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日本統治時代は台湾にとって変革の時期でした。鉄道・道路網といった交通インフラが整備されたほか、ダム・用水路が縦横無尽に張りめぐらされたことで、農業は大幅な進歩を遂げました。日本統治時代の台湾を知るうえで、烏山頭ダムは欠かせない存在です。八田與一技師による指揮のもと、1930年(昭和5年)に完成しました。現在は歴史公園として整備されており、日本からも多くの観光客が訪れています。今回は八田與一技師の功績に...
台湾総鎮守として日本統治時代の台北・剣潭山に鎮座した「台湾神社」。その最末期にあたる1944年(昭和19年)6月、神社名を台湾神宮に改め、新社地への遷座も予定されていました。ところが、軍用機が移転地に墜落・火災に至ったことで、新社殿は消失。ついに移転されることなく終戦を迎え、台湾は中華民国の占領下に入りました。戦後、台湾神宮境内は円山大飯店敷地に取り込まれ、焼失した新社地跡は会員制保養施設「円山聯誼会」...
高架化にともない役目を終えた、台中駅のレトロ駅舎。その歴史的価値が認められ、現在は鉄道記念館として活用されています。その記念館というのが、今回ご紹介する「台中駅鉄道文化園区」です。▲日本統治時代に建設された旧駅舎が保存されている旧駅舎の位置はこれまで通りです。重要文化財級ということもあり、見た目は現役時代からほぼ変わっていません。訪問当時、何らかのイベントが行われていたのか、白いテントが軒を連ねて...
日本統治時代、台北(たいほく)駅西側一帯には泉町という地区がありました。主に内地人(日本人)が居住していたようで、現在でも大量の日本家屋を見ることができます。国光バスターミナルから桃園空港行きバスに乗ると、車窓右手に日本家屋が見えます。中には、日統バスの台北バスステーションとして改装された民家もありますが、その他は樹木に埋もれ荒廃しているモノが多めです。▲日統客運の台北転運站遠景▲日統バス台北バスステー...
東台湾・林田移民村 中野集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―僅かに残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は中央部に位置する中野(なかの)集落をめぐります。南側にあった南岡集落と同じように戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、二村と呼ばれるようになって現在に至ります。中野集落は林田村の中心地だったようで、集落内には駐在所と尋常高等小学校(→国民学校≒小学校)が置かれていました。なお学校は現在でも学校として機能しており...
東台湾・林田移民村 南岡集落の現在をたずねて(花蓮県鳳林鎮)―多数残る日本家屋
東台湾・花蓮県鳳林鎮にあった日本人移民村「林田村」のうち、今回は一番南に位置する南岡集落をめぐります。同集落には戦後、日本人がいなくなった場所に客家系を中心とする台湾人が移り住み、一村と呼ばれるようになって現在に至ります。また、戦前から戦後にかけて煙草の栽培がおこなわれてきたため、集落内部には収穫した煙草の葉を乾燥させるための小屋「ベーハ小屋」が残っています。今回は旧南岡集落をめぐり、ベーハ小屋や...
台湾中部最大の都市・台中市にやってきました。今回は台中駅を起点に、駅から歩いて数分で行ける範囲にある日本統治時代の史跡、特色ある施設を中心に見て回りたいと思います。目次1 台中駅前の土産物店街2 時代に取り残されかけた旧栄町通り3 スイーツ店に生まれ変わった宮原眼科4 緑川を通って建国市場へ台中駅前の土産物店街まず初めに、駅前から台中港方面へと伸びる台湾大道(省道12号線)を西に進みます。省道12号線は台中...
台湾中部、台中市中心部にある台中市政府(市役所)庁舎はかつての台中州庁を転用したものです。向かい側にはもと台中市役所だった建物も残されており、台中市を代表する歴史建築のひとつとして大切にされています。▲旧台中州庁台中州は1920(大正9)年に設置され、はじめ台中市・大屯郡・豊原・東勢郡・大甲郡・彰化郡・員林郡・北斗郡・南投郡・能高郡・竹山郡などが設置されました。その範囲は現在の台中市・彰化県・南投県に相当し...
横倒しの鳥居がある...台中公園の歴史遺産(初代台中神社跡・湖心亭)
今回お送りする台中公園は、台中駅の北側にある市民憩いの場で、内部には日治時代(日本統治時代)の史跡が多数残されています。1903(明治36)年に完成した公園で、当初は「中之島公園」と呼ばれていましたが、のちに「台中公園」を経て「中山公園」に改称されました。しかし、近年再び「台中公園」に「正名化」されています。中山はいうまでもなく孫文のことを指す単語で、「中山公園」若しくは蒋介石を指す「中正公園」の名は今でも多くの公園名に...
台南の奥座敷として、日本統治時代から親しまれている関子嶺温泉。この地にはかつて小鎮守「関子嶺神社」がありました。温泉地の知名度とは対照的に、あまり知られていない神社跡です。金子展也氏(2011)は、同神社の詳細を以下のように示しました。建立年は1941年10月24日と、日本統治時代の終末期にあたります。天照大神を祭神としていました。社殿までの道のりは険しく、現在の好漢坡すなわち「三百石段石崎」を登りつめて、よ...
西本願寺広場(台北市万華区)―バラックから蘇った寺院「西本願寺」址
かつて、台北メトロ西門駅の南側には西本願寺という日本寺院(日本統治時代まで)がありました。大きな屋根が特徴だった本堂は戦後、1975年に火災で焼失しました。その後、敷地上にバラックが建てられましたが、近年になって排除され、西本願寺があったことを記念すべく、歴史公園「西本願寺広場」に生まれ変わっています。参道址▲「参道」説明板▲旧西本願寺参道石敷きの一部は西本願寺時代のものです。欠損している部分は整備時に復...
台湾東部、花蓮県花蓮市にある旧花蓮港神社を訪れました。同神社跡は戦後、中華民国政権の手によって美崙山忠烈祠に改められ現在に至ります。同神社は花蓮港庁平野区の米崙山腹にあって、台湾神社(→台湾神宮)と同じ祭神を祀っていました。1916(大正5年)4月に起工し、鎮座式は同年9月22日に行われ、1921(大正10)年3月2日には県社に指定されています。(台湾総督府編『台湾事情. 昭和18年版』台湾総督府官房情報課、1943年)ここにはち...
今回は基隆市中心部にある、旧基隆神社(基隆市忠烈祠)をめぐります。かねてより入口に建つ牌坊が気になり、実際に見てみたいと思っていました。基隆神社はもとを「基隆金刀比羅神社」といい、1912(明治45)年3月に創建されました。1915(大正4)年11月に修築が行われ、あわせて天照大神・大国魂命・大己貴命・少彦名命・北白川宮能久殿下(以上、台湾神社→台湾神宮の祭神)も合祀の対象になり、基隆神社に改称されました。また、例祭...
台北市北門エリアをぶらり散策(台北轉運站~総督府鉄道部~郵便局~承恩門)
台鐵台北駅の西側にある、北門周辺を見て回ります。一帯は非常に交通量が多く、しかも北門周辺は交差点の形状が複雑なので、通る際には注意が必要です。▲台北バスステーションB棟桃園空港行きや中距離バスなどはA棟から出ていますが、各地に向かう長距離バス(嘉義・高雄行きなど)はB棟から出ています。桃園メトロ空港線(機場捷運)台北駅の建設現場付近にやってきました。開業が遅れに遅れている同鉄道ですが、果たして今後どのよう...
日本が台湾を領有していた50年間、多くの日本人が台湾に移住しました。その目的は主に農業でした。特に近年、台湾旅行ブームの高まりを受けて、台湾移民史が再び脚光を浴びています。しかし、今日において注目を集めるのは、あくまでも「東海岸の移民」にすぎません。西海岸の移民はどうでしょうか?そもそも台湾西部への日本人移民は、あまり知られていないのが実情です。もちろん、台湾西部には日本人の足跡が色濃く残っています...
【台湾観光】ライトレールが走る!高雄旧市街地「ハマセン」をぶらり
日本統治時代に高雄の中心部があった愛河西岸部のうち、とくに海沿いの地域は「ハマセン」と呼ばれ親しまれています。近年ではライトレールが延伸したことで、以前よりもいっそう観光地化が進みました。今回は徒歩でハマセンをめぐり、いくつか見どころをご紹介したいと思います。まずは「ハマセン」の範囲から、簡単に解説します。このハマセン(哈瑪星)という単語は日本語の「浜線」に由来するもので、すなわち臨港線のことです...
これが台湾式レトロだ!台北植物園&欽差行台&南門町三二三を散策
台湾の首都台北はいわば「ビルの林」です。そこら中に雑居ビルやら集合住宅やらが立ち並んで、場所によっては薄暗い所も少なくありません。そんな台北には本物の林だってちゃんとあります。南門に近い台北植物園には、林に包まれた散策路があるそうです。はたして、大都会の台北で本当に森林浴ができるのでしょうか?さっそく植物園に向かいました。目次1 小南門駅から植物園入口へ2 欽差行台3 台北植物園腊葉館4 早田文蔵顕彰...
台湾の政治・経済の中心地をぶらり散策(台北駅~総統府~東門)
台湾の首都にして政治・経済の中心地、台北市にやってきました。今回は台北駅の南側にある、二二八和平公園の方に行きたいと思います。はじめての台湾ということで、まずは台湾「基本のき」から見ていこうと思ったのです。同公園に行く場合、台北捷運の台大医院駅で降りると便利ですが、台北市内の雰囲気になれるため、徒歩で移動しました。台北駅から予備校が密集するエリアを進むと、やがてギリシャ建築を思わせる優美な建物が見...
旧台北州庁=監察院のレトロ建築が美しい!早朝の台湾中枢をぶらり散策
台湾に来ると思わず、早朝から行動したくなるものです。今回は友人を連れてのパックツアー参加という形ですが、だからといって何もしないわけにはいきません。限られた自由時間を活用しようと、睡眠時間を削って早起きしました。行天宮前のホテルを出てMRTに乗り、忠孝西路界隈に出たいと思います。善道寺駅を出て台北市中心部を進むと、やがて旧台北州庁が見えてきました。現在は監察院として使用されているレトロ建築です。ここ...
台北市中心部、南京東路・新生北路・林森北路・新生北路二段28巷に囲まれた場所にあるのが、市民憩いの場「林森公園」です。かつて「三橋町(みはしちょう)墓地」として日本人が葬られていましたが、戦後になり日本による台湾統治が終わったのち、国共内戦に敗れた国民党政府が本拠地を台湾へ移すと、中国本土から大量の中国人が台湾へと流入し、彼ら在台中国人によって大量のバラック小屋が建てられるようになりました。李登輝政権後半...
台湾で一番大きな鉄道博物館といえば、何といっても今回お届けする「苗栗鉄道文物館」でしょう。台湾北西部、苗栗県苗栗市の苗栗駅横にあります。入口正門は一応あるのですが、施錠されているのでそこから入ることはできません。駅西口の片隅にある路地から、線路に沿って南側に進むと敷地内に入ることができます。常時開放されており、入場料は無料です。▲台湾総督府鉄道500形501号機(CT152)CT152は国鉄8620形と同型です。1919(大...
旧開山神社=延平郡王祠(台南市中西区)―日本・台湾ゆかりの鄭成功をまつる廟
今回お送りする延平郡王祠は台湾南西部、「台湾の京都」こと台南市にあります。こちらは清初に台湾を治めた鄭成功を祀るため、彼の死後に建立されました。日本統治時代には開山神社に改められ、廟建築を温存する形で神社へと生まれ変わりました。時の政府は日中ハーフの鄭成功をとり上げ祀ることにより、台湾と内地の繋がりをより強固なものにしようとしたのでしょう。同神社は台南州台南市開山町にあり、延平郡王・鄭成功を祭神と...
台湾の中枢部「城内」をぶらり散策(総統府~二二八和平公園~台北駅)
台北メトロの電車を台大病院駅で降り、二二八和平公園(旧台北新公園、以下「新公園」)の横に出てきました。空は灰色に曇り、今にも雨が降り出しそうな様子でしたが、台北駅方面へと歩いていきます。▲台北メトロ台大病院駅ケタガラン大道から西側をのぞめば、旧台湾総督府の巨大な建物が見えます。北側には新公園、南側には中央気象局、背後の東側には台北賓館があり、周囲は若干物々しい雰囲気です。旧総督府にカメラを向けると、幸...
旧高雄神社=市忠烈祠(高雄市鼓山区)―変化する台湾の神社跡...復元参道を見に行った
日本統治時代の台湾には、多くの神社が鎮座していました。今回ご紹介する旧高雄神社もその一つで、現在は高雄市忠烈祠になっています。同神社はかつて、寿山の中腹部に鎮座していました。その境内は高雄港を眼下に見下ろせる絶景を持ち、高雄を代表する景勝地に数えられました。1929(昭和4)年の造営にあたり、大物主尊、崇徳天皇、北白川宮能久親王の3柱を祀り、32(昭和7)年には旧県社に昇格しています。県社への昇格は、デジ...
旧建功神社(台北市中正区)―台湾統治のシンボルは今...学校に呑み込まれた洋風神社
学校に転用された神社跡地を求め、台北市南海路にやってきました。場所は台北市植物園に近い場所で、かつて建功神社のあった南海学園です。メトロ小南門駅から徒歩で訪れることができます。目次1 建功神社とは2 神社参道・鳥居跡3 玉垣4 方形池・社殿建功神社とは同神社は日本統治の開始以降、台湾開発・発展のために殉じた人々を祀るため、市制30周年記念事業の一環として、公費約9万円を投じて、台北市南門町の植物園内約4千...
【台湾観光】南門から台北駅へ ちょっとだけ歴史建造物めぐり【バス利用】
台北といえば何を思い浮かべますか?台湾に初めて来た観光客は、その多くがツアー参加者だと思います。基本的にアミューズメント性の強い「王道観光地」に連れていかれることが多く、台湾の古い史跡や歴史そのものに触れる機会は、決して多くないはずです。ゆえに思い浮かべる場所といえば、たいてい忠烈祠や中正記念堂(ハゲ寺)といった場所が、答えの大半を占めると思います。目次1 自由行動で台湾の歴史に触れよう―城内と植物...
今回は台湾西部、彰化県彰化市に来ています。知る人ぞ知る台湾グルメ「バーワン(肉円)」は、ここ彰化で盛んに食されていると聞いています。ここまで来たからには、本場のバーワンを食べてみようと思い、さっそく市街地に向かいました。▲彰化市區地圖彰化の有名な史跡・寺廟は、おもに駅東側の旧市街地に点在しています。一帯には日本統治時代の史跡も多く、武徳殿・神社跡・宿舎街も一帯に残っています。史跡巡りをする場合は、...
台湾の首都にして最大都市・台北市の中心部にやってきました。今回は台湾政府の主要機関が集中する地域、日本語地名でいうならば幸町~樺山町にかけての地域をめぐっていきます。▲亭仔脚の中から旧台北州庁を眺めて台北駅のすぐ東側が今回めぐる地域にあたります。駅から数百メートルほど東には、旧台北州庁をそのまま転用した監察院があります(写真上)。先ほど二つの地名を挙げましたが、幸町・樺山町ともに台北駅のすぐ東側にあ...
台湾北部、台北市郊外にある観光地・北投温泉には多くの日本家屋が現存しています。この温泉地は日本統治時代に整備されて以来、台湾を代表する観光地として君臨してきました。今や温泉だけでなく、古い日本家屋も立派な観光資源となっています。今回ご紹介する「普済寺」も北投温泉を代表する観光資源の一つで、もとは日本仏教の寺院として建立されたものです。それでは早速中に入り、どのような寺院なのか見てみましょう。普済寺...
現在、台北駅の西側が大きく姿を変えつつあります。北門の上に長年覆いかぶさっていた陸橋は姿を消し、台北駅と桃園空港を結ぶ鉄道路線も開業しました。相次ぐ交通事情の変化により、台北駅西側がどのように変わったのか。そして同時に、日本統治時代から商業地域として栄えている博愛路(京町通)を北から南へと辿りながら、古い建築物がどう扱われているのか。今回はこの二つに着目しながら、台北中心部を巡っていきます。目次1 ...