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)① 小学校生活の終わり頃にとても悲しい出来事がありました
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 小学校生活がそろそろ終わりという頃に、今でも忘れられない出来事がありました。 その辺りのことを、思い出せる範囲で書いてみました。 想像で補っている部分もあるかもしれません。 気持ちの中の何かが邪魔をしている部分も、きっとありそうです。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和五一年~昭和五二年(十六)① 小学校生活の終わり頃にとても悲しい出来事がありました 家が近い同級生は、そんなに多くはいませんでした。 かえって、家が近い…
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃で...
子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように...
祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。 宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。 夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に遊ぶようになりました。 ...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十四)③ 大人たちは朝から酔っていました
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 お通夜で飲み通し、朝食でビールを飲み、火葬場でもワンカップを手にしていました。 法事のときはそうするものだと、僕は覚えてしまいました。 父はたくさん飲んでも、乱れるということはなかったですね。 楽しそうに飲み続けていました。 そういえば、祖父も、一人でいつまでも楽しそうに飲んでいる人でした。 家系でしょうか。 僕も、一人で、おとなしく楽しげに飲む男になりました。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (…
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十四)② 昭和の頃のお通夜 近所のおばさんたちの手作り料理で過ごしていました
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 今であれば、仕出し屋さんに食事の準備をお願いしますが、当時は近所のおばさんたちがお寺の厨房を使わせてもらって料理を作っていました。 お通夜の法要が終わると、お酒を飲みながらの会食になりました。 食事の場では、不思議な出来事が何度も話題になりました。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十四)② 昭和の頃のお通夜 近所のおばさんたちの手作り料理で過ごしていました 野菜の煮しめや黒飯などはすべて近所のお…
入退院を繰り返していた祖父の容態が急に悪くなりました。 母や祖母が付き切りで看病する日が続いたので、僕や妹の世話をするために、母方の祖父母が家に来てくれていました。 母方の祖父母は本当に優しくて、僕や妹は安心して過ごしていたのですが、夜などは寂しくなりました。 あ...
小学校高学年の頃の思い出を綴ります。 家族や自分自身の生活が変化し始めた時期です。 色々と自分なりの考え方をするようになっていきました。 それでもまだまだ子供でしたが。 今思えば、僕は、子供の頃一緒にいた祖父の年齢とほぼ同じになっています。 そして、普段やって...
自分が生まれてから昭和50年頃までの部分をまとめます。 それぞれの記事へは下記リンクからアクセスしてください。 次回からは昭和51年〜昭和52年の内容になります。 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (一) 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (二)① ...
【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十二) 恐くて 優しかった 祖父のこと
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 昭和51年から52年にかけてのエピソードです。 祖父は仕事を定年退職して、家でノンビリ過ごしていました。 夕方になると、決まってテレビの前の定位置で晩酌をしていました。 当時の大相撲の中継が大体午後4時くらいから。 その時間には焼酎を飲んでいたので、ゆったりと暮らしていたのでしょうね。 今思えば、僕の現在の習慣にもとてもよく似ています。 早めにお風呂に入ってしまい、その後、テレビの前でビールや焼酎を飲み始めます。 コロナでテレワークが定着したおかげ、というのもありますが。 dantandho21.blogs…
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 これまでの記事をまとめています。 まだ続きます。 少しずつ、事件のようなものも起こるようになります。 覚えていることが増えてきているというのもありますね。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 いったんまとめます 引き続きよろしくお願いします。 またお立ち寄りください。 どうぞご贔屓に。 dantandho にほんブログ村ランキングに参加しています
いわゆる早生まれだったので、同級生の中で小さい方でした。 ずっと家の周りで遊んでいただけなので、体力もありません。 それで、通学で歩いて学校まで行けるかどうか、心配されました。 そのくらい、頼りない小学1年生でした。 【沙河】ここにタイトル ...
ついに小学校の入学式の日が来てしまいました。 小学校には母親と二人で出かけました。 雪解けの水で、道はぬかるんでいました。 半ズボンの下にはいた白いタイツに泥水が跳ねたのを、母親は気にしていました。 入学式が終わって、家に帰ってもまだ、春の雪は降り続いていました...
市街部から離れたところに住んでいたので、幼稚園に通うのが簡単ではありませんでした。 両親は働いていて、決まった時間に送り迎えするのは難しい状況。 祖母も毎日送り迎えすることはできません。 また、子供の頃の僕は、同年代の友人を作るのが得意ではありませんでした。 祖...
祖母は冬が来る前に、決まってしている作業がありました。 漬物を漬けたり、鰊や鰯を大量にさばいたり。 猫が祖母にすり寄り続ける時季でもありました。 僕も、祖母を手伝うでもなく、猫と同じように周りで遊んでいました。 大量の魚が紐に吊るされている間は、家の周りが魚臭く...
【北海道の開拓時代】入植者たちが住んでいた家 自分達の土地に手作りで作る
上の写真は、明治30年頃の入植者たちの住宅。 当時の豊平周辺に建てられたもののようです。 写真は「さっぽろ文庫26 明治の話 札幌市教育委員会編 北海道新聞社 昭和58年9月28日発行」に掲載されたものをお借りしました。 僕の数代前の家族たちが、同じような家で暮らし始め...
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (八)① 自宅で飼っていた動物のこと
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 家で飼っていた動物のうち、馬はほとんど記憶にありません。 犬は微かに覚えています。 猫はずっと家族の一員として一緒に暮らしていました。 一番印象に残っているのが鶏。 たくさんいて、鶏小屋も賑やかでした。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (八)① 自宅で飼っていた動物のこと 祖母の鶏の飼い方を見て、人間と動物との関わり方を学んでいたかもしれません。 またお立ち寄りください。 どうぞご贔屓に。 dan…
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (七)② 祖母の実家での事件いくつか
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 祖母の実家に遊びに行くと、気持ちがリラックスしていたのか、自分で思い返しても面白いことをやらかしています。 怪我をしたことも何度か。 そういえば、犬に噛まれた痕がまだ頭に残っています。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (七)② 祖母の実家での事件いくつか 祖母の実家の人たちは、優しい人たちばかりでした。 僕が子供だったということもあるでしょうけど。 犬に噛まれたのに、犬嫌いにはなっていません。 お…
親戚の家に行くと、楽しかったのか、ちょっと舞い上がった状態になり、いくつか失敗をしてしまいました。 それらの事件は、親戚の家に行くたびに話題になり、恥ずかしい思いをしたものです。 ただ、誰もが朗らかに対応してくれていたので、親戚の家々はいつまでも楽しい場所であり続け...
小学校くらいまでの頃の僕の北海道観は、ほぼ祖母から聞いた話で出来上がっていました。 祖母が子供の時に奉公に出ていたという話は何度も聞きましたが、それがどこのことだったのか聞きそびれているのが残念です。 北海道への入植の時期を判断する重要な情報になったはずです。 ...
僕はいわゆる「お婆ちゃん子」で、いつも祖母と一緒にいました。 母が外に働きに出ていたからかもしれません。 祖母と話をすることが多かったので、考え方も影響を受けています。 北海道を移住し続けたこと、アイヌの人、朝鮮の人、中国の人などのこと。 道路工事や炭鉱で働いて...
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (五) 水への落ち方のバリエーション
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 子供の頃、よく水に落ちました。 用水路とか、溜池とか。 温泉ということもありました。 それ以外にも落ちたことがあります。 いくつかのバリエーションを、覚えているものについて書いてみました。 dantandho21.blogspot.com dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (五) 水への落ち方のバリエーション 水に関係するものに、よく落ちていました。 大きな事故にならずに済んでよかったと思います。 …
子供の頃は、よく水に落ちました。 いつも近くに誰かがいてくれて助かっています。 もし一人きりだったら、ダメだったかもしれないと思われることもあります。 水の中から明るい空を見上げていた記憶があります。 他の時の記憶と混じっているのかもしれませんが。 ...
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (四)① 雪に埋もれた家で過ごした日々のこと
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 母親の実家に一週間ほど預けられていました。 妹が生まれた頃のことです。 真冬で、家は雪に埋もれていました。 従姉妹達がいつも遊んでくれていて、寂しい思いはしませんでした。 祖父母もそばにいてくれて、話しかけてくれていました。 叔母は手打ちそばを作って食べさせてくれました。 僕のそば好きは叔母さんの手打ちそばの影響かもしれません。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (四)① 雪に埋もれた家で過ごした日…
妹が生まれたとき、1週間ほど母の実家に預けられていました。 一人きりで母方の祖父母や叔父叔母、従姉妹達と過ごしていました。 みんな優しい人たちだったので、とても安心していたように思います。 寂しがる様子もあまり見せなかったようで。 冬だったので、家は深い...
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)② 季節の変わり目は畑で感じていました
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 畑の様子の移り変わりで季節を感じていました。 よく目にしていたのはトンボです。 トウキビの穂の先にたくさんとまっていました。 いろんな種類のトンボが、やがて赤トンボばかりになって。 そして夏休みが終わりました。 北海道のお盆も、大体同じ頃。 遠くから盆踊りのための音楽が聞こえてきていたのを覚えています。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)② 季節の変わり目は畑で感じていました 子供盆踊りの曲を…
季節ごとの畑の様子を覚えています。 夏にはたくさんの野菜が実っていて、毎日収穫したての新鮮なものが食卓を飾りました。 そして、お盆が近づくと、トンボがたくさん飛んでいましたね。北海道のお盆は旧盆の時期になります。北海道の学校の夏休みの終わり頃です。 秋になると収穫...
父母が結婚して、祖父母と一緒に住むことになったので、新しく家を建てたようです。 それも、やはり自分達の手で建てたとのこと。当時はそれが普通だったみたいで。 入植者、開拓者って、自分でなんでもできないといけなかったのかもしれません。 今回は、自分が子供の頃の...
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)① 実家の周りのことを思い出すまま
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 自分が生まれた頃の実家の周囲のことを書きました。 北海道で育つ木々や花がたくさん植えられていたように記憶しています。 それらに混じって、食べられるものもあったと思います。 昭和40年代の初めの頃のことです。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)① 実家の周りのことを思い出すまま 昭和40年代の北海道の田舎の家になります。 祖父母が育てていた木々、花々ですね。 田圃や畑の仕事をしながら、時々これら…
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (二) 自分の土地で 家族と暮らす
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 下記記事は第二回分です。 4つに分けてあります。 砂川で自分の土地を手に入れたこと。 自分達の手で家を建てたこと。 当時の家族のこと。 それから、父母が結婚するまでのこと。 これらのことを書いています。 大体昭和20年から40年くらいまで。 次回からは僕が生まれた後のお話です。 dantandho21.blogspot.com dantandho21.blogspot.com dantandho21.blogspot.com dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡…
母の家系も北海道入植者です。 南北に流れる石狩川を挟んで、砂川の西側にある地域です。 水田が広がる、のんびりとした土地でした。 現在の新十津川もあまり変わりません。道路は広くなったかな。 母の実家は、今も規模の大きな水田経営をしています。 新十津川町HP ...
Takachiko! Takachiko! 暖淡堂で「沙河」を少しずつ紹介しています。 下記記事は第一回分です。 自分の一番初めの記憶を辿ってみました。 dantandho21.blogspot.com 沙河 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon 【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (一) 一番初めの記憶 「沙河」で、自分のルーツを簡単に辿った後、生まれた時から高校生くらいまでのことを年代順に書いてみています。 これを書いてみたことで、今現在を落ち着いた気持ちで過ごせているという部分はあります。 皆さんにも、ご自身のことを書かれることをお勧めします。 自分は55歳前後で、毎日少し…